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Chapter.6

 ――〝どっちでもいいんじゃない?〟  春杜のその言葉は冬榴を大いに悩ませた。大人で自分を受け入れてくれる度量のあるマサミチか、いつも美味しいケーキをくれる慧志か。春杜にまつわる修羅場を横で見てきた冬榴にとってはふたり同時という選択肢は初めから存在せず、どちらかひとりを選ばなければならないというプレッシャーが冬榴の思考をそれ一色に塗りつぶして鈍らせていた。  だからこそ春杜にマサミチを選ぶべきだと背中を押して欲しかったが、自分で選ばなければならないというこれまでにない岐路に立たされ、初めての難題にそれ以外のことが考えられないキャパオーバーの状態となっていた。 「トーオルっ!」 「ひゃあっ!」  突然意識の外から声を掛けられ、冬榴は手に持っていた皿を布巾ごと落とす。パリンッと軽い音が響いたことで冬榴はようやく現実に引き戻される。 「し、失礼致しました……」  フロアにいるであろう客に対して聞こえるように声を出し、冬榴はすぐさまその場に屈み込むと大きな破片を拾って重ね出す。 「あーあー、何やっちゃってんだよ」  まるで自分には関係が無いと言わんばかりに紘臣が掃除ロッカーからほうきとちりとりを持ってくる。昨晩は部屋から出て来なかったので一度も顔を合わせることはなかったが、その翌日となる今日は少し冬榴が早く上がりはするが紘臣とシフトが被る時間帯があることを知っていた。 「ヒロがいきなり声掛けるからだろ?」 「トオルがぼーっとしてるのが悪ィんだろ?」  ふたりで屈み込み、飛び散った破片を残さずに集め取る。元々駅から徒歩十五分の場所にあるこのファミリーレストランは平日の日中ともなれば客足が少なく、ディナータイムには東側や西側から単身者や家族連れが訪れることもあるが、その時間より少し早めであったことが幸いした。 「……で、何か用があったんじゃないのか?」 「そうそう、サトシがまたケーキ用意して待ってるから遊びに来いって言ってたぜ」  ガムテープの粘着部分で破片をくまなく取り、三重にしたゴミ袋の中に破片を捨てる。紘臣の協力があったからこそ手早く済ますことができて、伊達に高校卒業後に慧志とは異なりフリーター経験が長いだけはあると冬榴は感心の眼差しを向ける。 「ハルトさんも今日行くの?」 「いや? だって俺今日ラストまでシフトだもんよ」  褐色の肌に透けるような金髪、春杜と付き合い始めてからも衰えることのないその精力に溢れた様子は、春杜に紘臣を紹介したことは間違いなかったと今の冬榴を安心させた。  春杜と付き合う前の紘臣は客に手を出すことなど日常茶飯事で、時には紘臣と身体の関係がある女性複数人が同時に店に集まってしまったこともあった。それ程精力が有り余っている紘臣だからこそ春杜の相手が務まるというものなのだろう。 「――サトシくんからは、何の連絡も来てなかったけど」  そうは言っても仕事中にスマートフォンを見る訳にもいかず、最後にメッセージを確認したのは業務を始める直前になるが、慧志からそのようなメッセージが来ていた覚えはない。  折角昨日連絡先を交換したのだから、そういった内容こそ人づてではなく直接伝えてくれれば良いのにと冬榴は頬を膨らます。 「そりゃあトオルがスマホ慣れしてねぇから気ィ遣ったんじゃねぇの?」 「そうなのかな……」  高校卒業のタイミングで紘臣は幼馴染の慧志と共にこちらで暮らし始めたと以前話のついでに聞いたことがあった。幼馴染といえば聞こえは良いが、実家が近所だったなどという訳ではなく同じ児童養護施設の出身だと紘臣は言った。  紘臣も慧志も子供の頃に親を亡くし、同じ児童養護施設で育ち高校卒業後の施設を出るタイミングで同じ年代の友人らと都会に出て、その中で紘臣は慧志と共に暮らし始めた。  慧志は奨学金を貰って大学に通っており、冬榴には想像も出来ないが相当頭が良く勉強の出来る人物であるらしい。紘臣とは違いアルバイトをする余裕はないが、生活費を稼ぐ為にFXやらデイトレードやらをやっていると慧志本人から聞いたことがあったが、馴染みのないその単語を冬榴は一切理解することが出来なかった。  