3 / 20
第二章 道化と依存
斎との過去の関係が露呈した事は千景にとっては大きな問題では無かった。隠す必要の無い確かな事実、しかしそれを最愛の玲於に知られる事だけは避けたかった。斎の口から真実を暴露された日、玲於はそのまま千景を自宅へと連れ帰った。道中は一切無言を貫いた玲於は、寮から十五分も掛からない自宅へと到着しても千景の手を放さなかった。
千景は斎との間に過去肉体関係があった事を認め、玲於を引き取った間もなくその関係に終止符を打った事を告げた。玲於と正式に付き合った日を何日と定めるかは定かでは無かったが、千景の実兄が玲於が一人で居た時に押し掛けた時点では完全に斎と身体の関係は切れていた。千景が初めてでは無かった事だけでも玲於の取り乱しようは酷いものだった。その上で玲於と暮らしていた当時に他の男と僅かでも身体の関係があると言えば玲於はどう思っただろうか。
玲於と初めて身体を重ねた時点で斎との関係は無かったという千景の言葉を玲於は信じた。その上で玲於は内側から沸き起こる嫉妬や独占欲を涙を流しながら必死に押し込め、その晩だけは一人で寝たいと申し出た。共に暮らし始めてから一度足りとも別々のベッドで眠る事は無かった千景は、一年振りに一人で眠ったベッドはやけに広いものに感じた。
「お、佐野はっけーん」
翌日、本棟中庭の喫煙所で一人思い悩む千景は声を掛けられその主に視線を向ける。よりにもよってこんな日に尚更会いたく無い奴が現れたと千景は内心毒づくが、不快感を露わにする事すら今は面倒だった。
仕立てられたスーツを身に纏ってはいるものの、その姿は小柄で一見して中学生か良くて高校生男子にしか見えない。透き通る程肌は白く、女子のように黒目がちで大きな瞳が千景に向けられながら怪しく細められていた。金髪にも近い茶髪が緩く波打ち、学生が社会見学で遊びに来たのではないかと間違われそうな風貌をしながらもその男性、茅萱は首からしっかりと社員証をぶら下げていた。年齢で言うのならば茅萱は四條よりも年上で、そのチャラけた風貌からは全く想像が付かないが第三営業部部長という肩書を持っていた。
「……茅萱部長」
千景はこの茅萱を苦手どころか害悪として捉えている。千景から邪険に思われている事を知りながら茅萱は遠慮なく千景の前へと立ち、千景が腰を下ろすベンチの背凭れへと手を付く。身長が百六十と少ししか無い茅萱の腕の長さはそれに否定しており、必然的に千景へと身を寄せつつ誰に見られるかも分からない状況で耳元に唇を寄せる。
社内で茅萱は四條と二分する程に人気が高い。四條が仕事にストイックな堅物として静かな人気がある反面、茅萱はその容姿とサービス精神からまるでアイドル並の人気を誇っていた。
「泣いてんの? どうした、彼氏と喧嘩でもしたか。……慰めてやろうか?」
「……結構、です」
耳元を擽る吐息に千景の肩が跳ねる。千景が茅萱を良く思わない理由は伝え聞いた噂によるものだった。気に入った相手は男女問わず手を出し、泣かせた男女の数は社内でも星の数ほど。ただ具体的な内容が分からず千景が個人的に噂の真偽を調べていた時に行き当たったのが茅萱の部下である那由多の存在だった。赤松那由多――茅萱の部下であり入社から三年営業成績を上げ続けたトップ。しかしその素行は茅萱以上に問題がある人物であると、千景は早い内から那由多に目を付けていた。那由多はつい先日、事故に遭った斎の代わりに分室にヘルプとして入っていたが、狙いは詩緒であり詩緒を監禁し凌辱した事件についてはまだ記憶に新しい。
そんな那由多を放し飼いにし続けていた茅萱の責任はもっと重いと、千景の茅萱に対する苦手意識は更に高まっていた。
「でもお前今すぐ誰かに抱き締めて優しくされたいって顔してんじゃん」
