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19 極上の男
隣国との賠償交渉が終わって七日後、戦勝パーティーが城で開かれることとなった。そのパーティーの開催を決めたのは、ロキの母親である王妃だ。
「我が国の英雄である騎士団を賞賛する場を作るべきです」
王妃がそう一言口に出しただけで、すぐさま周りがパーティーの準備を進めていった。数多くの有力貴族に招待状が送られ、会場に並べられる料理のためにあらゆる地域から珍味や高級食材が集められる。唐突なパーティー開催のせいで、城内はてんやわんやの大騒ぎになった。
そうして、戦勝パーティー当日。
ずらりと服が並べられた衣装部屋で、ニアはフィルバートの着替えを手伝っていた。王族の礼服は細々とした装飾品が多いので、本来なら着替えを手伝うのはメイドの仕事だ。だが、フィルバートはとにかく自分の身体に他人の手が触れることを嫌がる。おのずと面倒臭い着替えの手伝いは、ニアがするようになった。
ニアが両手で持った白い礼服の上着を羽織りながら、フィルバートがうんざりとした口調で漏らす。
「折角毟り取った賠償金がこんなことに使われるとは馬鹿げているな。結局パーティーに参加するのは、ほとんどが貴族だろうが。爵位を持っていない騎士には招待状すら送っていないのに、なにが『騎士団を賞賛する』だ」
その愚痴を聞くのも何度目だろうか。王妃が戦勝パーティーを開くと決めてからというものの、フィルバートは地味にずっと苛立っている。最初の頃は、提出されたパーティーの予算案を見て、ビリビリに破り捨てていたほどだ。それでも開催を止めなかったのは、おそらくフィルバートの王妃との複雑な関係が理由だろう。
フィルバートの上着のボタンを一つずつ閉めながら、ニアは苦笑い混じりに呟いた。
「でも、第一・第二の騎士団長お二人はちゃんと参加されますし」
ニアの煮え切らない声に、フィルバートは皮肉るように口角を吊り上げた。
「その二人も居心地が悪いだろうな。敵陣を一網打尽にしたのは砲弾であって、自分たちは一歩も戦場に出ていないのに賞賛されるのだから」
そう言われれば、ぐうの音(ね)も出なかった。
黙ったまま、フィルバートの肩に王家の紋章が刻まれた肩章をとめる。黙々と準備を進めるニアを見て、フィルバートは呆れたように目を細めた。
「この戦勝パーティーは、お前の功績を隠すために開催されるんだ」
「俺の功績、ですか?」
「今回の戦闘は、お前が開発を進めた新型砲台のおかげで圧勝できた。だが、それが公然の事実として語られれば、お前の名声が高まってしまう。だから、お前ではなく騎士団全体の功績と大々的に知らしめるために、あの女はこんな馬鹿げたパーティーを開いたんだ」
物わかりの悪い子供に言い聞かせるような口調で、フィルバートが言う。その説明に、ニアはパチパチと大きく目を瞬かせた。
「俺の名声があがることが問題なんですか?」
「当たり前だ。お前は、俺のロードナイトだからな」
フィルバートの呆れ果てた声に、ニアは曖昧に眉尻を下げた。
「お前の人気が高まれば、同時に俺を支持する者も増えていく。それがあの女は気に食わないんだろう」
あの女、と忌々しそうにフィルバートが口にする度に、ニアは皮膚の温度が少しずつ下がっていくような感覚を覚えた。
フィルバートの礼服の肩から胸にかけて銀色の飾り紐をつけながら、何気ない口調で訊ねる。
「王妃様は相変わらずですか」
ニアの問い掛けに、フィルバートはありありと冷笑を浮かべた。
「そうだな。父が倒れてからは、行動が以前よりもあからさまになってきたな。ロキを支援する貴族を、露骨に集め回っている。俺に煮え湯を呑まされた貴族は多いからな、自分の傘下にいれば第一王子も迂闊に手は出せないとでも言ってるんだろう」
鬱陶しがるように、フィルバートが大きく息を吐き出す。片手で額を押さえるフィルバートを見て、ニアは潜めた声を漏らした。
