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第三章 疑惑と嫉妬

 本棟から直帰した筈の斎が寮へと戻って来たのは深夜一時を過ぎた頃だった。先日千景絡みで詩緒と大喧嘩をやらかしたと聞いた真香は斎が寮に戻って来るまで気が気では無かった。ダイニングで蕎麦を茹でていた真香はその一部始終を見てはいなかったが、後から聞いた話では斎が千景と肉体関係があった事をあろうことか千景の彼氏である玲於の前で暴露したという事だった。  千景に斎の様子を見に行かせるべきでは無かったと真香は自己嫌悪に落ちていた。自分のやる事なす事全てが裏目に出てしまっている気がしてならない。千景に諭された言葉だけがギリギリの所で真香を支えていたが、斎が帰宅しない今の現実が尚更真香を苦しめていた。  斎が帰ってきたらすぐに分かるようにとダイニングで帰宅を待ち続けた。心配した詩緒は真香に身体を冷やさないよう毛布を渡して自分の部屋へと戻った。それは日付が変わる前の話だった。もしかしたら斎はこのまま二度と戻って来ないつもりかもしれない、そんな悪い考えだけが頭の中を駆け巡る。深夜一時を過ぎて自動ドアの開く音がすると真香は毛布を羽織り慌ててダイニングから顔を出す。 「斎ッ……!」  エントランスで脱いだ上着を片手に、まさかこんな時間に誰かが起きていると想像していなかった斎は目を丸くする。 「真香……まだ起きてたんだ」 「お前が、榊と喧嘩したって聞いたから……もう帰って来ないかと思ったぁ……」  真香は斎に抱き着き胸元へ顔を埋める。セフレ解消を言い出した真香がこの時間まで自分が帰って来なければ気に病むのは当然だったと、今更ながらに気付いた斎は片腕で毛布ごと真香を抱き締める。 「そんな訳無いじゃん。真香と榊と、御嵩さんの居る此処が俺の帰る家なんだから」  プライベートで斎が仕事の後で誰と会って何をしていようがそこに干渉する権利は真香には無い。今回ばかりはタイミングの問題で、普段ならば三十歳手前の男性が何時に帰宅しようが気にも留めないだろう。幸い寮には門限というものが存在しない。玄関の入室記録だけは取られているので誰がいつ出掛けたかは記録されているが、深夜の帰宅で文句を言われる訳でも無い。  純粋に真香は斎の事が心配だったのだ。三年間成り立っていた関係はこうも簡単に崩れてしまうのか、斎を失ってしまえば詩緒に対しても合わせる顔が無い。自然と目に浮かぶ涙を斎は指先で拭い、一度強く真香を抱き締めてから解放する。  ――その瞬間、真香は普段と違う斎の何かに気付いた。 「榊、まだ起きてるかな」  詩緒が早寝早起きを心掛ける健康優良児だという話は聞いた事が無い。ただでさえ通勤時間というものが無くなり、朝のミーティング時間に間に合えさえすれば何時に起床して何時から仕事を開始しても問題は無かった。元から分室メンバーには勤務時間の概念が無く、各々の裁量で続けて何日も勤務する日もあれば、休日でも無い日に連休を取って一切仕事の連絡を受けない日もある。見るからに不健康そうな詩緒はこの時間ならばまだ起きているだろうと予測した斎は、謝るならば早い内が良いと二階の詩緒の部屋がある位置へと視線を向ける。その問い掛けには綜真の部屋で一緒に居るのではないかという意図も含まれていたが、付き合い始めてからも詩緒が綜真の部屋で一夜を明かすという事は今の所無かった。 「着いて行こうか……?」  良い大人の二人が深夜に再度大喧嘩をする事は考え辛かったが、もし斎が一人で詩緒と対峙する事が心細いのならば自分も着いて行くと真香は斎の腕を掴む。 