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33 心をなくした化物
翌日、夜が明けて間もない頃に、フィルバートとニア、それから騎士団の精鋭十名ほどは、王妃が住まう離宮へと向かった。王が住まう本城から少し離れた場所に建てられた離宮は、白くほっそりとした外観をしており、柳のような体つきの王妃にどことなく印象が似ている。
朝日が淡く射し込む離宮に立ち入るなり、中にいた使用人たちがギョッとした表情を浮かべた。明らかに武装したフィルバートやニアたちの姿を見て硬直する使用人を一瞥して、フィルバートが呟く。
「全員外へ出せ」
そう命じるなり、騎士たちが急いた動作で使用人たちを外へと追い出し始めた。その光景を視界の端に映しながら、どんどん階段を登って最上階へと向かう。
最上階の王妃の私室までたどり着くと、ニアは両開きの扉に手をかけた。だが、扉には鍵がかけられているようで開かない。
軽く後方を振り返ってニアが首を左右に振ると、フィルバートが扉に向かって声を上げた。
「マルグリット、扉を開けろ」
拒否を許さないというような、尊大な物言いだ。
マルグリットというのは、王妃の名前だったはずだ。敬称も付けずに呼ぶということは、すでにフィルバートが彼女を王族として認めていないという証明なのだろう。
わずかな沈黙の後、扉の内側から鈴が鳴るような声が聞こえてきた。
「あら、こんな朝早くに突然どうなさったのかしら? 私はまだ着替えもすんでおりませんので、人前に出られる格好ではありませんよ」
こちらをおちょくるようなのんびりとした口調に、フィルバートは淡々とした声を返した。
「お前の格好などどうでも良い。今すぐ扉を開けろ」
「あらあら、王子殿下はご機嫌斜めなのかしら」
からかうような声が聞こえてくる。フィルバートは表情一つ変えず、ただニアに視線を向けた。
「ニア」
名を呼ぶと、目線で扉を示す。その仕草を見て、ニアは短く「はい」と答えると、肩に担いでいた大斧を両手で握り締めた。途端、両腕にずっしりと重力がかかる。
フィルバートや騎士たちが後方に下がったのを確認してから、ニアは細く長く息を吐き出した。まっすぐ扉を見据えたまま斧の柄をキツく握り締めて、次の瞬間、一気に振りかぶる。身体の重心がブレないように一歩大きく前に右足を踏み出すのと同時に、ニアは扉へと向かって全力で斧を振り抜いた。
ドッと腕に強い衝撃が走った直後、扉が破壊される凄まじい轟音が響き渡った。斧が動いた軌跡にあわせて、分厚い扉に巨大な裂け目ができている。
叩き割られた扉の向こうに、ソファに腰かけたままこちらを見据えるマルグリットの姿が見えた。マルグリットは、部屋着であろうゆったりとした白いローブを着ている。
マルグリットの射るような眼差しを受けたまま、ニアは破壊された扉を無造作に足裏で蹴り飛ばした。途端、もう扉の形を成していない板がギィイィと軋んだ音を立てて左右に開く。
開いた扉の中へと、フィルバートが大股で入っていく。そのすぐ後ろにニアも続いた。
最上階らしく、天井が高く作られた部屋だ。広々とした部屋には調度品が品よく配置されているが、どうしてだか人間が生活している空気を感じられなかった。まるで芝居のために用意された、作り物みたいな部屋だ。
驚いたことに、部屋の中にいたのはマルグリットだけではなかった。ベッドの向こう側に、慌てた様子でシャツのボタンを閉めているハリー・ハイランドが立っていた。明らかにこの部屋で寝泊まりしている様子のハリーを見て、フィルバートが皮肉るように片頬を吊り上げる。
「私室に男を連れ込むとは、ずいぶんと大胆だな」
「彼はロードナイトですよ。王が倒れたので、代わりに私の警護をしてくれているのです」
平然とした口調で、マルグリットが答える。だが、その言葉にフィルバートは冷めた声を返した。
「王は、まだ死んでいない」
そう呟いた後、フィルバートはゆっくりとハリーを見据えた。
「誓いの言葉を忘れたか、ハリー・ハイランド。ロードナイトは王から決して離れない。お前の命は、未だ王のものだ」
言い聞かせるようなフィルバートの言葉に、ハリーはグッと言葉に詰まった様子で顔を歪めた。その渋面を見据えたまま、フィルバートが不意に嘲るような口調で言う。
「ここにいるのを見て、お前の妻が家を出て行った理由がよく解った」
その言葉に、ニアは思わずピクリと眉を動かしそうになった。そういえば以前、戦勝パーティーの夜にマルグリットに呼び出されたとき、ハイランドの妻の姿だけがなかった。それはすでに家を出て行った後だったからなのか。
