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猫(2) 黒猫、かゆくなる
ある平日。
「ただいまー」
と帰るも、いつも玄関に飛び出てくるくろ丸が来ない。
まあいいけどちょっと寂しいぜと思いつつリビングに行くと、くろ丸がミーミー鳴いていた。浴衣をたくし上げ、尻を丸出しにして……!!
四つんばいのような体勢で、姉貴に肛門を見られている。というか、尻関係は全て丸見えだ。
「なにしてんだよ!!」
思わず声を荒げた。
「ご主人様~」
泣きべそをかきながらこちらに来ようとするも、「ダメ!」と姉貴に止められてしまう。
「何って、お尻見てるんだよ」
当然、といった感じに答える姉貴。
「は!?見てるんだよじゃねーよ!くろ丸嫌がってるじゃん!」
「違うのよ、くろちゃんはかゆくて泣いてるのよね。お姉ちゃん、この軟膏効くかしら?」
母親が薬を手にやってきた。
「とりあえず間に合わせで塗っておこうか。明日病院連れてくわ」
「病院イヤニャ~」
「な、なんか話が見えないんだけど……」
「っていうかさーナオ。あんた無理矢理やってない?超赤いんだけど」
「はあ!?なにを?」
「あと終わった後、くろ丸のケアしてあげてる?拭かないで放ってるわけじゃないよね?」
「だからなんだよ!」
母親がため息をついた。
「はあ。今回は違うんじゃないかしら。くろちゃん、昼間ちょっとだけお庭に出てたから、何かに座ってかぶれちゃったんじゃない?」
「うーん、でも中まで赤いっぽいんだよねえ……」
肛門を広げて見てる……。
「お、おい、姉貴!そこまで見ることないだろ!」
見た目同性だから俺は平気なはずなのに、めちゃくちゃ恥ずかしい気分になる。
「あのねえ、ペットの世話は飼い主の責任なの。きちんと見てあげないと可哀相でしょ?あんた最近おかしいよ?」
「確かに、責任はあるけど……」
そういえば、猫型くろ丸の尻の様子を見たこともあった。一時期便秘になった時は肛門を刺激したこともあった。
「と、ゆーわけで。これ塗っといて」
と、姉貴から軟膏を手渡された。
「えっ、俺!?」
「こういうのはいつもあんたの役目でしょ?」
「あ、うん。確かに……」
確かにそうだ……。
クシュン、というくしゃみが聞こえた。くろ丸だ。
「くろちゃんずっとお尻出してて寒いわねー。ナオ、早く塗ってあげなさい」
「ここで見ててあげるけど、うっかりおっぱじめないでよ?」
「はいはい……」
弟って本当に肩身が狭い。
猫型の時は、ガシッと抱えて無理矢理塗ってたけど、人型は……。
「ほら、尻尾どかせ」
くろ丸の尻尾をどかすと、つるんとしたヒップの中央に、綺麗な菊が……。
うっ、ヤバイ。冷静だ、冷静になれ。地蔵の心、亀の心、僧侶の心……。なるべく焦点を合わせないようにぼんやりと見る。
確かに赤くかぶれているようだ。自分で掻いたような跡もある。
「中もさ、赤くない?」
横から手を出した姉貴に肛門を広げられ、ブッと吹き出す。姉貴が爆笑した。
「あんた意識しすぎ!ほんとヘンタイなんだから嫌だ~」
「うるせー!」
だが確かにこの世界では俺の反応は異端なのだ。たかが猫に対してここまでドギマギしてどうする。
覚悟を決めて、くろ丸の腰にペタッと手をやる。
……ん?なんかくろ丸の肌ペタペタしてないか?くろ丸の太ももやふくらはぎ、腕や首なども触ってみる。
髪の毛も、よく見ると頭皮が油っぽく見える。
「なんかヘンタイスイッチが入った?」