「大丈夫だよ、俺一人で行ける」  心配し過ぎな真香にくすりと笑い、斎は真香の頬に片手を添え反対側の頬へ唇を寄せる。セフレを解消してもこの程度ならば親愛として許されるだろうとすぐに唇を離すと斎は上着を片手に二階へと上がる階段に向かう。 「いつ……」  ただ嫌な予感しかしなかった。斎が触れる度何処からか漂う妖しげで甘い香り。斎が普段付けている香水とは全くといって良い程異なるその芳香に真香が心の奥底に封印した黒い記憶の箱が蓋を開ける。  まさか斎に限ってそんな事は無いと思いたかった真香ではあったが、セフレ解消を告げた直後の斎の荒れ具合からは想像出来ない程憑き物が落ちたような様子を見た真香は嫌な想像をせざるを得なかった。  ――その人は駄目だ。駄目なんだよ斎。  斎が傷付くだけだと分かっていても、真香は斎を止める手を伸ばす事が出来なかった。止める方が斎の為になるのか、止めない方が斎にとっては幸せなのか、もう真香には自分で判断が出来なくなっていた。斎が二階へと向かった後の一階通路は人の気配が無い場所から自動的に照明が消えていき、真香が立ち尽くすその場所だけが今も明かりが灯されていた。  Ⅻ号室――詩緒の部屋 「榊、起きてる?」  寝ていたら明日起きてから改めて声をかけようと思いつつ斎は詩緒の部屋の扉を数回叩く。数秒後扉は内側から開かれ、つい先程まで寝ていたかの様な髪の乱れ具合と不機嫌さを露わにした詩緒が顔を覗かせる。 「斎……?」 「寝てた? ごめんね。今大丈夫?」 「平気。いーよ、入りな」  物音ですぐに起きたのか、普段掛けている眼鏡を掛けていないにも関わらず眼鏡を押し上げるような仕草をして詩緒は斎を室内へと招き入れる。つい数ヶ月前まではセフレ関係だった相手を深夜に部屋へと簡単に招き入れてしまう程詩緒の真香や斎への警戒心は低く、背後から襲われても文句は言えないのにと思った斎はある事に気付いて閉ざした扉に背を預ける。 「斎? どうした……」  那由多に襲われた日からもまだ浅い詩緒が無防備にも斎を招き入れた理由は斎を一切警戒していない所にあり、それに比べて千景の時はどうだったかと斎は記憶を辿る。斎の様子を見に来た千景は扉こそ開けてはいたがその身は半分しか室内に入れておらず、その点を重視すれば千景は斎の部屋に来た時点で斎を半分は警戒していたのだった。斎を警戒していたのにも関わらず何故態々部屋まで様子を見に来たのか、それは千景の優しさであった事に気付いた斎は取り返しの付かない事をしてしまったと扉に背中を預けはたはたと涙を零す。 「大丈夫か……?」 「あの、あの、なっ榊……俺ずっと佐野さんの事好きだったんだ……」 「……うん」  斎を心配した詩緒は洋室へと向かっていた途中で踵を返し玄関前から動かない斎の様子を伺うようにしてその場に屈み込んだ。あの場に居合わせれば誰であっても斎から千景への思いには気付く。 「好きな、人居るって……最初から、言われてた、けどっ、諦められなくて……」  絶えず零れ落ちる涙を袖口で拭い涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった斎の顔を見た詩緒は膝立ちをして斎に対して両腕を広げる。 「おいで?」 「ッ、榊ぃ……」  向けられた腕の中へ斎は飛び込んだ。反動が付いた斎の身体を支えきれずに詩緒は右手を背後へと付くが、子供の様に縋り付いて泣きじゃくる斎の背中をゆっくりと撫でる。真香は責任を感じていたが、真香に責任があると言うのならば自分も同様だと詩緒は感じていた。