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終章 復旧作業_2/2(完)
上がった体温と呼吸が落ち着くまで、二人は絡み合うような形で、ベッドに横たわっていた。脱ぎ捨てた衣服は体の下敷きになってひしゃげている。
「……話すべき事がある」
アルフィオはかすれた声で切り出した。その腕の中から、ディエゴが唇に触れる。
「せっかく口が動くようになったんだからな。この一ヶ月、どこで何してたんだよ」
顔を見つめ、聞き返すアルフィオ。
「知らないのか? いいや、そんな馬鹿な。お前も、俺を殺そうとしただろう。イル・ブリガンテの、マルチェロという男に依頼を──」
途端に小型犬は飛び起き、歯をむき出した。
「何言ってんだ? そんな事するはずねぇだろ! むしろあのクソ野郎どもは、オレに依頼をして来たんだぞ!」
心外だと言いたげな態度から告げられ、アルフィオも驚いてしまう。ベッドに肘を突き、体を起こした。
「馬鹿を言うな! 俺が生きていると知っていて、動ける男は居ないはず……」
「お前のドン・カルロだよ! 『アルフィオ』って名前の男が狙われたのは偶然じゃねぇ。生き延びてると知って、このオレにヒットマンを紹介しろって言って来たんだ」
「待て、どういう事だ……ドン・カルロが、俺を知っている?」
アルフィオは褐色の肩をつかみ、聞き返した。ディエゴも負けじと白い胸に指を突き立てる。
「お前は自分が思ってるより、男の気を引く男って事だ。無法者 のコンシリエーリだって男から依頼があったんだよ。ファミリーを抜けたヒットマンを始末してほしいってな」
オレの事業も有名になったモンだ、と得意げな笑みを見ても、アルフィオは新たに判明した事実に戸惑いを隠せない。
「それで、ディエゴは……」
「断ってやった」
その返答はあっけらかんとしたものだった。
「金だけ積まれても、写真もねぇし、どこに居るかも分からねぇ。そんな条件での取引なんて損だ。迷い犬を探す仕事なんてまっぴらだってな」
顎の下で指をはじく仕草は挑発的だが、清々しささえ感じさせる。
「オレの蹴った依頼をこなすように言われたのが、そのマルチェロってヤツじゃねぇのか?」
と、廊下から足音が聞こえ、開きっぱなしになっていたドアの向こうから大柄な人影が覗いた。ためらう素振りも見せず、ベッドルームに入ってくる。
「人に猫の世話を任せて自分はオオカミと寝てるなんて、あんたは運転手に向かないね」
聞き覚えのある声がした。やや苛立ったような口調の、女性の中でもかなり低い声だ。
驚き慌てたアルフィオは思わずキルトケットの中に隠れた。家の中には誰も居なかったはずだ。
軽く笑って応じるディエゴ。
「仕方ねぇだろ。迷い犬が戻ってきたんだから」
「ベッドの次は道端で吹っ飛ぶ事になるんじゃないのかい? フィレンツェまでの足が残ればいいけど」
そんな会話を聞き、アルフィオはおそるおそる顔を出してみた。
やはりそこには今朝がたに連絡したばかりの人物がいた。ディエゴの友人で、ミラノの車両整備士あり、リングァフランカでは〈クマ女〉と呼ばれるオルサだ。真冬だと言うのに作業服姿で、袖をまくり上げている。
「そのオオカミ男は、ここで何を? あの車は急ぎの仕事のために用立てたはずだよ」
アルフィオの姿を認めたオルサが先手を打って訊ねてくる。そのまま言葉を返したいところだが、先にディエゴが割って入った。
「オレの情熱にあてられて、仕事に身が入らなくなったんだとよ」
楽観的に説明されたアルフィオはうつむき、仕事熱心なオルサは、それは何より、と無愛想に応じた。
それから手にしていたスマートフォンを操作し、
「今のあたしはディエゴに死なれちゃ困るからね。誰から整備費を受け取ればいいんだい」
と言って、ベッドの中にいる二人に、一枚の写真を見せてきた。
