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Lythrum -真名-

 きっと深雪は夜明けまで持たず、無理に移動させようとすれば死期を早めるだけだった。  ふたりだけの暗い洞窟の中で、柊弥は深雪を膝の上に寝かせたままそっと頭を撫でる。 「しゅぅ、や……」  不思議な感覚だった。人狼が吸血鬼を助け協力し合って危機を脱する姿など、種族主義者からすればとんでもないことだろう。それでも柊弥は自分の選択に後悔はしていなかった。 「うん?」 「あなた、前に言ってましたね……吸血鬼の一族は、偽名を、使うと」  日本でたったひとりとなってしまった人狼の深雪とは対照的に、一族を拡げていった柊弥たち吸血鬼は一般教養を学ぶ為としてごく稀に偽名を用いて人間社会に忍び込むことがある。  柊弥もそれに漏れず、進学先の大学で綜真と出会い、そして千影や深雪と知り合った。 「あなたの……本当の、名前は?」  尋ねる深雪の顔が何故だかとても幼く可愛らしく見えた。それは一番歳近い弟が質問をしてくる時の表情にも似ていて、思わず柊弥の表情が綻ぶ。  伸ばされた手を柊弥は取り、自分がここにいることが分かるように頬へと添える。 「|禊萩《みそはぎ》。――冬木禊萩っていうんだ。俺の本当の名前」 「みそ、はぎ……」  我ながらおかしな名前だと思う。そればかりが偽名の理由でも無かったが、家名に誇りを持つ彼は自ら偽名を名乗る際に「冬」の字を名前に入れた。 「うちの兄弟はみんなミソハギ科の植物の名前でね」  こんなに他愛ない話を深雪としたのはこれが初めてかもしれない。  種族間の確執や、千影を絶対に守るというモンペ気質が出なければ深雪はこんなに素直で話しやすい人物であるということを初めて知った。  何故それを知ることが出来たのが今この瞬間でなければならなかったのか。  何故深雪の命が尽きることが分かっているこの瞬間でなければならなかったのか。  目から零れ落ちた涙が頬を伝う。 「俺はもうすぐ……死ぬのですね……?」 「――うん、そうだな」  もう隠し立ても出来ない。それでも深雪を不安にさせないように笑顔を浮かべる。 「約束、ですよ禊萩……あなたの中で生き続けたい……」  初めて深雪に呼ばれた自分の名前。何故もっと深雪に名前を呼ばれる機会を自分に与えてくれないのか。 「ああ、約束だ。深雪をひとりになんてしない」  助けになんて来なければ、深雪が死ぬことはなかったのに。  普段は冷静なのに千影のこととなれば頭に血がのぼり、千影の存在だけが深雪の生きる意味で、だからこそ千影が綜真を選んだ時に深雪がひとり静かに泣いていたことも知っていた。  この手を伸ばせなかったのは、どうせ拒絶されることを知っていたからで、いつか千影か――千影ではない他の誰でも、深雪を笑顔にしてあげられる人物が現れれば良いと思っていた。  断続的に聞こえていた深雪の吐息がいつの間にか聞こえなくなっていたことに気付く。 「……深雪? 寝たのか、オイ」  伸ばしかけた手を、止める。深雪の寝顔がとても綺麗に見えたからだった。  何故、どうして、今でなければならなかったのか。  指先で深雪の頬に触れる。初めて触れた深雪の頬はとても冷たかった。 「深雪、っ……」  その亡骸を両腕で抱き締める。もう二度と抱き締め返してもくれない腕ごと、深雪の身体を抱き締めた。  宝石のように輝くふたつの瞳が自分に向けられることはもう二度と無い。「蝙蝠野郎」と罵る言葉も二度と聞くことは出来ない。  まだ、愛しているとも伝えてられていないのに。

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