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第三章 越えた一線

 飲み屋の灯りがまだ残る駅前からタクシーを拾って喬久が到着したのは、中心部から少し離れてはいるが交通の便が良い西部に位置していた。喬久がそのタワーマンションに到着した時、時刻は既に深夜の一時を迎えており、常駐しているコンシェルジュに名前を告げるとすぐに喬久は高層階行きのエレベータを案内された。  手ぶらで訪問するのも失礼に当たると考えた喬久は道すがらコンビニで軽い軽食や摘みを購入してきたが、予想だにしなかった住居の綺羅びやかさに安い差し入れが不釣り合いなように感じられた。不釣り合いといえば喬久自身も同じで、蒼の様な格好良い経営者ならばこのようなマンションに住んでいてもおかしくはないが、たったひとりの部下すら満足に御せず安居酒屋で満足をしてしまうような自分はどう考えても場違いだった。  喬久も見た目という点でいうのならば蒼にも劣らず、どんなに帰宅が遅くなろうとも翌朝は遅れる事なく定時前には出社し、八雲の尻拭いをしつつも日々の業務をこなしている。表立って騒がれる事こそ無いが、男女問わず人望は厚く流れるようにふわりと波打つ髪は癖毛ではあるが毎朝丁寧にセットしており、髭剃りなどの身嗜みも欠かした事は無い。それでも自分に自信が持てないのはひとえに恋愛経験値の少なさで、その大部分は高校時代に押し秘めた事が切っ掛けとなっている。  そう考えている内にエレベータは目的の階へと到着し、扉が音も無く開かれる。蒼からチャットで送られた部屋番号を確認しながら該当の部屋を探すと、上げた視線の少し先に喬久の到着を待って開かれていた扉があった。  部屋の中から身を乗り出すようにして顔を覗かせていた蒼は、コンシェルジュからの連絡で間もなく喬久が到着する事を知り扉を開けて待っていた。恋人の振りを打診して半月振りの再会だったが、とても出張帰りとは思えない程スマートにVネックのニットを着こなす蒼は、喬久の歩いてくる姿が目に入ると安心したように笑みを浮かべる。 「お邪魔しまーす」 「いらっしゃい」  勧められたスリッパを履き一歩足を踏み入れるとふわりの何か花のような香りがした。自宅の中ですら完璧に清掃が行き届いており、真っ白な左右の壁がとても目に眩しかった。 「う、わあ広いですね。何部屋あるんですかこれ」  廊下の突き当りにはガラスの嵌められた扉があり、それより手前の左右にはそれぞれ木製の扉があった。恐らく脱衣所や寝室の扉なのだろうが、2DKに住まう喬久から見ると異次元の広さだった。 「4LDKかな。元々結婚する時に買ったモノだし」  蒼が正面のガラス扉を開けると一見そこはリビングのようにも見えたが、その一角は小さな作業スペースとなっており、並べられたディスプレイや置かれたマグカップは蒼が普段その場所で仕事場所にしている事を表していた。面積としては二十帖以上の広さがあるのだろうか、更に突き当りは全面ガラス張りの窓となっていて、眼下に夜景が宝石箱の様に輝く。  ダイニングスペースのソファを促され腰を下ろした喬久の肩へぽんと手を置いた蒼は、ニットの袖を腕捲りしながら招いたホストとしておもてなしをしようとピカピカに磨かれているキッチンへと視線を向ける。 「飲んできてるんだよな。何か軽く作ろうか。寛いでなよ」 「お構いなくー」  帰国したばかりで大した物は用意していないが、冷蔵庫の中にあるものだけでも小腹を満たす程度の物は作れる。連絡をしたあの時刻に飲みからの帰りだったという事から、元々はあの時点で帰宅するつもりだったのではないかと考えていた蒼は、それでも態々足を運んでくれた喬久を労わずにはいられなかった。  会いたいが為に少し早めの帰国にしたのも事実であったし、今だからこそ話しておきたい事があったので深夜にも関わらず声をかけたが、思いの外スムーズに誘いがうまくいった為喬久自身にも何か事情があるのでは無いかと考えていた。 「酒は? やめとく?」 