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Chapter.4
銀紙を残し皿の上に置かれたショートケーキを綺麗に食べ終えた冬榴は紙ナプキンで口元を拭いながらフォークを皿の上に置く。キンっと小さな金属音が響き一瞬の静寂にリビングが包まれる。
「――ご馳走様でした」
両手を合わせて小さく頭を下げる。少し常識外れであるところを除けばその所作は一般的以上の教育を受けていそうで、そのちぐはぐな冬榴の出自に慧志はますます興味を惹かれる。
「次来る時は何食べたい?」
今はそれだけが冬榴と慧志を繋ぐ一本の糸だった。ルームメイトである紘臣から恋人の春杜と、その親戚であるという冬榴を紹介された時から慧志は冬榴に対して妙な既視感を覚えていた。
「サトシくんは俺のこと餌付けしようとしてるだろ……」
「そんなつもりはないんだけどなぁ」
春杜との歪な関係性を知る度に庇護欲が高まるのを感じていた。それはかつて守ることが出来ずに傷付けてしまった誰かの姿に重ねていたのかもしれない。その代替行為という訳ではなかったが、冬榴がケーキや初めて見る食べ物を美味しそうに食べる姿を見ると心の中に大きく空いた黒い穴が癒やされる気がした。
「――別に、チョコ以外のやつなら何でも」
正直、慧志が用意するケーキはどれも美味しい。それでもこの世に後何種類のケーキがあって、その全てを知る術が無い冬榴にとっては何が食べたいかと問われても返答に困ってしまう。
「トオルさんってチョコ味は嫌いだよね。確かハルトさんも食べないんだっけ?」
「ハルトさんは……食べたこと、あるらしいけど。ハルトさんが食べるなって言うから」
テーブルの上へ置いたままの慧志の指がぴくりと動く。
少し異様な視線を慧志から向けられたことに気付いた冬榴は何事かと訝しげに慧志へ視線を返す。
「……なに?」
「ん? いや、別に」
冬榴は春杜を盲信している節がある。恐らく春杜が白と言えばカラスでさえも冬榴の中では白になるのだろう。傍から見ている立場としては親戚という関係性だけでは到底割り切れないものだった。
「最近この辺りで変質者が出てるらしいけど、トオルさんたち帰る時何もない?」
「変質者?」
確かマサミチは違う言い方をしていた気がすると冬榴は思い出す。マンションに戻れば地下の駐車場に車もあるが、ファミリーレストランを挟んで東側から西側に向かう程度の距離では徒歩三十分も掛からず、アルバイトの帰りであるのならば徒歩で迎えに来るのが殆どだった。
必然的に紘臣たちの部屋から帰宅をする時も徒歩になるのだが、それも春杜の気分次第であり春杜が歩くのも嫌だと駄々を捏ねればタクシーを呼ぶこともあり、時にはそのまま春杜を紘臣の部屋へ泊めて冬榴が結局ひとりで帰宅することもあった。
「そういう人には会ったことはないかな」
のほほんと答える冬榴を見た慧志は、冬榴の一般教養の低さを振り返りどうしても訊ねなければ気が済まなかった。
「トオルさんが想像する変質者ってどんな感じ?」
一体何を聞くんだという顔を冬榴は向ける。幾ら世間一般の常識に疎くとも、変質者というものが何を表しているのかというのを冬榴は知っていた為自信満々に答える。
「全裸でトレンチコート着てる男性のことだろ?」
「うーん……」
間違ってはいないが認識としては古すぎる。その風貌だけを変質者として認識していたら、いつか本当に狼に食べられるなんてこともあるかもしれない。サンタクロースを信じているであろう冬榴の認識を否定したくはなかったが、冬榴の中にある変質者の認識だけはアップデートをしておきたかった。
再び机に突っ伏しがしがしと蓬髪を掻き乱す。慧志が何故悩んでいるのかも分からない冬榴はきょとんとして慧志を見ていた。
「――最近の、変質者ってさあ、ちゃんと服着てること多いんだよ」
「そうなのか?」
「それに今の時期にトレンチコートなんて暑苦しいものは着てないだろうし、スーツとかちゃんとした格好した変質者だって居るんだから」
言った後ですぐに慧志はまずいことを言ったかもしれないと気付く。
「何ソレ、あの人のこと言ってるの?」
「……いや、そういう訳じゃなくてさぁ」
明らかに地雷を踏んでしまったという自覚のある慧志は辟易する。冬榴と一緒にいた男が変質者であるという確証はないが、明らかに冬榴をそういう対象として見ているのには気付いていた。おまけに分が悪いのは冬榴も同様に相手へ好意を抱いているらしいということで、ケーキで釣ることしか冬榴の気を惹けない慧志の焦りが不用意な言葉を無意識に口から放たせた。
「ちょっと……油断してると簡単に狼に食われちゃうんじゃないかって――」
「やっぱりさっきのこと言ってるんじゃないか!」
「違うよ、他の人にも気を付けてって意味で……」
「『も』って何だよ『も』って!!」
冬榴は椅子から立ち上がり、両手をテーブルの上に付く。
マサミチはそもそも夜道が危ないからと冬榴を自宅マンション付近まで送ってくれようとしていた紳士で、マサミチのことなど何も知らない慧志に悪く言われるのは心外だった。
慧志からしてみれば分かっていないのは冬榴の方で、ケーキに釣られてのこのこと男が暮らす部屋へと上がり込む危機管理能力の低さはもう少し自覚を持って欲しいものだった。
お互いが無言で見つめ合いリビングが静寂に支配される。その静寂を打ち破ったのはリビングの扉を開ける音だった。
「お待たせトオル、帰ろうか」
「ハルトさん!」
冬榴をこの部屋へ呼び付けた張本人である春杜がリビングを覗き込む。途端に冬榴の声がワントーン高くなり、椅子の背凭れに引っ掛けてあった鞄の紐を持つと母親の迎えを待っていた子供のように一目散に駆け寄る。
アラサーというには若々しく、身長も小柄でありどこか妖艶な色気を纏う春杜はその長い睫毛を傾けにこりと慧志に微笑みを向ける。
「ごめんねサトシくん、邪魔しちゃった?」
「ほんとですよハルトさん。空気読んでください」
「ちょっと! ハルトさんになんてこと……!」
「ほーらいいから、帰るよートオル」
今にも慧志へ食ってかかりそうな冬榴を宥め賺し、春杜は上着を片手に玄関へと歩き始める。置いていかれないに着いていく冬榴の後ろ姿は母の背を追う子供そのもので、その光景を慧志は苦々しく見つめる。
「――ヒロ、またね」
玄関で靴を履く冬榴を見ながら、春杜は閉ざされた紘臣の部屋の扉に声を掛ける。
「あっ、次のシフト出せってリーダーが言ってた」
聞こえているかは分からないが、爪先を打ち付けながら冬榴も紘臣の部屋へと声を掛ける。
廊下とリビングを繋ぐ扉の前には何かを言いたそうに視線を向ける慧志の姿があったが、春杜はそんな慧志を見てフッと勝ち誇ったような笑みを浮かべる。
「それじゃあ――お邪魔しました」
バタンと扉な無情な音を立てて閉まる。
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