誰かでは無く玲於に――その思いを見透かされた気がして千景から表情が消えた。他の誰でも無い、玲於だけが分かってくれていたならそれで良かった。二人の間に一度入ってしまった亀裂が、修復不可能な程に深まってしまう事を千景は何よりも恐れていた。どんな時でも千景を拒まなかった玲於が、あの夜だけは千景を拒んだ。めちゃくちゃに掻き抱きたいと思う気持ちと、二度と千景に酷い事をしたくないという相反する気持ちが玲於を苦しめていた。一人で考えたいという玲於の言葉は玲於が成長している証なのだと納得出来ていた千景ではあったが、千景自身も限界に近かった。
「ふざけないで――」
「ふざけてねぇよ。俺は今目の前で泣いてるお前を抱き締めて慰めてやりたいって思ってる。それが理由じゃ駄目か?」
あくまで千景自身がそれを望むまではと茅萱は決して千景には触れず、茅萱は首筋から胸元の上に手を滑らせる。その手を取りさえすれば幾らでも望みは叶うのだと、千景には茅萱の言葉が悪魔の囁きにも聞こえていた。茅萱の素行が幾ら調べても具体的な結果が見つけられ無かったのは、被害者と呼ばれる者の口が重すぎた事だった。たった一人、真香を除いては。真香からの訴えが無ければ千景は茅萱の素行に気付く事も無かった。
「だけど俺はっ……」
「――その指輪もさ、外して大事にポケットに仕舞っておけ。後でちゃんと忘れずに付け直したら良いじゃん? 現実見たくないなら目ェ瞑ってさ。何にも見なかった事にしちまえよ。何なら目隠ししてやるし、抵抗出来なかったって言い訳にしなよ。悪いのは全部俺なんだって、お前は俺の手を取るだけで良いんだ。後は全部俺の所為にして良いからさ……」
普段は鎖に通して首から掛けていたリングを今日に限って薬指に嵌めたままだった事に千景は気付いた。玲於からプロポーズと共に渡されたリング、それが自分にとってどれ程大切な物であるのかを千景は再度自分の中で認識を新たにした。ほんの少し心が弱くなっていた事を千景は恥じた。一緒に居たいという気持ちが互いに強固であるからこそ千景と玲於は籍を一つにした。事実を話さなかった事は千景に責任があり、玲於は今それを自ら受け入れて乗り越えようとしている。千景を守れる男になる、と玲於が誓った言葉があった。まだ幼い玲於には無理な事だと思っていた千景だったが、玲於自身がこうして乗り越えようとしている事に千景は改めて気付かされた。
「――ッあの!」
突然現れた第三の男の声に千景は驚いて視線を向ける。それは茅萱も同様で、もう少しで落とせた所を邪魔された事で露骨な舌打ちをし人形の様に造型が細かな顔を歪めつつ視線を送った。
本棟勤務の四條に用事があった斎は一人で寮から訪れており、帰りに煙草でも吸っていこうと中庭に顔を出した時嫌な別れ方をした千景が誰かに絡まれている姿を見て咄嗟に声を掛けた。見れば相手は営業部長の茅萱、斎も顔と名前だけは知っていた。那由多の上司という事もあり覚えは非常に悪かった。
早歩きで二人の元へと近付き、茅萱の前に腕を差し出して千景との距離を空けさせる。
「この人に、手ぇ出すのやめて貰って良いですか?」
この人 に手を出して良いのは自分だけだという思いは傲慢で、勿論斎はそんな事をもう考えてはいなかった。ただ千景を大切に思い続けていた気持ちは今も変わらず、例え自分を愛してくれない存在だったとしても今目の前で困っている姿を見捨てられる程度の浅さで好きと思っていた訳では無かった。
「チッ、彼氏のお出ましかよ」
斎の乱入で興が削がれたといった感じの茅萱は大人しく身を引き、つまらなそうにスラックスのポケットに両手を入れる。こんなに必死になって庇いに来る相手が居ながら何を思い悲しむのかと、改めて視線を向けた茅萱は斎に目を奪われた。
「俺じゃないです」
「……は?」
茅萱が大人しく千景から離れた事をまだ何処か疑いつつある斎だったが、ここで千景の彼氏を偽証するには心が痛く、伸ばしている腕を下ろすと姿勢を正す。
「俺は佐野さんの大切な人じゃないけど。その人が昔から相手の事どんだけ好きだったかって、多分俺が世界で一番良く知ってます」
「海老原……」