姉貴が震える。無視だ無視。
「くろ丸、ちょっと座って」
「はいニャ」
「お前、“毛づくろいしてる”って言ってたよな?最近してるか?」
「えっ。し、してるニャ!」
「どうやって?」
「どうって……こうだニャ」
ペロペロと腕を舐め、それで顔を擦っている。
「背中は?」
「えっと、こうだニャ」
舐めた手首を背中に持って行って擦る。
うーん……。
「ここ、届いてないけど、どうやってる?」
背中の上のほうをトントンとつつく。
「うー。こういうところは、カーテンとか葉っぱでゴシゴシしてるニャ!」
「っていうか、そもそも浴衣着てたら毛づくろいなんて出来ないんじゃ?」
「ユタカでゴシゴシしたら綺麗になるニャ!」
どういう理屈だ?ユタカじゃなくてユカタだし。
俺は母親のほうを向いた。
「あのさ、こいつの浴衣の替えある?」
「あるわよ。たしかもう1着見つけたから。もう何着か買ってあげなきゃね」
「あ、私選びたい~!」
姉貴がウキウキと手を挙げる。
「じゃあ今度の休みに見に行こっか」
「いいね!」
また女二人で盛り上がってる。
それはともかく。
「こいつ風呂入れるけどいいよね?洗えば痒みも治ると思う」
「ミギャ!」と声がしてくろ丸が逃げようとしたので咄嗟に帯を掴んだ。
「いやニャー!お風呂いやニャー!!」
「こ、ら!風呂入れば痒いの治るぞ。体のペタペタも無くなるし、ふわふわでいい香りになるぞ」
「もう痒いの治ったニャ!ペタペタでいいニャ!やめてニャ!」
再びミーミー鳴きだしたくろ丸を引っ張って風呂場に連れて行く。可哀相だが毛づくろいが不十分なのだから仕方ない。
洗面所になんとか押し込み、扉を閉めて帯に手をかけた。くろ丸も帯を掴んで拒否する。
「いやニャ!やめてニャ!」
「ほらほら、いい子だから。帯を離せ。怖いことしないから」
「お風呂怖いニャ!溺れて死んじゃうニャ!」
「溺れないって。いい子にしてたらご褒美あげるぞ」
「おやつはいらないニャ!捨ててニャ!」
「そうか。じゃあ、おやつは捨てちゃおう。あと、もう今後ずーっとくろ丸と遊ぶのやめよう」
「えっ」
「じゃあ、バイバイ、くろ丸」
出て行くフリをする。もうこれで引き留めなかったら諦めるか。
グイッとシャツの背中が引っ張られた。
「バイバイいやニャ。遊ばないのいやニャ」
顔が今にも泣きそうだ。
「じゃあ、頑張れるか?」
「うん……」
「よし!いい子だ」
頭を撫でてやる。
くろ丸の気が変わらないうちに帯を解いた。浴衣を脱がすと、体が所々赤くなっていた。やっぱり体も結構痒かったんじゃないか?
爪で引っ掻いたのか、血が滲んでカサブタになっているところもあった。可哀相に。
「ごめんな、気付いてやるのが遅くなって。もっと早く風呂に入れてやれば良かったな」
くろ丸の目が涙に歪む。
「……ご主人様も入るニャ。一緒じゃないと入らないニャ」
「えっ、俺も!?いや、俺はあとで…」
「いやニャー!一緒ニャー!」
「入らないけど、洗ってやるから!」
「いやニャー!!」
抱き付いてきた。
……なに意識してるんだ、俺?同性だし!そもそも猫だし!
「よしわかった!入ろう!」
「わーい!早く脱ぐニャ」
「わかったから、シャツ引っ張るな!」
「ほら、くろ丸」
腕を引っ張ってなんとか浴室に入れる。ドアは閉めたが、くろ丸はドアに背中をピッタリ付けている。
「こ、こわいニャ……」
「怖くないぞ、ほらお湯温かいな~」
湯に手を付けて見せる。……でもちょっと熱いか?
