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猫(1) 黒猫を拾う
「ミャー……ミャーー」
小雨降る夕方の帰り道、かすかに猫の鳴き声が聞こえてきたので耳をすました。
その声を頼りに進むと、街路樹の茂みの下に、小さな影が。
見るとやはり猫だった。とても小さい子猫。可哀相に、雨にびっしょり濡れて震えている。
傘を傾け、子猫と自分に雨が当たらないようにしながら、タオルハンカチで拭いてやる。
「どうしたんだお前。捨て猫か?」
こちらの言葉がわかるはずもないが、子猫は「ミー」と鳴いた。
「そうか、捨て猫か」
無意味な会話をしてみる。拾ってやりたいなぁ。
自分が物心ついた頃は猫がいる生活が当たり前だった。
両親が新婚当初から可愛がっていた猫だったが、俺が中学生の頃に亡くなってしまった。大往生だったらしい。その時の母の悲しみがものすごく、“また猫飼いたい”とは言い出しづらいのが現状である。
でも、そろそろ大丈夫かも、という気がする。
いやでも待てよ。一昨日動物番組を見てた時に、たまたま映った猫の柄が昔の飼い猫“トビー”に似てて、母親が涙ぐんでたような……。
うーんと悩んでいると、子猫が「ミャー」と鳴いた。うん、よし。怒られたらその時はその時だ。決心して、上着の胸元に入れてやった。
今ならギリギリ動物病院が開いてる。先に健康チェックしてもらおう。
何とか診療時間に間に合い、受付を行う。
「猫ちゃんのお名前は何ですか?」
「えっ、えっと……」
飼い主の名前だけじゃなくて猫の名前も必要なのか?動物病院は久々すぎて忘れてる。
「あ、捨て猫ちゃんでしたよね、でしたらまだ決まってないですよね」
受付のお姉さんがフフッと笑った。
「今日は空欄のままにしておきましょうか?」
「いや……」
胸元の子猫をじっと見た。子猫もこちらを見返している。
黒猫、か……小さくて顔が丸っこい。
「“くろ丸”とか。変ですよね」
笑ってごまかしてみたが、お姉さんは「あらーいいじゃないですか、可愛い!」と褒めてくれた。
子猫の名前は“くろ丸”になった。
「うーん、この子は……生後1ヶ月くらいかなぁ。でも痩せて小さく見えるだけで2ヶ月は経ってるかもしれないね。ちなみに男の子だね」
「そうですか」
医者が診断中。
ひっくり返されまくっているため、くろ丸は鳴きながら暴れている。
「虫はついてなさそうだけど、一応ノミ取りの薬と、ワクチン打っておいていいかな?」
「お願いします」
ミャーミャー暴れているくろ丸。
「おい、大丈夫だから。おとなしくしてろ」
頭を撫でてやると、不思議と鳴き止んだ。
「おっ、お兄さん慣れてるね。こんなに聞き分けがいい子は珍しいよ」
「昔飼ってたんで。随分前ですけど」
そんな世間話をしながら診療は完了した。
最後にして最大の難関。家族の理解を得られるか。姉貴や父親はともかくとして、問題は母親だ。
うーんと玄関前で悩むこと約1分。
「……ミャー」
かすかに鳴くくろ丸の声。心なしか心配そうに聞こえた。
「平気だって!捨てたりなんかしないからな」
小さな頭をなでると気持ちよさそうに目を細めた。
それは余計な心配だったということがすぐわかった。
「まー可愛い!」
「抱かせて抱かせて!」
「待ちなさい、お母さんからよ!」
大盛り上がりである。
「乱暴に扱うなよ。子猫が驚いてるだろ」
女特有のキンキン声に、くろ丸はびびっているように見える。母親たちの隙を見て逃げ出すと、こちらに飛び込んできた。
か、かわいい……。
くろ丸は俺によく懐いた。俺がいなくなると探し回り、部屋の扉を閉めてるとカリカリ引っ掻きながらニャーニャー呼び続ける。
くろ丸の寝床は俺の部屋で固定となった。寝床はあるけど、大抵俺のベッドにもぐり込んで寝る。
腹が減ると、俺の頬を尻尾で撫でたり、舌で舐めたり、指や耳を甘噛みしてきたりする。