自分たちが蕎麦も食べずに帰宅した後、寮の中で何があったのか千景には計り知れなかったが、夜に詩緒から来たチャットでは斎と綜真が何か話をしていたという事だった。
「佐野さんも、俺の時みたいにちゃんときっぱり拒絶して下さいよお」
斎は千景を振り返り困ったように笑う。軽口を叩いたのは先日の事を重たく引っ張り過ぎない為に斎が配慮したからだった。本来責められるべきは隠し通していた千景では無く、それをあろう事か本人の恋人が居る前で暴露した自分自身だった。即座に反応した詩緒の対応が恐らくあの場では一番正しかった。
「……ま、こんなのお詫びにもならないけどさ」
「海老原?」
小さな声で斎が告げた一言に千景は聞き返す。何故ならば千景には斎が考えている事が分かってしまったからだった。二年程度しか続かなかった関係ではあったが、千景が斎の性格を理解するには十分過ぎる期間だった。
斎は改めて茅萱へと向き直り、片手を胸元に当て改めて自己紹介でもするかの様に口を開く。
「第五分室の海老原斎です。見ての通りこの人には入籍したラブラブの彼氏が居るんで、手ぇ出すの今後一切やめて貰ってもいいですか?」
一連の遣り取りから千景へ手を出す事のリスクを天秤に掛けた茅萱は最早千景からの興味を失っていた。それ以上に今は彼氏でも無いのに千景を守りに現れた斎に興味を惹かれていた。
「じゃあお前が代わりに俺の相手してくれんの?」
「良いですよ、取引しましょう。佐野さんに手ぇ出さない代わりに俺の事好きにしてくれて良いです」
「海老原やめろっその人は……!」
堪らず千景が声を上げるも時既に遅く、茅萱は両腕を斎の首へ巻き付け自分の方へと引き寄せつつ唇を重ねていた。
「っん、ふ、ぁっ……」
自然に茅萱の舌先がするりと滑り込み斎の上顎の裏を擽る。相手から来られる事に慣れていなかった斎は目を見開き驚きつつもすぐに招き入れた茅萱の舌先を吸い上げて音を立て口付ける。
「ここ、屋外なんだけどさあ……」
殴ってでも斎を止めるべきだったと後悔する千景だったが、斎が望んで選んだ道を自分が邪魔をして良いものかと悩み、目の前で始められた二人のディープキスを辟易しながら眺めていた。
「結局ちかにまだ相談出来てねぇの? ストーカーのこと」
「うん……」
久し振りに玲於から掛かってきた通話口で訳の分からない事を叫ばれた虎太郎は、美容師の仕事が終わった後玲於と待ち合わせて喫茶店で相談を受けていた。
玲於の母親と千景の母親、そして虎太郎の父親は姉弟同士で玲於と虎太郎、虎太郎と千景は従兄弟同士となる。虎太郎には兄の竜之介が居るが、妻帯者である事と家族そろって本家に住んでいる事からあまり頻繁に顔を見る機会は無い。キャバ嬢の彼女とも別れ、時間の自由が利きやすい虎太郎が時折こうして玲於の話を聞く事が多々あった。
それでなくとも玲於とはこうして頻繁に直接会って話をしていたが、先日の玲於の取り乱しようは異常だった。通話ではいまいち了見を得なかった為仕事が終わった後にちゃんと聞くからと説得して対面したのが今このタイミングだった。まだ整理して物事を説明するのが苦手な玲於の言葉を纏めると、詩緒の彼氏と千景が過去付き合っていそうだったが、殴り合っていたのでそうでは無さそうだ。虎太郎はまず詩緒という人の説明を受けたかったが、結論的には問題が無さそうだったのでスルーする事にした。
続いた泣き言は千景が詩緒の彼氏と殴り合いをしたという事だった。だからその詩緒とは誰なのかを再度問いたくなった虎太郎だったが、論点は千景が誰かを殴ったという所にあると理解した。確かに虎太郎が知る限りの千景は暴力を振るう側ではなく振るわれる側だという印象が強かった。そうだとしてもそれから十年は経っているし、虎太郎でさえ知らない神戸での空白の六年間がある。その時点で二十代前半だった千景が身を守る為に護身術等を習っていたとしても何ら違和感は無かった。
