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48 俺の味方
ニアは眉尻を下げると、ロキに訊ねた。
「ロキ様は、どうしてこちらに?」
三年前にマルグリットが捕まってから、ロキは滅多に城に戻ってくることはなかった。それなのに、なぜこんなところにいるのか。
ニアが不思議そうに問い掛けると、ロキは一瞬唾棄するような表情を浮かべた。
「呼ばれたんだよ」
「誰にですか?」
訊ねると、ロキはむっつりと顔を顰めて答えた。
「フィルバートに」
「フィル様に?」
驚きの声で返すと、ロキはうんざりとした口調で言った。
「お前を引き摺ってでも、ブラウン家に連れて帰れってよ。俺が言えば、お前も言うこと聞くかもしれないからって」
その説明に、突き刺されたように胸が痛むのを感じた。フィルバートは、ロキを利用してまでニアを遠ざけようとしているのか。きっとニアがロキには強く出られないことを知っていて、わざわざ命じたのだろう。
ニアは視線を伏せると、小さな声で呟いた。
「俺は……帰りたくありません」
「言われなくても、そんなん解ってるし。そもそもお前を連れ帰るつもりなんかねぇから」
当たり前のように返ってきたロキの言葉に、ニアは視線を上げた。少し苛立った様子で、ロキがニアの胸を拳でドンッと叩いてくる。
「お前もさぁ、いい加減に怒れよ」
唐突なロキの一言に、ニアは目を瞬かせた。
「あいつは、いっつも言葉足らずなんだよ。本当に大事なことは何も言わずに、自分一人で抱え込もうとする。自分だけで解決するべきことだって思ってる。そうやって周りの人間を、蚊帳の外に追い出そうとするんだ」
あいつというのは、おそらくフィルバートのことなんだろう。
憎々しげに吐き捨てると、ロキは大きくため息を漏らした。視線を斜め下に逸らしたまま、ロキがぽつぽつと続ける。
「母さま……母親が捕らえられたときは、心底あいつを恨んだよ。あいつは、いつも俺の好きなものを平然と奪っていくんだと思って……だけど、この三年間ダイアナと毎日戦いながら色々考えて、少しだけ解った。あいつだって、大切なものを守りたくて必死だったんだって」
そう呟くと、ロキはじっとニアを見上げた。何かを訴えかけるような眼差しに、ニアはくにゃりと眉を歪めた。
「今なら、あいつがあいつなりに俺を守ってくれてたことも解ってる。本当だったら、腹違いで問題児の弟なんて疎ましいことこの上ないだろうに、あいつは一度も俺を邪険に扱ったり、貶(おとし)めたりしてこなかった。犯した罪が決定的になるまで俺の母親を見逃してきたのも、まだ小さかった俺のためだって」
そこまで言うと、ロキは少し苦しげに下唇を噛み締めた。
「母親は、いつも俺に『母さまの言うとおりにしていれば、ロキがこの国の王様になれるのよ』って言ってた。子供の頃は、よく解ってなかったけど……たぶん母さまは、俺を見てくれてなかった。いつも、この国を自分のものにすることだけを考えてた。でも、あいつは全然優しくなかったけど……たぶん、ちゃんと俺のことを見てくれてた」
ぽつぽつとした口調で呟くと、ロキは、はぁ、と大きくため息を漏らした。
「でもさぁ、だったら、それをちゃんと口に出せって話なんだよ。別に本人が気付かなくても構わない、じゃねぇんだよ。お前が何にも言わないせいで、こっちは何回も死にそうな気持ちになってんだからさぁ」
怒りを思い出したのか、ロキが片足を貧乏揺すりしながら吐き出す。その言葉に、ニアは大きくうなずいてしまった。
「そのお気持ち、よく解ります」
同意を返すと、ロキは同士を見つけたというように、わずかに口元を緩めた。久々に見るロキの笑顔に、少しだけ胸の奥が柔らかくほぐれていく。
「だからさ、あいつは一回真剣に怒られた方がいいんだよ。お前に」
「俺にですか?」
「お前に怒られるのが一番ショックがでかそうだからな」
ロキが悪巧みでもするみたいに、咽喉の奥でクククと不気味な笑い声を漏らす。ニアが苦笑いを浮かべると、ロキはふと笑い声を止めて真剣な口調で言った。
「だからさ、お前が城に残りたいんだったら、少しは協力してやるよ」
ロキの申し出に、ニアは大きく目を見開いた。
