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第12話 スミに迫る危機

※バトルではなく一方的な暴力描写とセクハラ描写があります。どちらも軽めですが苦手な方はご注意ください。 ♦  スミは逃げていた。  首都のスラム。「百合華」と「ジャバウォック」という二大組織が縮小し、代わりに質の悪い組織が勢力を伸ばしていた。邪魔な木がなくなり、陽光を独り占めして成長する樹木のように。  自分を追ってきているのは、そんな組織の連中だろう。全員顔や腕、見えるところにムカデのような気味の悪い入れ墨を刻んでいる。「ジャバウォック」が勢いをなくしてから、よく見かけるようになった。 「衣兎の青眼球(サファイア)だ! 絶対に逃がすな」 「逃げ足、速いなー」  真っ昼間とはいえ大会の終わった直後。維持隊の気が一番緩む時。この時間帯によく変な奴に狙われることがちょくちょくあった。  外に出ないよう、気をつけていたのに。  家で籠城していたら蹴破って入ってきやがった。鍵などない物置同然の家だが、いままでこんなことはなかった。家の中は安全だったんだ。 (ライバル(ジャバウォック)がいなくなったせいか、のびのびしてやがるっ)  わざと、狭くて物が散乱している道を選んでスミは走る。相手は見事にゴミなどを踏んで転んでいた。  曲がり角をいくつも曲がり、大きな物陰にさっと身を隠す。 「はあっ……はあっ……」  苦しいが口を押えて呼吸を静める。息を止めて身をひそめたいが、衣兎は体力のある種族ではない。呼吸を止められない。眩暈がするほど心臓の音が大きく響く。 (どこ行きやがった?) (いってー。顎打った……)  追手がこちらに来るようなら逆方向へ走る準備をしつつ、耳に神経を集中させる。  どたどたどた……  足音が遠くなっていく。彼らはスミを見失ったようだ。  そろりそろりと物陰から目……ではなく耳先を出す。 (ニケみたいな嗅覚の良い種族じゃなかったのが幸いか)  昔、ニケと遊んだ妹が「かくれんぼで一回もかてないー」と悔しさから部屋の中を転がっていた。 (今のうちに――)  維持隊の隊署へ。  さっと物陰から飛び出すと、どんっと何かにぶつかる。 「え?」 「前を見て走れよー」  平坦な声を聞いて血の気が引いた。衣兎族の耳を掻い潜って、間合いに入った人物に。  瞳と同じ真っ青な顔で相手の顔を見ると、額から左頬、首筋に巻きつくようにムカデの入れ墨が。 「――っ」  考えるより先に離れようとしたが、遅かった。がっちりと腕を掴まれる。 「ひぎっ」 「おっとすまん」  捕まれただけで腕が、骨が折れるかと思った。視界が一瞬白く染まるほどの激痛が走り、足が絡まる。  倒れたスミの背に、謎の人物は足を乗せる。  ……ゾウに踏まれたのかと勘違いするほどの圧力に、口から熱いものが出た。血なのか吐しゃ物なのか。視界がチカチカしていて判断がつかない。というか、そんなことどうでもいい。 「か……あ……っ」  逃れようと腕を動かすも、指先がぴくっと動いただけだった。全身が震える。恐怖か、痛みか。両方か。  足をのけ、前方にしゃがんだ人物に妙に優しく顎を掴まれる。口からこぼれたもので汚れているというのに、相手は気にも留めない。 「自分に……触るな」 「へー。俺さー。一人称が名前呼びのやつが寒気するほど好きなんだけど、自分呼びも可愛いじゃん?」  か弱い兎の鋭い線などどこ吹く風。相手は意味不明な自己紹介をしつつ、矯(た)めつ眇めつこちらを見てくる。  