最後に玲於が持ち出した一番の問題は千景が玲於と付き合う直前まで斎と肉体関係があったらしいという事だった。場所が喫茶店の為もう少し興奮を抑えて説明をして欲しかった虎太郎ではあったが、千景からは付き合い始めてからは一切身体の関係は無いという言葉と信じたという玲於の話を聞いて安心して飲み物に入ったストローを口に含む。
「本当はね、ちか兄の事赤ちゃん出来るまで監禁して犯し続けたかった位ショックだったんだ」
「ごふッ」
突然玲於から飛び出した単語に虎太郎は思わず口に含んだ内容物を吹き出した。
「でもそんなんじゃ僕いつまで経ってもちか兄の事守れない……」
玲於にも玲於なりの葛藤があったのならば、それに千景が気付かない訳が無いと口元を拭きながら虎太郎は目を細める。
「偉いじゃん。レオはちゃんとちか兄の事考えてんだから」
「その夜初めてちか兄と別々に寝たんだ……僕はソファでちか兄の事考えてオナニーして……」
「ストップ、今その話はしなくていいから」
「妄想の中のお仕置きされたちか兄が泣いててまたエロくてね」
「よし分かった、黙れレオ」
「僕そのまま三発」
「んで、ストーカーの件だけどさあ」
正攻法で止めようとしても玲於の暴走が止まらない事を知っていた虎太郎は本題を切り出して玲於を黙らせる事にした。
玲於が家に近いカフェでアルバイトを始めて半年と少し、誰が見てもイケメンと分かる容姿と高身長に恵まれた玲於はバイト先のメンバーのみならず、客として訪れる女性からも高い人気があった。しかし十年以上片思いを続けた千景と結ばれた玲於は千景以外には興味が無く、恋人が居ると伝えてそれらのアプローチを断り続けていた。つい先日二人が籍を一つにして玲於の名字が本木から佐野に変わった事も悪い虫を追い払うには最善だっただろう。
そんな玲於だったが、それにも関わらず最近バイトからの帰宅時に誰かに尾けられている気配があると言う。初めは考え過ぎと思っていた玲於ではあったが、それが毎晩のように続くと流石に気味悪くなってくる。かと言って引っ越し後から仕事が慌ただしくなってきていた千景に相談をする訳にもいかず、玲於はその相談相手として従兄の虎太郎を選んだ。
「今もまだ尾けられてる感じすんの?」
「うん……早く歩くと足音も早いし、ゆっくり歩くと足音もゆっくりなんだ……」
「オートロックだから大丈夫だと思うけど、部屋番号見られたりはしてないよな?」
「それは大丈夫……だと、思う……」
毎晩帰宅する時は生きた心地がしなかった。他の女性たちのように面と向かってアプローチをしてくれるならば断りようもあったが、ただ帰り道をずっと着いてくるだけでは実害がある訳でも無い。
「……何か、気になる事あんのか?」
「うん、多分ね……」
足音に振り返ると誰も居ない。特に冬場になると暗くなるのは早く物陰に隠れられてしまえば着いて来る者を確認する事は出来ない。それでも千景は一度だけ交通ミラーに移るストーカーの姿を確認した事があったのだった。
「…………男の人、だったと、思う」
身長は百八十センチ近かっただろうか、壁に貼ってあるポスターの位置から玲於はそう推測した。帽子を目深に被っていて顔は見えなかったが、筋肉がしっかりとした体型だった。あれで女性だとするのならば逆に怖いと玲於は感じた。
「お前ら夫婦共々男にモテるのな?」
「僕はそんな事無いじゃん~」
千景と玲於の二人に思い合う気持ち以外に共通するものがあるとすれば、母親同士が血縁者である事だった。玲於の父親が誰かは分からないが、玲於の母親である涼音がそれ程高身長と言えるほどのものでは無かったので、恐らく容姿も身長も父親似なのだと虎太郎は考えた。梅田家の女性因子がそういった男を引き付ける要因となるのか、そう考えた虎太郎の脳裏に過去の記憶が映像で蘇った。
まだ若い叔母の牧子と学生服を着ている事からまだ中学生程度の涼音、そして女性がもう一人。牧子と同じ程度の年齢に見えた。その周囲に居た父寛壱と若き頃の叔父忠次。全員が揃っている事から親戚の集まりである事が分かる。では見慣れないこの女性は誰なのか。ゾツとする程美しく、風が吹くとその長い黒髪が靡いた。園児位の兄竜之介とその隣にもう一人――中学生位の少年は一体誰だったのか。その事を何故今になって思い出したのか、虎太郎の脳が危険信号を訴える。そして虎太郎は今思い出したこの光景を再び記憶の奥底へとしまい込んだ。
