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第4話 大罪人

「や、やめっ……」  白く輝く世界で、睦貴は撃ち落とされた羽虫のようにのたうち回る。レイはその姿をじっと眺めながら、なぜか指折り何かを数え始めた。 「睦貴、俺の話を信じるか?」 「うわあああ! 潰れるっ、体が、あっ!」  レイの問い掛けに答える余裕もなく、睦貴は苦しんでいた。あまりの苦痛に耐えかねて、舌を噛み切って死んでやろうかとさえ思ったのだが、よくよく考えてみると、自分は既に死んでいた。  試しに舌を噛み切ってみたが、痛みも無ければ血も出てこない。魂という存在である自分に痛みを与えることが出来るのは、レイがその権限を持っているからなのかもしれない。  彼がどうすればこの痛みから逃げられるのかがわからずに狼狽えていると、遠くの方に黒い影が見え始めた。それは猛スピードでこちらへと近づいて来る。 「レイ、何か……来る……」  痛みにのたうちまわりながらも、その異変を知らせなければならないと考えた睦貴は、力の入りにくくなった体から声を絞り出してレイにそれを告げた。 「はいはい。堕天使様のお帰りだな」  レイの言葉に睦貴がその影へと目を向けると、それは彼のいう通り、鬼の形相でこちらへと戻ってくるカラの姿だった。カラは、大きな翼をバサバサと音がなるほどのスピードと力強さではためかせ、何かに怒りを露わにしている。その姿は、まるで死神のようにも見えた。 「レイ! またあなたはしょうもない嘘をついて! ちゃんとコントロールする気はあるのですか?」  呆れたようにそう言うと、地へと降り立つ。そして、大きく一声咆哮すると、そのままの形相でレイの前に立ち、大鋸で彼を切りつけた。ざんっという、物質が断ち切られた音が鳴り響く。睦貴の目の前に、斬殺されたレイがごとりと頽れた。 「レイ! ……カラ、なんてことを!」  驚いた睦貴は、這いつくばったままカラの動きを止めようとして、その足に絡みついた。気がつくと、レイが与えた痛みと苦しみは、いつの間にか消えていた。 「レイ! なんの術なのかは知らないけど、それが解けたってことは、死んだ……あれ、天使は死ぬのか?」  そんな睦貴の目の前で、レイは真っ白なその体を自らの血の色で暗い赤色へと染め上げていく。倒れ込んだ体と、だらりと垂れた腕。その様子を見るだけで、彼が瀕死の状態であることは見てとれた。    カラはその様子を涼しい顔で見ている。特に何かを思うわけでもなく、なんの感情もわかないといった様子で立つ姿を見ていると、睦貴は言いようのない恐怖を感じた。 ——やっぱりこの人は悪魔なんだ。  そう実感する度に、睦貴は恐怖に神経を舐め上げられ、ぞわりとする。それでも、レイに向かって再び鎌を振り上げたカラを見ていると、これ以上の惨劇は見たくないと思ってしまい、カラの動きを封じなければならないと必死になった。  しかし、カラはそんな睦貴のことなどまるで目の前の虫ケラのように思ったようだ。鎌を振り上げると、無言でその手を薙ぎ払った。 「っぎゃああああ!」  振り上げられた鎌の先に、睦貴の腕が切り離されて飛んでいった。噴き上げる血とともに、焼けるような痛みが睦貴を襲う。少なくとも睦貴はそう思っている。 「う、腕っ! 俺の……あ、あああああ!」  自分がすでに死んでいることなどすっかり忘れたのか、腕の行方を嘆いては身を捩り、ごろごろと転げ回りながら叫び続けた。つまり彼は思い込みによって苦しんでいる。そんな睦貴の姿を見て、カラは苦笑した。 「はあ、やれやれですね。睦貴、あなたはもう死んでいますからね。今更腕を切られたところで、どうってことはありませんよ。ほら、レイ。あなたも起きてください。私たちが何をしているのかを、ちゃんと彼に説明してあげてください。