徐々に視界が回復してくる。相手の姿が良く見えるようになる。  変な自己紹介野郎はかなりの偉丈夫だった。偉丈夫と言ってもフリーより低いし、あの鬼を見た後では筋肉量も物足りなく感じる。だが細いスミとは比較にならないほど大きくたくましい。  高い位置で束ねた紫髪を金のかんざしで飾っている。しゃがんでいるせいで長い髪が地面についているが、こちらも気にしていない。動きやすそうな行灯袴(ロングスカート状)とやけに美しい身なりをしているも、所詮あいつらの仲間なら目当ては眼球。  生きたままえぐり出されるくらいなら、 「殺せ……」 「ん? ああ、殺す気はないよ。殺したら意味ないし」 「殺すのが怖いのか? だっさいんだよ、臆病者」  生来の負けん気が顔を出す。それと怒らせて殺させるのが目的だ。生きたままなど冗談ではない。  自分の命に頓着しない青い目の青年に、相手は怪訝そうな顔をする。 「えー? 殺さないって言ったら安堵する場面じゃないの? つーか生意気だな。俺ら『非風(ひふう)』の手に落ちた者がどう扱われるのか、教えてあげないとな」  背筋がゾクリとするようなことを言われ、怖がっていると知られたくなくて怒鳴り返そうとしたがそれより早く右耳を握られる。 「!」  敏感な個所を雑に扱われ、爆音が鼓膜を叩く。  ぐいっと耳を引っ張られる。 「俺さー。お前ら兎見てるといつも耳を引っこ抜いてやりたくなるんだよ。引っこ抜きやすそうな形してるし?」  早口でまくしたてる相手。  スミに返事をする余裕などない。 「……」 「聞こえてないか……。さてアジトに運んで……いや、こういうのは下っ端にやらせるべきだろう。あいつらどこ行った?」  腰を上げ、最初にスミを追いかけていた二名を探す。見当たらない。  紫髪は笑顔で腕をまくり拳を作る。 「よーし。あいつら帰ったら殴ろ。俺が運んじゃうもんね」 「俺が運ぼうか?」  青北風が吹く。振り向くと枯れ木めいた男と、その背後に黒髪を三つに編んだ男が立っていた。  海の民の車で、ニケたちと共に首都へ来た、いつかの蛇乳族。  片方は毒針使いと危険人物だが、紫髪は目をわざとらしくぱちくりさせる。 「あれ? 君ら生きてたの?」 「ひでえな」  紫髪は半眼で太陽を指差す。 「じゃあ、今まで何してたの。待ち合わせ時刻、とうに過ぎてるよ?」 「朝飯と昼飯食ってました……兄貴が」  「私は早く行こうと言ったんです」と言いたげに、黒髪が兄貴を指差す。  反省もしていない兄貴に、紫髪は上機嫌で手を叩く。青筋を浮かべながら。 「そっかそっか。いやーやっと『非風』全員が揃ったな。役立たず(下っ端)ばかりで俺は辛かったよ」  ぎゅっと蛇乳族を二人纏めて抱きしめる。桜羽織の男は普通に抱きしめ返し、三つ編みは何が怖いのか震えていた。 「すす、すいません。いつも……」  紫髪は笑顔のまま枯れ木の頭をぽかぽかと叩く。 「ラブちゃんは時間を守らないいい加減男だかんね。君も大変でしょ。兄貴がこんなんだとさ。よし。大兄貴である俺が慰めてあげるよー。頑張っちゃうよ」 「え? えっ? へ?」  ぐっと顔を近づけられる。  まさか突き飛ばすわけにもいかず、三つ編みはおろおろと兄貴に視線で助けを求める。鈍いのか興味ないのか、兄貴はあくびをした後、動けない衣兎族の青年をつんつんと突き出した。  ――遊んでないで助けてえぇ……。 「あにっ……ひうっ」  兄貴助けてと言おうとしたところで、大きな手のひらが脇腹を撫でてくる。着物の上から器用に鱗を避け素肌をなぞられ、素っ頓狂な悲鳴が上がる。  