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第3話 カラの秘密

「じゃあその担当者に会わせてもらえないか? あいつを死なせないためなら、俺はなんでも……」  睦貴はカラに懇願した。柔らかな光を放つ白く艶のある床に額をつけ、何度も同じ言葉を繰り返す。目の前で判を押すような言葉を繰り返す睦貴にうんざりしたレイは、何かを諦めるような素振りを見せた。 「カラ。話をつけてきてやれ。俺は行けないから、頼んだぞ」  カラは驚き、レイへ向き直ると 「……いいのですか?」  と、何かを確認するかのように聞き返した。レイは無言のまま首を縦に振る。 「本人にその覚悟があるというのだから、いいだろう。無理難題を叶えようと言うならば、それ相応の覚悟が必要だとわかっているはずだ」 「そうですか? そこまでわかるほど気が回るようには見えませんけどねえ」 「いいから、行って来い。ベルに会うのは久しぶりだろう? お前、彼方に長時間滞在することを許されてないだろう? でも、仕事で行くなら話は違うはずだ。しっかり話が通じるまで、時間を使ってでも納得してくるんだぞ。いいな?」  レイの言葉を聞いたカラは、なぜか目を潤ませていた。そして、微かに震える声で 「ありがとうございます」  と呟くと、そのまますっと消えてしまった。 「ええっ? 消えた? 嘘、一瞬でいなくなった!」  カラの言う通り、睦貴はあまり賢そうではない。今のいままで唯人のことに必死になっていたはずであるのに、カラの瞬間移動に目を輝かせていた。自分がどういう状況にいるのかも忘れてしまっているかのようで、能天気だとしか言いようの無い姿である。  レイは一つ大きなため息をつくと、再びどかりとカウチに腰掛けた。そして、睦貴の目の前の空間を指で指し示す。睦貴がそれを見て、一体何をしているのだろうかと訝しむ暇もなく、ポンと音を立てて一人がけのカウチが現れた。 「えっ? 今度は無いものが出てきた! ま、魔法ですか?」  子供のように目を輝かせてはしゃいでいる姿を見て、レイは呆れたように大きく息を吐いた。 「お前さあ、俺が天使だってこと忘れてない? 魔法は魔法使いが使うもんだろう? 俺の力はほら……えっと……。あれ、これなんて言うんだ?」  レイはそう言ってやや考え込んでしまった。そもそも、無いものを捻り出すような力は、天使の力だっただろうかと疑問が浮かんでしまったのだから仕方がない。しかし、それよりも睦貴に伝えなければならないことがあることを思い出し、気を取り直そうとして大きく手を払った。無駄な考えをその動きで断ち切ろうとする。 「まあ、なんでもいい。とりあえず、座れ。お前に言っておきたいことがある」  睦貴もレイとカラの存在の明るさに忘れかけていたが、ここは煉獄への入り口だということをふと思い出した。天国へ昇るか地獄へ堕ちるかを決められるような場で、少々はしゃいでしまったことを恥じているようだ。小さく咳払いをすると、「失礼します」と呟いて大人しく座った。 「お前、唯人を死なせたく無いんだよな。今生きてくれていたら、生まれ変わって一緒になりたいから、自殺されると困ると言っていたな?」  カウチの肘置きに身を委ねるようにして、レイは睦貴へ問いかけた。その目は、睦貴の心の奥底まで見透かすような強い眼力を秘めていた。その前では嘘をつくことは出来なくなるような、畏れ多い願力だった。それでも、睦貴は先ほどまでと変わらず同じことを繰り返した。 「はい、死なせたくないです。唯人を死なせないためなら、俺はなんでもします」  その言葉を聞いたレイは、先程まで繰り返していた「断る」という否定の言葉を投げ付けるのではなく、物憂げな長いため息を返した。そして、痛みを堪えるように切な気な表情を見せると、 「それは例えお前の大切な唯人に、死ぬほどの孤独と苦悩を味わせることになったとしてもか?」  と問いかけた。その真摯な目には、一欠片の揶揄いも含まれず、代わりに乗せられていたのは濃く深い悲しみの色だった。 「俺にはわかる。愛するもののために命を投げ出されたとしても、残された者はその想いの強さに身を焼かれるだけで、永遠の生き地獄を味わうのだ。俺はかつてそれをこの身をもって味わった。それ以来、自分の存在があることに対して疑問しかない。自分がここにいることが許せないでいる」  そう語るレイの姿は、先程までの適当なヤンキーっぽさとは無縁の、高貴で畏れ多いものへ変わっていた。これはおそらく本来の彼の姿なのだろう。悪魔をアゴでこき使い、カウチでだらしなく昼寝をするものと同一だとは、とても信じられないような姿だった。 「お前にその痛みを教えてやろう」  レイはそう言うと、睦貴の顔の前に手を差し出した。手のひらを上に向けた状態で目一杯指を開く。その手の平からふわりと小さな光のかけらが舞い上がった。  それはそのまま僅かに上昇すると、直径一メートルほどの鏡のようなものへと姿を変えた。そこには、目の前の天使にコマ使いのように用事を頼まれた、あの悪魔のカラが写っていた。 