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第1話 邪魔すんな

 抜けるような青の下、真っ白な羽に包まれて、レイは眠っていた。  ここ最近は、仕事らしい仕事もないままに穏やかに日々は過ぎて行き、レイがすることといえば、この広い雲の上で太陽の光を浴びて惰眠を貪ることくらいしか無かった。 「はーあ、つまんねえな」  ヤンキーさながらに肩肘をついて寝転がり、あまりの退屈にウトウトとし始める。眠っては起き、起きては眠り。他の忙しい天使たちの勤勉さに涙が溢れそうになるほどに、レイの姿はだらけきっていた。  これでも元々はとても多忙で、少し前までは毎日のように人間から呼び出しをかけられ、一日でも長く生きたいんだという願いを叶え続けていた。そのうちに、人間が自らの力で寿命を伸ばし始めると、途端にレイの存在は軽んじられ、そんな人間を疎ましく感じ始めたレイは、いつの間にか仕事場を離れて眠るばかりになっていった。 「レイ。起きて」  そんな彼の穏やかな日常を壊す客を連れて、あの声がやって来た。甘い笑顔を讃え、優しさを通り越したお人好しがかけてくる、悪魔のカラの声だ。だらけきって自堕落な生活を送る天使のレイを、優しすぎるしっかり者の悪魔のカラが、いつものように柔らかく誘い起こす。  カラは、真っ白な翼で体を覆ったまま変わらずに眠り続けているレイを、ふわりと抱え起こして運んでいく。彼を包む黒い羽とすらりとした体躯のカラは、細身だが魔界一の力持ちで、戦術にも長けている文字通りに最強な人物だ。歩くと起こる衝撃をものともしない筋力が、腕の中のふわふわに伝われないようにそれを和らげてくれており、さながらゆりかごに揺られるような心地よさに、レイは再びうとうとと微睡み始めた。 「ほら、起きてよ。お客さんだよ」  カラはレイをカウチに横たえると、目が覚めるようにと顔を冷たい水に浸した布で軽く拭いた。その刺激にようやく「んー」と軽く唸りながら、レイはようやく目を開いた。 「ほら、しっかり目を開けて。半世紀ぶりのお客様だよ。どうやら熱心に願い続けていたらしくて、亡くなった瞬間にここへ飛ばされたみたいなんだ。話を聞いてあげて」  ふああと大きなあくびと伸びをして、レイはようやく体を起こした。そして、面倒くさそうに顔を顰めて大きく息を吐き出した。 「えー、新人さんなの? 厄介だな……死んでる自覚はあるわけ? そこから説明するのは、ちょっと面倒だなあ」 「大丈夫だよ。仏教徒だからさ、どうやらあの、インドウっていうの? を、ちゃんと渡されたみたいだよ。だからちゃんと死んでる自覚はあるみたい」  そう答えながら、カラはレイの髪を丁寧に梳き、サイドを掬い取って綺麗に編み上げていく。それを後ろで一つにまとめると、囲まれた部分にはきらりと艶の輪が光った。そして、その艶の上部には、本物の天使の輪が輝いている。ピカピカと数度明滅しながら、レイに対して「ちゃんと仕事しろよ」と告げていた。 「はーあ、客が来ないと暇だけど、来たら来たで面倒だなあ」  カウチの上で真っ白な装束を身に纏ったレイは、ようやく上品に座るのかと思いきや、大股を開いて片膝を立てている。初めの頃はこのスタイルを注意こそされていたが、今では誰もがそれを見ても「レイらしいね」と微笑む程度にしか気にしなくなっていた。 「カラ、新人さん呼んで来いよ」  そう言いながら、アゴで魂が現れる水瓶を指した。そう、ここは天使が悪魔をアゴで使うという、とても珍しい場所なのだ。 「新人さん、こちらですよ。ホラ、僕の手を掴んでください」  ここは真っ青な空が広がっていて、まるで日中のようではあるが、人間界での時刻は、午前二時。日本では、所謂丑三つ刻と呼ばれる時間にあたる。