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4.如是

 天翰(てんかん)は甘い瓜よりも、書物を欲しがった。どんなものが適当かわからず十一(じゅういち)は、大町(おおまち)書肆(しょし)で『竹取の(おきな)』を(あがな)った。天翰はよろこんで、十一に読んできかせた。十一は天翰の鬘を撫でた。 「おめえを拾ったのも竹籔だったな」 「そうであった」 「おめえも月に(けえ)っちまうのか」  天翰はうつむいて黙りこむ。帰りたい思いはあるのだろう。けれど、天翰のいない暮らしなど、考えたくもなかった。十一は天翰の鬘をはずし、じかに坊主頭を撫でた。わずかに伸びてきた髪の、ざらりとした手ざわり。  夜な夜な、山賊どもは宴を催した。酒ならいくらでもあった。そして、烏帽子の三人は天翰を(なぶ)った。女のように屈服する天翰を、十一は盃を片手に見つめるばかりであった。天翰は見つめかえした。それに気づくと銀鴟(ぎんじ)は、遮るかに天翰の唇を吸った。  群れ来る蜻蜓(あきつ)。山の風に秋の気を感じた。峠の沢で十一は、天翰と喜々須とともに椀を洗った。二人が来てから、こなすべき日々の雑事はかなり楽だった。 「十一の兄ぃは、お日羽(ひわ)の姐さんに()の字なんでしょう」  だしぬけに喜々須(きぎす)がいった。十一は危うく銀鴟の銚子をとり落としかけた。天翰も目を丸くした。喜々須はにこにこと鍋の焦げつきをこすった。 「あゝ、その顔は図星ですね。お日羽の姐さんも、満更じゃねえんだ」 「何がいいたい」 「いいんですか、姐さんを好き勝手にされていて」  いいはずがない。けれど、銀鴟たちに意見できるほど十一の立場は強くなかった。喜々須だってわかっているはずだ。この(わらべ)は聡い。 「のう、喜々須どの。あまり十一どのを困らせるな」 「烏帽子を戴けばいいんでさ。一人前になりゃあ、お頭たちも十一の兄ぃを無下にはしがてえでしょう」 「烏帽子を」  あの三人の誰かに、烏帽子親を頼めばいい。ただ、頼んですんなりきいてくれるだろうか。  十一は小屋の裏手へと向かった。そこで烏帽子の三人はよく次の仕事の相談をしていた。 「始末するのは、いつでもいい。すっかり色気づいちまいやがって、おもしろくねえ。女房づらしやがるのも気に食わねえ」  銀鴟の声に、十一は足を止めた。百舌(もず)牙良(げら)がいう。 「だが、お日羽の飯はうまい。尻の塩梅(あんばい)もいい」 「たいした(よし)もなく殺しゃ、十一はおめえを恨むぜ。いいのか」 「あれは知りすぎた。雪の頃に仕事なんざやってられっか。むだ飯食いはいねえに越したこたぁねえ」  心の臓があばらを叩いた。十一は気配を忍ばせて、そこから離れた。  沢まで走った。天翰は男たちの褌を、岩に叩きつけて洗っていた。血相を変えた十一を見て、腰をあげる。 「どうしたのだ」  十一は抱きすくめた。小鳥みたいに温かい花奢な肩。腕をゆるめて、天翰の顔を見すえた。右頬に泥をなすった跡。秋空みたいに澄みきった明るい瞳。こいつを殺させるもんか。十一は告げる。 「天翰。頼みがある」  秋の虫の音色。灯台の火と炉の火に、山賊どもの影がバケモノじみて伸び縮みする。宴が始まってすぐ、十一は銀鴟にむかって手をついた。十一の背後で、天翰も手をつく。 「お頭、お(ねげ)えがござります」  銀鴟は眉を動かして、盃を呷った。「なんだ」 「おれと呑み較べしてくだせえ。もし、おれが勝ったら、そこの天翰を頂戴したい」  山賊どもがばか笑いした。百舌がいう。 