「あの、これは……」  不思議そうな顔をした睦貴がレイに問うと、彼はとても愛おしいものを見る目をして微笑んでいた。その瞳の中には、見ているこちらの胸を突き刺すような切なさをも孕んでいた。 「これは、嘗てのカラだ。この頃は違う名だったはずだ。だが、もう俺たちにはその記憶は無い。消されてしまったので覚えていないのだが、それがなくても覚えていられないほどに、遠い昔の姿だ。睦貴、このカラには今のあいつと違うところがあるのがわかるか? 先に行っておくが、年齢の話ではない。それ以外でお前に気がつけることはあるか」  睦月はそう問われると、姿見のような世界にいるカラの姿をまじまじと見つめた。その姿は、人間で言うところの十代後半から二十代前半のように見える。陶器のような白い肌は、うっすらと桃色に染まっている。瞳は青く輝き、何よりもその全身が目をつぶされそうなほどに光り輝いていた。生き生きと瑞々しく、人間であれば健康そのもの。今のカラも美しくはあるのだが、それは妖艶という言葉の方が近いものであって、これほど眩しいものではない。 「目が潰れそうなくらいに輝いてますね……。あれ、そうだ。白く輝いてる……どうしてですか? カラの羽や髪は黒いですよね。それでも輝いてはいましたけど、こういう感じじゃ無かったです。悪魔ってこんなに白く輝くことって可能なんですか? 自分は辛くならないんですかね」  睦貴はそう言って、不思議そうに首を傾げながら、色々な方向から白く輝くカラを繁々と眺めている。しかし、どこをどう見てもそれはカラだった。ただ、その中でふと今のカラと決定的に違うものを発見した。それは、頭上に輝く天使の輪だ。 「あれっ? これ、天使の輪ですよね? どういうことですか? カラは天使だったんですか?」  レイは無言のまま睦貴の前に映し出されたカラの姿に、そっと手を触れた。その表面は先程のキラキラした粒子が集っているものであるため、触れた箇所はレイの指先にその粒子が吸い寄せられてしまい、カラの姿は僅かに崩れた。そして、流れを外れた粒子はパラパラと散ってしまう。その様相を見て、レイは眉根を寄せると、悲しげな声を絞り出した。 「そうだ。カラは天使だった。俺たちはボンドの契約を交わした、唯一無二の番。契りの日から永遠にパートナーとして存在していくと思っていた。でも、今はそれはもう不可能だ。カラは人間の願いを叶える途中で瀕死になった俺を助けるため、悪魔と契約を交わしたんだ。俺を助ける代わりに、あいつは地獄へ落ちた」 「レイを助けるために……? ガイディングじゃ足りなくて、悪魔に助けを求めたってことですか?」  砂状のカラを手で触れては壊し、レイはうっすらと涙を浮かべた。それを流れるままにして、 「そうだ。カラは堕天使。神を裏切ったため、天国へ戻ることは決して叶わない。俺たちは永遠に共に暮らすことは出来なくなった。ボンドの契約はまだ有効だが、交わるたびにお互いを壊すことになる。続ければ、お互いに消滅する道しか残っていない。だから、カラが堕ちて以降、俺たちは一度も抱き合えていない。その寂しさが、お前にわかるか?」  レイはそう言って、目の前にあるカラの姿を、その手で薙ぎ払った。ざあっと音を立て、空に散り散りになった粒は、悲しいくらいに光り輝いている。レイはその光を受けて、妖しいほどに美しく見えた。それでも、心だけが暗く沈んでいることは、睦貴にも伝わっているようだ。 「でも、さっき……」 「あれしか出来ないのだ。それ以上のことをすれば、俺たちはそのまま消滅してしまう。何より、愛しいという思いを持って抱きしめてはならない。事務的な接触は可能だけれどな。愛する者がそばにいるにも関わらず、好意を持って触れられないというのは、お前が思っている以上に地獄だぞ。皮肉なものだろう? 人間の願いを叶えながら、俺自身は心を地獄へ送られているんだ。お前は、唯人にそんな思いをさせたいのか? 自分だけが助かったところで、あいつは永遠にお前に触れてもらうことは出来ない。お前に、残されて孤独に耐えるだけの、この痛みが本当にわかるのか?」  レイは睦貴の目を射るように覗き込んだ。その瞳から愚かな人間へと送られるものがある。冷たく青く光る道が睦貴の目へと届くと、途端に彼は胸を掴んで疼くまった。 「あ、なんだ、これ……」  その胸の中には、身を裂くような痛みが次々と襲いかかっていた。鋭く入り込み、残忍にその心を壊し、鈍く痛みを残して行く。何度も繰り返されるそれが、だんだんと睦貴の膝を折って行った。 「うっ、やめ、て、くれ……」  頽れてもなお、白く冷たい石の床の上で蠢き、頭を抱えてのたうち回る。睦貴のその姿を見ていたレイは、 「辛いだろう、人間よ。人を思うこととは、決して押し付けであってはならない。たとえ辛くとも、運命を受け入れなければならないこともあるのだ。カラはその道を誤った。俺は誤らない。例えこの身が裂かれようとも、禁忌は犯さず、そしてカラへの愛も無くさないと決めている。お前はどうする。唯人へ、その思いを押し付けるのか? それとも、あいつの望みを受け入れるのか?」

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