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 現実から再び一時の平和へ戻る車中、春杜と冬榴は列んで後部座席に座っていた。運転席の真後ろに春杜が座っているのは当然予期せぬ襲撃から春杜を守るためのものであり、本来ならばその隣には護衛になる人物が座るべきだったが、春杜は決して冬榴が自分の側から離れることを許さなかった。  窓の外が緑の多い山中から灯りがひしめく街中へと変わっていくと春杜は徐々にその身に負った責を脱いでいく。この街に居を構え「笹山春杜」と名乗る人物は決して黒塗りの外国産車で送り届けられるような存在では無いし、何百人もの一族から当主と崇め奉られるような存在では無い。  何の意味も無く、窓ガラスに上から下へと指を滑らせる。反射したガラスは鏡のように隣に座る冬榴の横顔を映し出していた。  小さな頃、あの古城で初めて会った時からずっとその成長を見守ってきていた。側に居ることを望めば意義も唱えず黙って着いてきた。  ――そんな冬榴が自分以外の誰かに心を囚われているのは、春杜にとって実に面白くない状況だった。 「最近タチが悪いのに付き纏われてるんだよね」  独り言とも取れる声量だったが、冬榴はそれを自分に向けられている言葉だと理解し、反対側の窓ガラスに頭部を預けた状態のまま視線だけを春杜に向ける。  端から見ればそれは由々しき事態だったかもしれないが、それが春杜であるということで冬榴は肺の中にある二酸化炭素をすべて吐き出す程の深い溜息を吐いた。 「また良く調べないで適当な男引っ掛けたんでしょ……」 「そんなつもり無かったんだけどなー」  誰もが春杜を愛する。それは当主であることも要因ではあったが、一族以外の人間も春杜に魅了されることからは逃れられない。その中には一方的に春杜へ好意を押し付ける者も多くあった。だからこそ秋瀬から春杜を紹介して欲しいと頼まれた時冬榴は内心うんざりとしていた。  冬榴に仲介を求める分にはまだ良かった。冬榴が相手の人となりを判断した上で春杜へ宛がうので春杜に被害が及ぶようなことはこれまで一度も起こらなかった。  ガラス越しに街並みを見つめていた冬榴だったが、ガラスに映る春杜から視線を向けられていたことに気付くと座り直し顔ごと目線を向ける。 「だからそろそろ拠点を移そうと思うんだけど」  ちくりと冬榴の心臓が痛んだが、まだその理由を冬榴は自覚していなかった。  冬榴の仲介無しに手を出した相手から付き纏われることは今に始まったことではないし、その相手から逃げる為に拠点を移したことも一度や二度のことでは無い。もう何度も経験していることのはずなのに、何故かこの時に限っては冬榴の中にこれまでとは違う感情が蠢き始めていた。 「お前も勿論来るよね? 柘榴」  カチカチと、右折を予告するウインカーの音がただ車内に響き渡っていた。 「サトシくんとのこと、どうしたいのかちゃんと考えておきな」  春杜の指先が、爪が、カラーの奥に隠れた冬榴の首筋をなぞり濃い桃色の痕を刻み付ける。 「……分かりました」  揃って車から降り、春杜を家まで送り届けた冬榴は自宅に戻る電車の中で散々悩んだ挙げ句一言の言葉を夏井へとしたためて送信した。  ――話したいことがあるんだけど時間貰えるかな。  夏井からの返事はそう長く待たない内に冬榴の元へと戻ってきた。  ――いいよ。

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