六年の時を経て再会した綜真と再び付き合い始めた事は後悔していないし、その事に関して真香や斎に謝罪する気持ちも無かった。ただ自分が離れた後の二人の関係性だけはずっと気にかけていた。  セックスしなくても友達で居られるとは真香の言葉だったが、それを受け入れられるかは人それぞれだった。詩緒はこれからも変わらず真香や斎と友達で居たかったし真香も同じ気持ちだった。ただ斎だけは違った。身体の繋がりで安心出来るところはある意味真香より重症なメンヘラなのかもしれない。千景が離れ、詩緒が離れ、そして真香も離れていった後斎の手の中に残されたものは何一つ無かった。 「真香と二人だけで決めちまってごめんな……?」  決断を下した時の詩緒に斎の事を考える余裕が無かったと言えば本当だった。常にいつ何時でも周囲の人間の機微を考えながら判断を下すような器用さは詩緒には無かった。 「っ、榊も、真香も、悪くない……俺が弱いだけなんだ」 「斎が、俺や真香の事守ってくれてたの、ちゃんと知ってたよ」  分室があり続けられる為に、二人がストレスを感じず仕事に集中出来るように、時には身の丈に合わない営業努力を重ね、一日でも長く三人が一緒に居られる時間を斎は守り続けていた。害があるかもと思えば綜真相手ですら初めの頃に牽制して、人知れず重ねてきた斎の努力を誰が労ってあげられていたのだろうか。所謂天才と呼ばれる詩緒や真香と肩を並べる為に凡人である斎がどれ程身を粉にして尽くしてきていたのか、それを理解している一人が千景だった。 「玲於に謝る時は俺も真香も着いて行ってやるし、玲於に殴られたら俺も一緒に殴られてやるよ」  責任の所在を求めるのならば三人共同罪だろう。一蓮托生でこれまでやって来た。家族のように共に過ごしてきた斎を今更一人にはしない、と詩緒は斎の額に口付けた。 「斎のことも大好きだよ」 「榊ぃ〜……」  自分は何て恵まれていたのだろうと斎は今更ながらに気付いた。不安で目が曇りきっていた時には目の前にある筈のものですら何も見えていなかった。千景とはあの一瞬でしか言葉を交わせ無かったが、改めて千景にも謝らなければならない。謝ったところで許して貰える保証も無い。詩緒の言った通り玲於に殴られる可能性だってある。 「……榊、御嵩さんと付き合い始めてから性格丸くなったね」 「そうか?」  明らかに刺が取れている言動に本人が気付いていないのだとしたら今以上の警戒が必要になるが、綜真が居る限りその心配は不要だと斎は安心した。  詩緒が許してくれないかもと思っていた斎は安心をしたところで急激に忘れていた空腹感を思い出し、二人きりの暗い部屋の中で斎の腹音が豪快に響く。 「……ふは、飯食ってきてねぇの?」 「そういえば、そうだったかも……」  深夜一時を過ぎた状態で何かを食べるというのも身体に悪いが、この空腹を抱えたまま眠れる気もしなかった。詩緒は斎を抱きかかえたまま立ち上がり、すっかり目が覚めてしまうと片手で前髪を掻き上げ整った顔を惜しげもなく斎の前に晒す。 「下に真香居ただろ? 今日ビーフシチュー作ってくれたんだ。温めて食おうぜ」 「ビーフシチュー俺が好きなやつ……」 「知ってるからお前の為に作ったんだろ?」  涙と鼻水でぼろぼろの斎の顔を掴んで引き寄せると、詩緒は互いの額同士をこつんと当てる。 「ほらもう泣き止め。真香が心配するだろ」  詩緒は下に弟が二人居る長男で、斎は上に姉が居る末っ子だった。ことセックスに於いては斎が主導権を握り易くあったが、根本的な部分では詩緒の方が面倒見が良かった。  ぐずる斎を宥め部屋を出て一階の食堂へと向かおうとした詩緒は斎の首筋に残る生々しい歯型に気が付いた。