「くろ丸、ちょっと指だけでいいから浸けてみ」
「……んにゃ……」
恐る恐る、人差し指を浸けて……ビビビッとくろ丸の全身が揺れた。尻尾もビッとなった。
「熱いニャー!!ニギャーー!!あああ!」
「ご、ごめんごめん!やっぱ熱かったな!ほら、水に浸けろ!」
蛇口から水を出し、くろ丸の指を冷やしてやる。
「うみゃー」
泣きべそかいてる。
「じゃあ、お風呂を水で冷やしてやるからちょっと待ってろ。指ももう大丈夫だろ?」
「……うにゃ」
浴槽に水を入れながらかき混ぜる。
うーん、まだかな?でもあんま入れると水風呂になっちまう……。
背中にピトッと肌の感触がした。
「!?」
振り向くとくろ丸がへばりついていた。
「まだかニャー?もう眠くなってきたニャ。もう出ていいかニャ?」
背中にくろ丸の胸がくっついている。肩にはくろ丸の顔。
「まっ、まだだ!さあ、もういいだろ。入るぞ」
動転して声がちょっと裏返ったかも。
くろ丸がまた震え始めた。
「うーやっぱりいやニャ。怖いニャー」
「ほら、手繋いでやるから。片足ずつ入れろ」
「無理ニャー!滑って転ぶニャー!……じゃあ、抱っこがいいニャ」
「は!?」
「抱っこしてくれたら入るニャ。抱っこじゃなきゃや!」
……だ、ダメだ。ここで押し問答してたら一生入らなくなるかも。
きっとこれからも入ってもらう必要があるだろうから、風呂を好きになってもらわねば。
「わかった。じゃあ、俺と約束してくれるか?抱っこして入ってやるから、今後も時々風呂に入ること。人間みたいに毎日じゃなくてもいいけど、ちゃんと嫌がらずに入るんだ。いいな?」
「うーん……」
考えてる。眉根に皺が寄ってて可愛い。
「約束出来るよな?」
くろ丸はコクンと頷いた。やった!
「じゃあ、ご主人様がいつも一緒に入ってくれる?」
「……あ、あぁ、まあ……いいけど」
どうせ入るんだから一緒に入るのは全然構わない、よな!
「やにゃの?」
「嫌じゃないよ!もちろん!じゃ、入るぞ」
「……うみゃ」
くろ丸と自分の体に軽く湯をかけて流した後、俺が先に浴槽に足を入れ、くろ丸が抱き付いてきた。
意識するな、意識するな。
「んにゃー怖いニャー……」
震えている。驚かさないように、ソッと浴槽に身を沈めていく。
浴槽に入れば入るほど密着度が高まる。しがみついて足を俺の腰に絡めて、胸、腹…それに尻。全てくっついている。
腹の下にあいつの袋の感触が……。
「……っ、あっ、んっ!」
しかも声が…。喘ぎ声っぽく響いて、犯してる気分になる。
「あ、あ、あっ!はぁっ、あつ、い!」
ちょっと、さすがにヤバイ!
12345!6789、10!
「はい終了!もう暖まったな?出ていいぞ」
急いでくろ丸を浴槽から出す。
うん、元気になってる、俺のムスコ。
さり気なくタオルで下半身を隠し(隠せてない気もするが)、くろ丸の長い髪を適当にまとめて上げると、まずは体を洗うことにした。
ヘチマタオルじゃ痛いかもしれないから、柔らかいタオルにボディーソープを付けて泡立てる。
くろ丸が不思議そうな顔で見ている。
「泡だぞ。触ってみな」
恐る恐るツンツンと触り、笑った。
「わー、フワフワニャー」
「だろ?これで体洗うからな」
そう言って、腕から洗い始めた。
首、胸、腹、足、背中、腰、尻尾。カサブタになってるところは取らないように、丁寧に。
「フニャー!!」
急にくろ丸が叫んだ。
「どうした?」
「はにゃが!はにゃが!」
見ると鼻の穴に泡が入っている。慌ててシャワーからぬるめのお湯で鼻を流してやる。
「ほら、フーンてしろ。鼻から息を出せ。吸うなよ」
「フニャーッ、痛いニャーッ」
鼻を他のタオルで拭いてやった。
「なにしてんだよ……」
「いい匂いだから匂いを嗅ごうと思ったニャ。そしたらはにゃに入ったニャ」
「今度から気を付けような。泡を吸い込んじゃダメだぞ?」
「うにゃ……」
中断してた体洗いを再開する。
一応、デリケートな部分だから……。
「くろ丸、チンチンとタマは自分で洗え。痒がってた肛門もな。入り口だけでいいから丁寧にな」
「うみゅ……」
泡を撫でつけてるだけに見えるが、ヨシとする。ガン見はしない!
