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第5話 選択肢

 白煙の中に横たわる唯人の前に、レイが歩み寄っていく。うつ伏せに倒れたままの唯人は、気を失っていた。  レイはその様子を確認すると、ふんと一つ鼻を鳴らしてその顔に手を翳す。 「睦貴、どうしたらいいかわかったか?」  唯人の顔に光をかざすようにしてレイは睦貴へと問いかけた。その手から溢れる光は淡いオレンジ色をしていて、見ていると不思議な幸福感に包まれていく。睦貴がそれをうっとりと見つめていると、突然後ろから大きな衝撃が襲って来た。 「うわっ!」  強い風に吹き飛ばされるようにして、睦貴は唯人のいる場所まで弾き飛ばされてしまった。振り返ってみると、真っ黒な羽をバサバサと羽ばたかせたカラが、眼光鋭く睨みつけている。 「いきなり何するんですか、カラ!」  打ち付けた肩を庇いながら立ちあがろうとすると、いつの間に移動してきたのかすぐ側にカラの姿があった。驚いてそちらへと顔を向けると瞬く間に更に間合いを詰められ、縦長の虹彩が眼力で全てを燃やし尽くしそうなほどに熱を溜めて眼前に迫っていた。 「ひぃっ!」  あまりに近くにある赤い瞳の力の大きさに、思わず心臓が跳ねる。怯えて後ずさっていく睦貴を、カラは呆れたように羽を羽ばたかせて睦貴を叩いた。 「……阿呆がぼーっとしているからでしょう。レイの問いかけは聞こえましたか? あなたたちが共に過ごすためにはどうしたら良いのか、わかってるんですか? 煉獄は長い時間止まれる場所ではないんです。気を抜くとすぐに然るべき場所へ飛ばされますよ!」  カラはそう言うと懐中時計を取り出した。正確にいうと、懐中時計のような形をした砂時計だったのだが、その砂は中心部でサラサラと滑り落ちては逆再生のように戻るということを繰り返している。  つまり、一向に砂は落ちていかないのだが、それはレイの慈悲だとカラは言った。 「この砂を落とさないようにすることも小さな罪になります。だから私たちはあなたに協力してあげられる。でも、それも限度があるんです。行きすぎると、レイが天使でいられなくなりますからね。ほら、わかったんですか? さっさと答えなさい!」  睦貴の物分かりの悪さに腹を立てたのか、カラはだんだんと堕天使らしい側面を見せ始めた。怒りが昂ると牙や爪が伸び始め、目は赤を通り越して黒へと近づき、纏う空気は徐々に重みが増していく。 「あっ……がっ……」  また逆鱗に触れた時のように体が潰れるように痛み、睦貴は言葉を発することが出来なくなってしまった。 「カラ、やめておけ。不要な脅しは罪になるぞ。睦貴が阿呆だと思うのなら、選択肢を与えてやれ。どうせ二つしか無いんだ。教えてやったらいいんだよ。それをお前の善行としてカウントしてやろう」  レイがそう言うと、カラはパッと表情を明るくした。それと同時に睦貴への支配が消える。カラにとって、善行として認めてもらうと言うことは、レイに褒められることと同義だ。  うっとりとした目で彼を見て、 「そう言うことなら、喜んで」  と答えた。 「睦貴、唯人はあなたのそばにいるためならなんでもする覚悟でいます。死んだあなたのそばに行こうとして自死すると、地獄へ行ってしまう。それを知っていてなお自死しているんです。何をしてでも二人でいようとするでしょう。煉獄に止まろうと思うなら、唯人に罪の償いをさせなければなりません。あなたは天国へ上がったふりをします。そして、唯人の善行をサポートするという仕事のたびにここへ降りてきます。つまり、レイと私と同じことをする。それが選択肢の一つです」  レイと同じと言われて睦貴が彼を見ると、レイは顎を引いていた。ただの人間だった自分が天使と同じことをするという。信じられないという思いと共に、ほんの少しだけ心が踊るのを感じた。  それと同時に一つの疑問が湧く。睦貴はカラの方へと向き直ると、それを確かめるべく質問をした。 「あの、そうすると生きてる時と変わらないくらいは一緒にいられるっていうことになりますか?」 「そうですね、そうなります」  唯人が罪の償いのために善行を積む間も自分が付き添っていられるのであれば、そうすればいいのでは無いだろうかと睦貴は考えた。  しかし、そんなに簡単な話であれば、ここにはもっとたくさん人がいるだろう。そうではないと言うことは、それほど単純な問題では無いと言うことだ。そう考えている睦貴へ、カラがそれを肯定する。 「ただ、そもそもの所属場所は異なりますから、あまり期間が長くなると二人とも魂が破壊されて消滅する危機を迎えます。出来るだけ早急に決められた数の善行を積ませてください」 「わかりました。