「……ん?まだ5時だ……まだ早いぞ……」
せめて6時まで寝かせてほしい。ベッドに引き込むがニャーニャーうるさくて結局根負けしてしまう。そんな毎日。
くろ丸が来て数ヶ月が過ぎた。
くろ丸は、1歳になった。
『今夜は流星群が見られるでしょう』
夕食中、テレビでそんなニュースがやっていた。
「うちからも見れるかなー?」
姉貴がウキウキしながら言っている。母親は首をかしげた。
「さあ、どうかしらね。そういえば、隣の佐藤さんはこの前の流星群はベランダから見えた、って言ってたわよ。うちも見れるかも」
「ベランダなら、俺の部屋の窓からも見れるかな?」
「えー、あんたも見るの?」
姉貴が不満そうに言った。
「なんでだよ」
「なんか男が目をキラキラさせて流れ星見てたらちょっとキショイかなって」
「差別かよ!」
ニャーと足元でくろ丸が鳴いた。
「ひでー姉貴だよなー」
と、くろ丸に同意を求めてみると再び「ニャー」と鳴いた。
「ほら、“うん”って言った」
「違うし!っていうか、絶対あんたくろ丸に何か仕込んでるでしょ。絶対逆らえなくなるような、またたび?みたいなの」
「してねーよ!マタタビなんてあげたことないし」
「じゃー今度私あげてみよっと!」
「やめろよ……」
姉貴と話してるとなんか疲れる……。
「あ、そうだ。お母さん、来週彼氏泊めてもいい?」
「ニシくん?だっけ?いいわよ。お父さん、聞こえた?いいわよね?」
夕食終わりにソファーで新聞読んでる父親が「……ああ」と返事した。うん、嫌そうだ。
姉貴の彼氏は悪いやつじゃなさそうだけど、オヤジはいけ好かないらしい。父親ってのはどこの家もそういうもんらしいけど。
あー、そうだ。
「姉貴、先に言っとくけど、夜は静かにしてくれよ。声結構聞こえるから」
「な、何の話!?下ネタこんなところで言う!?」
「下ネタじゃないし!普通に話し声もボソボソ聞こえてくるんだって!いつもの電話とかも!」
「言わせてもらうけどね、あんただって3年前、真昼間から彼女とヤってたじゃん!声全部聞こえてたんだからね!」
「昔の話やめろよ!しかもそれ何回も聞いてるし」
「あんたが彼女全然連れてこないからでしょ!……ああ~わかった。モテないからか」
「姉貴だって今の彼氏が久々すぎて必死で繋いでるの知ってるからな!」
「何ですって!?」
「……もうやめなさい」
母親がうんざりと言った。気付いたら父親はリビングからいなくなっていた。
「ったく姉貴のやつ」
ついカリカリしてしまう。くろ丸がニャーと言いながらすり寄ってきたので抱き上げた。
「よしよし。お前がいるとすっげー癒されるよ」
くろ丸がいてくれて本当に良かった。
「さて、風呂に入ってくるからな」
そっと下ろすと、くろ丸はニャーと鳴いた。
ホント、言葉がわかってるみたいだ。
風呂から出て廊下を歩いていると、俺の部屋の中からニャーニャー鳴き声が聞こえた。ミャオミャオ、ニャー、と喋ってるみたいに聞こえる。
「どうした、くろ丸」
部屋に入ると、くろ丸は窓に両前足をついて外を見ていた。
「うわ、すっげー」
思わず声が出た。
ものすごい数の流星。弧を描いて降り注いでいる。
相変わらずくろ丸がミャオミャオ言いながら流星を見ているのが可愛らしくて頬が緩んだ。
「なんだ?お願いごとでもしてるのか?」
くろ丸の頭を撫でながら俺も願う。
「くろ丸の願いが叶いますように。くろ丸が幸せに暮らしていけますように」
……なんか我ながらクサかったかも。
やがて流星ショーは終わった。
「叶うといいな」
くろ丸の頭を撫でると、嬉しそうに「ニャー」と答えた。
次の日の朝。
いつもの、くろ丸の“朝ごはんちょうだい攻撃”が来ないのを不思議に思いながら目が覚めた。
「あれ?くろ丸?」
眠くて目が開かない中、手を伸ばすと、何かに当たった。人の、肌?