だが、シャワーで流す直前に泡タオルで肛門を軽く擦っておいた。一応、痒がってたから念のため。
さて。問題はこれだ。このクソ長い髪。
世の女性たちはどうやってこの長いワカメを洗ってるんだ?まぁここまで長いのはなかなか無さそうだけど。
下向かせると顔にお湯が付いてパニックになりそうだし、上向きだと猫耳に入りそう。
心を決めて、まずは座った状態で長い髪と後頭部を充分に濡らす。
それから俺の膝に頭を乗っけてもらい、耳の中にお湯が入らないようにしながら前髪や前頭部も濡らす。
そして再び座らせ、シャンプーを泡立てて洗う。指の腹を使って丁寧に。
くろ丸にはタオルを持たせて、万が一、目や耳に入りそうになったら自分で拭いてもらう。
「ウニャー……気持ちいいニャ……」
「あんまり下向くと泡が垂れるから、ちゃんと前向け」
「うみゃっ」
しかし、首がコックリ。
なんとか必死で起こしつつ、シャンプーとコンディショナーを終えた。
仕上げに耳を軽く拭いてあげ、再び浴槽へ。今度は腕を支えてやったら自分の足で入ってこれた。
「偉いな、くろ丸!」
些細なことでも褒めたくなってしまう。これが親バカってやつか。
だが、浴槽の中でくろ丸は俺の膝に座って寄りかかってきた。俺の腕を握っている。
まだ怖いのかも。
「疲れたーー」
部屋に戻ると、ベッドにバッタリ倒れ込んだ。用意してなかった下着を取りに来たのでバスタオル姿だけど、ちょっとまずは休みたい。
人を一人風呂に入れるのがこんなに疲れるとは。
バタバタと階段を駆け上がる音がして、部屋にくろ丸が飛び込んできた。浴衣を着てはいるが帯を締めてなくて、前が全て見えてる。
「ご主人様ー!お風呂楽しかったね!」
そして自分の腕をクンクンしている。
「いい匂いニャ!ご主人様もいい匂い……」
クンクンと俺の肩も嗅いでいる。
「良かったなー、また入ろうな?」
ヨシヨシと頭を撫でた。
「うニャ!」
ゴロゴロと喉を鳴らしてすり寄ってきた。
……良かった。風呂を気に入ってくれて。
「くろちゃん!まだ帯締めてないわよ」
母親が帯を手に部屋にやってきた。姉貴もひょっこり顔を出す。
「ちょっと、お風呂出たばっかりでもう始めるの?」
「なにをだよ…なにも始めねーよ……」
まぁほぼほぼ肩から浴衣をずり下ろして懐いているくろ丸と、バスタオルを腰に巻いただけの俺だから、知らない人が見たらそう思われるかも。だが姉貴、お前はダメだ!
「それにしてもさあ、ナオ。お風呂場の声結構響いてたね?」
ギクッとなる。
「そうねえ、ご近所さんにくろちゃんの叫び声が聞こえてないといいんだけど」
くろ丸に帯を締めながら母親が若干深刻なトーンで言う。
「入る前の叫び声もそうだけど、入ってからの喘ぎ声?あれもすごかったね。お父さんさすがに困ってたよ」
いやはや、マジで!?確かに風呂場は声が響く。
今後は気を付けねば……。
その日の夜は、背中にベッタリくろ丸にくっつかれて寝た。ますます俺に懐いたようだ。
風呂作戦が失敗したら逆の展開になってた可能性もあるわけで。成功して本当に良かったと思う。
くろ丸に嫌われたくない。本当に可愛くて愛おしい。
でも、人と同じように愛したらダメだと思う。人のように愛してしまったら、いつか体も欲しくなるから。
姉貴はああいう性格だから茶化してくるけど、実際、ペットと致すのはこの世界でも異常だろう。あくまでも、くろ丸はペットとして可愛がらねば。
……あーあ。俺、欲求不満なのかも。彼女でも作ったほうがいいかなぁ……。
簡単に出来たら苦労しないけど……。
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