フィルバートの指摘に、ハリーが隠しようもなく顔に怒りを滲ませる。
「妻のことは関係ありません。我が王のためにも、王妃をお守りするのが最善だと判断しただけです」
「その女が、王に毒をもった犯人だとしてもか?」
フィルバートの口から出てきた言葉に、ニアは心臓がドクンと大きく跳ねるのを感じた。事前にフィルバートから聞いていたとはいえ、やはり王妃が王を暗殺しようとしたという事実は衝撃的だ。激しくなる鼓動を落ち着かせるように、深く息を吐き出す。
ハリーはフィルバートの衝撃発言を聞いても、わずかに眉を顰めただけだった。その表情を見て、フィルバートが嘆息混じりに呟く。
「お前も共謀者か。王の命を守るロードナイトが、王の命を奪おうとするとは呆れたものだな」
フィルバートが肩をすくめると、途端ハリーがうなるような声をあげた。
「王子殿下は、王妃と私に濡れ衣を着せるおつもりですか。このような汚い手まで使って、我々を排除されたいのですか」
被害者ぶるようなハリーの言葉を聞いて、フィルバートはハッと鼻で笑った。
「汚い手だと? 裏切り者が舐めた口をきくな」
そう吐き捨てると、フィルバートは自身の胸元から一輪の花を取り出した。純白の花弁を大きく開いた美しい花だ。その花を無造作に床へと投げ落として、フィルバートが言う。
「ユリアナという花だ。よく知っているだろう」
問いながら、フィルバートがマルグリットを見据える。マルグリットは床に落ちた花をつまらなさそうに見据えたまま、何も答えない。
「根には神経毒があり、大量に摂取すれば心臓が止まって死に至る。だが、少量ずつ摂取させれば、ある一定量を越えたところで眠るように意識を失い、そのまま目覚めなくなる」
王に起こった症状と同じだ。と続けて、フィルバートがうんざりとした口調で呟く。
「一息に王を殺さなかったのは、俺を王位につかせないためか。王を眠らせている間に、自分とロキの地位を盤石にして、後継者争いでも起こすつもりだったのか。何にしても、お前がやったことは反逆だ」
フィルバートがそう言い放つと、床を見つめていたマルグリットの口元に薄っすらと笑みが浮かんだ。その人形のような微笑みに、一瞬ぞくりと背筋に悪寒が走る。
「なぜ、そんな恐ろしいことをおっしゃるのですか? 私がそのようなことをした証拠でも?」
柔らかな微笑みを浮かべたまま、悲しげな声で問い掛けてくる。その表情とちぐはぐな声音に、奇妙なおぞましさを覚えた。
怯えたように自身の胸元を押さえるマルグリットを眺めて、フィルバートが柔く目を細める。
「ユリアナは、お前の祖国だった土地でしか咲いていなかった花だ」
「それがどうしたのですか? それが私がやったという証拠になるとでも?」
お笑い草だとばかりに、マルグリットが首を斜めに傾げる。その余裕ぶった笑みを見ても、フィルバートは表情一つ変えなかった。
だが、フィルバートの次の言葉を聞いた瞬間、マルグリットの微笑みが一瞬で消えた。
「お前が生まれ育った城に行ってきた」
胸に当てられたマルグリットの指先が、一瞬ピクリと跳ねるのが見えた。
「廃城になって長いからか、中は荒らされてひどい有様だった。城になだれ込んだときに民衆が書き残したのだろう殴り書きが、城内の壁の至るところに残っていたよ」
表情を消したマルグリットを見据えたまま、フィルバートが言い放つ。
「邪神に魂を売った獣(ケダモノ)共」
その言葉を聞いた瞬間、マルグリットが、ぷっ、と小さく噴き出した。口元を掌で押さえたまま、マルグリットはおかしなジョークでも聞いたかのように肩を小刻みに揺らしている。ぐにゃりと三日月型に曲がった目を見て、ニアは二の腕に鳥肌が立つのを感じた。
「お前の祖国の王族は、数代前から呪術に傾倒していたらしいな。それまでの神を否定し、民衆に邪神を崇拝するよう強(し)い、邪悪なものを召還するために何百人もの人間を生け贄にした。それに反抗する者たちは次々と命を落としていった。死因はみな同じ。前日まで元気だったのに、突然心臓が止まってな」
床に落ちたユリアナを、フィルバートが爪先で軽く蹴る。ころりと転がる花を眺めても、マルグリットは笑みを浮かべたままだ。
「そして暴政に耐え切れず、民衆たちが反乱を起こし、お前の祖国は滅びることになった」
「私には何のことだか。私は十六で、この国へと嫁いだのです。それから後のことはよく存じません」
「お前の親兄弟が全員、城門前で吊るし首にされたのにか?」