カラが声をかけながらカウチの一段下にある水瓶に手を伸ばすと、中から一人の青年が現れた。 「ぷはっ! 死んでも水が鼻に入るといってえんだけど!」  そう言って男は鼻を押さえて悶絶した。  見かねたカラが男の前で手を振りかざすと、ゴウと音を立てて小さな熱風が巻き起こった。男は突然現れた炎に巻かれ、驚愕しながら「あっちー!」と大声をあげると、手足をバタバタと動かしてその火を消そうともがく。 「おい、心配すんな。もう消えてるから。熱くない、熱くない」  ひとしきりその姿を堪能した後に、レイが男にそう声をかけると、「え? ああ、本当だ」と恥ずかしそうに頭を掻く。その仕草は、がっしりとした体躯の割にはとても可憐で、レイは思わず目を奪われた。 「なあ、お前、ちゃんと死んだ自覚はあるのか?」 「え、嘘だろう? お前がレイなのか?」  男は驚いたらしく、レイの問いに答えずに目を大きく見開いて後ずさった。レイは、また下級天使どもが、適当なことを言って人間を驚かせていたのだろうと思い、長いため息をついた。 「俺がレイだ。近づくと食い殺されるだの、手が触れると淫魔にされるだのと、適当なことを言われたのか? 心配するな、そんなことに興味はない。俺の仕事が何なのかは聞いてきたのだろう? 一つだけ願いを叶えてやる。まあ、精査はするがな。だから、さっさとはっきりすっぱり教えろ。お前の心残りはなんだ?」  男は、レイの言葉を聞き終わるや否や、彼の座るカウチに飛び掛かると、その手元にある純白のドレープを掴んだ。そして、悲痛な面持ちでレイへ懇願し始める。 「なあ、頼むよ。俺は地獄に堕ちてもいいから、唯人(ゆいと)を死なせないでくれ。あいつを守るために、俺は死んだんだ。それなのに、このままじゃ俺の後を追って死んでしまうかもしれない。俺はそんなのは嫌なんだよ」 「……唯人というのは、お前の恋人のことか? それに、お前。願いを言う前に、まずは名前を名乗れ」  レイが願いを言えと言ったからそうしたのだと言いたげに、男は不服そうにレイを睨みつけた。レイもレイで、その自覚があるらしく、素知らぬ顔で視線を逸らしている。 「……なんかムカつくな。でも仕方ねえか……。俺は、睦貴(むつき)米川睦貴(こめかわむつき)。唯人を……岩部唯人(いわべゆいと)を守ってくれ」  レイはそれを聞いて、ピクリと眉を震わせた。その言葉に、何か面白くないものが含まれているようだ。睦貴に向かってその白くて大きな手を翳すと、鬱陶しそうにそれを左右に振った。 「あー、悪いがそれは出来ん」  レイの言葉を聞いて、睦貴は絶望の色に顔を染めた。そして、再びレイへと詰め寄ると、胸ぐらを掴んで叫び声を上げた。 「なんでだよ! あんた、寿命を操れるんだろ? そう聞いてきたんだ。唯人の命を長らえさせてくれたらいいんだよ。それくらい出来るだろう? 俺はどんな罰でも受けるよ。条件はそれで満たせるんじゃないのか?」  睦貴は唯人が余程大切なのだろう。天使であると言うことがわかっていながら、噛み付くようにして訴え続けている。ただし、もちろんレイは天上の人だ。そのような態度をとり続けて良いわけがない。  突然、レイの声が目の前のその口からではなく、空の高い場所から響き渡るような音に変わった。晴れ渡っていた空は、灰色の雲を連れて来る。その向こうに、膨大なエネルギーを含んだ恐ろしい竜の鳴き声が響き渡っていた。 「……岩部唯人は死にたがっている。そんなやつを、なぜわざわざ救わなければならないんだ? 唯人はお前にとって大事なやつなんだろう? それなら、そいつの決めたことを尊重してやったらどうだ? 邪魔をしてやるなよ」

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