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#004 Photograph
ただの配達時の物音にすらビビり散らかした自らが情けなく、早苗はしっかりと施錠をした後届けられたバーガーショップのビニル袋を一度リビングのテーブルに置く。
カミソリファンレターの差出人はまだ分からなかったが、そういうことこそ後で来る建巳に相談すればいいだけのことで、食事の前にその傷口だけは何とかしなければと考えた早苗は人差し指の側面に舌を這わせながら絆創膏か何かが無かったかとリビングを見回す。
元々居住用ではなく配信用として使わせて貰っている部屋なので、救急箱があるとは思えなかったが面倒見の良い建巳の性格から考えるとあってもおかしくないと思えた。
「――さっすが建巳さん」
家具の殆どがレンタルだったが案の定キャビネットの中から救急箱を見つけ出した早苗は一度指を水道水で洗ってから傷口を隠すように縦に絆創膏を貼る。
レースカーテンからは午後の太陽が透けていて、早苗は眩しさから思わず目を細める。配信部屋に戻ってから食べても良かったが、建巳にも言われたように気分転換は大切なので、このままリビングでバーガーを食べることにした。
椅子を引いて腰を下ろし、ビニル袋の中からバーガーやセットのポテトとドリンクを出して順に並べる。やはり期間限定やデリバリー限定と謳われれば一度は食べてみたいのが人の常であり、それがアプリひとつで注文出来るのは便利な時代になったものだと、改めてインターネットが進化した今の時代に感謝していた。
バーガーを片手に取った早苗は椅子の下で足をクロスさせながら片手でスマートフォンを操作する。フードデリバリーアプリなどは通知がすぐ分かるように振動とセットしているが、インフルエンサーという職業中SNS関連は通知の量が夥しい数になることがあり、全ての通知を切っていた。その為SNSからの通知を見る為にはそのアプリを開かなければならず、建巳にはあまり本気で向き合い過ぎるなと注意されていた。
「ん?」
SNSのアプリを開いた早苗はその通知の数に首を傾げる。先程午前中にカフェでの写真を投稿したこともありそれに関しての通知ではないかと考えたが、普段ならばひとつの投稿に対してここまで通知の数は多くない。
「えっ、まさか……」
もしかして先程の写真に場所が特定出来る何かが入ってしまっていたのか、炎上したら大変だと考えた早苗はすかさず通知を見るが、その意味を早苗はすぐに理解出来なかった。
投稿に対しての返信よりは引用投稿が多く、何かに驚いているかのような指摘が主だった。
「……何のこと?」
それに気付いた時、早苗は手にしていたスマートフォンを落としそうだった。
〔これ、幽霊ぢゃね!?〕
指摘されていたのは先程早苗がカフェの店前ポップと撮った写真で、店名などが入っていないかだけを意識して投稿してしまっていたが、引用された投稿の写真を今見てみれば黒板ポップの後ろに誰かの姿があった。しかし早苗が写真を撮った時には確かにポップの近くには誰も居なかったことを確認している。
また、〝誰か〟であることは分かったのだが、それが〝誰〟であるのかは明確に認識が出来なかった。何故ならそれは明らかに人の形をしてはいたが、そこだけ全ての光を吸収しているかのように真っ黒だった。
そして、ポップは店舗のガラス戸のすぐ前に置かれており、ポップの後ろに人が立てるスペースなど一切ないはずだった。
〔もっと前の写真からこの影映ってる〕
止まない通知のひとつに見えた文字。早苗の喉がひゅっと鳴った。
無意識にその事実を拒絶しようと防衛本能が働き、目はしっかりとSNSを追いながらも早苗の手はバーガーの包装を剥きそれを口まで運んでいた。
スワイプすればするほど増える通知は早苗の過去の投稿写真を掘り起こし、その黒い影らしきものを手書きの赤い線で囲い以前から早苗の投稿にそれがあったことを知らしめていた。
そしてその黒い影は投稿写真のみに留まらず過去のインターネット生配信にも及んだ。最初はそこには何もなく、早苗が一度身体を動かした後元の位置に戻ると一瞬だけ映り込む黒い人の形。建巳は早苗の配信中には注意を払っており、間違っても配信中に部屋へ入ってくるようなことは無かった。だから絶対にその影が建巳ではないことは断言出来た。
だとしたら誰が――早苗は無意識に視線を配信部屋へと向けていた。薄暗いその部屋が何故か今はとてもおどろおどろしいものに見えてしまい、早苗はバーガーを片手に持ったまま凍り付いていた。
病むだけなら見ない方がいいと何度も建巳に言われていたのに、それでも片手は何度も通知欄をスワイプして人からの評価を求めてしまう。
〔明度上げてみたった〕
その投稿者の名前に早苗は見覚えがあった。スワイプを繰り返す指先が止まる。投稿者名《カエサル》は《翡翠メイ》がある程度の知名度を得た頃に現れたいわゆる考察勢のひとりであり、初めの頃は早苗が投稿した何気ない写真からも住所が露呈する可能性があるので気をつけた方が良いという指摘と、実際に早苗がその写真を投稿した大学の住所が記されていた。
早苗にとっては身を守る術を教えてくれる感謝すべき相手でもあったが、最近は生配信中の《翡翠メイ》の様子から寝不足であることや風邪気味であることを言い当てたりしていた。それだけ《翡翠メイ》を注目してくれているということでもあったが、早苗にとっては《カエサル》も現実世界のストーカーと同程度には恐ろしい存在であった。
それでも《カエサル》の考察スキルには目を見張るものがあり、早苗は目を細めながら《カエサル》が投稿した明度を上げたという写真を確認してみることにした。
その写真は一度の投稿に載せられる写真の限界数である四枚だったが、真っ黒だったその人影は明度を上げたことで目視確認が出来るほどになり、その顔には確かに見覚えがあった。
「あ、ぇ……っな……?」
早苗の知るその人物がこれまでの写真の殆どに映り込んでおり、その全てが早苗の向けるレンズを真っ直ぐ睨みつけていた。当然その人物は今日カフェに行った時にもそこに居たということになり、早苗はその時ようやく自分が正常に呼吸出来ていないことを理解した。
吸っても吸っても全く吸えていないような感覚があり、焦って更に吸おうとする。空気の擦れる音だけがリビングに響き、気付けば涙が頬を伝っていて、それがとても温かかった。
無理やり酸素を押し込むように肺を上下させる。その瞬間びくりと早苗の胃が痙攣したのが分かった。それが何であるか、考える前に早苗には答えが分かっていた。片手に持ったままだった食べかけのバーガーへ視線を向ける。
意識がSNSに向き過ぎていて全く意識していなかった。そうでなければ普段の早苗なら確実に気付けたはずだった。このバーガーから漂う異様な薬品の香りに。
「うっ、ゔ、ぇっ……!」
バーガーを慌てて放り、急いで口元を覆うが既に遅かった。吐瀉物がぼたぼたと早苗の指の隙間から零れ落ち、幾重にも重なる薄い膜のように早苗の意識は失われていった。
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