目をゴシゴシこすって無理矢理開ける。
「!?」
一番最初に目に入ったのは、黒い髪の毛。しかもものすごく長い。
華奢な肩を縮めてこちら向きに見える顔。長い睫毛を閉じた、美しい顔立ち。
「お、女!?」
ガバッと掛布団をめくって更に驚く。
「おとこ!?」
……付いてるのだ。アレが。
素っ裸の男が、俺のベッドに寝ている。再度そいつの頭を見て目が飛び出た。
頭に耳が。黒い猫耳みたいなのが付いている。
「なななな……!」
俺の声に反応して耳がピクピク動いている。
そいつは「ミャー……」と言いながら伸びをした。大きく開いた口から綺麗な牙が見えた。
「ちょ、ちょっと、姉貴!」
居ても立ってもいられず、姉貴の部屋に飛び込んだ。
「姉貴!来てくれ!変な奴が!!」
「なあによ、まだ6時じゃん……寝かせて……」
「寝てる場合じゃないって!緊急事態!」
「緊急、あそー。あとでね……」
「ダメだって!早く!」
「うるさいなあ……大したことじゃなかったら、ぶっ飛ばすからね」
何とかウトウトしながら見に来てくれた。
「ほら見ろ、これ!変な奴が寝てる!」
「……」
ベシッ。頭を叩かれた。
「イテッ」
「馬鹿が。自分の飼い猫忘れてどうすんの。ホント馬鹿」
バシッともう一発叩き、姉貴は部屋に戻っていった。
「イッテー……飼い猫?」
飼い猫……飼い猫……。
掛布団の端をペラッとめくる。そいつの尻から細くて長い尻尾が出ていた。
「ま、まさか。くろ丸……?」
くろ丸らしき人物は、再び大あくびをすると目を開いた。
大きくて綺麗な、黄色の瞳。
「くろ丸、なのか……?」
そいつは、俺に近づくと、俺の頬をなめた。ザラッという感触がした。
「おはよう、ご主人様」
「なっ」
喋るのか!?
「お腹すいたニャー」
そう言いながらザラザラと俺の頬をなめ続ける。
「わー、わかった!わかった!朝飯にしよう!」
とりあえず母親の意見を仰ごう!姉貴は寝ぼけてただけかもしれないし!
「わーい、朝ごはん♪」
と言いながらくろ丸が付いてくる。素っ裸で。
「ちょっと、これに包まって来い」
居たたまれなくて、シーツを全身にかけた。
「これ歩きづらいニャー」
とか言いつつシーツを引きずりながら付いてくる。
階段をトントンと降り始めると、くろ丸がニャーニャー!と言った。
「なに?」
「階段怖いニャー。これあると引っかかって落ちちゃうニャー」
シーツが邪魔らしい。確かに危なっかしいかも。俺は手を差し伸べた。
「ほら、シーツは少したくし上げて。俺の手に掴まれば大丈夫だろ?」
「抱っこがいいニャー」
と、くろ丸が抱き付いてきた。
「重っ!」
俺より小柄で華奢だが、人間だ。普通に重い。
「ダメだ。ちゃんと歩け。階段に慣れないと」
「いつもなら抱っこしてくれるのに……」
耳が悲しそうにペタンとなっている。
いつも?……確かに、猫型のくろ丸はよく飛び付いて甘えてきたので抱っこすることが多かった。
でも……。
「うみゅー……」
「……わかった。今日だけだぞ」
「うわーい!」
階段から転がり落ちないようにしないと……。
階段から降ろすと、くろ丸は俺の頬をなめまくった。
「ご主人様大好きニャー!」
「はいはい、わかったから!」
上からトントンと階段を降りる音がした。姉貴だ。
「ったく、朝っぱらからうるさいなあ。イチャイチャしてんじゃないよ」
「イチャイチャなんてしてねーよ!……くろ丸、わかったから離れろって」
「ニャーン」
鳴き声は猫の時のくろ丸の声に似てるな、と思った。
「あら、くろちゃん、何でシーツなんて被ってるの?」
母親の第一声。
やっぱりかー!!人間姿のくろ丸が普通らしい。姉貴がハァとため息をもらしながらこちらを見る。
「あんた、家の中でもペットを全裸でウロウロさせるの禁止になってるんだから、起きたらまず服着せなよ。ベッドの中では裸にしようが何しようが構わないけどさ」