「なんだ、その坊主を女房にでもしようってか」 「へい。そうしようと思っておりやす」  女房にしてしまえば、天翰をどうしようと十一の勝手のはずだった。ほとぼりが冷めたころに、離縁というかたちで安房の寺に帰してやれる。  銀鴟は笑った。心から愉しそうに。「もし、おめえが負けたら、そのときはてめえでそいつの首を()ねろ。それなら勝負してやる」  十一は天翰を顧みた。天翰は、ただ頷いた。 「ふん、そいつのほうが肚が据わってら。おい、夷虎、喜々須、甕ごと持ってこい」  手つかずの甕が二つならんだ。喜々須が蓋をとり、柄杓で銚子に(そそ)いだ。百舌が銀鴟に、牙良が十一に酒をつぐ。両者は一息に呷った。夷虎が声を張る。 「ひとぉつ」  満々とつがれる酒。これは水だ、ただの水だ、と十一は念じた。あらかじめ天翰の酔いざましの薬は呑んでおいたものの、どれほど効くかは計れなかった。天翰は十一の背に手を置いて、小声で読経した。 「百八」  杯を重ねても、銀鴟は変わらなかった。この人が酒で乱れるのを見たことがない。その底知れなさに、十一は寒くなった。 「あゝ、まどろっこしい。盃はやめだ」  銀鴟は喜々須から柄杓を奪い、甕からじかに呑んだ。十一は惑ったが、水甕の柄杓をとってきて、銀鴟に(なら)った。 「二百十四」 「おい、次の甕を持ってこい」  銀鴟が拳で口をぬぐった。夷虎と喜々須がそれぞれ甕を持ってきて、蓋をとった。ときおり外へ小便を垂れにいくほかは銀鴟も十一も、ただ淡々と汲んでは呑んだ。 「三百三十六」  天翰の読経は続いた。その涼やかな細面を見ると十一は、正気に戻れる気がした。おれは人だ、(ケダモン)じゃねえ。 「四百五十九」  それは唐突だった。柄杓の酒を呑みほしながら銀鴟は、白目をむいてひっくりかえった。 「銀鴟!」  百舌と牙良が叫んだ。助け起こそうとする二人を、銀鴟はうるさそうに払った。 「畜生め」  銀鴟はくっくと笑った。十一と天翰は手をついた。 「お頭。約束です。天翰を頂戴します」 「畜生め」銀鴟は大きな手で、おのれの顔を撫でた。「よし、おれがおめえの烏帽子親んなってやる。ついでに祝言もあげちまえ。ただし、お日羽を逃がすんじゃねえぞ。そいつは知りすぎてる。二度とよそで暮らせねえようにするんだ。それだけは譲れねえ」  約束どおり、銀鴟は十一の烏帽子親になり、十一は蒼鴞(そうきょう)という烏帽子名をもらった。  峠の小屋には戸がつき、床板が()かれた。牙良の計らいだった。山賊どもの根城は、また別に(もう)けられた。歩いて四半刻もかからぬ距離だ。  ふたりで過ごす、ふたたびの冬。烏帽子を戴いた十一は、かたわらの天翰を撫でた。天翰の髪は肩まで伸び、禿(かぶろ)のようだ。女の衣を着ていれば、男とは誰も思うまい。紅梅色の衣に、十一は手をかけ、紐を解いた。衣摺(きぬず)れ。  天翰の白い背に、淫慾魔羅観世音(丶丶丶丶丶丶丶)という入墨(すみ)。これが銀鴟がつけた条件だった。天翰は僧侶にも堅気(かたぎ)にも戻れなくなった。ただ、山賊の女房として生きるほかはない。十一は入墨を撫でた。うぶ毛のなめらかな肌。 「おれを、恨んでいるか」 「えゝ、恨んでいますとも」  天翰は躰ごと振りかえり、十一の頸に両腕をかけた。清水のように澄みきった目で、紅を差したかのごとき唇で、嫣然(えんぜん)一笑する。 「生涯かけて償ってくださいまし」  天翰は口づけた。幼い女房を(しとね)に横たえながら、地獄に堕ちてもいいと十一は思った。

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