玲於の言葉通り、玲於自身の容姿は男性受けが高いと言うよりは女性が好むイケメン王子の姿そのものだった。しかし人の好みは千差万別、玲於の容姿を好む男性が居ないとも言い切れない。先程虎太郎が言った通り、新たに引っ越した家はオートロックだからこそ、相手が玄関前まで現れる事は無いが同じ家に住む千景へ何も話さない訳にもいかなかった。折を見てそれでもストーカーが居なくならないようならば千景に相談しようと決めていた玲於だったが、運悪く先日寮での件以来千景とはまともに話が出来ていないままだった。
「今日はちか遅いの?」
「分かんない……でも多分遅いと思う」
同じ家に住んでいるのだからすれ違いという事は無さそうだが、出来る限り早い内に世帯主でもある千景にはちゃんと話しておいた方が良いと虎太郎は釘を刺す。一緒に暮らし始めた頃ならば千景が帰宅するまでは深夜まで起きていられた玲於だったが、アルバイトを週五で始めてからは玲於が先に眠る事が多く、話す時間と言えば平日は朝千景が出勤する前のみだった。
貴重な休日にその話をするつもりだったが、予期せぬトラブルで話せないまままた月曜が始まってしまった。同時に千景と言葉を交わす機会も少なくなり、玲於は双眸に涙を浮かべる。
「もしちか兄に嫌われちゃったら……」
考えるだけで苦しくなる。大切だからこそ傷付けたくないのに、一晩共に寝なかっただけで自分からの愛を疑わせてしまいはしなかっただろうか。今朝も碌に会話が出来なかったどころか、遅番の玲於が起床する前に千景は出勤してしまったので、残されていたのは朝食の用意と「行ってきます」と書かれたホワイトボードだけだった。
「レオ、ちかが一番怖い事ってレオに嫌われる事だけだぜ?」
千景が感情を表に出し辛いのは育ってきた生い立ちが原因なのだろう。それでもこの一年の千景は以前よりもずっと玲於に対する愛情を包み隠さないようになってきていた。玲於さえ居れば千景に恐れるものは何も無い。――ただ一つを除いては。
千景の実兄、御影の存在が今も千景の心に暗い影を落としていた。御影が千景の家に襲来したあの後、竜之介は裁判所に千景を伴い御影の千景に対する接近禁止令を再申請した。あの時は千景が直接御影と対峙しない事だけが救いだった。その代わりに玲於が被害に遭ってしまった訳ではあったが、その御影も直後神戸で無惨な姿となって発見された。具体的に千景が何をしたかは聞かされていないが、御影への暴行と遺棄には明らかに千景が関わっていた事を虎太郎だけが知っていた。
「みか兄がまた現れたりしない限り、ちかがメンブレ起こす事も無いだろうしさ」
仲直りをするなら早い内にしておけ、と虎太郎は玲於の頭を撫でる。
「……とら兄、僕それ知ってる。『フラグ』って言うんでしょ」
「……怖い事言うなよ」
夜を待ち斎は茅萱が指定したホテルに赴いた。普段から分室の中や互いの家でのみ行為に及んでいた斎にとっては久方振りのホテルだったが、その内装には目を見張るものがあった。千景の代わりにと差し出した自らの身体だったが所詮茅萱にとっては単なる遊び相手、数時間数万円で済む安ホテルだと思っていた斎は三ツ星ホテルに呼び出されたのかと己の目を疑った。紛うことなくそういった行為をする為のホテルに違いは無いのだが、外観も含め内装はとても数時間数万円で済む程度のものでは無かった。
呼び出した茅萱がホテル代を全て負担するとは言っていたが、ここまで立派なホテルの代金を持たれてしまうとそういった専門の商売をしているような気がしてしまう。しかしやはり専門的なホテルだと言うべきか、受付や他の客と顔を合わせる事もなく部屋のカードキーを受け取った斎は高鳴る鼓動を抑えつつエレベータで指定の階へと向かう。