と言ってから、ニンマリする姉貴。
「……それにしてもぉ?昨夜はお楽しみだったみたいだねぇ?」
「は!?何が?」
「くろ丸の苦しそうな声が聞こえてきたよぉ?あんたとうとう我慢出来ずにヤっちゃったんだなって。3年ご無沙汰じゃ仕方ないかぁ」
「だから何が!?」
「まぁオスが相手なら子供も出来ないし安心だけど、まさか我が弟がペットに手を出すなんてねぇ……。くろ丸可愛いから仕方ないけどぉ。何?前の彼女でも思い出しながらヤってたの?」
「……」
呆れて言葉も出なかった。
「もう、朝っぱらからこの子たちはやめなさい。ほら見て、くろちゃん。これどうかしら?お母さんが昔作った浴衣なんだけどね、くろちゃんにピッタリかなって思って出してきたのよ」
「わあ、ご主人様のママ、ありがとう!」
バサッとシーツを脱ぎ落とすくろ丸。
「キスマークは無いみたいね」
と呟く姉貴の声が聞こえるが無視する。母親が手早く浴衣を着せる。
「あら可愛い~」
「ホントだね。髪結んだ方がいいんじゃない?」
「そうね、お姉ちゃん、櫛とゴム持って来てくれる?」
「ほあ~い」
と、意気投合する女たち。こういう時は、男はいつも蚊帳の外だ。父親もいるけど一言も喋らない。
「ま~可愛い~」
「ポニテ似合うね!髪超綺麗だし」
き、気になる。けど、「見せて見せて!」って言うのはシャクに障る。
すると、くろ丸が振り返り、駆け寄ってきた。
「ご主人様、どう?似合う?」
うわっ、超可愛い!と、思った。久々にキュンとして顔が熱くなる。
「う、うん。似合う似合う」
心を押し殺し、頷いた。
「わーい!やったー」
抱き付き、頬をなめてきた。や、やばい。マジで可愛い…。
「今夜もうるさくなりそーね。声結構聞こえるからくれぐれも静かにヤってよ?」
姉貴が呟いた。
うるせー!そんなハズない!こいつはオス猫だぞ!って言い放ちたかったけど、今の赤ら顔じゃ説得力ないだろうと思って諦めた。
それにしても、外に出て驚いた。
猫だけじゃない。犬も人間化している。首輪を付けられて人間と共に二足歩行で散歩しているのだ。
俺は、世にも奇妙な世界に迷い込んでしまったのか……。頭がクラクラした。
「ご主人様、お散歩楽しいね!」
そんな俺の周りを舞うように、くろ丸がスキップしている。
「足元ちゃんと見ろよ。転ぶぞ」
「うんっ……うニャっ!」
くろ丸が石ころに躓いた。咄嗟に手を出す。
「あっぶねー」
くろ丸が抱き付いてきた。
「怖かったニャー。ありがとニャ。このまま抱っこしてニャ」
おいおいおい……。
「ダメだ。自分で歩け。そうしないと置いてくぞ」
くろ丸はブーッと頬を膨らませる。耳もピッと動いた。
何か面白い。今まではどちらかというと耳や尻尾や毛で感情を確認していたところがあったけど、人間バージョンはここまで表情豊かだとは。
「まだ歩くの慣れてないのに。ご主人様なんて嫌いニャ」
回れ右して反対方向に歩き出そうとしたくろ丸を「ちょ、ちょっと待て!」と引き留めた。
「迷子になっちゃうだろ。……うーん。抱っこはなぁ。俺の腰が折れて歩けなくなったらどうする?くろ丸にいい子いい子出来なくなるかも」
「……やだ」
「じゃあ、手つなぐか?」
「うんっ」
ふぅ、と安堵した。
こいつは、見た目は15~17歳くらいだけど、精神年齢は7歳くらいだな。
ふと、くろ丸の手が気になって見てみる。表も裏もスベスベ。人間の手だ。あの肉球が好きだったのになぁ、なんて思ったり。
「ん?にゃに?」
「いや、くろ丸の指は細長くて綺麗だなって思ってさ」
「にゃがいのは、ご主人様とこうやって手を繋ぐからだよっ」
と言って、指を絡めてきた。いわゆる恋人繋ぎ。姉貴に言われたからじゃないけど、誰かと手を繋ぐなんてほんと久々。
くろ丸がメスだったら良かったのに……。いや、それはそれでマズイか?