「あ、じゃあ少しだけ」  蒼相手ならば気を抜きすぎる事もないので、悪酔いする事はまずないだろうと考えた喬久は甘んじて蒼の誘いを受ける事にした。大したものではないけれどと前置きされた上で出された軽食はとてもひとり暮らしの男が作るようなものには見えず、高価そうな皿の上に乗せられたアンティパストは食べたばかりの喬久でも食欲を唆られるものだった。  そんな頭から爪の先までお洒落な蒼の自宅兼作業場に缶ビールや缶チューハイなどが常備されている筈は無く、片手にふたつのグラスともう片方の手に高そうなウイスキーボトルを持って現れた蒼の酒を喬久に断れる訳が無かった。  ペース配分を間違えなければ問題無いだろうと喬久はグラスを受け取り、蒼の手によって注がれた琥珀色の液体を眺める。マナー違反ながらぺろりと表層を舐め度数を舌先で確認すると口内を湿らせる程度にそれを含む。  八雲との攻防はいつもの事でそれを今更気にする事は無かったが、喬久が何よりも今日一番気疲れしてしまったのはやはりつい数時間前に起こった和己との一件だった。次に和己と会う事があるならばきっと自分は今までと同じく普通に接する事が出来るし、同じく和己も今晩の事など無かったかのようにしてくれる事だろう。あれで本当に良かったのだろうかと考える喬久も居たが、不貞行為を許さない思いの方が喬久の中で優勢だった。ただ和己に触れられた箇所は今も熱が燻っている。 「……喬久、何かあった?」 「えぇ?」  気付いた時、喬久の前髪を除けて蒼が顔を覗き込んでいた。頬に触れる指先はひんやりと冷たく、それを気持ちよく感じた喬久は無意識にその手へと頬を寄せる。元上司と部下という関係から考えれば近すぎる顔の距離もこの時は一切気にならなかった。 「こないだより、元気なさそう」  元々タレ目がちで大きな黒目を持つ蒼だったが、子犬のように眉が落とされるとその目尻は尚更強調され、今までに見た事が無い蒼のプライベートでの心配顔に喬久の中には僅かな優越感が芽生え始めていた。 「えぇ、分かるん|れ《・》すかそんな事」 「――分かるよ。気にしてる子の事はね」  決して酒に弱い訳では無いが、一日の許容量を超えたアルコールの摂取によって喬久は呂律が回らなくなっており、ふわふわと高揚する気分の中締まりのない笑みを浮かべる。  喬久の両手にはしっかりとグラスが握られていたが、出来上がってしまった今の状態では危険だと考えた蒼はそっと手からグラスを抜き取り、ガラスの張られたローテーブルの上へと小指を添えて置く。次の瞬間それがまるで当たり前の流れのように、蒼はほろ酔い気分の喬久へと唇を重ねていた。 「……んっ」  探るように動く蒼の舌へ応じるように喬久も自らの舌先を触れ合わせる。身体の内に燻っていた熱に再び火が灯されたような感覚を受けつつも、僅か数秒のその口吻が唾液の糸を引いて離れると名残惜しそうに舌先が喬久の唇から小さく覗く。 「三田さん……」  この関係はストーカー対策の偽装であり、知る限りの蒼は異性愛者である事を知っていながらも、アルコールの所為で理性が正常に機能しない喬久の手は無意識に蒼を求めてその腕を掴んでいた。  眠たげに落ちかけた目蓋から物欲しげに向けられる視線、蒼はくすりと笑みを浮かべると喬久の唇の端に光る唾液を親指で優しく拭い取る。 「話してみなよ、喬久」  喬久にとっての蒼はどこまでも部下思いの優しい上司で、こんな状況であろうとも喬久が何かに思い悩んでいる事を察した蒼は、諭すように喬久の肩を抱いて自らの方へと身を寄せさせる。必然的に蒼の肩口へ額が当たる形となり、陰となり視界が薄暗くなった事から喬久は眠り心地にも似た感覚になりながら緩慢な所作で唇を開く。 「……友達、幼馴染みと、飲んでたんですけど」  本当はこの事を蒼に話すつもりは無かった。蒼は既に喬久の性的嗜好を知っているが、いつか終わりを迎える偽装カップルの相手にここまでプライベートの話をする事は気が咎めた。しかし同時に誰かに聞いて欲しいと思う気持ちが無い訳でもなかった。  