「王妃様は、ロキ様を王座につかせようとしているのですね」
そう口に出した途端、ぞわりと腹の底がざわついた。
フィルバートとロキの父親である現王が倒れたのは、三年前のことだ。バンケットの夜に見たときにはあんなにも生気に満ち満ちていたというのに、一度倒れてからは眠ったまま目覚めなくなったと聞く。
王が倒れたと聞いたとき、ニアはひどく狼狽した。前の人生では、王が倒れるなどという出来事は発生していなかったからだ。自分の手から離れた場所で、前の人生とは違う事象がどんどん起こり始めていることが、言葉にならないほど恐ろしかった。
王が倒れてから、王妃はそれまでの静けさが嘘のように、精力的に貴族たちを自身の傘下に集め始めた。もちろん公言はしていないが、それはフィルバートを押しのけて、自身の息子であるロキを王座に付かせるためだと容易く想像できる。
今ではエルデン王国の貴族は、第一王子派と王妃派ではっきりと二分されていた。革新派な若い貴族たちはフィルバートを熱烈に支持しているが、保守派な古参貴族たちは王妃側に回っている。まだ表立った争いは起きていないが、ふつふつと足下で何かが煮え立っているような不穏な空気はずっと流れていた。
「暗殺者を送ってきたのも……」
言葉に詰まりながらもニアがそう囁くと、フィルバートは首を小さく左右に振った。
「証拠がない」
「ですが、動機は十分過ぎるほどにあります」
「それでも、証拠もなく王妃を潰すことはできない」
フィルバートの冷静な返答に、ニアは込み上げてきた憤怒を隠すこともできず、目尻を尖らせた。顔を怒りに歪めるニアを見て、なぜかフィルバートが安らいだように目元を和らげる。
「あの女は、元は小国の王女だったからな。我が国に嫁いだ後、あの女の祖国は反乱で滅びてしまった。だからこそ、どうしても『自分の国』が欲しいんだろう」
父も厄介な女をもらったものだ。と他人事のように呟きながら、フィルバートが犬でも撫でるみたいにニアの頭を撫でてくる。わしゃわしゃと頭を撫でられて、ニアは嫌そうに片目を眇めた。
「髪が乱れるから止めてください」
「お前は、こんなダサい髪型でパーティーに出るつもりか?」
唐突に漏らされたフィルバートの暴言に、ニアはピキッと身体を硬直させた。
「だ、ださい?」
「七三分けなんて成人前の子供がする髪型だろうが。それに服も、毎度樹木を煮詰めたような地味な色のものばかり着ているな」
容赦のない指摘が、グサグサと身体に突き刺さる。自身の身体を見下ろすと、ニアが着ている礼服は焦げ茶色と確かに地味な色合いだった。中に合わせているベストも臙脂色と、やや爺むさい気がする。
「前から思っていたが、お前はセンスがないんだな」
トドメとばかりに言い放たれた言葉に、ニアは唇をわなわなと震わせた。
「いっ、言い方が、ひどいです」
「事実なのだから仕方ない」
ニアが泣きべそをかいていると、フィルバートは何かを思い付いたように口元にニヤッと笑みを浮かべた。その笑顔に、また嫌な予感が走る。
とっさに一歩足を引こうとした瞬間、フィルバートの両手がガッシリとニアの腕を掴んだ。
「今度は俺が、お前の着替えを手伝ってやろう」
「俺はもう着替えてますっ」
首を左右に振りながら、じりじりと後ずさる。だが、後退するのに合わせてフィルバートが前に進んでくるから全然距離が広がらない。結局壁際まで追い詰められて、ニアは顔を引き攣らせた。
ニアの背を壁に押し付けたまま、フィルバートが品定めするように上から下までじろじろと眺めてくる。そうして、フィルバートは楽しそうな笑みを浮かべた。
「俺が、お前を『極上の男』に仕立ててやる」
そんなの結構です! とニアが叫ぶ前に、フィルバートの手によって強引に上着が剥ぎ取られた。
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