14 / 14

「夫婦」

「入れてあげなさい」 諦めて帰ろうとした時、先ほどすれ違った老夫婦の夫がドアマンに向かって言った。男は艶やかなタキシードに身を包んだ老紳士だった。 ドアマンが明らかにうろたえて、老紳士の正体を口にした。 「オ……オーナー」 ドアマンが訝しげな視線をこちらに向けてくる。その視線にリアンがきょとんとした顔でこちらを見る。 「シャド、知り合い?」 「いや、知らねぇけど」 俺に謎の老紳士、ましてやこんな高級店のオーナーに庇われるコネも覚えはなかった。 ドアマンも納得できなさそうな表情でオーナーと言った老紳士に食い下がった。 「し、しかし、満席でして……」 「席なら、わしらが出ていくだろう。あの席にこの後予約は入っていないはずだが?」 「あ、あそこにですか?」 戸惑うドアマンを置いて、老紳士がこちらへと歩いてきた。 覚えのない親切に俺とリアンは身を硬くした。 しかし、彼は優しげな笑みを浮かべただけだ。 「従業員が失礼したね。軍人さんかね?」 「はい」 「そのバッジ、おぬしら、パイロットじゃろ?」 「あっ」 俺は慌てて、襟についたバッジを手で隠した。 基地の外を出る時は、バッジを外すのが規定で決まっている。俺たちがパイロットであることは極秘事項だからだ。 バッジの種類など一般人にわかるはずもないとたかをくくって、そのまま出てしまった。 俺の反応に老紳士は可笑しそうに肩を揺らした。 「答えんでいい。バレたら懲罰じゃろう。 ーーそれより、夜明け前に近くの砂漠に怪獣が来たそうじゃな。奴らは撃退。一体のクローラが再起不能、パイロットは軽傷を負ったと聞いた」 老紳士の灰色の瞳が俺の背後にいるリアンへと向けられた。リアンは腕に巻いた真新しい包帯を隠すようにもう片方の腕を重ねた。そんなことをしても、額にも包帯が巻かれているので、意味もないのだが。 老紳士はもう一歩こちらへ近づいた。もう腰が曲がってもおかしくないほどの歳だろうに、紳士の背中はぴんと伸ばされ、まっすぐリアンを見上げている。 「もし、そのパイロットに会ったら伝えてくれんかね。  わしらがこうやって呑気に商売できるのは、君のおかげだ。ありがとう。……と」 俺たちは言葉を失った。 こんな風に誰かにお礼を言われるなんて、初めてだった。 目の前を敵を倒す日々で麻痺していたが、『やつら』を倒すことで、確かに人々の生活を守ることができていたのだ。それを初めて実感した。 「おい、リアン」 俺は慌ててリアンに声をかけた。何か言わないと、なんだか泣きそうだったからだ。 リアンも俺の声にハッとして我に返った。 「あ……、はい。伝えておきます」 「頼んだよ」 リアンの返事に老紳士は満足そうに微笑んで、目尻の皺を深めた。 「お話は終わったかしら?」 老紳士の妻と思われるドレスを着た女性が俺たちに声をかけた。 そして老紳士の隣まで歩いてくると、当たり前のように彼の背中に手を添えた。 夫婦の距離感だ。 「あまりお二人の時間を邪魔したら悪いわ。ごめんなさいね、この人、軍事オタクだから」 夫人は俺たちに悪戯な笑みを浮かべて、小さく肩をすくめた。 こんなに嬉しそうに詫びる人もなかなかいないだろう。 夫人に腕を引かれ老紳士も俺たちから背を向けた。老紳士はドアマンになにか耳打ちをした後、夫婦は肩を寄せ合い、仲睦まじく去っていった。 「俺たちも、結婚したらあんな風になれるのかな」 「……え?」 ぽつりと呟いたリアンの言葉に驚いて、俺は彼を見上げた。どうやら無意識に呟いたようで、リアンは自分で言っておいて照れたように頭をかいた。 「……いや、ごめん」 「変なこと言うなよ」 俺も眉を寄せたものの、なんだか気恥ずかしくなって視線を逸らした。 そして、従業員の案内に従って洋館の中へと歩を進めた。

ともだちにシェアしよう!