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44 予言と聖女

   ハイランド兄妹は、バンケット会場の端っこにひっそりと佇(たたず)んでいた。以前まではパーティー会場の中心に立って様々な貴族たちに頭を下げられていたのに、今は誰もハイランド兄妹に近付こうとせず、まるで透明人間にでもなったように存在を無視されている。当主が反逆を起こしたことは、四年経ってもハイランド家に暗雲を垂れ込ませているようだ。  バルコニーから降りてきたニアの姿を見て、貴族や令嬢たちが声をかけたそうに視線を送ってくるが、ニアは気付かぬフリをして会場を突っ切った。迷いなくハイランド兄妹に近付いて、声をかける。 「お久しぶりです、ヘンリー・ハイランド様。クリスタル様」  ニアがハイランド兄妹に声をかけたことに、周囲がわずかにざわめくのが聞こえる。  ヘンリーは今日は非番なのか、それとも意図的に警備の任から外されたのか、灰色の礼服を着ていた。首元のリボンも濃灰色と、どこか質素な印象を受ける。  クリスタルも、装飾の少ないシンプルなパルテルイエローのドレスを着ていた。昔は宝石や真珠がまばゆいほどに散りばめられていたドレスを着ていたことを思うと、痛ましいほどにグレードダウンしている。だが、それも当然かもしれない。ハリーが投獄されたことによって、ハイランド家の財産の多くは没収されてしまったのだから。 「お久しぶりです、ニア・ブラウン様。突然の申し出にお応え頂き、心より感謝いたします」  どこかぎこちない声で答えて、ヘンリーが胸に手を当てて敬礼をしてくる。続くようにクリスタルもスカートを摘んで、礼を向けてきた。自分よりも目上の人間に対する挨拶だ。  ニアが同じように敬礼を返そうとすると、制するようにヘンリーが唇を開いた。 「礼はおやめ下さい。ニア様と私たちでは爵位が違い過ぎます」 「爵位ではなく、私は貴方たち個人に敬意を示してるんです」  そう言って、ニアは二人へ深々と敬礼を向けた。顔を上げると、ヘンリーとクリスタルはどこか困惑したような表情を浮かべていた。 「お二人とも、ご健勝でいらっしゃいますか?」  ニアが訊ねると、ヘンリーは少し気弱な笑顔を浮かべた。全身を覆っていた傲慢さは消え、田舎の青年のような素朴な空気が漂っている。それだけ、この四年間で色々な思いを味わってきたのだろう。  父親を失って突然ハイランド家を継ぐことになり、今まで自分たちにこびへつらってきた人間たちから侮蔑の目を向けられ、時として石のような言葉を投げ付けられることだってあっただろう。それでも逃げずに騎士団に残り、己が職務を果たし続けているヘンリーを、ニアは純粋に尊敬していた。並大抵の覚悟ではない、胆力のある男だと思う。 「お気遣いに感謝します。私も妹も、母も皆健勝です」 「お母様はどちらに?」  先ほど謁見の際にはいたはずだが、ヘンリーの母親の姿が見えなかった。ニアが辺りを見渡していると、ヘンリーが少し苦笑いを浮かべて答える。 「母は先に帰宅しました。あまり……こういった場が得意ではないので」  ヘンリーがそう言って会場の方へ視線を向ける。途端、こちらをじろじろと眺めていた野次馬共の視線がパッと散るのが見えた。確かにこんな不躾な目を向けられていたら、すぐに帰りたくなるも当然だろう。 「よければ別室を用意しましょうか?」  衆人環視の中で話をするよりも、落ち着いて話せる場所に移動しようかと提案する。だが、ニアの提案にヘンリーはゆっくりと首を左右に振った。 「いいえ、反逆者の家族とロードナイトが個室で話すというのは、ニア様の立場としても宜しくありません」  キッパリとしたヘンリーの返答に、ニアは眉尻を下げた。確かにヘンリーの言うことはもっともだ。