視認性が悪いが、黒色の金属と思われるものが一面に写っていた。その中央付近に、まるで擬態するように、ダクトテープで長方形の物体が貼り付けられている。
「運転席の下さ。リモコンでも操作できる爆弾だと思うね。ずいぶん古いマフィアのやり方だ」
オルサは平然と説明したが、それを聞いたディエゴが騒ぎ立てる。
「ちょっと待てよ、爆弾!? いったい誰が!? オレの相棒 になんて事を!」
「相棒なら迂闊 に目を離すんじゃないよ。犯人探しは後でやりな」
怒りを顕にしたディエゴと、怯む事なく指摘するオルサ。状況が飲み込めないアルフィオの視線は、二人の間を行き交う。
それに気付いたディエゴが顔の高さに片手を上げ、首を振った。
「これからフィレンツェに拠点を移すんだ。この家も有名になって、ローマも危険になって来たからな。その旅路を安全にするためにオルサに点検を頼んだら、このザマだ」
アルフィオはオルサに体を見せないよう、キルトケットにくるまったまま知恵と声を絞り出す。
「足が必要なら、お、俺の乗ってきた車が外にある。今朝、彼女に用意してもらった──」
「だからローマに来たのか、オルサ?」
下半身を隠そうともせず、ディエゴが訊ねる。
「あんたの車の整備だって前から話してたじゃないか。他にもいくつか仕事ができそうだからだよ。そこのヒットマンと違ってね」
オルサも特に気にしていない様子で答えた。
仕事について揶揄され、アルフィオは小さな声で弁明する。
「不安だったんだ。だから俺は、こんな、馬鹿な真似を……」
それを聞いたオルサは、アルフィオがここにいる理由を察したらしい。
「別にあんたの獲物に干渉しやしないよ。ただ、前金は受け取ってるんだろ? クライアントに何て言い訳を?」
「それは……」
「ケガをして、依頼は失敗。プライベート・ドクターのいるフィレンツェに運ばれた。それでいいだろ」
アルフィオが答えに詰まると、ディエゴが代弁者のように提案した。
さらにジャケットを体の下から引っぱり出し、内ポケットから一通の白い封筒を取り出す。ポストカードが入るほどの大きさだ。
「お前を追い出した後にお前宛の招待状が届いて、捨てられなかったところだ」
「招待状? 俺にはそんな、個人的な友人なんて……」
アルフィオは怪訝そうに聞き返した。
「〈モグラの獣医〉だよ。オレの飼ってたシチリア産の犬を気に入って、わざわざナターレのパーティーに呼ぼうってんだ」
封筒を手渡しながら、不満げな口調で答えるディエゴ。モグラの獣医とは、プライベート・ドクターであるネヴィオのことだ。意外な名前に、アルフィオは白い腕を出して受け取った。
めっきり会う機会の減った、大きな痣と皺だらけの顔が浮かぶ。彼もまた、幽霊のように世間からは死んだものとして扱われている。だが確かにカードには明日の食事会への招待と、信頼している者にしか明かされないであろう彼の所在地が書かれていた。
中身を見たらしいディエゴは二人を相手に話し続ける。
「オレが神を嫌ってる事も知ってる。だからそれを祝うパーティーの招待状はお前宛で、オレはその付き添い だとよ。ムカつく」
「あの爺さんがパーティーなんて。そのうち死んだふりもできなくなるね」
オルサは少し呆れた様子で、腰に手を宛てた。
「オルサとネヴィオにも、面識が?」
アルフィオが思わず確認すると、却って不思議そうに答える。
「何言ってんだい? モグラ爺さんは〈リングァフランカ〉全員の友人じゃないか。モグラ塚みたいなネットワークは、元はと言えばあの爺さんが言い出したんだ」
「共通言語 ? 動物の言葉でも話してるのか?」
ディエゴがからかうように聞き返す。
「この男やあたしが組んでる、フリーランスのヒットマンの組合であり同盟さ」
端的に説明するオルサに、アルフィオはますます驚いてしまう。
「そ、そんな事まで話して、平気なのか? ディエゴはヒットマンじゃない」
だがクマ女は何一つ間違っていないと言う様子だ。