それだけ長く近く側にいて、誰よりも慧志を一番良く知っている紘臣が「サトシはやめろ」と切っ掛けをくれたなら、少しは自分ひとりで選択しなければならない負担を減らせるかもしれない。 「――サトシくんはさぁ、俺をケーキで釣れてちょろいとか思ってるんじゃないかな」  燃えないゴミであることが分かるようにラベルを付けてキッチンの隅に置く。ロッカーにほうきとちりとりを戻した紘臣は冬榴の言葉を聞いて意外そうに目を丸くする。  腰に手を置き頭を掻きながら何かを冬榴に伝えようと口を開く紘臣だったが、丁度そのタイミングでフロアから呼び出しのボタンが押され、紘臣は軽く手を上げ向かおうとした冬榴を制止して自らが注文を取りに行く。それは恐らく呼び出しボタンを押した女性客が紘臣のタイプだったからである。  春杜と付き合っていながらも尚他の女性にうつつを抜かす余裕のある紘臣は本当に見習うべき存在であると冬榴は思った。しかし、春杜と付き合い始めた当初の川野も今の紘臣と同じようなタイプであり、週四で会えるのが川野の良いところであると春杜も言っていた。紘臣はアルバイトの都合もあり良くて週二、最低でも週一会えれば良い方だった。その代わりに数少ない逢瀬の日は濃厚なものとなり、その都度深夜遅くに冬榴が迎えに駆り出されることも今に始まったことではなかった。  そんな紘臣が昨夜の川野のように萎びた廃人になってしまえば幼馴染である慧志はきっと悲しむだろう。春杜が紘臣を捨てなければ良いだけの話ではあるが、紘臣が人間である限りその日はいつか必ず訪れる。  冬榴は自己嫌悪から溜息を吐き、思わずエプロンで顔を覆う。紘臣が春杜と付き合ったりしなければ、慧志と出会ってこんなに嫌な気持ちを抱くことは無かったのに――と。 「こら、エプロンで顔拭くな」  ごつんと大きなトレンチで冬榴は後頭部を叩かれる。 「拭いてた訳じゃないっ」  咄嗟に冬榴は否定するが、紘臣は冬榴を素通りしてキッチンの担当者にオーダーを取った内容を口頭補足する。  料理が出来上がるまでの間掃除や補充も既に済ませてしまい暇になった紘臣は冬榴の隣に並んで壁に寄り掛かる。 「サトシはさぁ、トオルが美味しそうにケーキ食べてるのを見るのが楽しいんだってさ」 「え……それはまるで変質者じゃないか……」 「うーん、的確なツッコミ」  慧志に少しおかしな部分があるところを紘臣は理解していた。紘臣も初めは慧志が冬榴の姿に他の誰かを投影して構っているだけだと思っていた。代替的な存在によるおままごとはいつかは飽きると思っていた紘臣だったが、最近の慧志を見ているとどうにもそうばかりとは言い切れなくなってきていた。 「今日はクロカンブッシュ用意して待ってるって言ってたぜ」 「クロカン……え、木? 俺は木を食べさせられるのか……?」  冬榴が放った一言に紘臣は「まじかよ」という驚愕の視線を向ける。冬榴に一般教養が足りないことは知っていた紘臣だったが、ここまでであるとは思っていなかった。確かにこんな冬榴を見れば誰かの姿を重ねる余裕など微塵もなく、保護欲が掻き立てられてしまうのは男のサガだろうと紘臣は内心慧志に同じ男として同情する。 「いやそりゃ行ってみてのお楽しみだな。アイツいつもトオルに何食わせたら喜ぶかなってめっちゃ吟味してんだよ」  そう告げる紘臣の表情には幼馴染を応援してやりたいという気持ちが込められていた。 「サトシくんが……?」  嬉しくなかった訳ではない。しかしマサミチを一方的に悪者扱いをしたり、いきなり唇を舐めてきたり、慧志の行動には一貫性がないように見えて冬榴には理解不能だった。  そんな慧志が自分のことを考えてケーキを選んでいるという紘臣からの情報は冬榴には処理しきれない感情だった。確かに慧志が選ぶケーキは毎回どれも美味しいし、気付けば慧志は食べる自分を優しい目つきで見つめてきていた。  それを何というのか、冬榴はまだ名前を知らなかった。

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