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03 バンケット

   朝食の席は、とても和やかだった。家族で他愛もない会話を交わしながら、温かいスープやパンを食べることが途方もなく幸せで、ニアは何度も目が潤みそうになった。  つかのま悪夢を忘れて家族の団欒に浸っていると、父がゆで卵の殻を割りながらふと思い出したように訊ねてきた。 「そろそろアックスは手に馴染んできたか?」  その言葉に、ニアは湯気を立てるスープをスプーンですくったまま、ピタリと動きを止めた。過去の記憶を、ぼんやりと思い出す。  そうだ、確か十六歳の誕生日を迎えたときに、先祖代々受け継がれている巨大な斧がニアに渡されたのだ。自分の背丈よりも大きな斧は、もちろん十六歳のニアには扱えなくて、思い通りに振り回せるようになったのは前の人生では完全に身体ができあがった二十歳過ぎだった。だが、斧の重心が把握できている今なら、きっと以前よりも早く扱えるようになるだろう。むしろ、そうならなくてはならない。 「大丈夫です。すぐに馴染むと思います」  スープを一口飲んでからそう答えると、母が心配そうな眼差しで見つめてきた。 「ニア、無理をしてはダメよ。無理に振り回すと、怪我をしてしまいますからね」 「男が怪我を恐れてどうするんだ。騎士団に入るのなら、もっと身体も心も強くならなくては」  母の気遣いをはねのけるようにして父が言い放つ。途端、母が横目で父をねめつけるのが見えた。だが、父は母の冷たい視線に気付いていない様子で、朗々と言葉を続ける。 「我がブラウン伯爵家の当主は、みな騎士団に入団して王家に仕えてきた。巨大なアックスを振るって、王に仇なす者を屠(ほふ)ってきた誇り高き一族なのだ」  また始まったとばかりに、母とダイアナが目配せをして小さくため息をついている。  ブラウン家について語るときの父は、いつだって夢見る少年のように目をキラキラと輝かせていた。それだけ一族を誇りに思っているのだろう。  ブラウン家の男子は、みな十八歳になると騎士団に入るのが伝統だった。目の前にいる父もそうだ。王に深い忠誠を誓い、騎士団では団長を長く勤め、国境付近で隣国と小競り合いがあったときには見事敵軍を追い払うという功績を立てている。そして、四十を迎えた歳に騎士団を退団し、伯爵家の当主としての仕事に専念するというのがブラウン家の伝統だった。  ブラウン家の歴史について、どこか恍惚とした表情で喋り続ける父を見て、ダイアナがうんざりとした様子でスープをかき回している。こうなると父は、ブラウン家の歴史について一日中でも語り続けるのだ。  初代当主について朗々と話し始めた父に対して、母が水を差すようにチクリと呟いた。 「でも、貴方は『ロードナイト』には選ばれなかったじゃない」  母の容赦ない指摘に、父は一瞬で顔を曇らせて口をつぐんだ。それだけは父の弱味なのだ。  ロードナイトというのは、王の専属護衛のことを言う。騎士の中からたった一人だけ選ばれ、常時付きっきりで王をお守りする者のことだ。ロードナイトには、国一番の騎士という最上級の称号と誉れが与えられる。  父だけではなく、今までブラウン家の一族からロードナイトに選ばれた者はいない。そこが父にとって唯一の弱味なのだろう。ロードナイトという単語を出されると、途端にしょんぼりと落ち込んでしまうのだ。  肩を落とす父の姿を見て、ニアはとっさになだめるような声をあげた。 「仕方ないですよ。ロードナイトに選ばれるのはハイランド公爵家の人間と決まっているのですから」  ハイランド公爵家はブラウン伯爵家と同じく、長子は『王の剣』として騎士団に属するのがならわしの貴族だった。斧を振るうブラウン伯爵家に対して、ハイランド公爵家の人間は双剣を操るのが伝統だ。そして、いつだってロードナイトに選ばれるのはハイランド公爵家の人間だった。  ニアのなだめる声に、父はむしろ怒りを感じたように眦を尖らせた。 