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4/4(完)

徐々に息が上がってくる。相手が気持ちよくなるよう、意識しながら腰を動かす。 そうしていると時々自分のいい所にも当たって、つい押し付けるようにしてしまう。突いてくれとねだっていると取られないだろうかという不安と、俺自身も気持ちよくなりたいという葛藤があった。快感と感情がせめぎ合って、心と体がちぐはぐになっていく気がした。 これはセックスの時だけじゃなく、いつもの事かも知れない。自分がどうしたいのか分からない。いったい何がしたいのか、何をすればいいのか、何が正しいのか、分からなくなってしまうのだ。 裸になって抱き合うなんて原始的な行為の最中に、まともでいられるはずがないのに、馬鹿な頭を振り絞って、まだあれこれ考えようとしている俺が居た。 突然、杏介がむくりと起き上がった。その体の上でバランスを崩しそうになる。抜けてしまわないよう、しがみ付いた。下腹が圧迫されて少し苦しい。 「オレがする」 短く言われ、一瞬、なんの事か分からない。聞き返す前に、理解する前に、下から動かされて、 「アッ」 と我慢していた声が出てしまった。杏介がにやりと笑ったのが見えた。 「……変わんねーのがいい時もあるよな」 低い声と吐息が耳にあたり、くすぐったいような、ぞくぞくする感覚がある。背中を這い上がってくる。恐怖ではなかった。 仰向けに倒され、片腕で体勢を支え、杏介を含んだまま正常位になる。奥まで入れやすいよう、できるだけ尻を上げた。膝を抱える。 と思いきや、またキスをされてしまった。舌を絡め合い、溢れそうになった唾液を飲み込む。喉が鳴った。女物のシャンプーの匂いがした。 顔を離すと、一度口元を拭った杏介の目が、探るように見てくる。 「すげーカオしてんじゃん。そんな幸せ?」 低い声に、心臓が跳ねた。 やばい、と思った。慌てて両手で顔を隠す。 こんなのいけないのに。幸せになんか、なっちゃいけないのに。 自分がどれだけ情けない顔になっているか、だらしない姿を晒しているか。すっかりキスに夢中になって忘れていたのを、指摘された気分だった。 それから杏介は意地の悪いことに、俺のいい所ばかりを狙ってきた。歯を食いしばって耐えた。 俺が気持ちよくなってどうするんだ、と思う。そう頭では思っているのに抑えられない。昂ってくる。追い詰められる。 「杏介、きょうすけ」 気が付けば夢中で抱き着いて、名前を呼んでいた。 付き合っていると女と居るみたいだ、と言われた事がある。 自分のことは男だと認識しているし、男の体は多少不都合な部分もあるが女性になりたいとは思わない。女性言葉で話そうともしていない。 けれど、何でも世話を焼こうとするし、自分の意見を持たないし、喧嘩になっても感情的になるか、じっと黙り込んでいるかで話し合いができないし、甘え方も女みたいだと。 たぶん、女々しいというやつなのだろう。子供の頃は、それでよくいじめられた。やり返さないのを分かっていたのだと思う。俺みたいなのは、いじめっ子にとって格好の餌食だ。 「あ、あ、あ!」 声を我慢する事もしなくなっていた。杏介が激しく突き込んでくる。雨の音とは違う、濁った水音がする。湿気った部屋の中で、肌も湿っていた。 「桃哉……!」 名前を呼ばれ、左手を掴んで、布団に押さえ付けられた。 ひっ、と喉が鳴る。何とか気を散らそうと首を振り、背中をくねらせる。けれど杏介は離してくれない。 利き手で自分のを握って、必死に擦る。全身が熱くなって、体も心も、頭の中もぐちゃぐちゃになる。 このまま続けたら射精してしまうと分かる。出したくない。杏介より先に限界を迎えたくない。こうしている時間を、終わりにしたくない。 そう思っているのに、もう手を止められなかった。 朝、目が覚めて最初に気になったのは雨の音。 まだ降っている。杏介がまだ居てくれる事に安心する。 雨は静かに降り続けていた。明るいのに雨が降っている朝の、独特の空気感だ。閉めたカーテンの隙間から漏れてくる白っぽい光で、部屋はいつもより薄暗く、それでも昨日の夜よりは景色がはっきり見える。 杏介は俺に背中を向ける形で寝ていた。お客さん用のを用意したのに、結局使ったのは俺の布団で。 夢なのか現実なのか分からない記憶が、頭の内側に貼り付いて残っている。まだ日が昇る前で、キッチンの方から光が漏れていた。 見ると、杏介が裸のまま電子レンジで何かを温めていた。冷凍庫にあった袋入りのチャーハンか、戸棚に入れていたレトルトカレーのパウチだ。 「何、俺やろうか……?」 首だけを起こして掠れた声で聞くと、杏介は 「いい。寝とけ」 と俺に向かって軽く手を振った。 