「逃げずに良く来たじゃん。ま、座れば」
斎自身は仕事が終わってから真っ直ぐやってきたつもりだったが、それより早く到着していた茅萱は部屋の中央に構えられたダブルベッドへ腰を下ろして缶ビールを嗜んでいた。灰皿に一切煙草の吸殻が無かった事から非喫煙者なのかと理解した斎はカジュアルネクタイを緩めながら茅萱の隣に腰を下ろす。
改めて見れば美少女とも言えるその幼さの残る顔の造型に斎は改めて緊張してくると片手で拳を握る。詩緒も真香も美形には違いないが体型や骨格はやはり男のそれで、千景も顔は女性寄りではあったが、中身や体型は誰よりも男らしかった。それに比べて茅萱は密集した睫毛も長く、肩から腰に掛けての華奢な線は仮に女装でもしようものなら完全に女子高生に化けられる事だろう。
ベッドに腰を下ろしたまま唇を重ねる。茅萱の舌先からほんのりと漂うアルコールの味で斎の頭がくらりとふらつく。積極的に行為に及ぶのは真香くらいのもので、詩緒や千景は自ら斎を求める事が一切無い事から斎にとって茅萱の積極性は新鮮なものだった。
「ふぁ、っ、ち、がやさ……」
口内で舌根をいいように嬲られ弄ばれ、閉じきらない斎の口の端から唾液が零れ落ちる。卑猥な水音ばかりが室内に響き渡り、そろそろ充分ではないかと斎が茅萱の胸元を押し返すと、それに気付いた茅萱は離れるどころか両手で斎の顔を掴んで引き寄せる。茅萱の柔らかい手で耳を覆われると斎の中に響くのは絡まり合う唾液の音と自らの声だけとなり、執拗に繰り返される口内への愛撫に斎が抵抗する気力すら失った頃、茅萱はゆっくりと斎をベッドの上へと押し倒しその身を跨ぐ。
「先に聞いときたかったんだけどさァ……お前ネコ初めて?」
妖しい眼光を宿した茅萱が上唇を舐め上げながら斎に尋ねる。茅萱に問われた言葉の意味が斎はすぐには理解出来ず脳が痺れる様な感覚を得つつも徐々に反芻していくと目を丸くした。
「ネコ、ネ…………え、俺タチです……」
「そっかあ、俺もタチ。だからお前ネコな」
茅萱の容姿からネコだと思い込んでいた斎は生まれて初めて自分がネコなるという現実に頭が真っ白になった。斎が葛藤している間にも茅萱は着々と準備を進め、斎のズボンと下着を合わせて脱がせると床に投げ捨てその両足を左右に大きく開かせた。
「もう半勃ちじゃん。大丈夫、イけるよお前」
茅萱の攻めに徹したキスで図らずも反応を示した斎の下半身を見て茅萱は舌舐めずりをする。その姿が妖艶で、だからこそ斎は茅萱がネコでない事に絶望した。
「え、いや、あの、だけどっ……」
「お前が嫌なら良いよ。代わりに佐野の事ぐっちゃぐちゃに犯すから」
斎の躊躇いに気付いた茅萱はにっこりと目元を細め笑みを浮かべながらもその片手には潤滑剤を握り斎の判断を待っていた。何故そこまでして千景の事を執拗に狙うのか、斎にはその理由など検討も付かなかったが受け入れられずとも千景の事を大切に思ってきたからこそ、千景の幸せを守りたかった。斎は潤滑剤のボトルを持つ茅萱の左腕を掴む。
「……俺、で、我慢して下さい。俺にだったら何しても良いから…… 佐野さんに手ぇ出すな」
「……お前にとって佐野って何な訳?」
そこまでして付き合ってもいない千景に尽くす義理が何処にあるのかと不思議に思う茅萱だったが、斎の言質は取れた為ボトルの蓋を外すと潤滑剤を掌に広げ温め始める。ある程度冷たさが緩和されてきたのが分かると茅萱は指先を固く閉ざした蕾へと滑らせる。
「ココ弄られんのも初めてか。力抜いとけよ苦しいのは最初だけだから」
茅萱は指の腹で蕾を撫で回し慎重に様子を伺いながら少しずつ指を埋めていく。初めての感覚に斎には違和感しか無く、指先が意識を持って自らの内部を蠢く状態を受け背筋に冷たいものが駆け上がる。
「なん、っか……気持ち、わるいっ……」
訴える言葉とは裏腹に両足を震わせる斎の様子を見た茅萱はまだ余裕がありそうだと判断すると内部で大きく円を描く様に指を動かす。半勃ち状態だった斎の雄はそれが性的興奮を与えた確かな証拠として薄透明な先走りを滴らせていた。