「損にはならないさ。どうせこのチビだって色んなヒットマンと繋がってるんだ。あたし達は別に秘密結社じゃない。必要な時は正体を明かさないと、仕事がないだろ?」
それを聞いたディエゴがアルフィオを横目に睨んだ。
「仲が良いと思ってたら、オレから独立を考えてたなんてな」
「違う! ……俺はただ、自分にできる事を求めただけで」
何をしていたのかという質問に、ようやく答える形になる。
「追い出された後は、ローマの城壁のすぐ外にいた。知らない男に声をかけられて、仕事を請けるようになった。酒を飲んで、温泉 に行って、子供の面倒を見て、宝くじを買って……」
順を追って話す。思い返せば、二人で暮らしていた時からは考えられない事ばかりだ。
「初恋の相手と再会して、それから……」
「ずいぶん楽しそうな人生じゃねぇか。オレがいなくても生きていけるなんて勘違いしちまうのも無理はねぇな」
ディエゴは急かすように指先をくるくると回しながら聞いていた。
言葉が途切れたのを見計らったオルサが結論を出す。
「それじゃあ、あたしは子猫ちゃん を保護するからね。“手術”が終わったら新しい家に届けてやるよ」
「なら、その時に食事でもどうだ?」
踵を返しかけた長身をわざと呼び止めるディエゴ。
「……その無駄な長話をしないなら考えておくよ」
仕事に追われるオルサは苛立ちを隠さず答え、廊下を大股で歩いて行った。
「新しい家……」
呆然として繰り返したアルフィオに、ディエゴが溜息まじりに伝える。
「無い頭で考えるのは勝手だけど、悪い誤解をするなよ。この家を手放すのはお前が居た時から決まってた。古い知り合いの伝 で、もっと暮らしやすい家が見つかって」
さらにアルフィオを指して続ける。
「もちろんペットだって連れて行くつもりだった。ナターレの予定を、バカンスと引っ越しで埋めてやろうと思ってたんだ。あの日も、本当は三人で新しい家を見に行くつもりだったのに……追い出しちまったからな」
『もう家の前に居るよ、お寝坊さん ?』
あの朝、確かに親しげな男性の声を聞いた。姿こそ確認しなかったが、あれは不動産を取り扱う友人だったのだ。
アルフィオはキルトケットを除けて確認する。
「雇っていたヒットマンが仕事をしくじったから、追われていると言うのは……」
「チェチーリアに聞いたか? それも事実だよ。だからローマは危険なんだ。爆弾を仕掛けたヤツも探さねぇと」
そこで、パチンと指を鳴らすディエゴ。久々の音に、アルフィオは反応して、背筋を伸ばす。
「オレなら今お前を雇ってる奴の倍の額を出せる。それで口を割るか? オレを殺すよう依頼したのは誰だ」
「……爆弾を仕掛けたのと、同じ男たちかも知れない」
アルフィオは少し言い淀みながらも正直に答える。
「その……イ・ピオニエーリのメンバーだと言っていた。顎髭を生やした男と、金髪の二人連れだ」
途端に、ディエゴの眉間が更にきつく下がり、両目とつきそうになった。
「……チーロか。やっぱりな」
「やっぱり?」
「電話があったんだよ。食事に誘っても一度も来なかったくせに、突然、今もローマに住んでいるのかなんて聞いてきた。あの売春婦の息子野郎、友人だと思ってたのに」
「ファミリーの掟をやぶった友人を、始末してほしいと……」
ディエゴが顔を覗き込んでくる。
「無い頭で考えて、分からなかったか? このオレが沈黙の掟をやぶるはずがねぇ。お前はチーロにも騙されてる。オレより他の男を信頼するからだ」
クライアントが、虚偽の情報を元に依頼してきたのだ。
ヒットマンにとって、重要なのは依頼の正当性ではない。しかしディエゴは間違いなく、沈黙の掟が遵守されるべきだと理解している。抱いた不安は、知っている事実さえも見えなくしてしまったのだ。
何も言えずにいると、ディエゴも少しうつむいて続ける。