貴族というのは、ほんの小さなほころびでも見つければ、自分で大きな穴に広げて騒ぎ立てるものだから。 「貴方は、罪を犯していません」 「いいえ、確かに私は父が王妃に手を貸して、陛下に毒を盛ったことは知りませんでした。ですが、母が家を出て行ったときに、父が王妃と不貞関係にあることは薄っすらと勘付いていました。ロードナイトという誉れ高き立場にありながら、主君の妻と姦淫していると」  そこまで喋ると、ヘンリーは、はぁ、と自分自身に落胆したようなため息を漏らした。 「私は……怖かったのです。変わっていく父を認めることが恐ろしくて、目を逸らしてしまった。このまま見て見ぬフリをすれば何も変わらないと、昔のままの威厳のある父でいてくれると信じて――そうやって目を背け続けたことが、私たちの最大の罪悪です。私たちはすべてを失ってでも、父を止めなくてはならなかった。父の罪に向き合って、国への忠誠を果たさなくてはならなかった。それができなかった時点で、どのような目を向けられても、それは我々家族が受けるべき罰なのです」  悲壮感を滲ませたヘンリーの自罰的な台詞に、ニアは返す言葉を失って黙り込んだ。ヘンリーは一度自身を落ち着かせるように胸に手を当てると、まっすぐニアを見つめてきた。 「まずはお礼を言わせてください」 「お礼?」 「あのとき、私を止めて下さったことです」  おそらくヘンリーが言っているのは、マルグリットを捕らえたときのことだろう。 「ニア様があのとき声をかけてくださらなかったら、私は父の命令通り王子殿下に剣を向けていたでしょう。そうなれば、私はあの場で命を落とし、ハイランド家は完全に取り潰しになっていたと思います。貴方は私を見捨てることもできたのに、そうしなかった。私が今生きているのも、ハイランド家が存続しているのも、すべてニア様と王子殿下の御恩情のおかげです。心から感謝申し上げます」  そう言って、ヘンリーとクリスタルが深々と頭を下げる。その姿を見て、ニアはとっさに上擦った声をあげた。 「頭を上げてください。私は、何も……むしろ……」  むしろ、ニアがハイランド家を衰退させる要因を作ったと言っても過言でもない。自分の行為が間違っていたとは思わない。だが、だからといって感謝されるのも罪悪感が募った。  言葉に詰まるニアを見て、ヘンリーが言う。 「貴方が罪悪感を抱く必要はない。貴方は正しいことをしました」  そう告げられても、胸の奥がずっしりと重たかった。ニアが複雑な表情を浮かべていると、ふっとヘンリーが淡く笑みを浮かべた。 「フィルバート様のロードナイトがニア様で良かったと、今なら心から思えます」  心の整理ができず、四年越しのお伝えになって申し訳ございません。とヘンリーが苦笑い混じりに言う。そのはにかむような声音に、ほんの少しだけ胸が軽くなるのを感じた。  ニアはそっと自身の胸に手を当てると、親しい友人に語りかけるような声をあげた。 「良ければ、俺のことはニアと呼んでください。公的な場以外では、敬称も敬語も不要です」 「いえ、そういうわけには……」 「俺もヘンリーと呼んでもいいですか?」  緩く首を傾げて訊ねると、ヘンリーは目を瞬かせた後、かすかに泣き笑うような表情を浮かべた。  ニアは無言で手を差し出した。その手を、ヘンリーがゆっくりと握り締めてくる。 「よろしく、ヘンリー」 「ああ……よろしく、ニア」  確かめるように言い合って、緩く手を上下に振る。握られた二人の手を見て、周りの貴族たちがヒソヒソと声を交わし合っているのが聞こえた。まだ腫れ物扱いは変わらないだろうが、これでヘンリーを表立って攻撃する者はいなくなるだろう。ロードナイトであるニアが、ヘンリーを認めたと示したのだから。  にこにこと握手を交わしていると、ふとクリスタルの冷めた声が聞こえた。 