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第1話 トラックの好きな猫

  1 トラックの好きな猫  柿の木で蝉が一匹鳴いている。夏もじき終わる。  国分寺町(こくぶんじちょう)は旧街道を一本入った昔ながらの住宅地である。家々の間を繋ぐ舗装道路は二トントラックと乗用車がぎりぎりすれ違える幅しかない。片側にはアオキの生垣がある。繁ったその葉の一枚も落とさずに二トントラックを停車させた。 「特A」  にんまりするとシートベルトを外した。  宅配便は午前中の配達が勝負である。誰よりも朝早く出庫して滞りなく配達して来た。今日はまだ不在票も出ていない。なかなかいい成績である。  鼻歌混じりに運転席のドアを開けると冷房の効いた車内に温気が飛び込んで来る。小走りに荷台に回るだけで汗が吹き出すのを首のタオルでぬぐう。  制服の襟元に入れたタオルは女子事務員や学生バイトに評判が悪い。オヤジ臭い。アイドル顔のイケメンが台無し。だそうである。  けれど冬場は防寒になるし、夏はこうして汗を拭ける。その発想が年寄り臭いと言われるのは、あぐりがお婆ちゃん子だからだろうか。時に言葉が昭和っぽいと言われるし。  ほっとけ。平成生まれの二十代だ。  荷物を出そうとしたところに携帯電話が鳴った。 「はいっ! 足軽運送(あしがるうんそう)篠崎(しのざき)あぐりですっ!」  ご機嫌で語尾が飛び跳ねてしまう。 「うちの猫がおたくのトラックに乗って行った」 「はい?」  社用スマートフォンのディスプレイを見ると〝田上真生〟とある。朝一番に配達を終えた客だった。  本城(ほんじょう)駅裏に住むこの客は、あぐりの迷惑客名簿のナンバーワンである。  月に一度は親戚なのか同じ田上姓発送の荷物を届けている。けれど留守がちで再配送どころか再々配送、再々々配送と何度も足を運ばされ、揚句に荷物の保管期限を過ぎて発送元に送り返すことも稀ではない。  そもそも自分で指定した再配送日時に不在にするとは何事だ。  その迷惑な客がまた迷惑なことを言って来た。 「うちの猫は車に乗るのが好きで。前にも他の会社のトラックに乗って犬吠埼まで行ったことがある」 「犬吠埼は千葉県ですね」  と、あいづちが適当なのは配送順に組んだ荷物を片手で持とうとしているからである。 「都下のこの真柴本城市(ましばほんじょうし)から!  東京都内を縦断して!  千葉に入って!  犬吠埼まで行ったんだぞ!  トラックの荷台に閉じ込められて!  冬だったからよかったが今なら熱中症ものだ!」  って、センテンスごとに区切って言うな。 「さっき荷物を届けてもらってから姿が見えない。三毛猫だ。トラックの荷台に……」 「乗ってません」  即答したのは嘘ではない。荷台に身を乗り出しているが、猫の姿などどこにもない。  だが相手は高圧的に命令するのだった。 「一度の目視で済ませるな。何度でも確認しろ」 「何様だ?」と言いたいところが「うわっ!」と悲鳴に近い声を上げていた。  足元に違和感を感じて目をやると、三毛猫が脚にすりすり額を擦りつけている。思わず飛びのいて、 「いた……三毛猫」  呟いたのに聞こえたのだろう。 「捕まえろ! 今すぐ連れて来い」  腹の底に響くいい声である。  ……って、聞き惚れている場合か。  あぐりのこれまでの人生で猫は眺めるだけのものだった。犬なら幼い頃飼っていたが、猫に触れたことは一度もない。三毛猫はきょとんとこちらを見上げている。 「捕まえたか⁉」 いや、だから……。  スマホをそっと荷台に置いた。こわごわ三毛猫の両脇に両手を差し込み持ち上げると、 「うわっ? わわわっ!」  猫の身体というやつは、まるで餅のように伸びるのだった。 「どうしたっ⁉ リリカは無事か!」  荷台のスマホが叫んでいる。 「伸びたっ! 猫がみょーんて伸びて……キモッ! ぬるぬるする」  がっちり硬い犬の身体とのあまりの違いにゾッとする。  気がつくとアオキの根元からトラ猫がこちらを睨んでいる。額に〆印の傷跡がある巨大なトラ猫は、どことなくヤクザじみている。  因縁つけられたらヤバイ。必死で三毛猫を抱え込むと運転席に回り込み、ドアの中に放り込んだ。 「1013確保っ! 午前中の配送が終わり次第連れて行きます」  ちょっと刑事ドラマを真似て言う。途端に怒鳴り返される。 「今すぐだ!」 「配送中です。今は無理です。猫なんかのために……」  言いながらきょろきょろしているのは、巨大トラ猫に襲われないか用心している。 「なんかとは何だ! 年寄り猫だぞ。勝手に連れ出しておいて、何かあったらどうする⁉」 「連れ出したって……猫が勝手に乗っただけだろう!」  あっと思った時にはタメ口で言い返していた。接客対応・特AからCに降格。 「今すぐ連れて来い。篠崎あぐり! それとも本社にクレームするか?」  ぐりぐりと拳固で頭を押さえつけるような勢いである。普段から命令し慣れているような口調だった。 「今行く!」  完全に仇に対する物言いで、叩き付けるように電話を切った。ちらりと見たアオキの根元にトラ猫の姿はもうなかった。  朝一番に行った場所にまた戻るなどあり得ない。午前中の配送が遅れれば、午後の配送や集荷も順繰りに遅れて行く。昼休みに休憩室でゆっくり弁当を使う暇もないだろう。  客があぐりをフルネームで呼び捨てにしたのは、これまでに何度も発行した不在連絡票に記された名前を覚えたのだろう。それほど何度も再配送させられているのだ。  一方こちらは〝田上真生〟の読み方も知らない。たがみしんしょう? 何が志ん生だ! と毒づいても笑うのは婆ちゃんか叔母ちゃんぐらいなのも忌々しい。  力任せにアクセルを踏みそうなところを辛うじて抑える。運転だけは特Aを保持したい。  助手席を見れば三毛猫はちんまり丸まっている。実際のところ怯えているのか寛いでいるのか、あぐりには見当もつかなかった。

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