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65 もう1人:追記(最終回)

連れてこられた先は、高いと有名なホテルのレストランだった。 「すみません、内緒にしてて。 ディナーの予約をしていたんです。 最初の結婚記念日ですから」 「記念日って言っていいのか、それ」 1周年は分かるが、これ0周年だろ。 夜景の見える高層階のレストランで、コース料理をドキドキしながら食べる。 マナーとか、顔合わせの時に多少勉強はしたけど、もうあんまり覚えていない。 一通り食べきった後で、片瀬は「秋さん」と俺を呼び、居住まいを正した。 「え、は、はい」と俺は緊張しながら答える。 「俺と結婚してくれてありがとうございます。 順番、逆になってしまったのですが」 と彼は小さな小箱を取り出した。 まさかそれ… 「指輪!?いやいや、こないだ貰ったじゃん」 そんなに指輪貰えないわ!と断ると 「あれは婚約指輪ですよ。 これは結婚指輪です」 と片瀬にバッサリと切られた。 あ、2つあるんですか…? 「ありがとう。一生大切にする」と言いながら指輪を箱ごと受け取る。 その箱の刻印を見て、手が震えた。 え…、これ7桁は余裕で超えるブランドじゃ… しかも、ペアで買ってるよな!? 「このブランドって…、え、買ったのか?」 「そりゃ買わなきゃ渡せないですもん。 秋さんが式は挙げたくないっていうから予算が沢山あったんです」 「それにしたって…」 これじゃ豚に真珠ってやつでは…? 「αの性なので、受け取ってください」 αってそういうもんなのか…? 俺に対してお金を使うたびにそんなことを言ってる気もするけど。 「わ、分かった。 気持ちは本当に嬉しいし、ちゃんと受け取るよ。 それと俺からも報告があって…」 と俺が言葉を濁すと、片瀬は「え、な、なんですか?」と珍しく狼狽えた。 「あのさ…、子供ができたんだ」   「へ…」 片瀬はポカンとして俺を見る。 その拍子に手にしていたカトラリーを落としていた。 すかさず、スタッフが拾って交換してくれたので俺は「すみません」と言ったが、依然として片瀬は固まっている。 「悪い。驚かせたよな。 その…、もしも堕ろせって言うなら、悪いけどこれは受け取れない」 そう言って結婚指輪を返そうとすると、手を掴まれた。 「堕ろ…、そんなこと言うわけない! 嬉しくて…、すみません。 ちょっとまだよく分からなくて、でも、とにかくこれの返却は認めません。早く仕舞ってください」 そう言って俺の手を押し戻した彼は、顔を覆ってしまった。 何やらぶつぶつと呟いているし… そっとしておくか? とりあえずはずっと言えずに悩んでいたことが話せてよかった。 思ってた反応ではないけど…、堕ろせとは言われなかったのは良かった。 コーヒーをちびちび飲んでいると「はっ!カフェイン!!コーヒーはダメじゃないですか!?」と片瀬が顔を上げた。 「まあ、少量なら構わないって言われたから」 と俺が言うと 「誰に?」と片瀬に訊かれる。 「誰って…、そりゃ医者だろ」 と返すと、片瀬が目を剥いた。 「医者!?1人で行ったんですか!?」 「それ以外に誰が行くんだよ」 「ダメですよ、妊婦が! 1人で行くなんて危ないですよ!」 「妊婦って…、まだ3ヶ月そこそこだぞ? 全然腹も出てないし、危なくないだろ」 「ダメです。転んだりしたらどうするんですか! 暴漢に襲われるかもしれない。 次からは絶対に俺も連れて行ってください」 そう真剣に言われて、頷くしかなかった。 普段なら過保護すぎだろ、と怒るところだけれど。 「秋さんと…、俺の子… エコーとかないんですか!?」 「いや、見せてもらったけどまだ全然何が何だか分からないから貰ってないよ」 「…、次はちゃんと写真を貰いましょう。 俺と秋さんの結晶ですよ? 余すことなく全てとっておかないと」 「…、おう」 なんか怖いんだよな、片瀬。 全く興味を持たない夫よりは数段マシだけどさ。 「はぁ〜、名前は何にしましょう。 秋さんの名前を入れたいな」 「気が早いって。 やっと安定期に入ったばかりだぞ。 性別も分からないし」 「もう俺、浮かれすぎて…、未来のことしか考えられないです」 と、溶け切った笑顔で片瀬が言う。 めちゃくちゃ嬉しそうだ…、こいつが番で良かったと何度目かの安心をする。 この歳で結婚に妊娠に、不安だらけだけどあまりに片瀬が幸せそうなので心配する隙がない。 「これから、沢山準備をしていきましょうね」 と片瀬が俺の手を取り、指輪を嵌めた。 当たり前だけど、サイズはぴったりだ。 「そうだな。よろしくな、冬馬」 「とっ…、は、はい!」 お会計を済ませて、2人で駅までの道を歩く。 駅に着いて初めて俺たちが正装であったことを思い出して、2人で笑い合う。 「おめかししてると流石に浮きますね」 「今日くらいいいんじゃないか? 実際、浮かれてるしな」 「浮かれたついでに手を繋いで歩いてもいいですか?」 「…、仕方ないな。今日だけな」 周りの目なんか気にせずに、手を繋いでふわふわと歩いていると、なんとなくもう1人が入った腹が温かくなった気がした。   〜了〜

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