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ⅩⅤ

「お、脱童貞おめでとう正義」  総次の病室に入るや否や、ベッドの上に置いたバッグに荷物を詰める総次に歓迎ムードで迎えられた。 「……してないですよ。って何やってるんですか?」 「ヤってないの?」  脱童貞云々の前に正義が気になったのは総次の手元だ。明らかに荷造りをしている。元から外傷がある訳ではなう養生の為の入院だったので、本人が大丈夫と思えばいつでも退院は出来るだろう。しかし正義の心持ちとしても総次の退院は両手離しで喜べるようなものでは無い。 「退院するつもりですか?」 「そうだけど、問題ある?」 「大アリですよ! 折角透さんも進さんもゆっくりして良いって言ってくれてるんですから」  恐らく、ここで正義が何を言っても総次は自分の考えを変えるつもりは無いだろう。そうだと分かってはいても、総次のお目付け役として透たちに任されている正義はここで引く訳にはいかなかった。 「……暇って嫌いでさ。 それに此処にいたらまた病院の人を巻き込んじゃうかもしれないでしょ?」 「その気持ちは分からなくも無いですけど……」 「どうせ巻き込むなら透さんたちのほうがマシだと思って」 「……今なに気に酷いこと言いました?」 「うん?」  初めの言葉こそしおらしかったが、続く言葉に正義は疑念を晴らせずにいた。 「総次、今日退院するって聞いたんだけど」  開かれたままの扉を軽くノックし、藤吉が病室に顔を見せた。総次は荷造りの手を止め藤吉に歩みを寄せる。 「あまり長くお世話にもなれませんし、ありがとうございました。 美優ちゃんにも、伝えておいて下さい」 「今度美優と三人で遊びに行こうな」  藤吉の娘、美優は二日経った今でも目を覚まさないままだった。 「ええ是非、楽しみにしてますね」  藤吉との形式的な挨拶が済むと、総次は荷物を持って病室を後にした。  荷物も持たせて貰えなかった正義はただ総次の後を着いていくだけで、それでも周りには必要以上に警戒をしていた。 「透さんたちは? 自宅?」 「あ、いや……今日は事務所の方に居るみたいですけど」 「そう、じゃあ歩いて行こうか」  そう言って総次は歩き出したが、そこで正義は妙な事に気が付いた。病院どころか、病室を出てから一度も総次と目が合っていない。今までは仕事の事もあったので総次はちゃんと目を見て正義と話をしていた。 もしかするとこの数日の件で見られたくない姿を見られてしまった事が原因なのか。そんな事を考えていた正義だったが不意に総次の腕を掴んで立ち止まらせた。 「……信号、赤ですよ」  総次が言った少し後、目前の歩行者用信号はその点灯を赤から緑へと変えた。 「……ああ、気付かなかった」  歩行者が歩き出す中、総次と正義の二人はその場で立ち止まっていた。総次は笑ってみせるものの、その目はまだ正義を捉えない。 「総次さん、やっぱりまだ休養をしたほうが……」 「……ねえ正義? 侑李と何の話をしたの?」 「ッ! 聞いたんですか?」 「何も? だって行ったのにヤらなかったならその位しか考えられないし」  総次は再び笑みを浮かべ、今度ばかりは正義へとしっかり視線を向けていた。正義はその総次の表情に凍り付き、初めて総次の笑顔を「怖い」と感じたのだった。 「俺は……総次さんのことが心配で……」  二人の間の時間が止まったような気がした。総次は冷ややかな目で正義を見ている。  誰だって知られたくない過去の一つや二つくらいある。この年齢になれば尚更だ。しかもそれを当人の口からではなく第三者から根掘り葉掘りと聞き出されて良い気分になる人はいないだろう。心配だから、という言葉だけで済まされないその行為は、祐一郎のした事と同じだった。  小さく溜息を吐くと総次は正義に背を向けて再び歩き出す。本当ならば一人にしておいた方が良いのだろうが、そんな事をしたら後で透に怒られる事は目に見えて分かる。少し距離を取りながらも、正義は総次の後を着いて再び歩き出した。 「どうしよう……」 「どうしようと言っても、総次に伝えるしか無いだろう」 「でも総次にとって修哉の件は思い出したくも無いはずだろ」 「修哉の目的が分かればな……」  正義を総次の見舞いに行かせ、透と進の二人は事務所で意見交換をしていた。  祐一郎が依頼した探偵は修哉で間違いが無く、修哉ならば貴斗の件も、リストカットの件も知らない訳が無い。何より学生であった総次にリストカットの写真付きメールを送ったのは他でもない修哉本人なのだから。  