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第17話 一触即発

♦    リーンたちへのお土産を買い終えたフリーが、盛大にくしゃみをした。 「――ふ、へっっちゅんっ!」  温羅が無言でチリ紙を差し出してくる。 「あ、あひがと」  買ったばかりのお土産が入った包みを持ってもらい、人前だろうとお構いなしに鼻をかむ。 「ぶへーっ」 「風邪か?」  うるさそうに耳を押さえているニケに、首を振る。 「元気でーす。きっと素敵ほっぺが俺の噂をしているに違いないね!」 「あ?」 「ごめんなさい」  幼子に土下座している主に、温羅が凪いだ海のような顔になる。  主の側でしゃがむ。 「土下座するほどのことですかい? ……ああ。がきんちょが小さいから、土下座までしないと頭下げても頭ががきんちょより高いんですね」  からかうように頭をぽんぽんされ、ニケはムッと片頬を膨らませる。 「お前らが無駄にでかいんじゃ!」 「おっと。……そんなへなちょこ犬パンチ、当たりませんよヘバッ!」  フリーの平手が飛んできた。 「何ニケの頭触っとんじゃ! 俺だって触りたい!」 「……」 「……」  冷静になるニケと温羅。どうでもいいが、フリーが何か言うたびに心がスンと凪ぐのはなんの現象なのだろうか。  ニケが鼻の下を指でこする。 「まあ、人ごみで騒ぐのは良くないな」 「そうですね。この後どうしやす? 土産も買ったことだし、遊郭へ行かないのなら、別の夜の店に案内しますぜ?」  ぐっと親指を立てる。なんだその指、へし折ってやろうか。 「性欲の鬼め。もっと精神年齢一桁の十八歳が楽しめる店を紹介しろ」 「なんですかその難しい注文は。主って十八なんですね? そのくらいの年齢の方は脳と下半身が直結しているんじゃないんですか? 楽しめますよ、夜の店」 「全世界の十八歳に喧嘩売りやがった……」  軽蔑の目を向けてくる幼児に、温羅はにやりと白い歯を見せる。 「がきんちょもあと十年もすれば、分かるようになりますぜ? 男になるってのが、どういう意味か。……ああ、なんなら今ここで、気持ち良くしてあげましょうかい?」  大きな手が伸びてくる。 「子どもに興味はありませんがね」 「ひっ」  全身に鳥肌が立つ。あわ食ってフリーの背後に隠れようとしたが、その前にフリーが鬼の角を握っていた。  ぎゅう。 「やめてほしいんですけどお!」 「こっちの台詞だよ! やんのか」  温羅はフリーの白い手をぱんっと弾く。 「!」  結構痛かったので己の手首を押さえるフリーに、鬼は好戦的に笑う。 「もう情けない男はうんざりです。だがあの時の我が君とヤるのは楽しかった。再戦は望むところでさあ!」 「……っ」  フリーは不必要な発言をしたと後悔した。  じっと睨んでくる青年の前で、温羅は大きく手を広げる。戦闘態勢になった鬼に周囲のヒトどころか、出店のヒトらまで逃げ出す。 「いつかの刀を呼んでいいですぜ? あれも黒いから気に入っているんですよ。我が君……あの日より強くなっているんですよね? そうじゃないと、なにもかも我が奪いますよ?」  温羅の赤い髪が炎のように揺らめき出す。  鬼の殺気に振れ、フリーの中で黒い感情がくっと鎌首をもたげる。力の反動で飛んでいた記憶が、蘇る。  ――そういえばこの鬼は、ニケを殺す宣言をしていたんだっけ……。  溢れ出す。大事なヒトを殺すと言われた時の絶望が。それを阻止できない弱い自分への怒りが。悲しいほどに、胸を締めつける。時間があの日に巻き戻る。  風が鳴きはじめる。  不自然に黒い雲が太陽光を遮断するように、爆発的に膨らみ広がっていく。 (……フリー?)  そんな中、ニケはちょっと頬を染め、フリーをまじまじと見上げていた。  こんなに怒った表情の彼は初めて見る。こやつに怒りの感情があったのか。怒っている、んだよな? 怒っていて怖いはずなのに、なんだろうこの、胸の高鳴りは。  目が離せない。  アホ面が普段なためか、なんだか、すごく、 (かっこよく見えるぞ……)  胸の前で手を合わせ、フリーの足元をちょろちょろする。いろんな角度から見たいのだ。今のニケには暗くなる世界も、駆け付けたが困惑している維持隊も、「あのちょっと今良い所だから入ってこないで……」と言いたげな温羅の顔も、目に入ってなかった。  当然、フリーの視界にも入る。  自分を熱心に見上げてくる赤い瞳。  