いちいち思い込んで嘆く声がうるさくてかないませんよ」  カラはそう言いながら自分の顔に飛んで来た睦貴の血を手で拭うと、それをペロリと舐め上げた。そして、小さく一言「まあまあですね」と呟くと、真っ赤に染まったレイの様子を見流ために、その近くへと歩み寄る。 「……六六五。そうですか、ではあと一回で終わりますね。でもいくら今後のためとはいえ、先ほどのはちょっといただけませんよ。ほら、起きてください。見た目が悪いから、血も消して。早くしてください」  カラは、レイにはまるで何も起きていないかのように振る舞い続けている。睦貴には、それが信じられなかった。彼には今何が起きているのかが全く理解できず、ただカラの行動を呆然と見ていることしか出来ない。狼狽えるばかりの睦貴を尻目に、カラはレイの手を引いた。 「ほら、起きて」  カラは微動だにしないレイに口付けながら、彼を抱き抱えていった。身体中にベッタリと張り付いた血で真っ赤に染まっていたレイは、二人の唇が触れ合う度に、だんだんと元へ戻っていく。それとともに、レイの顔色も戻っていった。  睦貴がその変化に驚いている間に、レイは完全に元の状態へと戻ってしまった。 「レイ! ……良かった。いきなりカラが切りつけるから驚いてしまって……。大丈夫なんですか?」  睦貴はレイの無事を確認すると、目に涙を溜めた。そして、そのままレイにしがみつこうとする。しかし、そんな彼の行動をカラが先回りをして防いだ。 「睦貴、ダメですよ。レイには軽々しく触れてはなりません」 「あ、ごめんなさい。そうでした、さっき……」  天使であるレイには敬意を払えと、先ほどカラが言ったばかりだと言うことを思い出し、睦貴は申し訳ないと頭を下げた。しかし、どうやらカラが言いたいことはそういうことではないらしい。軽く被りを振った彼は、独占欲を滲ませた笑顔で睦貴へと言い放った。 「いえ、これについての理由は、実は先ほどとは違います。なぜなら、今ちょうどレイは天使としてはかなり下等なものへ成り下がりました。人を直接手助けするレベルなので、あなたが触っても大丈夫です。ですが、私が言っているのはそういう意味ではありません。私のものに触るな、そういう意味です」  そして、ニヤリと口の端を歪めて笑った。 「え? どういうこと……? だって注意されたのはついさっきですよ? なんでそんなに急にランクが下がったりするんですか?」  何も理解出来ないままで焦り始めた睦貴を見て、カラは呆れたように彼を見下ろした。 「……それはあなたが阿呆だからですよ。全く、あんな嘘を信じますか? とんだお人好しですね。あなたが信じなければ残りはもう二回になっていたかもしれませんから、阿呆で助かりましたけれども。助かりましたけれど、それすらなんだか癪に障ります」  カラはそういうと、忌々しげに睦貴を睨みつけた。そんな彼の様子を見て、レイは堪らずに吹き出してしまった。 「ふっ、確かにこいつはとんだ阿呆だ。だからちゃんと教えてやれよ、カラ。そして、それが唯人とともにいられる方法の一つだってことを、わかるまで説明してやれ。そうすりゃお前の善行の一つとしてカウントして貰えるだろう?」  レイはそういうと、満足そうな微笑みを浮かべた。そして、その美しく輝く長い髪を、手で優雅に後ろへと払う。その時、首元にチラリと数字が刻印されているのが見えた。そこには、真っ黒な文字で六六五と刻まれている。 「あの、それはなんですか? さっき六六五って言ってたけど、それのこと?」  睦貴はその数字を指差した。まるで刺青のように見えるが、どうやらそれは内側から滲み出ているもののようで、外側から誰かに施されたものとはやや違っているように見える。 「そうですね。あれは、天使であるはずのレイが、これまでに犯して小さな罪の数です。地獄へ送られては困るので、小さいけれども罪は罪というモノを重ねていってもらっています。