そうして、低い音を立て続ける電子レンジの中で、器が回転するのを覗き込んでいた。体は大人の男なのに、オレンジ色の光に染まった横顔が子供みたいだった。あどけないというより、幼いといった感じだった。 やっぱり腹は減っていたらしい。買ってこようかと聞いたらここにいろと言った手前、俺には言えなかったのだ。 自分の家で、裸で目を覚ますなんて久しぶりだ。昨日はバスタオルで体を拭いただけで寝てしまったから、体液や湿気で肌がべたべたする。 起きたら杏介は何と言うだろう。たぶん、シャワーを浴びたがるはずだ。俺もそうだから。 男二人が入れるほど、家の風呂は広くない。本当は一緒に入りたいし、もっとくっ付いて、べたべたしたい。でもまた女々しいと言われてしまうのだ。 それに、今の俺は浮気相手でしかない。 経験上、このまま行けば梅雨の晴れ間まではこんな生活が続くはずだ。朝も昼も夜も、平日も休日も、関係なしに、ただだらだらと関係を持つ。良くてもセフレだ。 それ自体は構わない。セックスはすごく気持ちが良かった。俺が出した後、杏介も満足してくれた。変わっていないのがいい時もある、と言ってくれたのは、優しさじゃなく本音だと信じたい。 でもやっぱり虚しい気がしてならないのだ。このままだと、体以外は何も満たされない。 杏介のうなじを見ながら考える。 この雨が止んだら、彼は翠さんの元へ帰ってしまう。二人は仲直りして、また一緒に暮らす。それを二人ともが望んでいるし、正直、羨ましいくらい幸せだ。 俺は、相手のために何かをするのが割と好きな方なのかも知れない。あれこれ面倒を見て、やりたいようにさせる。家に帰れば誰かが居る生活ができれば、俺の人生そのものが潤っている気がする。 仕事は人並みで安定しているが、誰にでもできる内容だ。夜になれば酒とつまみが欠かせない、退屈なテレビを流し見する事しか時間の潰し方を知らない自分の存在が、意味があるように思える。それが幸せなのだ。 ただ、そんな生活が長く続いた試しがない。ものの数日、数週間も経てば、相手は俺に黙って浮気をするか、居なくなってしまう。 この先、杏介ともそうなるのが、心のどこかで分かっている。恋人だった時ですらできなかった事、させてもらえなかった事を、セフレができるはずがないのだ。 忘れていた肋骨の痛みが再発した。 自分を抱きかかえるように手でさする。じわりと温かくなって、痛みが和らぐ気がする。 もしまた俺が怪我をしたら、もしこの傷が痛いと訴えたら、杏介は心配してくれるのだろう。優しいから。別れた後でも俺のことを心配するほど、優しいのだから。 そうすればもしかしたら、雨が止んでもこのまま居てくれるかも知れない。また買い出しを手伝ってくれるかも知れない。頭を撫でてくれるかも知れない。 自分の手でさするのをやめて、杏介のうなじに触る。起こさない程度に。でも起きて欲しいとも思ってしまう。 誰かと同じ部屋に寝ていても、こういう時間はすごく孤独なものだ。一人で居る事が当たり前になって、それも忘れかけていたのに。 杏介が来て、俺は動けるようになった。停滞していた心が動き出した。雨が降ると時々痛む肋骨が、締め付けるように忘れさせてくれなかった。 昨日の夜、彼が風呂の中から言ったように、俺だって本当はここにいて欲しい。今は彼のためにする事にしか、積極的に行動する理由が見いだせないから。 どうしたら痛みが続くのだろう、と考える。 わざと壁にぶつかるのは不自然だ。いくら馬鹿でも、住み慣れた部屋でそんな事故は有り得ない。心配して欲しがっているのがバレたら、そんなに気まずい事はない。 寝ている時に杏介の腕が当たったなんて嘘もつきたくない。泊まりに来なければ、一緒に寝なければ良かったとは思わせたくない。 なら、どうすれば杏介に殴ってもらえるのだろう。 今はもう彼氏じゃないし、俺が誰に良い顔をしていようが、誰と寝ていようが、杏介には関係ない。殴られる理由にはならない。 お互いに傷付けてしまうのを止められなくて別れたのだ。別れてもまだ気になる相手、何でもしてあげたいと思う相手なのに、どうして一緒に居ると上手くいかないんだろう。難しい。分からない。 だから、いっその事この雨が止まなければいいのにと願ってしまう。 そんなことを思っちゃいけないと、頭では分かっているのに。辛うじて口から出ていないだけで、そんな考えが止められない。 雨の日は何もかも億劫で、憂鬱なのに。止まない雨はない、なんてポジティブなその言葉は、とても悲しい現実を突き付けられているようなものだ。 俺は今でも杏介のことが好きなのだと、気付いてしまったから。

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