唇を重ねられそうになった瞬間、スイと紫髪が動き、首筋を甘噛みされた。 「……っ」  歯の固い感触に、びくっと背筋が跳ねる。 「あひっ……、あの。お……大兄貴……」 「んー?」 「ひぃ……。どこ触っ……て」  着物の上から執拗に尻を揉まれ、三つ編みは赤くなった顔を見られたくなくて下唇を噛んでうつむく。  大兄貴は呆れたのか、顔を覗き込んで口の端を引きつらせる。 「反応が初心だねー。君まだ童貞を守ってるの? 嘘でしょ? さっさと兄貴にでも抱いてもらいなよ」  ちらっと鈍兄貴を振り向く。衣兎の隣で横になって眠っていた。あいついつも寝てるな……。 「あ、兄貴と私はそんな関係じゃ……あっ……」  顔を真っ赤にして反論するも、指が着物の下に潜り込んできた。サソリが這うように、指が背中を駆けあがっていく。 「んああっ……」  びくっびくっと身体が跳ねる。甘い声がこぼれる。 「ライムちゃん。声我慢しなくていいよー? 声出した方が男は興奮するんだから」 「あっ、大、兄貴。もうやめ……っん。あにき、たすけ……」 「……」  枯れ木めいた男はむくりと立ち上がると紫髪の背後に立ち、抜いた刃物で背中を刺した。 「コッッ!!!?!」  突如背中に刃物を差し込まれ、紫髪は大きくのけ反る。  ばたりと倒れると、三つ編みの男は兄貴に飛びついた。 「兄貴ぃ! 怖かったよう」 「あーあ。買ったばかりの包丁が汚れたよ……」  手首まで伝う血液と血まみれの刃物を眺め、残念そうに息を吐く。  紫髪は普通に起き上がった。  血走った目で桜羽織に詰め寄る。 「何してくれてんのっ?」 「長くなりそうだったんで」 「そんな理由っ⁉ そんなことで大兄貴を刺すやつがあるか。ラブちゃんも帰ったらお仕置きだかんね!」  びしっと指を差し、衣兎族の青年を抱えるとラブちゃん――本名ラブコに「ほら、持って」と渡す。  青年を肩に担いだラブコが、刃物を顔の前で振る。 「刃物弁償してよ。いい包丁買ったのに、新品だったのに大兄貴の血で汚れたじゃん」 「なんっで刺してきたやつに刃物を弁償してやらなきゃならんのっ? 弁償したら気ィ狂ってんだろ、俺が!」 「大兄貴だってライムにセクハラしてんじゃん」  まだ兄に隠れるように引っ付いている弟が涙を浮かべて睨んでくる。  紫髪は失われた古代の言葉を聞いたように顎を撫でた。背中からはどばどばと血が流れている。 「セクハラ……? ちょっとライムちゃんで癒されたかっただけです。その兎の子ちょっとキモ……うすら寒かったんだもん」  指さすのは衣兎の青年。担いでいる青年の尻をチラッと見て、大兄貴に微妙な目を向ける。 「兎が怖いんですか? へえ……失望しそう」 「刺したり失望しかけたり自由だな。お前、帰ったらラリアットするからな。だってなんか自分の命に全然執着しないし、喋ってる間ずーっと瞬きしないから。……キモコワ系ってやつ? 会話終わらせたくて早口になっちゃったよ」  大兄貴の評価に、気味悪そうに末弟が距離を取る。 「ただの一般人じゃ……ないんですかね?」 「多分歪んだ環境で育ったんだろう。俺はオカルト苦手だから、関わりたくないね。べ、別に怖くないし? ま、ど、どーでもいいじゃん? 帰ろ」  やたら噛む大兄貴に続いて、蛇乳族二人もアジトへ戻る。ラブは担いでいる兎に加え、大兄貴を怖がる末弟まで引っ付いてくるので、重いやら動きにくいやらでキレそうだった。

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