あと一回で六六六。そうなると、彼は天国から追放されるんです。その意図は、もうわかりますね?」  カラはそう言って睦貴の顔を覗き込んだ。しかし、どうやら睦貴にはカラの言わんとするところは伝わっていないようで、ぽかんと口を開けたまま目を忙しなく動かしている。その姿を見て、レイはまた大口を開けて笑い始めた。今度は余程可笑しかったのだろう、自分の膝を叩いての大笑いだ。 「あっははははは! いや、わかんねーだろ、だって阿呆なんだろ? 直接教えてやんねーとわかるわけがねえよ。よし、睦貴。答えに誘導してやろう。俺はさっきなんで俺たちは一緒にいられないって教えたか?」 「天使と悪魔だから……でした。よね?」  あまりに阿呆と言われ続けたからだろうか。生きている間はそれなりに優秀だったはずの彼は、彼らの言いたいことが一つもわからなくなってしまっていた。  自分で判断するその全てに自信がなくなりつつあるようで、最後が言い切れていない。その姿に、レイはとても楽しそうに目を輝かせた。 「そう、それは正解だ。正確には堕天使だけどな。では聞くが、天使と悪魔はなぜ一緒にいられないんだ?」 「ええ? 俺、宗教にはそんなに明るくないんだけど……。神様が許してくれないから、でしょ? 確か」  睦月の答えを聞いて、レイとカラは同時に頷いた。 「まあ、そんなところだ。で、神が悪魔や堕天使を天国に置かない理由は、彼らが神に背いたからだ。神の意思に背くことは全て罪だからな。悪魔や堕天使は、神に背いた過去がある。だから天国へはいけない。だが、逆なら可能だ」  睦貴は、はっとした。なるほど、そういうことなのかと思い、その答えを叫んでスッキリしようと、大きく口を開いた。 「だから、レイは小さな罪を重ねて地獄へ堕ちようとしてるってことですか?」  子供のようにキラキラと目を輝かせながら派手な破裂音を立てながら膝を打ち鳴らし、ご名答と言われることを期待していた睦貴は、咆哮のような声で 「違います!」  とカラに怒鳴られてしまった。その剣幕に、思わず身を小さくする。 「ええ? だって、さっきそう言ってたじゃないですか」 「ここは煉獄です。私はずっとここにいます。地獄に行くには過去が清廉過ぎて、他の悪魔たちが受け入れてくれないのです。そのため、神からここへ止まるように言われました。つまり、私は今全くの孤独なんです。私以外にここに止まるものはいませんから。他の者たちは、ここは通り過ぎるだけの場所なんです」 「なるほど……。だから大罪じゃなくて小さな罪をちょうどいいところまで積み上げて来たんですね。天国からは追放されたい、でも地獄へ落ちるようなことはないようにっていう判断をしたということですか」  睦貴が手をポンと叩きながら二人に問うと、カラとレイは揃って頷いた。 「そうだ。やっと正解したな、阿呆」  睦貴に向かってレイはクッと笑った。そして、何かを確認するように、チラリと空を見やる。 「さて、睦貴。カラは先ほど、担当にここの住人が増える可能性を告げに行った。お前は本来なら人を助けるために命を落とした人間だ。天国へいくのがふさわしい。そして、今彼方からやって来ている人物は、どうやら自ら命を絶ってしまったようなんだ。自殺は大罪だ。地獄へ行かねばならん。そんなお前たちがともにここで暮らしていこうとするならば、どうすればいいと思うか?」  そう言って、空の高い位置から何かが落ちてくるのを指差した。  スッキリと澄んだ青い空の中を、黒い影が猛スピードで落ちてくる。そしてそれは、睦貴がレイと初めて顔を合わせた場所へと激突した。 「自殺? じゃあ、あれは……」  轟音と衝撃とともに白煙を撒き散らして落下してきたモノ。それは、睦貴が命と引き換えに守ったはずの、唯人の魂だった。

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