状況的に斎の帰宅が遅くなった理由がこの歯型の相手なのだろうが、また随分と情熱的な人物を相手にしたものだと生傷のような歯型を後目に敢えて何も問わない事を決めた。 「まーなか、斎食べるってさ」  時間を考えればあのまま真香が自室に戻って寝ていてもおかしくは無い時間だったが、詩緒と斎の二人がダイニングへと下りるとそれを見越していたかのように真香はキッチンで鍋を温め直しており、芳醇な香りが室内中に広がっていた。 「だと思った。もう出来るよ」 「真香ぁ、好きぃ……」 「あーはいはい俺も好きだよー」  詩緒と二人で話した事で斎の中で何かしらの変化があったのか、涙と鼻水でぐずぐずに顔を汚した斎が詩緒に伴われて椅子に腰を下ろす。 「真香寝なくて平気か?」 「斎が食ったら寝るよ」  浅いカレー皿に盛り付けたビーフシチューとスプーンを持って真香はダイニングへと周る。べたべたになった顔をティッシュで拭いつつ時折鼻を啜る斎の前へと皿を置き、正面の椅子を引き腰を下ろした真香は毛布を肩から羽織り直して斎が食事をする様子に目を向ける。  この時間まで誰と一緒に居たのか問い詰めたい真香だったが、今それを聞くべきなのか真香には分からなかった。  一口分をスプーンで掬い口の中へと運んだ斎は舌の上へと広がる濃厚な味に目を見開く。そのまま再び涙が溢れ落ちそうな程目元に溜まるが、嚥下するのと同時に必死にそれを堪え奥歯を数度噛み締めてからゆっくりと正面に座る真香へと視線を送る。 「美味しい……」 「だろお? 昼休みから煮込んでたからな」  斎の喜びがはち切れんばかりの表情を見た真香は嬉しそうにピースサインを向ける。 「ああ、だから真香午後は一階で作業してたのか」  詩緒も真香が部屋に居ない事には気付いていた。真香が料理担当と誰かが決めた訳では無いが、少なくとも詩緒よりは料理の出来る真香は率先して食事を作る事がある。しかし栄養バランスは殆ど考えられていない。真香以外で料理をする人物と言えば斎よりも綜真の方が比較的頻度は多かった。大学時代から一人暮らしをしていた事もある綜真はある程度の自炊経験があるが、不摂生を続ける詩緒の食生活に頻繁に口出しをして詩緒に鬱陶しがられている。  詩緒が長男で斎が末っ子ならば真香は一人っ子である事から自由奔放な中間子のような位置付けとなり、上司の四條には三姉妹と称された事もある。何故兄弟ではなく姉妹なのかというと、それぞれの名前の頭文字を取ると丁度『シ』『マ』『イ』となるからだった。 「あれ、誰か帰ってきた」  玄関の自動ドアが開く音にいち早く詩緒が反応する。この寮に居住しているのは詩緒、真香、斎の三名と綜真のみで、三人がダイニングに揃っている事から誰か帰ってきたとしたら綜真以外には有り得なかった。営業事務の斎だけでなく庶務である綜真も仕事の都合で徒歩五分弱の本棟へ赴く事が多い。以前は別棟での勤務で本棟とは隣同士だったが拠点が寮となった事から何度も頻繁に往復をするよりは本棟にも席を作った方が早いとして朝から夜まで本棟から戻らない日も多くあった。  完全に寮で仕事を行えるのは詩緒と真香のみで、日中は寮で二人きりになる事も多々ある。本来ならば斎や綜真も本棟に顔を出さず寮だけで仕事を片付ける条件は整っているのだが、判断を仰ぐ四條が本棟勤務の為必然的に直接赴かなければならない事が多くなる。 「じゃあ御嵩さんでしょ」 「もう夜中の二時近いのに……?」 「だからっ、お前と同じだけの権限使える奴(こっち)にも置けっつってんだろ。いちいちこっちと行き来してたら余計な時間掛かんだよっ」  誰かと話しているかのような声が玄関口からダイニングへと近付いてくる。