元々喬久が蒼を深く信頼しているという元々の関係性はあったが、常に女性に対して優しい蒼は相手から話を聞き出す事がとても上手かった。 「……実は両思いだった事が分かって」  つい数時間前の出来事は今でも喬久の中で鮮明に思い起こされ、和己の舌の動き、熱の篭もる下肢へと伸ばされた手、それらを想像するだけでもあの瞬間の感情が再び蘇り喬久の目元がじわりと熱くなる。 「ずっと一緒に居たけど……俺はそれが心地よくて」  和己と共に過ごす時間が幸せだった。和己が居れば他に何も要らないと思えるほどに。いつだって一緒に居た、和己の事を恋愛対象として意識したのがいつだったのかさえもう覚えては居なかった。  和己の優しいところが好きで、一緒に授業を抜け出してサボっていた事が楽しかった。男女別け隔てなく平等に接するところも好きで、取り分け何人か居た彼女に見せる柔らかい笑顔が大好きだった。 「だけど、もし……勇気出して告白してたら、何か変わってたのかなって……」  何故その笑顔を向けられる相手が自分では無かったのか。和己はとても辛そうな顔をしていた。その表情をさせてしまったのは他でもない喬久自身であり、あの頃もし和己の気持ちを分かっていたなら躊躇い留まる事も無かっただろう。 「――今からじゃ遅いの?」  ぽつりぽつりと喬久が話す間、蒼はずっと喬久の背中を撫でていた。新卒として入社した頃こそどこか物憂げな表情で人との接触を拒んでいるような喬久だったが物覚えも良く、一年も経てば蒼としても安心して仕事を任せられる程に成長していた。今の喬久はまるで初めて目の前に現れた時の喬久に良く似ていて、守ってあげたいという庇護欲を掻き立てられた事を蒼は思い出した。 「とっくに結婚して、一児のパパですよ……」 「そりゃあ、また……」  誰にも打ち明けるつもりの無かった想いを吐露した喬久は、一定のリズムで背中を叩く蒼の手に心地よさを感じながら、それでも学生時代に気持ちを打ち明けなくて良かったとも考えていた。打ち明けていたならば今ここまで辛い想いを抱く事はきっと無かった。しかしそれは表裏一体として和己が溺愛している愛娘の誕生すら有り得ない時間軸となってしまう。 「……アイツ、冗談かもしれないけど一瞬『離婚』って口に出して」  時間は決して戻らない。だからこそ過去は変える事が出来ない。喬久にとっての現実は変える事の出来ない今で、和己が喬久以外の人物を選んだその瞬間から喬久の想いは決して叶わないものとなってしまっていた。これがもし娘の産まれる前の事であったならば取り返しが付いただろうか。そんな事は考えるだけ無駄だとして喬久は現実を変えない未来を選んだ。 「……好き、だったけど。今の関係をこれからも続けてきたいっていう自分も居て……」  仮にも恋人関係である蒼の前で他の人物の事を今も好きであると告げる事は喬久の気が咎めた。和己への想いは過去形ではなく現在進行形であると断言したい喬久だったが、果たして本当にそうなのだろうかという疑念も同時に生まれていた。  好きという感情がいつの間にか友愛に変わってしまったのではないか、喬久は胸の奥がざわつくのを感じていた。幸せそうな和己を見るのが好きだった。それは和己の結婚式の時もそうであったし、和己に第一子が産まれた時もそうだった。 「和己は、俺にとって大切な親友で……アイツから家族を奪う事なんて俺には出来ない……」  大好きだったからこそ、和己の幸せを壊す事が喬久には出来なかった。  再び唇が重なり合ったのは雰囲気に流されてしまったからなのか、蒼はそれが必然かのように喬久へと覆い被さり、哀しげな言葉を告げる唇を塞ぐ。二度目の口吻に喬久の中で燻りかけていた炎は大きく揺れ、いつの間にか手から失われていたグラスの代わりに己の背中へと回された蒼の腕に触れるように添える。 「んっ、……三田、さん」  先程までよりも深く濃く、意志を持った生き物のように動くその舌先は喬久の舌を根本から掬い上げ、その瞬間喬久の背中がひくりと跳ねる。思わずソファから滑り落ちそうになる喬久だったが、背凭れとは逆側へと添えられた蒼の手は柵のように喬久の落下を防ぐ。  