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04 いつものお兄さまじゃない!
ダイアナの意気込んだ声に対して、母は首を傾げて呟いた。
「もうそろそろって言っても、まだ半年も後でしょう?」
「もう半年しかないのよっ! 新しいドレスを準備しなくっちゃ間に合わなくなるわっ!」
そう言い返すと、ダイアナは思いを馳せるように両頬へと手のひらを押し当てて、うっとりと宙を眺めた。
「やっぱりドレスは、私の肌色にあう鮮やかな薔薇色がいいと思うの。それに今流行ってるのは肩が出ている形なんですって」
「そうかぁ。ダイアナだったらどんな色でも似合うだろうが、薔薇色は特に映えそうだなぁ。きっと咲き乱れる花よりも美しく華麗になるだろう」
父が相好を崩して同意を示す。前の人生でもそうだったが、父は一人娘にとにかく甘い。ねだられる度にドレスやアクセサリーを買い与えるから、ダイアナのクローゼットはいつだってパンパンの状態だ。
だが、母が困ったような声を漏らした。
「でも、ついこの間もドレスを新調していたじゃない。あの青いドレスは、まだ一回も着ていないでしょう?」
母の指摘に、ダイアナはバツが悪そうに視線を逸らした。皿の上のパンを小さく千切りながら、ダイアナがボソッと呟く。
「だって……ちょっとお腹のところがキツくなっちゃったんだもん」
そう言いながら、ダイアナがパンをもぐもぐと噛み締める。
「キツくなったって、先月買ったばかりでしょう?」
「でも、キツくなっちゃったんだからしょうがないじゃない」
母の呆れた声に、ダイアナが不貞腐れた様子で言い返す。すると、父がにやけた声をあげた。
「いいんだよ、いくらでも好きなドレスを作りなさい。お前は美しいのだから、とびっきり綺麗に着飾らなくては」
うんうんとうなずく父の姿に、ダイアナがパッと表情を明るくさせる。二人の様子を見て、母も仕方なさそうにため息混じりに呟いた。
「そうね……もしかしたらバンケットで、良いご縁もあるかもしれないものね」
良いご縁、という一言を聞いた瞬間、ニアは反射的に唇を開いていた。
「ダメだ」
らしくないほどハッキリとしたニアの口調に、一瞬家族の動きが止まった。三人の視線が自分に集まっているのを感じながら、頭を高速で回転させる。
ダイアナが第一王子に一目惚れするのは、何としてでも防がなければならない。それならばダイアナをバンケットに参加させないのが一番良いが、それは難しいだろう。王家への挨拶は、貴族の家族全員が行わなければならない。理由もなくバンケットへの参加を拒否すれば、王家への不服従と取られる可能性もある。それはダメだ。処刑から逃れるためにも、ブラウン家の印象を悪化させることだけは絶対に避けなくてはならない。それならばバンケットには参加させるが、ダイアナと第一王子の出会いを阻止するという方向で動くしかない。
目を丸くしてこちらを見つめている、ダイアナをちらりと眺める。鮮やかなエメラルド色の瞳が、不思議そうにニアを見つめている。その瞳の輝きを見ると、また目がじんわりと潤みそうになった。
目に入れても痛くないぐらい、可愛くて大切な妹だ。苦労をさせたくないし、辛い思いもさせたくない。だが、先ほどの会話を思い出す限り、やはり自分たちはダイアナを甘やかしすぎている。
欲しいものは絶対に手に入れなくては気がすまないダイアナ。そういう我が侭なところも可愛いとは思っていたが、前の人生ではそのせいで第一王子に執着してしまった。悲劇から逃れるためには、ダイアナの我が侭な性格を矯正させることは必須だろう。
それならば、妹を、家族を守るためにも――今この瞬間から、自分は鬼になる。
静かにそう誓うと、ニアは無表情のまま続けた。
「ダイアナに新しいドレスは必要ない」
ニアの唐突な宣言に、ギョッとダイアナが目を見開く。
「お、お兄さま、どうしてそんなことを言うの?」