「そんな風に弱腰だから、ハイランド公爵からうちは『馬鹿力だけが取り柄の二番手伯爵』などと馬鹿にされるんだ!」  お馴染みの父の癇癪に、母が呆れたように小さくため息を漏らす。 「貴方、それは被害妄想ですよ」 「いいや、そんなことはない! あいつはいつだって私を見るとき、小馬鹿にするように鼻で笑っていた!」  あいつというのは、おそらくハイランド公爵家の現当主のことだろう。ちょうど父と同年代で、同時期に騎士団に属しており、実力も拮抗していたと聞く。だが、結局ロードナイトに選ばれたのはハイランド公爵の方だった。そのせいで父の中では、ハイランド公爵家というのはブラウン伯爵家の永遠のライバルのような存在として捉えられているらしい。 「ニア、お前はハイランドの息子に負けるんじゃないぞ! お前が次のロードナイトに選ばれるんだ!」  そう力強く叫ぶ父の姿に、ニアは曖昧な笑みを浮かべた。  残念ながら前の人生のときも、次のロードナイトに選ばれるだろうと言われていたのはハイランド公爵の長子だったはずだ。ニアよりも二歳年上で、第一騎士団に属しており、優秀な剣の使い手だと聞いた覚えがある。確か、次のロードナイトに選ばれるために第一王子から片時も離れようとしない金魚の糞みたいな奴だ、という噂も流れていた気がする。 「ニアは穏和な子なんですから、他人と争わせるようなことはしないでください」  ピシャリとした母の物言いに、父はまた落ち込んだように肩を落とした。その様子を見て、少しだけ申し訳ない気分になる。  実際、自分は穏和というよりも保守的と言った方がいい。他人と争って権力を手に入れるような野心家ではなく、決められた道をコツコツと堅実に歩むタイプだった。規則を遵守する生真面目さを評価されて第二騎士団では副団長に選ばれたが、周りから見れば自分は面白味のない堅物だっただろう。  だが、そういう性格だからこそ、前の人生では処刑から逃れられなかったのだろうとも思う。周りを恐れずに声を発する勇気や、決定されたことに抗う力、そして自分の後ろ盾になってくれる味方が足りなかったのだ。 ――前と同じでは駄目だ。家族を守るための力を手に入れなくては。  そう思うと、膝の上で握り締めた拳に力がこもった。手のひらの内側に爪が食い込むのを感じていると、不意にダイアナが不服げな声をあげた。 「お父さま、お母さまっ! そんなことより、先にしなくちゃいけない大切な話があるでしょ!」  ダイアナの意気込んだ口調に、両親は『なんのこと?』とばかりに顔を見合わせて首を傾げた。その仕草を見て、ダイアナがかすかに怒った声で続ける。 「もうそろそろブロッサムバンケットよ!」  ブロッサムバンケットという言葉を聞いた瞬間、卵をつついていたフォークの動きが止まった。 「ブロッサムバンケット……」  記憶を探るようにぽつりと呟く。  それは国の繁栄を祈って毎年春に開かれる、王族主催の大きなパーティーのことだ。正式名称はブロッサムバンケットだが、略称で『バンケット』と呼ばれることが多い。国の豊穣を現すように王城は色とりどりの花に覆われて、国土から集められた様々な料理が並ぶ。  そして、国全土からすべての貴族が城に集められて、豪華絢爛な宴が行われるのだ。前の人生ではニアも参加したが、人の多さと大量の花の匂いに酔ってしまった記憶しかない。  だが、唯一はっきりと覚えていることがある。  ダイアナが十一歳のときに参加したバンケットで、彼女は第一王子に一目惚れをしたのだ。 「花火が打ち上げられる直前に、偶然迷い込んだ温室でお会いしたの! 目があった瞬間にこの人が運命の相手だってわかったわ!」  第一王子との出会いを、ダイアナが鼻息荒く語っていたのを思い出す。  その後、ダイアナは両親に必死に頼み込んで、二年後に第一王子の婚約者の座を射止めたのだ。  悲劇の発端を思い出した瞬間、全身の筋肉が一気に強張るのを感じた。ざわざわとかすかな怖気が皮膚の下で蠢いている。

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