その年齢差は五つと社会に出てからは消して大きな開きでは無かったが、女性経験に長けていた元妻帯者の蒼の手管に男性相手の経験しか無い喬久が敵うはずもなく、吸われ甘く噛まれる内じわりと喬久の内側から欲が滲み始める。 「……喬久、セックスしよう」 「セッ……いいですよぉ」  耳元で甘く囁かれる低音の声質に鼓膜が揺さぶられる。元々恋愛事に興味がなく、同性相手との経験しか無い事を分かっている上で誘いを掛けているという事ならば、喬久にそれを忌避する謂れは無い。  誰でも良いという訳ではない、喬久にも好みというものはある。その好みの中での選択肢に蒼は存在しており、考えを切り替えることは容易でなかったが、飲酒の影響で正常な判断が行えなかったというのも理由のひとつだった。 「立てる?」 「ん、どうだろ……」  蒼に上腕と腰を支えられながらソファから立ち上がるも、まだ完全に抜けきっていない酒気は喬久から平衡感覚を奪い、フローリングに足を付いた瞬間膝から下の踏ん張りが利かず、がくりと体勢を崩す。 「ほら、足元気を付けて」 「はぁい」  半分は蒼に引きずられるような形となりながら、それでも何とか両足を交互に前へと出しながら喬久はリビングを出る。先程通った玄関まで通じる廊下の片側にある木製の重厚な扉を蒼が開くと中は薄暗く、聞かずともそこが寝室である事は分かった。  喬久を抱えたままの蒼が手探りで照明を調節すると、薄暗いながらも輪郭程度ならばしっかりと視認出来るほどの明るさとなる。部屋の中央には恐らく蒼が離婚した妻と使っていたであろうキングサイズのベッドが鎮座しており、シーツには皺ひとつなく蒼の用意の良さが伺えた。 「わ、危なっ」  ベッドに上がる僅かな段差でさえも酒気帯びの喬久は足が上がらず、膝からベッドの上に倒れ込む。それまで喬久を支えて来た蒼だったが、倒れ込んだ先がベッドであるなら問題無いと手を離す。柔らかく弾性があるベッドの上に藻掻きながら乗り上がる喬久だったが、自分でも驚く程の酩酊具合にベッドの上で横向きに転がりながらネクタイを緩める。 「さっすがに勃たないかも……」  誘われたのだから拒絶する筋合も無いと乗った喬久ではあったが、肝心の準備にまで持っていけない可能性が今になって浮上する。これまで酔った勢いで身体を重ねたことは一度も無く、正直なところ蒼相手であっても勃起出来る自信が無かった。  それでも身体の内に燻る熱が治まることは無く、酔った状態であっても恐らく未経験であろう蒼を抱くという目の前の状況は冷めやらなかった。 「お前は勃たなくてもいいよ」  言葉と共に重なる蒼の唇。蒼が好んで付ける独特の香水がふわりと漂い、喬久は自らが蒼の手によってシャツのボタンを外されている事に気付く。 「ちょ、っと、三田さん、なにっ……」  くたりとベッドに転がるだけの喬久を仰向けに寝かせ直し、爪先まで整えられた蒼の指が肌蹴た喬久の肌をなぞる。その冷たい指先の感触は喬久の神経を刺激し明確に蒼の指の動きを薄い皮膚越しに喬久へと伝えた。  飲酒の影響か、内に燻る熱の影響か、はたまた冷たい指先による刺激か、全ての要素が合わさりぴんと屹立を示す喬久の胸元を蒼は指先で捏ねる。性感帯に触れるのは男女共に変わらず、軽く指の腹で擽っただけで震える喬久の腰を見た蒼は目を細める。 「セックスするんだろ?」 「ちがう、俺っ……抱かれる経験、まだ無いからっ」 「ああ、抱いた事があるだけなんだっけ」  声を掛けたのは蒼からで、その受け取り様から喬久が抱くつもりでいた事には蒼も気付いていた。これまで寵愛する部下としか見ていなかった喬久の物憂げな表情を見た瞬間から蒼の心は既に決まっていた。 「……だから、っその」  抱く事はあっても抱かれる経験は今まで一度も無かった。最近は商売人を相手にしているばかりの喬久ではあったが、それでも相手の事は女性相手の様に丁寧な扱いを心掛けているつもりだった。