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第20話 アオイとソラの物語

空が目を覚ますと、見覚えのないリビングにいた。 窓の外には、朝もやに包まれたマンハッタンのビル群がぼんやりと浮かび上がっている。 「コーヒー、飲むか?」 声がした方を見ると、肩まである長髪を一つに束ねたアジア人男性が、コーヒーを丁寧にドリップしていた。細長い目を優しく細め、空を見ている。 「えっと…あなたは…?」 空は驚きながら彼の顔を見つめた。すると、マーティンに見せてもらった写真を思い出す。アレンの隣で笑っていたあの顔だ。 「もしかして、チャンさん…ですか?」 「ああ。君は、アレンの息子の『大切な人』だろ?」 「えっと…親友です。」 チャンは、淹れたてのコーヒーを空の前のテーブルに置いた。挽きたての香りが、空の鼻をくすぐる。 「ありがとうございます。いただきます。」 温かいコーヒーがじんわりと体を温め、空の緊張した心をほぐしていく。チャンは静かに頷き、自分のカップにも口をつけた。 「…ここは、ニューヨークですか?」 「ああ。このフラットで俺たちは暮らしていたんだ。あの頃は、俺の短い人生の中で、かけがえのない宝物のような日々だったよ。」 チャンは遠くを見るような目で続けた。 「俺は、アレンのことが本当に好きだった。でも、それをちゃんと伝えなかった。形にもしなかった。アレンを縛りたくなかったんだ。自由にさせてやりたくてな。そのせいで、多くの人を傷つけてしまった。アレンに、ディーン、葉子…みんなが苦しむことになってしまったな。」 チャンは一息ついてから、空に問いかけた。 「君はどうだ?『大切な人』に、気持ちを伝えたか?」 「いえ…ただの片思いです。アレンさんとチャンさんのような関係ではないんです。俺が一方的に好きなだけで、葵は気づいてもいません。それでも、隣にいられるだけで満足で…。」 チャンは静かに微笑んだ。 「本当に大切なものは、失ってから気づくんだよ。」 「えっ?」 「君には、まだやり残していることがあるだろう?」 チャンの視線がリビングの扉へと向けられる。 「ほら、君を呼んでいる。その扉の向こうで。」 チャンは手を差し出し、空と握手をした。 「元気でな。」 「チャンさん…一緒に…」 空が思わずそう声をかけると、チャンは寂しそうに微笑んだ。 「俺はもういけないんだ。でも、アレンにはディーンがいる。だから安心しているよ。」 空は泣きそうになるのを堪え、「さよなら」と呟きながら扉のノブに手をかけた。 次に目を覚ますと、そこは病室のベッドの上だった。 空は腹部に何か重みを感じ、体を起こすと、泣き腫らした目をした葵が、自分の腹に頭を乗せて眠っているのが見えた。 「…葵?」 そのかすれた声を聞いて、葵がゆっくりと目を開ける。空の顔を見た瞬間、葵の目は大きく見開かれた。 次の瞬間、葵は飛びかかるように空を抱きしめ、そのまま唇を重ねた。 (えっ?!葵が…俺にキスを…?) 頭の中が真っ白になり、空は真っ赤な顔で固まってしまった。目の前には、葵の整った顔が近くにあった。 たっぷり10秒ほど経ってから唇を離すと、葵は大声で叫んだ。 「俺…空が好きだ!大好きだ!」 涙を流しながら、再び空の首にしがみつく。 その大音量の告白に、同じ病室の患者たちから優しい拍手が起こった。 「いいねぇ、若いって。」 隣のベッドのおばあさんが、にこにこしながら二人を見守っている。 空は、顔を真っ赤にしたまま、ぼんやりとした幸せをかみしめていた。 ずっと、ずっと好きだった。 この想いが届くことはないと、諦めていた。 でも、俺たちが関わった多くの人が、俺の思いを届けてくれたんだ。 アレンに素直な気持ちを伝えられずに逝ってしまったチャンさん。 奪うことでしか愛を表現できなかった葉子さん。 俺と同じように、ただそばで守ることで愛を貫いたディーンさん。 愛する人を守るために、自らの夫を犠牲にしてしまった小百合さん。 愛する人を奪われ、その復讐に生きたアレンさん。 みんな、不器用だった。 けれど、みんなそれぞれの愛の形があったんだ。

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