「お兄様、そろそろ離さないとハイランド家取り潰しの危機が再来しますわよ」  クリスタルが物言いたげな眼差しで、バルコニーの方を見やる。その視線を追いかけると、バルコニーからフィルバートが凍り付いたような視線をこちらへ向けているのが見えた。途端、ヘンリーがヒィッと短い悲鳴をあげてニアの手を離す。  フィルバートの視線が逸らされても、ヘンリーは怯えたように自身の掌を握り締めていた。一気に黙り込んでしまった兄を見て、クリスタルが呆れたみたいに唇を開く。 「ニア様にお伝えしたいことがあります」  その切り出しに、ニアは緩く顎を引いた。言葉を待つように見つめると、クリスタルは声を潜めて続けた。 「幽閉された王妃の見張りをしているのは、第一騎士団の騎士なことはご存知ですね?」 「ああ」 「今、第一騎士団で妙な噂が流れているのです。王妃が『予言』をしていると」 「予言?」  ニアがオウム返しに問い掛けると、クリスタルはヘンリーへ視線を向けた。ヘンリーは緩く息を吐き出した後、ニアに小声でこう訊ねてきた。 「ニアは『聖女』という存在を知っているか?」  その言葉を聞いた瞬間、雷が走ったように全身が硬直した。息を吸うことも忘れて、ヘンリーを凝視する。ヘンリーはニアの様子に気付いていないのか、かすかに躊躇うような口調で続けた。 「神から遣わされた聖なる少女。神の力を持ち、他者を癒したり、奇跡を起こして国を栄えさせる少女のことだが……それも何百年も前の伝承だから、ほとんど伝説というか、空想みたいなものだが……」 「その聖女がどうしたんだ?」  ニアが急いた口調で訊ねると、ヘンリーは少しだけ驚いたように目を丸くした。 「王妃が予言したんだ。まもなく天から聖女が降りてきて、この国を正しい道へ導いてくれると。神からそうお告げを受けたのだと」  ぞわっと背筋に悪寒が走り抜けるのを感じる。恐怖に顔が引き攣りそうになるのを堪えていると、ヘンリーが気まずそうな声で続けた。 「その予言をみなに伝えるよう見張り兵に言って、第一騎士団の中でその噂が広がっていっているところだ。王妃のただの虚言だとは思うが『もしも本当に聖女が現れれば、罪人が神託を受けるはずがないから王妃様は無実なのでは』なんて馬鹿なことを言い出す輩も現れ始めている。まだ噂話に過ぎないが、念のため伝えておいた方がいいと思って」  小声で伝えられた内容に、ニアは片手で口元を覆った。小刻みに震える唇を隠して、ぐちゃぐちゃにこんがらがった頭の中で考える。  確かに前の人生では、聖女を見つけたのは王妃だった。だが、事前に予言などをしたとは聞いていない。また前の人生とは違うことが起こっている。しかも、フィルバートとニアにとって、かなりまずい方向へ進んでいる気がした。  思い詰めたように視線を伏せていると、ふとクリスタルがぽつりと呟いた。 「恐ろしいのですか?」  シンプルな問い掛けに、ニアはクリスタルを見やった。小さく咽喉を上下させてから、無理やり口元に笑みを浮かべる。だが、ニアが答える前にクリスタルが声をあげた。 「相変わらず臆病なままなんですね」 「おい、クリスタルっ」  慌ててヘンリーがたしなめるが、クリスタルは淡々とした口調で続けた。 「貴方は自分で選択して、自分の足でここまで来たはずです。だから、少しは自分を信じてください」  素っ気ない口調だが、その言葉にはクリスタルの気遣いがこもっているように聞こえる。ニアが大きく目を瞬かせると、クリスタルは言い聞かせるような口調で続けた。 「これは貴方の人生なんでしょう? 自分が後悔しない道を、今後も選ぶだけです」  だから、怖がる必要なんてないでしょう。と言わんばかりの強い口調でクリスタルが言う。  どこかで聞いたことのある台詞だ。