そんな扱いを自らが受ける事になると想像すらした事の無かった喬久は、蒼が触れる箇所からじわりと身体の内側が熱を帯びていく感覚に戸惑いを覚えつつも反射的に蒼の腕へ手を添える。蒼はそんな喬久の手を諫める様に指を絡ませシーツの上へと縫い付ける。 「大丈夫だから、全部俺に任せてみな」  蒼の指先が撫でるように孔の襞をなぞる。正規の用途でしか使った事の無い場所は自分でも触れた事は無い箇所で、それをあろう事か元上司である男性に撫で回される感覚は恐怖と緊張以外の何物でも無かった。その指先が窄んだ襞の奥を探るように侵入してくる感触は腹の奥が熱くなるようだった。意志を持って動く指先は未到達の領域を少しずつ開拓していき、自分の身体の中で自分以外の何かが蠢く感覚と蒼の目の前に下半身を露出している状況に喬久の羞恥心となけなしの理性は抗っていた。 「……っや、ぅ、そこ……ッ、駄目」  侵入を拒み無意識に動く両脚は蒼の腕を挟み制そうとするが、蒼は邪魔をされないようにと両足の間へ身体を滑り込ませ喬久の様子を確認しながら慎重に内壁を指先で押し広げていく。  生娘のように薄く桃色を帯びた突起は喬久の拒む言葉とは裏腹にぴんと天を向き、アルコールの所為で勃たないかもと言われていた雄の象徴はまだ芯を持たぬ状態ではあったが小動物のように小さく脈打ち先端に半透明の液体を滲ませていた。 「完全に未使用だな。じっくり慣らしてやるから。……力抜いて」  同性相手との経験が無い蒼ではあったが、知識としてその場所を使う事は理解していた。受け入れられる状態に持っていかなければ苦痛を伴うのは当然喬久の方であり、爪先で内蔵を傷付けないよう慎重に気を配りながら圧をかけて拡げていく。指一本の状態に対し締め付ける内壁の圧が軽くなってくると、蒼はその指を二本に増やし内部で指を広げるようにして空間を作る。 「……三、田さんっ……ぁ、っあ」  もし喬久が苦痛や拒絶の色を滲ませたならば蒼はすぐにでもやめる心積もりがあったが、紡がれる言葉は次第に色を帯び薄ら桃色に染まり始める肌を間接照明の中で見た蒼はごくりと生唾を呑み込む。気付けば喬久の姿を見下ろす蒼もまた浅く熱い呼吸へと変わり、もっとと願うように喬久の中を掻き回し始めていた。  確かに女性相手とは異なり手間も掛かる、視覚を魅了する身体の線も無い代わりに時間を掛ければ掛ける程解けていくその様子は攻略感にも似ている。知識という点でいうならば蒼よりも喬久の方が同性との行為について熟知している事だろう。ただ丁寧に傷付けないよう動かされる指先によって高められた熱は普段喬久が想像していた以上に情欲を掻き立てた。  喬久は無意識に上半身を翻し柔らかなシーツを縋る様に握りしめていた。直接性器に触れられている訳でも無いのに未知なる刺激が内側から喬久を刺激する。言葉で確認する必要も無く陸に上げられた魚のように跳ねるその姿は、決して先走った蒼による独り善がりの感情では無いという事を表していた。 「んぅ……や、やだ、ぁ……そこ……」  理性の緒ははち切れる寸前で、指などではなくそれ以上の質量を持ったもので貫き掻き撫ぜたい衝動に蒼は駆られた。それ程までに酒気を帯びた喬久は妖艶で、恥じらう姿もまた蒼の中にある衝動を扇動するだけのものとなっていた。蒼は眼の前の喬久の痴態に欲情している事を実感していた。許されるのならば嫌がれようが泣き喚かれようが、抑え付けて捩じ伏せて欲望のままに楔を以て貫けたならば――それは本能のようなものではあったが、一時の感情に流された後起こり得る拒絶を思い浮かべた蒼はその衝動を無理に押さえ込んだ。  始めの頃に比べ喬久の身体からは緊張こそ消えてはいたが、焦りに忘れる程若い訳ではない蒼は早鐘を打つ心臓の鼓動を全身で感じながらも喬久へと身を寄せ、突っ伏した喬久の首筋へそっと口付ける。首筋だけではなく頬へ蟀谷へと口付けを落としていきながらも蒼の指先は尚も喬久の中で蠢いていた。 「……怖くないよ喬久、大丈夫だから」  唇から伝わるしっとりと湿った感触に蒼は無意識に舌を差し出しその汗を舐め取っていた。