「それはすごく有り難いお話ですが、どうやって……」
歯切れ悪く問い掛けると、ロキは自身の胸をドンッと拳で叩いた。
「俺を誰だと思ってんだ。この国の第二王子だぞ」
「それは、もちろん承知しております」
「だったら、第二王子が護衛もつけずに歩き回るのは危険だと思わねぇのか」
呆れた口調でロキが問い掛けてくる。その言葉に、ニアは目をパチリと瞬かせた。
「つまり、俺がロキ様の護衛騎士を?」
「そういうことだ。俺が城に残れば、あいつだってお前を無理やり追い出せなくなるだろ?」
ロキの説明に、ニアは『ロキ様、すばらしい提案です!』とばかりにパッと表情を明るくさせた。だが、すぐさましおしおと表情が萎(しお)れていく。
「ですが……俺がロキ様の護衛をしているとなれば、フィル様にとって不利な噂が流れるかもしれません」
万が一にでもニアがマルグリット派閥に入ったと思われたら、余計にフィルバートの立場がなくなってしまう気がした。
ニアが沈んだ表情を浮かべていると、ロキはまたため息を漏らした。
「お前が気にする必要はねぇと思うけど、そんなにあいつが心配なら、俺の『護衛』じゃなくて『見張り』とでも言っておけばいいじゃん。突然戻ってきた第二王子が怪しい動きをしないか監視してる、とでも噂をバラまいときゃいいし」
ロキの説明に、ニアは『流石ロキ様は賢い!』とばかりに目を輝かせた。だが、またすぐさま表情が沈んでいく。
「でも、ロキ様はお辛くはありませんか……?」
「辛い?」
「城にいれば、忌諱(きい)な目で見られたり、貴方の立場を利用しようとする者も現れるかもしれません。ここは、ロキ様にとって居心地の良い場所ではないかと思います」
ぽつぽつとニアが不安を打ち明けると、ロキは一瞬皮肉るように肩を揺らした。
「お前はさぁ、俺を何歳だと思ってるんだよ」
「十五歳になられましたよね?」
「いいや、お前は俺をまだ八歳のガキだと思ってる」
確信を持った口調で言いながら、ロキがニアの胸に人差し指を突き付けてくる。その人差し指で、ニアの胸元をぺしぺしと数度叩きながらロキは続けた。
「俺は、もうガキじゃない。俺は、もう自分の手で戦える。だから、もう子供扱いするのはやめろ」
言い聞かせるような口調で言うと、ロキは両手を腰に当てて胸を張った。言っていることに反して、子供っぽい仕草だ。それを見て、思わず笑みが滲む。
「はい、承知いたしました」
ニアが恭(うやうや)しく答えると、満足したようにロキはうなずいた。だが、その後、少し気まずそうに視線を外してボソッと呟く。
「それに……あいつもしばらく帰ってこねぇみたいだし」
「あいつ?」
ニアが首を傾げると、ロキは怒ったように唇をへし曲げた。
「筋肉バカ女のことだよ」
「それは、もしかしてダイアナのことですか?」
驚いた声でニアがそう返すと、ロキはますます顔を歪めた。だが、その耳がじんわりと赤くなっているのを見て、ニアは無意識に笑みを浮かべてしまった。
「ダイアナのことを心配してくださっているのですか?」
ニアが優しく問い掛けると、ロキは肩をいからせて答えた。
「心配なんかしてねぇし! ただ、あの女のバカ面を拝みに来ただけだよっ!」
悪態をついているが、口に出せば出すほどロキの顔はますます赤く染まっていくばかりだ。そのいじらしい姿を微笑ましく眺めていたが、ふと浮かび上がってきた疑問に、ニアはぽつりと訊ねた。
「ロキ様は、どうしてここまで協力してくださるんですか?」
ニアの問い掛けに、ロキは一度押し黙った。どこか拗ねた子供みたいな眼差しでニアを見つめた後、視線を逸らして呟く。
「別に……お前がずっと俺の味方だって言ったから――」
照れくさかったのか、言葉は途中で途切れた。だが、その言葉の続きは聞かなくても解った。
込み上げてきた喜びに、ニアは唇に泣き笑うような笑みを浮かべた。
「ロキ様、ありがとうございます」
感謝を告げると、ロキは顔を背けたまま、ふんっ、と鼻を小さく鳴らした。
にこにこと微笑んだままロキを眺めていると、ふと待機所の方からはしゃいだ声が聞こえてきた。
「あれっ、ニアさんっ?」
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