病院で起こった不可解な事件の犯人も修哉である事におおよそ間違いは無かった。総次の病室に鍵を掛けた事等の具体的な確証は得られていないが、事件当日病院付近に修哉が所有する車が停められていた事の目撃情報から二人はそう推測した。  事件からは既に十年近く経過している。今になって何故修哉が総次の前に姿を現したのか、その目的は何か。二人はその答えに辿り着けないままでいた。 「少なくとも俺はこれ以上総次が傷付いたり悲しんだりするのが嫌なんだよ」 「……俺も同じ気持ちだ」  選ばれる事は決して無かったけれど、望まれるのならばいつでも総次に最大限の愛情を与えることは出来た。恐らく総次はそれを分かっていて選ばなかったのだと思う。その理由は…… 「ただいま戻りました」  総次の突然の帰還に思わず息を呑んで振り返る透と進。総次が退院してくる事がそもそも想定外であり、見舞いに行かせたはずの正義の姿が見えない事も二人を焦らせた。しかし少し遅れて正義が戻ってきた事に一時は安堵をするが、二人のよそよそしい様子に何か引っ掛かりを覚えた。 「……今日、退院だっけ?」  総次のことだ。どうせ無理やり自主退院をしてきたのだろうと納得は出来た透だったが、今置かれている立場をもう少し自覚して欲しいと総次を私室に呼び出した。  透からの呼び出しに難色を示した総次だったが、此処は職場であり、二人の間には雇用関係もある。無下に断る事も出来ず総次は開き掛けた口を閉じて透に着いていく。 「まさか透さん……総次さん退院したばっかなのに……」  気落ちしたままの正義でも、総次の身を案じていた。 「心配するな、透もそこまで馬鹿じゃない……」  進は正義に歩み寄り、その背中をそっと撫でる。総次の事を助けたいと考えた上の行動だった。しかしその浅薄な行為が更に総次を苦しめる結果となってしまった。今初めて言葉は無くとも進に労われたような気がして、正義は声を押し殺して泣いた。 「正義の事、怒らないであげなよ。 俺らの命令で動いてただけなんだからさ」 「別に怒ってないですよ?」  透の私室にて、総次は興味が無さそうにソファに腰を下ろし透の話を聞いていた。 「総次は嘘が下手だね。 何か飲む? 珈琲くらいしか無いけど」  透の私室は木製の家具をメインに揃えられており、それがどこか落ち着きを感じさせてくれる。 「結構です」 「じゃあ本題ね」  場を和ませようとする透の気遣いも、今の総次には無用なもののようで、ならば余計な問答は無用と総次の座るソファの正面に置かれたテーブルに手をつく。 「正義を総次の警護に付けるよ」 「警護だなんて大袈裟な……そこまで大事にする問題じゃないでしょう」 「守られるの嫌い?」  このままでは埒があかないと、透は総次の隣に腰を下ろす。初めは目に見えて嫌な顔をした総次だったが、透はお構い無しと総次の片手を取り甲に口付けると視線を向ける。 「なら俺に大義名分を頂戴?」 「はい……?」 「俺と付き合いなよ。 そうしたら俺が総次を守る大義名分が出来る」  総次から目を反らさず、透はその指に舌を這わせる。透の言葉の意味を理解した総次はハッとして身を引こうとした。しかし透は掴んだ手を離そうとはしない。 「離してください……」 「ずっと好きなんだよ? 身体だけじゃなくて心もモノにしたいってずっと思ってた」  総次の手を掴んで離さないまま、限界まで顔を近付ける。いつも流されるままの総次ならばこの告白も流れで受け入れてしまうだろうか。  透の口を、総次の自由な片手が覆う。 「……知ってますよ? そのせいで進さんと仲が悪い『振り』、してますよね?」  どちらも総次が好きで、どちらも自分のモノにしたいが故の仲違い。そんな演技を総次はとうに見抜いていた。 「二人の男に同時に好意を寄せられて、しかもそれが原因で二人を仲違いさせてしまっている。 ああ俺って何て魔性の男なんだろう。 こんなに愛されているなんて俺は幸せ者だなあ。……なんて俺が言うと思ってんですか? 愛とか要らないし、俺を好きだなんて言う人間なんて要らない! その時お互いが楽しければそれでいいっ、心なんてっ……身体が、性欲が満たされればそれで十分っ……!」  透の言葉は全て本心だっただろうが、敢えて総次が嫌悪する言葉を使う事によって総次を怒らせ本音を引き出そうとした透の案はある意味想定通りだった。  ただ一つ想定外だったのは、その言葉だけを残し総次が忽然と姿を消してしまった事だった――

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