ダイアナが戸惑った声で訊ねてくる。それも当然だろう。これまでのニアであれば、ダイアナが新しいドレスを買うと言えば「一着で足りるのか? あと二、三着は必要じゃないか?」と言ったり、下手したら「じゃあ、ドレスにあうネックレスは俺が買おう」なんて言って、追加でアクセサリーを買ってあげたりと甘々な対応をしてきたのだから。
目を丸くするダイアナをまっすぐ見据えて、ニアは言った。
「新しいドレスを買ったばかりなんだろう? それなら、それを着なさい」
「だから、それはキツくなっちゃったって……」
「なら、痩せなさい」
キッパリとしたニアの物言いに、ダイアナが口を半開きにしたまま硬直する。その手に握られたままのパンを、パッと奪って皿の上に置く。
「半年あれば痩せられるだろう。食べる量をすこし減らせばいい」
そう告げると、ダイアナはわなわなと唇を震わせた。
「ど、どうして? 前までお兄さまは『いっぱい食べるダイアナが可愛い』って言ってたじゃない」
「そうだな。いっぱい食べるダイアナは、とても可愛い」
「それなら……」
「だから、いっぱい食べるなら、それ以上に運動しよう」
ピタッとダイアナの動きが止まった。その表情が、どんどんイヤそうなものに変わっていく。
ダイアナは大の運動嫌いなのだ。フォークよりも重たいものは持ちたくないが口癖だし、汗をかくと髪の毛が乱れるから絶対に走ったりなんかしないと公言している。実際に前の人生でも、ニアはダイアナが走っているのをほとんど見た記憶がない。
「俺も一緒に運動するから、今日から毎日走るぞ。それから、筋トレもする」
筋トレの一言に、ダイアナが素っ頓狂な声を張り上げる。
「令嬢が筋肉をつけるなんておかしいわっ」
「何もおかしくない。健やかな心は、健やかな肉体が作り上げるんだ。俺は、これからお前をどこに出しても恥ずかしくない淑女に鍛え上げるからな」
「き、鍛え上げるって……」
「もちろんお前一人に辛い思いはさせない。俺はお前の三倍走って、十倍鍛える。だから、一緒に頑張ろうな」
一方的に言い切ると、ニアはナフキンで口元を拭ってから、ダイアナの肩をぽんと叩いた。途端、ダイアナがビクッと身体を跳ねさせる。
「よし、朝食は終わったな。じゃあ今から動きやすい服に着替えて、一緒に庭を三十周走ろう」
立ち上がるのと同時にダイアナの腕を掴んで、有無を言わさず椅子から腰を上げさせる。そのままずるずると引きずるように歩き出すと、ダイアナが泣き出しそうな声で叫んだ。
「お父さま! お兄さまが変っ! いつものお兄さまじゃないっ!」
そう訴えかけるダイアナの声に、父が困惑した様子ながらも口を開く。
「おい、ニア、それはちょっとやりすぎじゃ――」
「父さん」
父の言葉を遮って、ピシャリと声を放つ。目を瞬かせる父を見据えて、ニアはそのまま続けた。
「これからダイアナを不必要に甘やかすことは俺が許しません。ダイアナが欲しがるものを無闇やたらと買い与えたり、可愛いからってお菓子をあげたりしないようにしてください。何かをあげたいときは、必ず俺を通してください」
穏やかだった長男が突然スパルタに変わってしまったことが信じられないのか、父は唖然とした表情で言葉を失っていた。
父が役に立たないと悟ったのか、ダイアナが今度は母に助けを求める。
「お母さまっ! なんとか言ってよぉ!」
ダイアナの悲痛な叫び声に、母はあらあらとばかりに自身の頬に手を当てた。
「でも、ニアがそこまで強く言うなんて、きっと何か理由があるんでしょう?」
母の問い掛けに、ニアは深くうなずいた。すると、母はにっこりと笑顔を浮かべて、ダイアナへと向かって手を振った。
「運動するのは悪いことじゃないわ。頑張りなさい」
母に見捨てられたと悟ったのか、ダイアナは、うわぁあん、と赤ん坊みたいな泣き声をあげた。
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