綜真の口振りからその相手は四條であると容易に察する事が出来た。綜真の動きに合わせて通路の照明が点灯と消灯を繰り返して行く。深夜にダイニングの照明が点いている事に気付いた綜真は耳元にスマートフォンを当てたまま開かれた扉からダイニングを覗き込む。 「何だお前ら、まだ起きてたのか」 「お帰りなさーい御嵩さん」  真香は椅子に座ったまま振り返り、帰宅した綜真に緩く手を振る。 「御嵩さんも食べますか?」  皿に残った僅かなルウですら食べ尽くす勢いで真香が作ったビーフシチューを食べていた斎は、綜真が寒い外から帰ってきたばかりならば温かい物が必要ではないかと気を利かせて勧める。電話口の四條を待たせたままの綜真はそれとなく斎の隣に座る詩緒へと視線を送るが、それを知ってか知らずか詩緒はふいっと綜真から視線を逸らす。 「……いや、俺はいいわ。寒いんだから暖かくして寝ろよ。お休み」  まるで母親のような口振りで三人に忠告すると、詩緒と斎が並んで座っていた事から先日の諍いは既に解消されたようだと理解し安心した綜真はダイニングを後にする。 「……まだ御嵩さんと喧嘩してんの?」 「べっつに」  過去の誤解が解けてめでたく結ばれた筈の二人ではあったが、些細な事で詩緒が臍を曲げる事は少なく無かった。詩緒自身もそれを良い事であるとは思っていない為、なるべく短い期間で自己処理をしようと努力しているが、その度に真香と斎の二人はひやひやとさせられているのだった。  真香や斎に対しては無条件の信頼を向けている詩緒が、綜真に対してだけは子供の様に露骨に感情を表に出しているという事はそれだけ綜真に対してのみ真香や斎以上に我儘すら言える相手として気を許している証拠なのかもしれない。  テーブルの上に伏せながらどうにもならない鬱屈としたもやもやを抱えた詩緒はぱしぱしと両手で机を叩く。 「話だけなら聞くよ? それで榊がすっきりするなら」  左手でわしわしと詩緒の頭を撫でると先ほどまでとはまるで真逆だと感じながらも詩緒はちらりと斎へと視線を向ける。 「綜真(アイツ)、千景先輩の事名前で呼んでた……」  一度はこのダイニングで湧き上がった綜真と千景の過去の関係性だったが、二人の身体を張った説得によりどうやら交際経験だけは無いという事は判明していた。 「あ、あー……そういえば今まで御嵩さんが下の名前で呼ぶのって榊と四條さんだけだもんねえ」  綜真から見れば親戚である四條ならともかく、名前で呼ばれる事の特別感は詩緒にとって大切なものだった。しかしそれと同じく千景を名前で呼ぶ光景を目の当たりにした詩緒は処理をしきれない感情が心の中に渦巻いていた。 「名前で呼ぶのは自分だけにして欲しいって御嵩さんに言えば良いじゃん」 「……俺は斎も真香も名前で呼んでんのに不公平だろ」  交際の事実は無かったとしても名前で呼ぶほど親しい間柄であった事を目の前で見せつけられた詩緒は理解はしていても処理しきれないもやもやとした感情を抱えたままだった。 「それを直接御嵩さんに言えば良いのに」  からかうように斎が詩緒の頬を指で突けば、詩緒はそれを鬱陶しそうに振り払う。 「……やだよ、そんなのカッコ悪ィ……」 「今更御嵩さん相手に何カッコつけようとしてる訳?」  一つ大きな欠伸を浮かべ、目元に涙を浮かべた真香は親友の初々しい恋愛相談を聞きながら肩からずり落ちそうになる毛布を掛け直す。 「そんな小さな嫉妬なんて、もっと恥ずかしい姿見せちゃえば何て事無いと思うけどな」 「……何だよ、もっと恥ずかしい姿って」  恋愛に関してはIQが著しく低下するのか、正面の椅子に座る真香へ詩緒はじとりと視線を向ける。 