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第2章 第10話
「はぁ、はぁ―――どうだった?」
『ふ つ う』
褒めてなんかやらない―――負けを認めたくない。その一心で吐き出した声の形を、スリジエは正確に理解したらしく「そんなぁ」と間延びした声を上げた。
なんだか、とても嫌な気分。素直になれないジラソーレ自身にも、腹が立つ。
ダフネの見たことない表情を引き出して、長年築いてきた立場も取られたら、このサーカス内においてジラソーレの存在価値がなくなってしまう。
また不要だと切り捨てられるのだろうか。感情と思考が嫌なざわつきで、ジラソーレを支配しようとしている気がする。それらを誤魔化すように、両腕を抱いた指先が白むくらい力を入れた。
「あら、やってるわね」
テント内の落ちた空気を、艶めかしい女の声が拾う。スリジエとジラソーレの視線が声のした方向―――入口へと向いた。
青みがかった黒髪を揺らした女性―――サクラが腰に手を当てて、姿勢よく立っている。服装は整備施設で会った時と変わらず、ウォーキングドレスを身に纏っていた。
「どうも、こんにちは?」
スリジエが困惑を滲ませながら挨拶をする。どうやら自己紹介をしていないせいか、彼女の名前が分からないでいるらしい。サクラもそれを把握しているのか、小さい歩幅でスリジエに近寄り、握手を求めた。
「ええ、こんにちは。自己紹介しましょうかね―――サクラ。ロッシ・サクラよ、よろしく」
「よろしく、美しい人。僕はスリジエ―――サクラさんは本名なんだね?珍しい…よね?」
彼女の微笑に呼応するように、スリジエもまたにっこりと笑いかける。
「ええ、本名よ。このサーカス団のメンバーは名前が分からない者や少しグレーの人間もいるから、基本的に偽名なの。私は違うのだけれど」
「どうして?」
「私は貴族の出なの。しかも大道芸で有名なロッシ一家、聞いたことないかしら?今は修行も兼ねてこのサーカス団に身を寄せているのよ」
「あー、薄っすらと聞いたことがあるかも?ごめんなさい、僕、結構閉ざされた環境にいたから無知なところがあって」
頬を掻きながら気まずそうにエメラルドの視線を下げると、サクラは彼の感情を掬うように首を横に振った。ふわりとサクラの黒髪が揺れる。
「気にしないで。大道芸に興味がある人じゃないと、なかなか耳に入ることもないから―――それよりも二人にユーリさんから伝言よ、ベッドが届いたらしいからテントに運び込むように、だそうよ。本当はダフネに伝えられていたのだけれど」
「あれ、そういえばダフネさんは?一緒に居ましたよね?」
ダフネの名前が聞こえて、ジラソーレの身体がピクリと跳ねた。
スリジエの疑問に「ああ」とサクラは相槌を打つ。赤く囲んだ唇が、少しだけ不満そうに言葉を刻んだ。
「一緒に居たけれど、どうにもユーリさんに用があるって、私に伝言を残して消えちゃったのよ。本当は朝に伝える予定だったけれど、忘れてたからって―――本当にあり得ないわ、あのろくでなし!」
「あはは…、本当だよね。こんなに綺麗な人を放置しておくなんて―――それじゃあ僕たちはその伝言通りに動こうと思うよ。ありがとう、サクラさん!」
面倒な愚痴に付き合わされる予感がしたのか、スリジエは早々に話を切り上げて、舞台の端に座り込んでいたジラソーレのもとへと駆けた。そしてジラソーレの腕を掬うように掴んで―――二人で駆ける。
きら、きらと目の端でサーカスの照明がちらついた。背後からサクラの戸惑いの声が聞こえるが、先導するスリジエは黙っている。
あとで彼女から怒られなければいいけれど、そんな不安を抱えながら、ジラソーレは全く同じ歩幅で走る金髪の彼を見やった。
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