「自分で見てみろよ、気持ちイイって涎ダラダラだぜ?」
収縮を繰り返す内部を探りながら茅萱はこの辺りかと目星を付けた箇所を指先で押し上げる。成人男性よりは比較的手が小さい茅萱に届くかは賭けだったが、その一点を押し上げた時斎の腰が大きく跳ねた。
「っ、あ……なっに、今、のっ……」
何かに掴まっていないと与えられる刺激に耐えきれないのか、斎は半身を返し枕に顔を押し付けながら枕カバーを伝い落ちる唾液で汚していた。それは好都合と茅萱は斎の片足を肩へと担ぎ上げより足を大きく上げさせながら斎の反応を確認しつつ同じ箇所のみを執拗に嬲る。
「……あれ、まさかもうイっちまったの?」
見ればシーツの上に飛び散った白濁、初めてとは思えない感じ易さには同情の思いも持ちながら、内部へと埋める指の本数を増やしていき斎の受け入れ体制を整える。
「知ってんだろ前立腺。お前が突っ込んでる時ガンガン当ててる場所だよ」
「そこ、や、だぁっ……何も、考えられなくっ、なるっ……」
指先では内部を弄り回しながら、茅萱は片手を伸ばし枕に顔を埋める斎の髪を掴む。
「……見てみな? お前のやらしいメス穴。女みたいにどろっどろに溶けて俺の指締め付けてんの」
欲に濡れ赤く染まった斎の頬を舐め上げると、斎は乞うように唇を薄く開いて舌を差し出す。二本の指を使い時間差で前立腺を弾きながら舌を絡ませると斎は舌を奥へと伸ばしていきながら茅萱を求める。斎が二回目の吐精をしたのはその直後だった。
「ちんこ触んないでナカだけでイけるとか、やっぱお前こっちの才能あるよ」
「……待って、ちょっと……休ませて……」
指を抜かれてもまだ内部に茅萱の指が残っているような感覚が消えず、斎は時折両足を震わせその都度飛びそうになる意識へ身を委ねた。
「は? これからだろ甘えんな」
こちらが遠慮する必要は一切無いと、茅萱は斎の足首を掴んで再び左右に大きく開かせる。限界を訴える口振りとは裏腹に再び芯を持ち始めたそこへと視線を落とすと、自らのスラックスを寛げ斎の善がり声を散々聞かされ熱を溜めたそこに自ら持ち込んだ避妊具の封を切り装着する。
顔に似合わず随分とグロテスクな凶器を持っていると青褪めた斎は、無意識に茅萱から逃げようと俯せになりシーツを掴むが、茅萱が掴んだままの足首を強く引くと尻から丸見えの状態となり、後背位でも構わないとそのまま晒された蕾へと先端を宛てがう。
「む、無理……そんなの、裂ける」
「ほおら、ネコはネコらしくにゃあって鳴いてろよ」
尻を叩くと斎の背中が跳ねる。その気になればいつでも挿入は可能であると斎にプレッシャーを掛けながら斎自身の選択を待つ。自分が代わりにさえなれば千景の平穏は守られる。それを理解した上で応じた取引の筈だった。求めれば拒絶されないのを良い事に無遠慮に千景や詩緒を抱いていた事を今更ながらに悔いた。
「…………に、にゃあ」
「良い子」
斎の返事を聞いた直後、茅萱は時間を掛けず一気に根本まで押し込み斎を貫く。
「っ、あッ……ぁ、」
脳天まで貫かれるような強い刺激に斎はその場に三度目の精を吐き出す。強い締め付けから斎が達したのは分かったものの、まだ自分は少しも楽しめていないとばかりに茅萱は斎の腰を掴み体重を乗せるようにして肌を打ち付ける。
「ちが、や、さっ……やぁ、っも……イったばっ……」
「お前早漏過ぎんだよ。少しは堪えろ」
硬い肉棒が自分の中を繰り返し突き上げる感覚にシーツを掴む指先に力が篭る。早漏な上にすぐに持ち直す姿は淫乱そのものであると、茅萱は背後から斎へとのしかかり両手を胸元へ滑らせると既に屹立を示している突起を捻りながら摘み上げる。
「あっんん、ッ……そこ、やだ、ぁっ……」
思うように力が出せない状態でも、斎はシーツに顔を押し付けた状態で首を左右に振る。
「やだじゃねぇよ。乳首攻められるの大好きですって言ってみろ」
