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マルシャン家
父シャルルが事業に失敗してしまってからというもの、商人マルシャン家は急激に貧しくなった。
それまで住んでいた大きな屋敷も売り払うことになり、簡素な一軒家に引っ越した。
何人もいた使用人にも暇を出して、3人の子どもたちが自ら、料理や洗濯、掃除などの家事を務めることとなった。
3人といったって、正確に言えば家事を務めるのは長兄のジャンティーだけだ。
長女のアヴァールと次女のリュゼは相変わらず派手に着飾り、音楽会にパーティーにと遊び歩いている。
アヴァールとリュゼは、あくまでも現実を認めたくないのだ。
華やかで整った顔をしたこの2人は、一家がまだ裕福だったころ、縁談を持ちかける人がひっきりなしに訪れていた。
そうして男たちにチヤホヤ褒めそやされたせいか、2人はすっかり傲慢になり、自分たちと比べると素朴で容姿の劣るジャンティーをバカにするようになった。
それは、今でも変わらない。
そんな中でもジャンティーは決して悲観することなく、毎日毎日働き続けていた。
今のジャンティーの気がかりは、ずっと働きづめの父親のことだった。
3人の父シャルルは家が破綻した後、なんとか友人知人から借金をかき集めて、見よう見まねで新しく小さな商売を始めた。
いつも夕方、下手をすると真夜中に帰ってくる父親を、ジャンティーは優しく出迎える。
小さいながら畑を耕し、質素ながら家中をきれいさっぱり清潔に保ち、貧しいながら栄養のある料理を用意して。
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「お帰りなさい、お父さま。今日はどうだった?」
仕事はうまくいったのだろうか。
いつものように、ジャンティーは玄関先でシャルルを出迎えて、その様子を伺った。
「アヴァールとリュゼはどうした?どこに行ったんだ?」
「えーと……」
アヴァールとリュゼは今日もパーティーに出かけていったんだよ。
なんてこと、ジャンティーはとても言えなかった。
家がすっかり貧しくなって、そんなに余裕がないことなど、2人はわかっているだろうに。
アヴァールとリュゼときたら、借金までして高価なドレスや宝石を買っている。
どうやら2人は、こうしてパーティーに繰り出すことで金持ちの男と懇ろになり、最終的には結婚にこぎ着けることで家の財政を再建するつもりでいるらしい。
なんとお気楽な話であろう。
その男たちとてバカではない。
家が没落していて生活能力もなく、性格にも少々難がある女と誰が結婚するものか。
たとえそれを達成できたとして、それはいつの話になるのか。
その前に一家全員で路頭に迷うのも時間の問題なのではないか。
そうは言っても、妹たちはまったく聞く耳を持たない。
結局は借金が増えるばかりで、届いた請求書を見たときの、父親のなんとも言えない呆れ顔を見て、ジャンティーは自分が情けなかった。
自分にもっとできることがあったなら。
ジャンティーもシャルルの仕事を手伝い、ときには日雇い仕事をこなして家計を助けるが、なかなか上手くいかない。
いかんせん妹たちが何もしないものだから、家事と家計の把握に時間を取られてしまって、仕事に本腰を入れることが難しいのだ。
「それでお父さま、今日はお仕事はどうだったの?お客さんはたくさん来たのかな?」
ジャンティーは、父親の質問の答えをはぐらかすように話題を切り替えた。
「……期待したほど、客は来なかったなあ。一日中、店は暇だったよ」
しょんぼりと肩を落として、風呂場に消えていく父の背中を見送る。
父のこんな様子を見届けるのは、もう何度目かわからない。
昔は豊かで黒かったシャルルの髪には、すでに白髪が混じっている。
かつては恰幅が良かったのに、今となっては頬がこけて痩せ細り、老いの影が目立ちはじめていた。
こんな父のためにも、自分がもっと頑張らなければ。
いつか父の苦労に報いられるように。
アヴァールとリュゼだって、今はあんな調子だけれど、いつかは現実と向き合って父を助けてくれるはず。
ジャンティーは密かに、そう期待していた。
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ある日、シャルルは遠くの街まで仕入れに出かけることとなった。
「お前たち、帰りにお土産を買ってきてあげるよ。何が欲しいものは?」
厚手のコートを羽織りながら、シャルルは子どもたちに問いかけた。
「わたしは素敵なお洋服!絹のドレスがいいわ!黄色の薔薇模様のものが欲しいの!!」
アヴァールが強くねだる。
「私は帽子!ダリアの花飾りがついた最新流行のがいいわ」
リュゼがかわい子ぶったように言う。
今の父にそんな余裕がないことなど知っているだろうに。
何もわかっていない妹たちに、ジャンティーは内心呆れていた。
それはシャルルも同じようで、彼のカサついた唇から漏れ出たため息を、ジャンティーは聞き逃さなかった。
「……ジャンティー、お前は?お前は何が欲しいんだ?」
「お父さま、ぼくは何も要らないよ」
ジャンティーは首を横に振った。
「気を遣うことは無いんだよ、ジャンティー。そうだお前、ずっと同じものばかり着ているだろう。いま着てるヤツ、もう何年も前から持ってるものだろう?新しい服を買ってやろうか?帽子や手袋のほうがいいか?」
「そんなの、ちっとも欲しくないよ。あー、じゃあ……」
ジャンティーはしばらく考え込んだ。
「では、薔薇の花を一輪持って帰ってきてくれるかな。アレがもう枯れかけているからね」
ジャンティーはテーブルの上に置いてある、一輪挿しを指差した。
この簡素で手狭な一軒家を少しでも華やかに見せようと、小瓶に野菊を挿して置いていたのだ。
瓶はシャルルが腰痛の治癒のために服用していた鎮痛薬の小瓶、野菊は庭に咲いていたのを摘んできたものだ。
──それくらいなら、大丈夫なはずだよね
花の一輪くらいなら、どこか路傍にでも咲いているだろうとジャンティーは考えていた。
「そうか、薔薇の花を一輪だな。わかったよ。お前らしいおねだりだ。必ず持って帰るから、留守番を頼んだよ」
シャルルは寂しげに微笑みながら、家を出て行った。
シャルルは、ジャンティーの心遣いを嫌というほどに理解していたのだ。
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