「さっさと抱かれちまえって前から言ってんだろ」 「うっそ、榊と御嵩さんまだヤってないの? え、だって付き合ってもうどの位経った?」  綜真が退院してから尤に半月は経過しただろうか、付き合った契機をあの頃とするならば相思相愛の癖にまだ身体の関係にすら至っていないアラサー男性二人に斎は同情した。 「だってほら斎、この子セックスの誘い方知らないから」 「そういえばそうね。来れば断らないけど自分から誘惑してきた事なんて一度も無かったわ」  三人がセフレ関係を結んでいた頃、いつでも切っ掛けを作るのは真香か斎の方で、誘われれば拒絶こそしない詩緒ではあったがそれ故に自分から相手を誘うという事を今まで一度もした事が無かった。綜真も綜真でタイミングをはかりかねているのだろう、何よりも詩緒の意志を尊重したいと考える綜真は詩緒がそれを許可するまでは決して暴走だけはしないと心に決めていた。お互いがお互いの出方を待っているこの状況は傍目から見ればとてもやきもきとさせられる。 「付き合ってて同じ屋根の下に暮らしてんのに、それぞれ部屋で抜いてるとか不毛じゃん……」 「抜いてねぇし……ふざけんな……」 「溜め過ぎは身体に毒だよ榊」 「うるせぇ真香」  話をしている内にビーフシチューを食べ終えた斎は食器を持ってシンクへと運ぶ。 「榊が御嵩さんと拗れる度助け舟出してやってる俺の事も少しは考えてくんない?」  戯れに真香が詩緒の頬を左右に引っ張ると、詩緒は不服そうにじとりと視線を向ける。シンクからは食器を漬けておく為の水を流す音が聞こえ、少し後に服の裾で手を拭きながら斎が戻ってくる。 「榊はザルだし御嵩さんは下戸だし、酔った勢いでって手段が使えないのが痛いよねえ」  食事は終わったのでそろそろ部屋に戻ろうと斎は詩緒の肩をぽんと叩く。それに気付いた詩緒は椅子を引き、つられるように真香も椅子から立ち上がりダイニングを出る前に戸締まりに不備が無いかを見渡す。  ダイニングを出て二階への階段を昇りながら詩緒はふと思い出したように斎を振り返る。 「……なあ、どういう誘い方がグッとくんの?」 「え、何で俺に聞くの?」 「だって斎タチじゃん」  詩緒の言葉に斎の表情が一瞬凍り付いた。その僅かな機微と首筋の歯型に関連性を持たせた詩緒だったが、今この場で問う必要のないものだと判断すると通路の奥へと向かい部屋の扉に手を掛ける。 「一つだけ案あるよ榊」  扉を開け既に半身を部屋の中に入れた真香が顔だけを出して詩緒に言う。真香の提案に興味があった斎も扉を開ける前に手を止めて真香を振り返った。 「出来ない訳じゃないんだし、お前が御嵩さん抱いても良いんじゃない?」  詩緒はネコ専門という訳では無かった。斎はタチ専門であったが、真香がリバであった為初めての時を契機として詩緒が真香を抱く事も勿論あった。綜真相手ならば自分は抱かれる側であると考えていた詩緒の頭の中の靄が一部晴れる。 「……その手があったか」 「それじゃ、お休み」 「お休みー」  三人はそれぞれ挨拶をして自分の部屋へと入る。  詩緒の部屋より更に奥に位置する綜真の部屋では、三人がようやくダイニングから戻ってきた事を話し声から察した綜真が居た。四條との電話も終わり後は寝るだけだと洗面台で顔を洗っていた綜真は僅かに漏れ聞こえていた真香の一言に言葉を失った。  ――お前が御嵩さん抱いても良いんじゃない? 「……え、何俺詩緒に抱かれんの? 嘘だろ……」

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