指の時よりも遥かに多い質量が斎の前立腺を内部から圧迫のと同時に茅萱の爪先が鋭く突起を掠めると、斎の背中がぐにゃりと落ちて茅萱へと尻を突き出す。
「……またイったの?」
「……ごめ、なさっ……ちくび、だい、っすきです……」
「少しはセーブしないとバテるぞお前」
茅萱は一度腰を引き、斎の身体はそのままベッドの上へと俯せに落ちる。滅多に使いはしないが早漏相手には丁度良いと茅萱は持ってきた鞄の中からある物を取り出すとベッドの上でバテている斎を仰向けに返す。抵抗される事は無いだろうが万が一暴れられたら面倒だと、先程引き抜いた斎のネクタイを使い斎の両手を胸の前で交差させて縛り上げる。
「……なに、するの……いやだ、やめて、っ……」
斎は茅萱が唾液を絡ませるその異物を見て明らかな怯えを見せ始めた。痛くないように十分に唾液を絡ませた尿道プラグの先端で絶えず白濁を漏らす尿道口を擽ると斎の両足が大きく震える。
「おねが、しますっ……やめて、そんなの、入んないっ……」
「ずぶずぶ入ってってるって。自分で見てみろよ」
狭い尿管へぐるぐると回転させながらプラグを押し進めて行きながらも茅萱は慎重に斎の様子を確認していた。少しでも拒絶が見られるようならばすぐにでも解放して何も知らなかった元の生活に戻すつもりはあった。元々斎にはその権利があった。千景を守る為と宣ったところで所詮人間は自分が可愛い。それでいて本来はタチだという斎が付き合ってもいない、しかも恐らく横恋慕の対象である千景の為に身を呈し、バックバージンを簡単に奪われた上でもまだ守りたいと思える存在なのか、茅萱は胸元にちりちりとした焦げ付きを覚えながら虚ろな瞳で涙を流す斎の頬に手を寄せる。
「……お前にとって佐野って何?」
茅萱が頬に触れた手が思いの外優しく、斎は無意識にその手に擦り寄る。大きな形をしながら小動物が甘える時にも似たその挙動が何かを彷彿とさせ茅萱は眉を僅かに動かす。
「……ずぅ、っと……だいすき、だった、人」
「佐野には恋人居るんだろ? それって虚しくねえの?」
指先で肌を擽ると蕩けた視線が茅萱へと送られる。嬉しそうな、寂しそうなその表情は何に対してのものなのか。休憩はもう充分だろうと判断した茅萱は再度宛てがった楔を斎の表情を確認しながら一気に押し込む。
「あぁ、ッ、佐のさ、に……ひどい事、したっ、んッ……」
既に緩み始めたネクタイで縛られた両手で斎は茅萱の手を掴む。斎にとってはこれが大切な千景を守る事と同時に自分へと科した罰なのかと理解した茅萱は涙を浮かべる目元へと口付ける。
「佐野の事忘れて……俺のモンになるなら愛してやるよ?」
「そん、なのっ……う、そ……んん、っ!」
達したくとも精を放てない状況に追い詰められながらもまだ頭は正常かと、茅萱は律動を繰り返しながら斎の手を握り返し、舌先で触れる程度に胸の突起周囲を嬲る。
「お前が身代わりになって、佐野がお前の事愛してくれんのか? 恋人よりお前の事選んでくれるって、本当に思ってんの?」
度重なる締め付けに茅萱自身も限界を感じ始めると、この辺りが潮時かと最後の言葉を斎から引き出す為プラグの輪に指を掛けながら上下に緩く抽出させる。
「……ほら、出したいだろ。何て言ったら良いか自分で考えてみろよ」
これではまるで脅迫だ、と斎はぼんやりと頭の中で考えつつ前後から与えられる直接の刺激にもう何度目なのかも数えていられない限界を感じていた。茅萱が本気では無い事くらい斎にも分かっていた。無様な姿を晒し明日から千景にどんな顔をして会えば良いかも分からない。大好きだった筈の千景の姿が今はもう思い出せなくなる程に、斎の頭の中には別の物が占めていた。
「…………あいして、……くだ、っさい」
「ちゃんと言えた子には、ご褒美だ」
薄い避妊具越しにも分かる脈打つ隆起と深く奥までを満たすような感覚。斎が意識を手放す直前に茅萱は一気にプラグを引き抜き、限界まで精を放ちきった斎は茅萱の腕の中で全てを委ねた。
ともだちにシェアしよう!