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第1話

 夕方のスーパーは買い物客で溢れ、有線から流れる音楽や子どもの泣き声が響く店内でも囁くような声はしっかりと南雲晶(なぐもしょう)の耳に届いた。  「あの子ってドラマに出てた子よね?」  「そうそう。最近観ないわね」  「名前なんて言ったっけ」  「ここまで出かかっているんだけどね。思い出せないわ」  惣菜や弁当のパッケージに値引きシールを貼っている晶の斜め後ろで白髪交じりの女性二人組が話し込み、赤い服の女性が指で喉仏当たりを指す。もう一人も眉間の皺をさらに深くさせて、うんうんと唸った。  もう十年ほどテレビに出ていないのだから忘れられていても無理はない。そう頭では理解しているのに、どこかで期待している部分もあってその差の広さに少しへこむ。  「これまだなのか?」  脇から男の手と唐揚げのパッケージがぬっと出てきた。顔を上げると無精髭を生やした男と目が合うと胡乱げな表情に変わる。そして女性たちと同様に首を傾げ、自分のエプロンにぶら下がっているネームプレートを見て首を傾げた。  もうお決まりのパターンだ。  「そちらはまだです。いま順番に貼っているのでお待ちください」  「こっちは急いでるんだよ。どうせ割引きになるならいまでも一緒だろ?」  「一緒ではないです。そちらは十五時にできたものなので、値引きになるのは夜です」  パッケージ横のシールには今日の十五時製造と記されている。いま貼っている半額シールは午前中に製造されたもののみ。  貼ったばかりのパッケージを差し出した。  「こちらの唐揚げでしたら半額ですよ」  「そっちは量が少ないから嫌だ」  「でしたら、無理ですね」  これ以上どうすることもできないので再び作業に戻った。昨今の食料品の値上げ続きの影響で家計の負担は大きい。  (僕もフリーターだから一円でも安いものを買いたい気持ちはわかる)  共感していると男に肩を掴まれた。  「なんだ、その言い方は!」  男は顔を真っ赤にさせて眦を吊り上げている。なにも間違ったことをしていないのに男の形相に驚いた。掴まれた肩がぎりぎりと痛む。  噂話をしていた女性たちが「きゃあ」と悲鳴をあげ、買い物客の視線が集まってしまう。  「オマエ、芸能人だからってオレのこと莫迦にしてんだろ!」  「莫迦になんて」  「あぁ!?」  男の剣幕に喉が引きつって声がでない。シールを床に落ちてしまったが拾うこともできずに呆然と男を見上げた。  「お客様、どうかされましたか?」  騒ぎに気づいた店長がバックヤードから飛び出てきて、ぺこぺこと頭を下げた。  どうしていつもこうなのだろうか。  普通に生活したいだけなのに、いつもうまくいかない。自分の不器用さがほとほと嫌になる。  話を聞いた店長は落ちた値引きシールを拾って男の持っていたパッケージに貼った。  「大変申し訳ございませんでした」  腰を直角に曲げて謝罪する店長を見て、慌てて頭を下げた。男はぶつくさ文句を言っていたが、レジの方へ消えていく。  人だかりができてしまい、そこにも店長は頭を下げてバックヤードに押し込まれた。  「大丈夫だった?」  「迷惑かけてすいません」  「こっちこそごめんね。人手が足りなくて表に出るように頼んじゃったから」  「いえ、そんなことないです…… 満足に仕事もできなくてすいません」  普段はバックヤードで商品の発注や在庫整理などをやっていて、なるべく店に顔を出さないようにしていたが、今日は品出しに欠勤がいたので出るように頼まれていた。  「そんな気にしないで。難癖つけるお客様にはシール貼っちゃっていいから」  「はい」  「それよりこの前の話、考えてくれた?」  店長から有難いことに社員にならないかと打診されていた。しかも晶が元芸能人ということを知っている上で、だ。  社員になればボーナスもでるし、福利厚生もしっかりしている。願ってもない話なのに二の足を踏んでしまい、返事を先延ばしにしていた。  いまさら俳優に戻れるわけがないのに。  「…… もう少し考えてもいいですか?」  「大事なことだからゆっくり考えて。あ、もうあがりの時間だね。お疲れ様」  「お疲れ様でした」  店長に頭を下げて、更衣室へ向かう。途中すれ違う従業員とは定型的な挨拶を交わし、逃げるように更衣室に飛び込んだ。壁に掛かっている鏡が目に入り、己の容姿を疎んだ。  アーモンド型の黒目がちな瞳と薄い桜色の唇は母によく似ていると言われたが、背も低く、ひょろりとした体躯で女っぽさが際立つ。  黒い髪は清潔感があるように襟足で短く切り揃えているが、節約のため自分で切ったので不格好だ。  これらを総合的に合わせると二十三歳という実年齢より幼く見え、十年前と比べて大きな変化はないのでドラマを観てくれていた人は気づくのだろう。  着替えを済ませて外に出ると夏特有のじめっとした空気が肌にまとわりつく。帽子を深く被り、周りの視界に入らないように背中を丸め、足早に人混みを抜ける。  母親が赤ん坊の晶を事務所に入れたことがきっかけで芸能界入りをした。デビューは一歳のときに子供向け番組のサブ出演。そのあとも雑誌やCMで経験を重ね、十三歳のときに初めての主演ドラマ『僕らはなんでも屋』が社会現象を起こした。  視聴率は常に四十%台をキープし、晶が着た衣装や文房具や寝具が売れに売れ、キャラクターのあだ名をもじって『キリカン売れ』という流行語にまでなった。  そして世間はから「天才子役」だと持て囃され、十年経ったいまでも「キリカン」の呪縛は晶を縛り続けている。

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