2 / 2

第2話 エリアと担当

「で、でも、天使とか悪魔がいるってことは、ここでは自殺は御法度だろう? そういうことだろう? だったら、それを止めるっていう行為は歓迎されるんじゃ無いのか? むしろ積極的にやろうとすることだろう?」  睦貴が問う声を聞きながら、レイはさらに煩わしそうな顔をした。そして、同時に睦貴が怯まないことに対して大いに関心を抱き始めた。怒りの竜はまだ髭をビリビリと嘶かせている。大体の人間は、この状態が続くと恐怖で倒れてしまうものだ。それにも関わらず、睦貴はレイにまだ食ってかかろうとしている。 「お前、負けん気が強いな。だが、それは人間同士で話す場合だけにしていた方がいいぞ。ここでそんな態度を取ろうものなら、たちまちのうちに燃えかすにされてしまうと思っておけ」  その様子をじっと見ていたカラが、二人の間に入るようにして睦月の手をそっと握り込んだ。 「いっ……!」  カラが触れた先から、まるで手に通電されているかのように、痺れが起きる。それでも叶えたい願いがあるからと睦貴は意地になって平静を装い、その場にとどまろうとした。  痛みに耐えたまま、レイの顔をぎりっと睨み続けていると、彼は睦貴をじっと観察するように見ていることに気がついた。その目に込められている感情は、幾重にもガードが張られていて、よく読み取れ無い。何を見ているのだろうかと訝しんでいると、突然自分の手から煙が巻き起こり、睦貴は目を剥いた。 「うわっ! なんだ、これ……」  睦貴は慌ててカラの手を離すと、自らの手の様子を確認しようとして手を返した。すると、ところどころに小さく火傷をした痕が見られる。どこで火が巻き起こったのかがわからずに、睦月は狼狽えた。  もちろん、水瓶からこちらへと出てきたくらいだから、現世から火を持ち運んだわけではないだろう。そして、ここで火に触れたとしたら、乾かすためにカラが浴びせた火気くらいだ。  ただし、あの時は睦貴に向かって火が飛びかかってきたのを祓いはしたものの、火傷をするほどのものではなかったように見えた。では、これは一体いつできたものだろう。 「もしかして、レイに無断で触ったから?」  睦貴がそう独言ると、カラがぞわりとする冷えた声で「そうですよ。私のレイに危害を与えることは許しません」と言った。その笑顔の冷たさに、睦貴は思わず「ひっ……ご、ごめんなさい」と悲鳴にも似た声で謝り、涙を浮かべた。  レイの怒りは睦貴にとっても恐ろしいものだったが、カラの怒りはそんな言葉では足りないほどに、生命を脅かされそうなものを感じるようだ。それを受けるだけで体が震え、怯えた体は必死になって命が尽きないことを願った。  ただ、既に死んでいるのでそれは杞憂だ。それでも、それすら忘れてしまうほどに恐ろしいものなのだろう。それを見たカラは、満足そうに口の端をぐいっと持ち上げた。 「おやおや、大変ですね。大丈夫ですよ、泣かないで。ただの牽制ですから。勝手に触れないようにして貰えば何も致しません。ちなみにですが、この牽制はレイの位の高さには関係ありません。ただ単に、私が嫉妬するからダメなだけです。レイは、今は天使としては低ランクなので、敬わないといけないということでは……人間にはそうしていただきたいのですが、しなかったとしても、あまり大した罪にはなりませんので」  そう言って、にこりと笑った。  そして、再び睦貴の手を握ると、有無を言わせずに後ろへと下がらせる。レイの座るカウチの下、何もない冷たい大理石の畳の上に、睦貴は正座するようにと言われた。 「よろしいですか? くれぐれも、お静かに。レイはね、こんな形をしていますが、センチネルなのですよ。遠見や透視、遠耳や速耳は天界の住人であれば、出来て当たり前の事ばかりなんです。だから、それ自身はなんの特技にもあたりませんし、なんの取り柄にもなりません。それどころか、他の者が何となくやれることをわざわざ意識しないと行えないという、デメリットしかありません。そして、消耗すればガイドの力が必要になるというところは、人間と同じなのです。不便でしょう? しかも、レイのパートナーは私です。なぜなら、天界にガイドらしき力を持った者はたくさんいても、レイにガイディング出来る者がいなかったからです。悪魔が天使に触れれば、それなりの代償が必要になります。ですから、出来るだけガイディングはしないようにしておきたいのです。わかりますよね? そのためにも、不用意にレイにお手を触れないようにお願いします」  そう言って睦貴をじっと見つめると、その両の目の奥に真っ赤な光を宿した。その光は、これほどの麗しさや優しさを持つ人物のものとは思えないほどに、凶暴な力を秘めた赤で、見ていると血が凍りそうなほどの危機が感じらるものだった。その一瞥が振ってきた瞬間、睦貴は思わずぶるりと身を震わせると、 「わ、わかりました! すみませんっ! 不用意に触れないようにします!」  と大声を上げ、減り込みそうなほどに額を床に擦り付けた。 「ご理解いただけたようですね。というわけですから、ほら、レイ。先ほどのお話、きちんと説明してあげて下さい。……煩わしいのでしょうけれども」  カラがレイの顔を覗き込むと、レイは睦貴に説明をすることを嫌がって独りでにストレスを溜め込んでしまっていた。