以前、クリスタルと踊ったときに『これは君の人生だ』と言ったことを思い出して、ニアは口元に淡く笑みを浮かべた。 「ああ、そうだな。ありがとう」  笑い声混じりに答えた後、ニアはじっとクリスタルを見つめた。 「貴女は、強い人だ」  尊敬の念を込めて告げると、クリスタルは肩にかかった自身の髪を払いながら胸を張って答えた。 「私はハイランド家の人間ですから」  今でもハイランド家の誇りは失っていないと示す自信に満ちた声音だった。  その返答に、ニアはより笑みを深めた。ニアの笑顔を見て、クリスタルが一瞬不貞腐れたように唇を引き結んでから、プイッと視線を逸らす。  拗ねた子供みたいな反応を見て笑い声を漏らしかけた瞬間、突然視界の端で強烈な閃光が迸るのが見えた。花火ではない。まるで雷のようなスパークがバチバチッと連続で弾けて、空が凄まじい光で真昼のように輝いていた。 「あれは一体何だ……ッ!」  ヘンリーが叫んでいる声が聞こえる。目蓋を焼くような光を見た直後、ニアは反射的に走り出した。あれが何なのかは判らないが、とにかく想定外の事態が起きたのであれば、まずはフィルバートの元へ行かなくてはならない。フィルバートを守ることが、ニアにとっての最優先事項だった。  会場のいる貴族たちは、皆一様に驚いた眼差しで輝く空を凝視していた。硬直する人々をかき分けて走っていると、不意に近くの男が空を指さして叫んだ。 「何か見えるぞ!」  その声に視線を上げると、光の中心に何か黒い点のようなものが見えた。黒い点がぶよぶよと蠢きながら、まるで水を流し込まれた革袋のようにゆっくりと膨らんでいく。そのちょうど真下に、フィルバートが立っていた。  それを見て、ニアは更に全速力で駆けた。階段を駆け上り、想定外の出来事に呆然と立ち尽くす騎士五人を無視して、バルコニーの扉を勢いよく開く。 「フィル様ッ!」  叫んだ瞬間、限界まで張り詰めた黒い点がパンッと鋭い破裂音を立てて弾けた。直後、黒い点の中から現れたものにニアは目を剥いた。それは白いワンピースを着た、黒髪の少女だった。 「キャアアアアアァッ!!」  甲高い悲鳴とともに、少女が空から勢いよく落ちてくる。真下に立っていたフィルバートが、落ちてくる少女を受け止めようととっさに両腕を伸ばす。  フィルバートに受け止められる直前、柔らかな光に包まれるようにして少女の身体がふわりと落下の速度を落とした。そのまま、そっとフィルバートの両腕に少女の身体が収まる。 「え、ええっ? あのっ、わたし、えっとぉ……あなたは、だれ?」  状況が把握できていないように、フィルバートの腕に抱えられたまま少女が狼狽した声で訊ねてくる。フィルバートは何も答えず、ただじっと腕の中の少女を見つめていた。  その食い入るような眼差しを見て、ニアは自分の身体が凍り付いたように動かなくなるのを感じた。 ――やめろ、彼女と目を合わせないでくれ。どうか、彼女に心を奪われないでくれ。  そう叫びたいのに、無意識に唇から出たのは違う言葉だった。 「どうして……早すぎる……」  フィルバートの腕に抱かれている少女は、前の人生で見た聖女そのものだ。肩で切りそろえられた黒髪も、どこか幼さを感じさせる童顔も、純粋そうな黒目がちな瞳も、何一つとして変わっていない。  だが、前の人生で、聖女が現れたのは夏だったはずだ。湖の水面から、光とともに浮かび上がってきたのだと。しかし今はまだ春で、しかも貴族全員に見せつけるように空から落ちてくるなんて予想外過ぎる。  ニアが立ち尽くしていると、フィルバートが少女に向かって訊ねた。 「お前、名前は?」  その問い掛けに、少女は大きな瞳をパチリと瞬かせて答えた。 「わたし、サクラ」

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