フリーは即座に屈むと抱きしめた。 「っしゃあ! 好き!」 「……」  温羅はものすごくスローで倒れると、しくしくと泣いた。 「温羅さん。俺が気に入らないのなら、無理に側にいなくていいんだよ?」  騒ぎを起こしてしまったので逃げてきた十二区で、フリーは温羅を見上げる。  雑草に囲まれた、適当な空き家の壊れた床に座り、大事そうにニケを抱っこしている。ニケはすりすりするのに忙しく、温羅は立ったまま腕を組んでいる。……その顔はこけしのようで、なんだか可哀そうに感じてしまう。 「そんなに暴れたかったのなら、一歩的に殴りかかってきたら良かったじゃん?」 「……我が君がアホをすると、気が抜けるんでさあ……」  大太鼓のような声が、耳を澄まさないと拾えないくらいしぼんでいる。アホをするってなんだよ。 「情けない男は嫌なんでしょ? 多分俺、生涯ずっと情けないよ?」 「そんな奴います? ……はあ。まあ、我が君ならそうなんでしょうけど……」  脱力しすぎて温羅の語彙が消滅している。  フリーは別に従者募集をしていたわけではないのだ。温羅が側にいなくても問題はない。むしろどっか行ってほしい。危険人物過ぎる。  覚醒状態でやっと、なんとかぎりぎり互角だった。フリーでは温羅の手綱を握るのは無理だ。断言できる。 (覚醒……か。あれが覚醒、なのかな? なんで記憶が飛んでいたんだ? というか、覚醒したときって、本当に「俺」だったのか?)  前髪をかき上げるように額を押さえる。記憶がぼやけているせいもあるだろうが、なんだか色々自信がない。  説明書なしでぱっと与えられた力だ。周りに聞こうにも持っている者はごく少数。どこかに「魔九来来」に超詳しいヒトでもいないだろうか。 (それだと「魔九来来研究員」たちに話を聞かないといけないってこと? やだぁ、もう会いたくない)  彼らが恐らく、この変な力に関して一番詳しいのだろうが、ヒスイに酷い目に合わされたフリーとしては関わりたくなかった。 「我が君? なにか考え込んでます?」 「ねえ、温羅さん。覚醒した俺? と戦ったんだよね?」 「え? ……ええ。それがなにか?」  フリーは無意識にとろける至高頬を撫でる。 「温羅さんは魔九来来、使えるの?」  嫌な単語を聞いたと言わんばかりに、温羅は顔をしかめた。  ふいっと顔を背ける。 「使えません。使えたとしても、使いません」 「そもそも魔九来来って何か知ってる?」 「……神が生物に適当にばら撒いた力。と、我ら鬼族には伝わってますね」  魔九来来の話はニケも興味があるのか、温羅の方を向いて座りなおす。 「なんで神様は、そんなことをしたの?」 「神に聞いてくれませんか?」  温羅の顔に怒りマークが浮かんでいる。神という単語を出すたびにどんどん機嫌が傾いていく。  フリーは足元に目を落とす。 「そっかあ……。この力、謎だらけだから、詳しいヒトがいると助かるんだけど」  温羅は柱に寄りかかる。ギシッと家全体が軋む音がしたので身体を離す。 「そもそも持っている者が少数過ぎますんでねぇ。誰もまともに研究しようと思わな……。あー、研究しているのは魔九来来研究団の連中くらいでさあ」  やっぱあいつらだけか。 「我が君が魔九来来無しで強くなれるとは思えませんが、我は魔九来来とかいう変な力に頼らない真の強者に仕えたいですね」 「じゃあ、さっさと探しに行け。二度と僕らの視界に入るな」  ニケに虫を払う仕草をされるも、温羅はフリーの側から離れようとしない。 「なんで探しに行かないんだ」 「そんなごろごろといるわけないでしょう。我とタメ張れる奴なんざ」 「むう……」  肩を竦めると、温羅は主の右手首に視線をやる。 「……さっきは叩いてすみませんでしたねぇ」 「謝るくらいならするな」 「厳しいがきんちょなこって」  ニケは懐からハンカチを取り出す。 「フリー。手首痛むか? ハンカチ濡らしてきてやろうか?」 「……うーん。赤くなってるだけで、痛くはないよ?」 「そうか? 痛くなってきたらすぐに言うんだぞ?」 「うん。ありがとう。ニケ」  すりすりと頬同士を擦り合わせるふたり。温羅はなんとも複雑そうな顔で目を逸らすも、もう敵意は向けてこなかった。 「そういえば。温羅さん」 「はい?」 「ちょっと聞きたいことがあるんだけど……」

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