煽るような口調でフィルバートが訊ねると、マルグリットは一瞬だけ神経質に目尻を戦慄かせた。かすかに苛立った声音で、マルグリットが言い放つ。
「私の家族を侮辱して、何が言いたいのですか」
「お前の血族が全員死に絶えた後、ユリアナは邪神を象徴する花として、民衆の手によってすべて燃やされたはずだった。だが、まだ秘密裏に育てている者がいた」
ひどく事務的な口調で呟いた後、フィルバートが軽く後方へと視線をやる。すると、騎士二人に抱えられるようにして一人の男が引きずられてきた。煮染めたようなドス黒い肌色をした老人だ。その両手には血に染まった包帯がぐるぐるに巻かれている。その包帯の内側を想像して、ニアはわずかに顔を強張らせた。
老人が皺だらけの顔を上げて、濁った瞳でマルグリットを見つめる。
「マ、マルグリット様……」
助けを求める声音だ。だが、その声にもマルグリットは顔色一つ変えなかった。
「誰ですか、この男は」
「お前が飼っていた科学者だろう。それとも呪術師と言った方がいいか」
「そんな男は存じません」
冷め切ったマルグリットの言葉に、老人が絶望したように目を見開く。だが、マルグリットの反応を予期していたのか、フィルバートは声色を変えずに続けた。
「こいつはマメな男だな。隠れ家に神経毒の作り方や、いつ誰にどれだけ渡したのかもすべて記録が残っていた。毒を運んだ商団からも、誰に卸したのか証言は出ている。こいつ本人の供述からも、マルグリット王妃の命令で毒を作ったという自白も取れている」
フィルバートの説明を聞くと、マルグリットは呆れたように首を左右に振った。
「そうまでして殿下は私を陥(おとしい)れたいのですか? 証拠まで捏造(ねつぞう)して、そんな見も知らぬ男を拷問して、自分に都合のよい自白を引き出すなんて……あまりにも非道です」
同情を引くためか、マルグリットが両手で顔を覆う。ハリーがその細い肩を抱いて、慰めるように囁く。
「王妃様、お気の毒に……まさか大事に育ててきた子から、このような残忍な仕打ちを受けるとは……」
まるで茶番のようなやり取りだ。フィルバートは寄り添う二人を眺めると、鬱陶しそうな口調で言った。
「ならば、お前は自分がやっていないという証拠を出せるのか?」
「やっていないものはやっていないのですから、そのような証拠などありません」
「話にならんな」
会話を打ち切るようにフィルバートが言い放つ。途端、マルグリットは侮蔑するように頬を吊り上げた。
「私は絶対に認めませんよ。そのような後付けの証拠で、私を断頭台に送れると思っているのですか?」
「いいや。だが、断頭台までは送れずとも、これだけの証拠があれば死ぬまで幽閉することぐらいはできる。命が尽きるまで、窓一つない牢獄で生きる覚悟はできているか?」
フィルバートが愉しげな声で問い掛けると、マルグリットはかすかに顔を歪めた。だが、すぐさま哀れむような声をあげる。
「冷酷非道な王子が無実の母親を幽閉したとなれば、周りは貴方をどう思うのかしら。貴族も民衆も、第一王子をきっと心をなくした化物のように思うのでしょうね」
その言葉を聞いた途端、カッと頭が焼けるような怒りを覚えて、ニアは奥歯をキツく噛み締めた。ガギッと奥歯が鈍く軋む音が響いて、マルグリットの肩が一瞬だけピクリと跳ねる。
ニアが威嚇する猛犬のように咽喉を鈍く鳴らしていると、フィルバートがチラと肩越しに視線を向けてきた。落ち着け、と促すように後ろ手で軽く脇腹を叩かれる。その仕草に、ニアは気持ちを落ち着かせるように大きく息を吐き出した。
フィルバートは再びマルグリットを見据えると、はっきりとした口調で言い放った。
「お前は、俺の母親ではない。無実でもない。心をなくした化物は、お前の方だ」
最後通告するようなフィルバートの言葉を聞いても、マルグリットは表情を変えなかった。どこか他人事のようなぼやけた表情を浮かべて、首を傾げている。
フィルバートが合図をするように片手を軽く上げる。
「あの女を捕らえろ」
ニアと騎士たちが、マルグリットへと向かって足を進める。途端、マルグリットの傍らにいたハリーがソファ裏に手を伸ばした。抜き身の双剣を両手に掴んで、切っ先を向けてくる。
「下がれ! 王妃様への無礼は許さんぞ!」
叫びながら、牽制するようにハリーが双剣を突き出してくる。その様を見て、騎士たちが躊躇するように後ずさるのが見えた。
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