舐め取っては唇で愛撫するように口付けを残し、これが初めての経験である喬久を少しでも安心させるように声を掛ける。あまりにも目の前の喬久に意識を奪われてしまった蒼の指先に喬久の核心が触れた瞬間、喬久の身体は今まで得た事の無い激しい衝動に襲われた。 「ぁ、やめっ、おさ、押さない、でっぇ……」  それは直接性器に触れるよりも強い衝動で、喬久の意思とは無関係に跳ねる腰は内部に取り残された蒼の指を強く抱き込む。内壁の圧力が強まる程に蒼の指先は喬久の最も敏感な箇所を押し上げ、それに乗じて蒼自身も撫でるように指先を動かす為脳天を直接突き上げるような強すぎる刺激が喬久を襲う。  シーツに顔を押し付けながらその追い立てから逃れようと懸命に首を左右に振る喬久の姿を見下ろす蒼は、喬久に対する愛しさが絶え間なく湧き上がり擦る度にびくつく身体を宥めるように唇での愛撫を繰り返す。 「自分で弄った事無いんだな。ほら、擦ってあげる」  直接触れた事の無いその箇所が男にとっては何よりも強い性感帯である事を理解した上で繰り返される指先での愛撫。それは今まで喬久自身が他の男に対して繰り返してきていた事であったが、実際に体感した事で喬久の理性は吹き飛ぶ寸前だった。 「はあっん、やだぁ……イっちゃう、やっ……」  喬久にとって唯一の救いはその相手が蒼であった事で、つい数時間前に長年恋心を抱き続けていた和巳に対する想いはこの瞬間完全に意識の外へと放り投げだされていた。 「……喬久、俺の事名前で呼んで」  低く掠れた声が喬久の鼓膜をダイレクトに擽る。上司と部下という関係でしか無かった蒼の事を名前で呼んだ事は一度も無かった。親しい関係ではあったものの安易に名前で呼ぶ程の気易い間柄では無かったが、今は仮でも恋人同士の関係でありそう考えるのならば蒼からの要求は何も間違ってはいなかった。  セフレの商売人にも決して許さなかったその場所への侵入を許し掻き回され、あまつさえこれまで経験した事の無い程強い快楽を与えられ続けた喬久は朦朧となりつつある意識の中縋るような思いでその名前を紡ぐ。 「蒼、さんっ……」 「もう一回」  初めて喬久から呼ばれた己の名前に蒼の興奮は最高潮に達し、愛しげに丁寧に指先でその箇所を愛撫しながら名前を紡ぐその唇へとそっと口付けを落とす。 「あお、っ……あ、ぁっんんッ!」  名前を呼んだ事も相俟ってギリギリの瀬戸際で保っていた喬久の我慢は呆気なく瓦解した。シーツの上へはたと飛び散る白濁を見た蒼は傷付けないようにゆっくりとその指を抜き改めて喬久の肩を摑んで仰向けに寝かせる。 「もう一回、呼んで喬久」  正面から改めて口付けを交わし、くたりとシーツに身を沈める喬久は胸を大きく上下させたまま蒼へと視線を送る。何が現実なのかも覚束なくなっていた喬久ではあったが、正面に見据える蒼が下衣を下ろした時明確に屹立を示すその肉体の一部を見た瞬間、指の代わりに貫かれたならばと図らずも考えを巡らせてしまっていた。 「っは、ぁ……あおい、さん……」  蒼の形の良い指で散々に掻き回され、それでも指だけでは物足りないと感じてしまった事も事実で、無意識にごくりと唾を呑み込んでしまった事を蒼に聞かれてしまわなかったかと危惧した。  喬久の物欲しげな視線には蒼も気付いており、この後すぐ繋がるという事実を目前にしながら喬久の片足を掴み上げ収縮を繰り返すその箇所に己の尖端を宛てがう。 「……挿れるよ、いいよな?」 「蒼さん、……キス、して欲しい……」  まさかそんな言葉が自分の口から飛び出すとは思ってもいなかった喬久だったが、目の前の蒼を欲しいと願ったのはその瞬間に於いての事実だった。きっと蒼ならば受け入れてくれるだろうとも感じていた。全身で蒼の存在を確かめたくて両腕を蒼に向けて伸ばす。少し驚いた様子の蒼ではあったが、すぐに柔らかな笑顔へと代わり片手を喬久の顔横へと付くと喬久の求めに応じてそのまま唇を重ねる。 「……可愛いお強請りだな、喬久」

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