「理由は想像できる。オレはドンのお気に入りだ。いずれは実の息子たちを差し置いて、なんて考えてるんだろ。それに、ゲイが嫌いだ」
ドンの息子たちの名誉のために、その不安分子を潰しておくという名目の下、チーロはディエゴに対する個人的な嫌悪感を晴らそうとしている。これは、内部崩壊の危機だ。
「……それで差し向けられた一人が、トンマーゾだった。オレに惚れて、仕事をまっとうできなかったのはお前だけじゃねぇよ」
ほんの一瞬、弱った表情を見せる相手に、アルフィオはかける言葉を見つけられなかった。
「オレには出世欲なんてない。背負う物が増えれば失なう物も増えるし、身動きが取れなくなる。今のドンみたいにな」
そう言ってディエゴは、ベッドの上から落ちていたズボンを拾った。
スマートフォンを取り出し、話を進めていく。
「家族 には黙っておくさ。こんなおかしな動きにも気付かないようなマフィアなんて……ドンとシニョーラ、兄弟、お姫様たち は、普通の家族でいてほしいんだ」
長い歴史を持つイ・ピオニエーリだが、組織としては下火になりつつある三流マフィアファミリーだ。何も知らず、退廃してゆく彼らを待ち受けるのは、穏やかな日々と緩やかな死だろう。
裏社会に身を置く者が、安らかに眠ってはならないなどという掟はない。このままの日々が続く事を、ディエゴは望んでいるのだ。
「アイツらはどうせ今回のパーティーにも呼ばれてねぇはずだ。きょうは木曜日、北部から船に乗る所を狙う」
その言葉に、アルフィオの胸がざわつく。
「……俺に、クライアントを殺せ、と?」
「仲間 を殺そうとしたターゲットだ。掟をやぶった裏切り者に、二度とナポリの土は踏ませねぇ」
何やら操作を続け、動き出そうとするディエゴを止めるように、その腕をアルフィオがつかむ。
「もう一人の、ルカという男なんだが……彼とも知り合いなのか?」
「二人ともお前を拾った時に居たんだよ。会ったのはその一回きりだ。金髪でデカくて、ここにタトゥーが……」
そこで、何かに気付いて顔を上げるディエゴ。
「確かお前の初恋の相手も、珍しい金髪だったな? 聖アルフィオ?」
ようやく理解したらしい。にやりと笑みを浮かべた。
「ホモ野郎め 」
わざと軽蔑するように言われ、アルフィオはうつむいて告白する。
「ゲイじゃないと……言った憶えはない」
ディエゴは苦笑せざるを得ない。そこには、責めるような調子はなかった。
「汚ねぇヤツ。とんだ裏切り者だ」
売春婦を怒らせてしまった事も、独身を義務付けられた司祭を志した事も、関係を持った際に手を貸すまでもなく反応していた事にも、合点がいったのだろう。初恋の相手はひとつ歳上の金髪と言ったまでで、それが女性だったとは答えなかった。
アルフィオが元々ゲイであった可能性など、ディエゴは考えもしなかったのだ。少数者でありながら多数派の価値観に染まらざるを得なかったのは、自身も例外ではない。
「話を最後まで聞かないのは、ディエゴの悪い癖だと思う。俺は何度も話そうとしていた。だが、いつも決め付けて……」
指摘するが、すぐに言い返されてしまう。
「お前の話すのが遅いからだよ。自分もゲイなのに、オレに教会に行けって言ったのは何だったんだ?」
「治療のためというわけじゃない。ただ、神を、嫌っていたから……」
アルフィオは少し困りながら答えた。信仰に、明確な理由など不要なのだ。
「やっぱり行かなくて正解だ。オレは──」
「間違ってない」
言葉を引き継ぐように言うと、ディエゴが少し驚いたように見つめてくる。
「いつも、ディエゴは正しかった。……こうして、俺を生かした事も、間違っていなかったと今なら認められる」
真剣に伝えると、ディエゴは少しばつが悪そうに肩をすくめた。
「お前を生かした事でこんな状況になるとは思わなかったけどな。ベツレヘムの幼児虐殺みてぇだ」
今度はアルフィオが目を見開いた。
「マタイによる福音書、二章十六節のことか? まさかその口から聖書について聞く日が来るなんて」