そんなことを考えていると、ふいにくろ丸がビクッとして立ち止まった。
「ん?どうした?」
「こ、怖い……あの犬、怖いニャ……」
震えながら腕にしがみついてくる。
くろ丸の視線の先を見ると、おじさんに連れられた首輪をつけた大柄の男(多分、大型犬)が歩いて来るのだ。
確かに怖い、かも。
でも飼い主も一緒にいるし、首輪が繋がってるし。
「大丈夫だって。ほら、行こう」
と、くろ丸の手を引く。くろ丸は耳はペッタリしてるし、尻尾は巻いているようだ。完全に怖がってるな。
くろ丸を安心させるように肩を抱き、さすってやる。
すれ違う直前で、その“大型犬”が突然唸り声を上げてこっちを向いた。
「お前ら、何見てんだよ!かみ殺すぞ!」
「うわっ」
「うにゃー!」
さすがにビビッた。我ながら情けない。
「コラ。ハナコ、やめなさい」
飼い主のおじさんが首輪を思い切り引っ張ると、大型犬は「キャイン」と鳴いて一緒に去って行った。
「……ハナコ、だって」
プッと吹き出した。笑いが止まらない。
「あの見た目でハナコ!メスかな?違うだろ。なあ、くろ丸……」
くろ丸を見ると大きな目からポロポロと涙をこぼしていた。
「こわ、こわかったにゃ……うう、うっ」
「おいおい、確かに迫力あったけど泣くほどじゃないだろ」
涙を拭ってやる。
「うにゃー」
くろ丸が抱き付いてきた。服でゴシゴシ涙を拭かれてる気がするが……まあいいか。
落ち着くまで頭を撫でてやる。
くろ丸が抱き付いたままこちらを見上げる。潤み気味の瞳が色っぽくてドキッとする。
「気持ちいいニャ。もっと撫でてニャ」
胸に頬を摺り寄せてきた。
うーん。こんなとこ誰かに見られたら、やば……ハッ!前方から噂好きで有名なおばさんが歩いてくる!
「ちょ、くろ丸、おしまい!離れろっ」
「いやニャ。ご主人様だーい好きニャ」
ゴロゴロ喉を鳴らして甘えモードになってる!
「あら~、島田さんちのナオくん?」
見つかった!
「こ、こんにちは」
「久しぶりね~。お母さん元気?」
「はいっ」
「……で、その子は…噂の猫ちゃんかしら?お顔見せて」
「あ、はいっ。ほら、くろ丸」
噂?どんな噂だ?と思いながらくろ丸を体から剥がす。
「うにゃっ」と声を出して、俺の背中に隠れるくろ丸。人見知りか!
「あらあら、恥ずかしがり屋さんね。ご主人様が大好きなのね?羨ましいわ。うちの子たちなんて、滅多に一緒に歩いてくれないのよ。好き勝手にあっち行ったりこっち行ったり。付いていけないったら。角の黒沢さんちはね、完全家猫で外に出さないんですって。それって可哀相よねえ。狭いお家で一日中いないといけないなんて」
「は、はあ……」
背中がモゾッとする気配があって、くろ丸が顔を出したようだ。
「アラ!可愛い!もっとよく見せて!」
おばさんが興奮している。キンキン声にビクッとして、くろ丸はまた背中に隠れた。
「かわいこちゃん、顔を見せて~見せてくれないとおばちゃん帰れなくなっちゃうわ」
これは、見せないと本当に帰ってくれなさそうだ。
「くろ丸、ちょっとでいいから。いい子にしたら、あとでおやついっぱいあげるから」
「ほんとに……?」
「ほんとに。ほら、坂上さんにご挨拶しよう」
「じゃあじゃあ、あとでおやついっぱいと、遊ぶのもいっぱいしてくれるニャ?」
なんか条件が増えてるぞ。
「うっ、うん。わかったから」
くろ丸が背中からソッと離れ、俺の横に立った。
「まー!可愛い!!美猫ちゃんねえ!」
大興奮のおばさん。くろ丸は俺の腕にしがみついている。
「くろ丸、ご挨拶は?“こんにちは”って」
自分が親のように思えてくる。
「こ、こんにちは……」
「まー!いい子ね!本当にしつけが行き届いてるのね。この子は……女の子、なのかしら?」
「いえ、おとこ……オスです。なんかすいません」
この見た目と格好なら間違えても仕方ない。
「男の子なの?女の子だったらうちの子のお嫁さんに欲しかったわー。ホント綺麗な猫ちゃん」
おばさんは手を伸ばし、くろ丸の頭を撫でてきた。ビクッとするくろ丸。逃げないのは偉いが、なんか爪出てないか?俺の腕に刺さってて痛い……。
「ははは。ありがとうございます」
なんとかやり過ごすことが出来た。
帰宅後、おやつ(猫用がある)をたっぷりあげて、遊んであげまくった俺は、ヘトヘトになりながら風呂に入った。
そういえば、猫は風呂はどうするんだ?
