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第4話
「悪い、水しかない」
「水でいいよ」
ぐったりとソファにコートを着たまま座り込んだ日高。酒を飲んでいるのに青白い顔はいい兆候ではない。
「これ飲んでおけ」
「なに?」
「胃薬、ビタミンC、ウコン」
「飲んで大丈夫かな」
「他に何か飲んでいるのか?」
「錠剤の胃薬と鉄と、時々ロキソニン。朝に飲んだロキソニンが残っていたのかな」
「ロキソニン?」
「痛み止め」
快気祝い、回復、痛み止め。気に入らない。
「ビタミンCとウコンは大丈夫だろう。飲んですぐ寝たほうがいい」
日高はおとなしく水と錠剤を飲みノロノロとコートを脱いだ。ハンガーを二本手渡したあと箪笥をひっかきまわしてスエットの上下を引っ張りだす。
「これしかないけど、裸よりましだろう」
「結婚しなかった……んだね」
突然の問いかけに3年前の俺達がフラッシュバックのように蘇ってきた。俺が独立を計画しはじめてからギクシャクしだしたあの頃。「自分の仕事を辞めるつもりはないし、そもそも藤田が自分で始める店だろう?」そう日高に言われガッカリした俺は、その時日高と一緒にいつか店をやっていくという望みを追っていることに気が付いた。でも日高はサラリーマンを続けると事も無げに言い「お前の店だろう、俺には関係ない」そんな風に言われたように感じてしまった。
漠然とした「日高と一緒に何かできるかもしれない」という想いが断ち切られたような気がしたのだ。今にして思えばバカな考えだ。独立、日高との将来。そんなことに浮かれていたのだろう。
「俺は自分でやりたいと思えることを続けたい。旦那を支えてついていく、そんな相手が欲しいなら女と結婚すればいい」
そう言った日高に俺は言った。「そうだな、結婚もありだな」と。
ゲイである日高が口にしても冗談でしかない言葉だがバイである俺が言うと洒落にならない。
開店までの忙しさにかまけて日高との距離が離れていくに任せた。
開店の日、アレンジメントの祝い花が届いたあと日高からの連絡は途絶えた。電話にもメールにも返事はなかった。そのうち落ち着いたら逢いに行こうーそれが1ケ月、3ケ月、半年と積み重なることで逢いに行くタイミングを逃し、こないかもしれない返事を待つのも嫌だったから連絡をしなかった。
そして3年。
「藤田に電話しようなんて飲んでいる時は考えてもいなかったのに不思議だな。コンビニのレジに客が並んでいているから空いてから店に入ることにして腰を下ろしたら、藤田どうしてるのかなって。酔払いだから考えなしに電話しちゃったよ。悪かったな」
「どこか悪いのか?」
日高はネクタイをほどきながらクスリと笑う。
「いや、肩の腱が切れて手術しただけ。命の別状はないけど、病院行くと沢山同意書かかされる。万が一は覚悟の上です大丈夫です、みたいなのね。この薬を飲んだら、この治療をしたら何%の確率でこんな事態になったりします、とか。親や上司に保証人になってもらったり」
日高はワイシャツとTシャツを脱いで背中を向けた。
「たったこれだけの傷だっていうのに、酒もロクに飲めないし入院したせいで足腰弱った」
傷口の上には垂直の角度で何本もの細いテープが貼られていた。
「痛くないのか?」
「痛いに決まってる」
「酒はダメだろ、まだ」
「大丈夫じゃなかったからこんな有様だ。悪いけど、これ掛けてくれるか?」
スーツを脱ぎスエットを着た日高はベッドに向かいながら言った。人の世話を焼くのは苦ではない俺は、日高の世話を焼いたものだ。スーツをハンガーにかけ、食べ物を与えた。
甘えられたような気になって言われるままスーツを整える。ベッドに腰かけている日高の傍にいき、掛け布団をめくってベッドに寝かせた。
「一人は気楽だ。でもそれが幸せとは限らない。誰かと一緒にいるのは煩わしい、でもそれが不幸とも限らない。一人で意味もなく時間だけが過ぎていくのは虚しい。
命に関わらない手術ですと言われても万が一の可能性はある。なんだろうな……もし自分が死んだらって考えた時、藤田が知らないのは嫌だって思った。死ぬのはそう嫌じゃないのにな、可笑しいだろ」
俺はベッドにもぐりこみ日高を抱きしめた。何を言ってもつまらないことしか言えなそうだから。
「あったかいな」
「ああ」
「悪かったな……遅くに」
「いや、悪くない。俺のほうが悪かった。おかげで意味のない時間だらけの毎日だ」
「手術しなかったら、電話しなかったと思う。虫のいい奴だな、俺は」
「いや、電話嬉しかった」
日高の身体からふわっと力が抜ける。
「もう今日は寝たほうがいい。眠るまでここにいるから」
「藤田は変わらないな……おやすみ」
呼吸がゆっくりした寝息に変わるまで、俺はじっとしていた。腕の中にある体温に何故これほど涙がでそうになるのかと考えながら。
3年を無駄にした馬鹿さ加減と、もしかしたらこの存在が消えていたかもしれない現実。
失くした時間を後悔するよりも「今」を失って後悔することだけはしたくない。
「クリスマス、一緒に過ごさないか?」
明日そう言おう。額に手をやってゴシゴシこすりながら、プイと横を向くだろうか?
自然に浮かんだ微笑みとともに、形のいい額に唇を落とす。
目覚めた時に「おはよう」と言える、その毎日を取り戻そう――クリスマスを口実に。
ゆっくり目を閉じる。明日の朝を想いながら。
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