でも、選択肢って言われたって言うことは、少なくとももう一つはあるんですよね。良ければ聞かせてもらえませんか?」  睦貴がカラにそう問いかけると、カラはサッと顔つきを変えた。引き絞られた表情には厳しい悪魔のそれが浮かぶ。 ——良い事じゃないんだろうな……。  それでももう一つの選択肢があるのであれば、知っておいた方がいいだろう。そう考えてカラの回答を待った。 「……共にいるために落ちるものを救う選択肢と対になるものといえば、昇るものを落とすという事になるでしょう? あなたが地獄に落ちるべきことをして、二人で共に堕ちるという事です。言ってしまえば、より簡単な手ですね。その分、代償は大きいですが」  そう言い放ったカラの目は、ギラリと鋭い光を宿していた。その姿は、いかにも残忍なことを好む悪魔らしいものに見える。睦貴がそう思っていると目の端でレイが眉根を寄せていることに気がついた。 ——レイ、辛そうだな……。  おそらく、二人はこの選択肢を最後の希望としているのだろう。出来るだけ二人で天へ還ることを望んで日々を過ごしてはいるが、最終的にはそうするしか無いのかもしれないという虚しさのようなものが、その表情から見てとれた。 「お前たちは二人ともミュートで、俺たちのバースのために役に立つこともできない。そうなると、直接的な手助けはしてやれなくなる。自力で罪を償い、ここへ止まって天へ昇るか、二人で地獄へ落ちるか。好きな方を選べ」  まるで未来の自分へ向けた言葉のようにも聞こえる。睦貴は、そんなことを言わせてしまっている自分たちの存在を申し訳なく思った。  しかし、その虚しさはつまり自分たちにも言えることである。希望の光のようでいて闇である選択肢に、睦貴はため息を零した。 「なるほど……。罪を償うにはタイムリミットがあって、出来なかったとしたら二人で地獄へ落ちるしかない、と」  地獄へ落ちるような罪を償うのだから、そう簡単なことでは無いだろうと思ってはいた。しかし、それにしても善行を積むという行為に唯人は耐えられるのだろうかという懸念が湧く。  生きている間の唯人は睦貴の知る限りかなりの甘えたがりで、少しでも苦痛に感じることがあればすぐに逃げ出すような男だった。  いつも睦貴の側にいたがり、自分の人生の目標ですらそのために変えていくような男だった。睦貴もそれを愛しいと思っていたので、それはそれで問題は無かったのだが、こうなってくると話は変わる。どうすれば唯人を正しく導いていけるのだろうかと、頭が痛くなった。 「こいつ甘ちゃんだからなあ。そんなに何年も耐えられるんだろうか」  それを聞いていたレイが、クスリと笑う。最初に出会った時と同じように、足を開いてカウチに座った。長い足に肘をつき嘲笑するような視線が睦貴へ向けられると、ゾクリと背筋が冷えていった。 「何年単位で済めばいいけどなぁ。基本的には百年単位でものをいうのがこっちの世界だぞ」 「ひゃ、百年単位?」  まだ死んでそう日が立っていない者には驚くべきことも、元々こちら側の者にとってはなんと言うこともないのだろう。さも当たり前のことであるかのようにレイは言う。  何百年も善行を積ませるようなことは根性無しの唯人には不可能ではないだろうかと思った睦貴は、彼を連れて地獄へ行くしかないのだろうかと諦め始めていた。 「でもなあ。地獄は正直、俺も耐えられる自信は無いし……」  そう言って黙り込んでしまった睦貴を不憫に思ったのだろうか、カラが思わぬことを口にした。 「あなたが良ければ、浄化という手もありますけれど……」  カラはそう言ってニコリと笑った。しかしその笑顔には、やや憐憫の情が含まれていて、睦貴はその意味が気になった。 「選択肢は二つじゃ無いんですか? それに、その表情はどういう意味ですか……」 「カラ!」  睦貴がカラを問い質そうとすると、レイが厳しい表情をしてそれを止めに入った。どうやらその三つ目の選択肢は、取るべきでは無いのだろう。レイの表情が、睦貴にそれをダメだと言っている。 「浄化は危険だ。お前だけが地獄へ落ちるか、下手をすると消滅する可能性だってある。考えてみろ、お前はなんのために煉獄へ止まろうとしてるんだ? お前だけが消えて唯人が納得するのなら、そもそもこいつは自死しているはずがない。これ以上、この男に孤独を味わわせるな。何度も言わせるな。誰かのためを思って消えても、それがその人を不幸にするならやるべきではない。魂が消滅してしまうということは、お前の転生はもう二度となくなるということだぞ。永遠に唯人は手に入らなくなるんだ。それでいいのか?」

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