“俺がいた世界の猫”は、一般的に風呂が苦手だ。トビーもそうだった。その代わりに猫は自らを毛づくろいして清潔に保っていたはずだ。
「どう考えても人間型じゃ、無理があるよなあ……」
あとで聞いてみよう。言葉で聞けるっていうのは便利だな。これは最大の利点だ。
風呂から出て部屋に向かうと、俺の部屋の中から「ありがとうニャ。ほんとにありがとうニャ」というくろ丸の声が聞こえた。
誰かと話してる?
ソッと覗くと、くろ丸は窓に両手を付いて、外に向かって言っていた。
なんかデジャブ……。
「くろ丸、どうした?誰かいるのか?」
と声をかけると、くろ丸はビクッと背中を震わせて振り向いた。
「ビックリしたニャ。……お星様にお礼を言ってたニャ」
「お星様に、お礼?」
「そうニャ。くろ丸を人間にしてくれてありがとう、って言ってたニャ」
「は!?」
「この前いっぱいお星様が流れた時に、お願いしたニャ。“ご主人様と同じ人間ににゃりたい”って。ご主人様も一緒にお願いしてくれたから、お星様がお願い聞いてくれたニャ!」
「え、俺そんなお願いしたか!?」
「したニャ。“くろ丸のお願いが叶うように”って言ったニャ。……まさか、わすれ……」
「いや、言った。それは言った」
まさかくろ丸がそんなことを願ってたとは!当然ながら知らずに同意していた。
この“世にも奇妙な世界”はくろ丸のせい、そして自分のせいだったのか!
……と、心の中で大げさに驚いてみるも、未だに現実感が無い。いつか“ドッキリでした~”って言って、本物の猫型くろ丸を出してくるんじゃないかって気がしてしまう。
「だから、ご主人様にもありがとう、なのニャ~」
そう言って人間型くろ丸が抱き付いてきた。頬や首をペロペロ舐められる。
もしこれがヤラセで、“本物のくろ丸”がひょっこり出てきたら、こいつとはさよならなのか……って思ったら、心がザワザワした。
くろ丸を抱き締める。
背中から尻にかけて手を這わすと、くろ丸から吐息が漏れた。
「ご主人様、いい匂いがするニャ……大好きニャ……」
あ、いい匂いといえば。と、急に我に返ってくろ丸を離した。
「そうだ。お前、風呂は?」
「んにゃ?」
「猫だから自分で毛づくろいとかするのか?それとも風呂に入るか?」
「風呂……。け、毛づくろいニャ!毛づくろいしてるから綺麗ニャ!」
「そうか?結構無理ありそうだけど……」
「あ!ご主人様のママに用事あったニャ!行ってくるニャ!」
風のように部屋を出て行くくろ丸。
……逃げられてしまった。ちょっと悲しい。でも今はホッとした気持ちもある。
このまま一緒にいたら姉貴の想像通りになってしまうところだった、多分。猫にそういう気になってしまうなんて。相当凹む。
人間型だからいけないのだ。全身黒い毛に覆われた猫だと思わねば。
いつか道を踏み外しそうだ……。
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