驚いたことに、その顔は既にうっすらと青ざめ始めていた。  カラはそれに気がつくと、 「全くもう、あなたは困った人ですね。それほど身勝手なくせに、どうしてこうも繊細なのですか」  と零しながら、レイの足元へと跪いた。そして、純白のドレープをするすると手繰り寄せ、その下の奥の方へと潜り込んでいった。 「おい、カラ! ……人間の前でするつもりなのか?」  ほとんど寝てばかりいたからか、外部からの刺激に不慣れになっていたレイは、僅かなストレスすら耐えられなくなっていた。たったあれだけのことで、なけなしの精神力を使い果たしてしまったらしい。カタカタと小さく震えながら、耐え難い苦痛に飲み込まれてしまったようだ。  カラはそれを見て、ガイディングが必要だと判断したのだろう。それならば、潜り込んだ先ですることは決まっている。 「……だから見えないように、ここで私がさっさと終わらせます。レイ、いい子ですから、黙って喜んでいてくださいね」  布の向こう側から、モゴモゴと何かを口に含んだようなカラの言葉が聞こえてきた。レイは顔を顰めながらも「……頼んだ」と一言答えると、そのまま黙り込んだ。  睦貴は、話に聞いたことはあるものの、生きている間にセンチネルだのガイドだのに出会った事がなく、これから行われることが何であるのかを理解していなかった。そのため、目の前で繰り広げられていることがどういうことなのかさっぱり見当が付かず、何が起きているのかを素人して、食い入るように眺めていた。 「……睦貴。悪いけど目ぇ瞑ってくれ。弱ってしまったのは俺のせいだけど……。さすがに人間に痴態を晒すような真似はしたくねえ……っく、ン、あっ……」  睦月はレイのただならぬ様子に驚き、思わず立ちあがろうとした。ただ、同時にカラの忠告を思い出して踏みとどまり、その場からレイが無事であることを確認しようとした。 「……レイ? 顔が真っ赤だけど、大丈夫なのか?」  睦貴がそう問いかけると、だんだんと赤みの増す顔で俯いたまま。何度も首を縦に振った。それでも睦貴はレイを案じてじっと見つめている。耐えかねた彼は、必死に頭を持ち上げると大きな声を上げて言い放った。 「……だからっ! 目えつぶれって言ってんだろ! カラが抜いてくれてんだよ! 人間には見られたくねーの!」 「えっ? 抜い……えっ? っは、はいっ! ごめんなさい!」  睦貴はレイの声に再び滲み出た嘶く竜の姿に恐れをなしながらも、その回答に混乱した。とにかく見ないようにしなければと、両手で目を覆いつつ俯くことにした。そして、絶対に見てはならないと思い、いいと言われるまで俯いておこうと、体ごと地面に伏した。 「ン、あっ、はあ……」  目を塞ぐことに必死になっているため、耳には何もすることが出来ない。必死に見ないようにしてはいるものの、レイの甘い声と布の向こう側から聞こえてくる水音が、睦貴の体を刺激する。 ——ガイディングって、こういうことするのか? 天使って、性欲あるのか?  こんなことを考えても仕方がないと分かってはいても、あのレイがこれほど素直に喘ぐとは信じがたく、どうしてもそれを見たいという欲に駆られてしまった。ただ、見てしまうと今度は何をされるか分かったものではない。永遠の地獄へと堕とされるかもしれないし、願いを叶えてもらえなくなるかもしれないのだ。ここは黙って大人しく終わるのを待とうと思い、気を紛らわせるために話しかけてみることにした。 「あの、さっきの話なんですけれど……自殺を止めないと天界のルールに反するのでは? 黙って死なせたら、レイが罰を受けたりするんじゃ……」  レイはドレープの中で蠢くカラの頭を撫でた。そこから走る刺激に身を捩り、どんどん高みへと上り詰めていく。 「そっ、それ、は、俺のっ……しご、と……じゃ、ない……ふあああっ!」  律儀に睦貴の質問に答えながら、レイは体をびくりと震わせる。そのまま息を詰めるように言葉を失くしたまま、ぶるぶると震えた。それと同時に、カラの動きも止まる。数回ゆっくり布を波立たせると、口元を拭いながら外へと出てきた。 「ふう、やはり刺激に弱くなっていますね。私としては助かりましたけど。その辺の淫魔に狙われないように気をつけてくださいね、レイ」  狭く囲われた場所にいたカラも、真っ赤な顔をして額に汗を浮かべていた。立ち上がりそれを軽く拭うと、顔色が戻り緩んだ顔をしたレイを抱きしめる。その背中にレイが手を回してぎゅっと抱きしめると、二人の周りに金色の光の輪が輝き始めた。 「……はい、ガイディング完了です。もう大丈夫ですよね?」 「……あー。サンキュー……」  真っ青な顔をしていたレイの顔色は、元に戻るよりも赤みがさしていて、まだ愉悦の中から抜け出しきれていないようだった。カラはそんなレイの姿を見て、「やれやれ」と呟く。 「唯人さんの自殺を止めるという話ですが、レイの管轄外なんです。願いの管理に命を伸ばすということはあっても、生きる気力を与えるというものは別に担当者がいるんですよ。エリア違いということになりますね」 「エリア? 担当? ……まるで会社だな」  睦貴がそう溢すと、カラは 「まあ、ここの住人ですから。与えられた仕事をこなすという意味で言えば、人間が会社で働くのと変わりありませんよ」  と言って笑った。

ともだちにシェアしよう!