「ああ、うるせえ。ドン・カルロがビビってる証拠だ。そう思うと気分がいいけどな」
スマートフォンをベッドに放り投げるディエゴ。続いて、ひしゃげた服を引き上げ、袖を通す。さっそく仕事に向かって動き出そうと言うのだ。
アルフィオはまだ大きな体を動かさず訊ねる。
「……これからどうするんだ」
「グループセックスは好きじゃねぇ。情熱が半分になっちまう」
「ディエゴ、俺はルカとは寝ていない。誓って言う。島を出るまで、子孫繁栄以外の目的で──」
「冗談だよ。お前の貞操なんか聞いてねぇ」
ディエゴは短く笑ったかと思うと、またすぐに真剣さを取り戻した。
「これまでと同じだ。オレが運転手をするから、明日のパーティーまでに仕事を終わらせろ」
「ああ、分かった」
これまでのようにうなずき、腰を上げかけたアルフィオだったが、また座り直す。
「パーティーでは……ディエゴのことを、パートナーだと紹介していいのか?」
その質問に、シャツのボタンを留めかけていたディエゴの手が止まった。全裸にシャツを羽織っただけの姿で振り向き、険しい表情を見せる。
「猫とキツネにそそのかされて悪さをする大嘘つき の言うことなんて、誰が真に受けるんだ? あのターゲットも結局ジェペットじゃなかった。お前の勘違いのせいで、こんな事になったってのに」
歯型やキスマークではなく、赤い痕の残った首をわざと見せつけるようにする。
「……俺のことを、愛している、と」
アルフィオは揚げ足を取るように食い下がった。面倒くさそうに鼻の頭を搔くディエゴ。
「死ぬならその前に伝えておこうと思っただけだ。おバカさんにも理解できるよう、分かりやすい言葉でな」
「一緒に暮らしていた時は、そんな事は一度も……」
「ずっと伝えてたさ。お前がオレの情熱を受け取らなかっただけだ」
「罵倒されてばかりだった」
「品物を悪く言うのは買いたいからだろ 。ようやくオレの手元に届いたと思ったら…….」
小競り合いに負けたアルフィオは息を吐き、うなだれた。
「確かに俺の考え違いだ。てっきり、他の男と結婚するものだとばかり。それならいっそこの手で、と……」
自分の手に触り、告白する。
と、ディエゴが手を伸ばしてきた。白い両手の動きを止めるように、褐色の手が乗った。
「いつの間にそんな情熱的すぎる男になったんだ? 殺ししか能がないからって、求愛行動も突飛すぎだ」
顔を上げ、見つめ合った。熱情ではなく、真摯で崇高な感情が溢れてくる。
「お前のためなら、俺は人だって殺した。もし、もう一度ディエゴと一緒に居られるなら、俺は地獄の業火の中でも構わない。ただ、信仰心を持たない魂が、死後にどうなるかは分からないから、審判の日には──」
「……ったく。何で“お前ら”は、死んだ後の事を考えてるんだ? 生きてる間の話をすれば良いじゃねぇか、人生は楽しむモンだろ。食って 、歌って 、愛して !」
ディエゴは出会った時から変わらない、身振り手振りと流暢な巻舌をまじえた早口で言い切った。
それを受け、アルフィオは突然、唇を引き結んでベッドを下りた。
「アルフィオ?」
不思議そうに呼ばれても返事はせず、裸のまま、床に片膝を突く。大理石の彫像のような体の陰で、力を失なった部位が揺れる。
ディエゴは何事かとその姿を見る。
「どうしたんだよ」
「ずっと言いたくて、言えなかったんだ。何か言いたくても、話せなかったから……」
青みがかった灰色の瞳で、まっすぐにディエゴを見つめる。
「愛しいディエゴ。どうか俺と、結婚してほしい」
それは、あまりにも急な申し出だった。
だがずっと意識していたのだ。ディエゴが結婚という物事についてどのように考えているのか、それが気になり、話題に出る度に過剰なほど反応してしまった。
ようやくパートナーとして踏み出せたのも束の間、最悪の形で再会する頃にはその愛情は歪んだ執着に変わった。しかし、つい先ほどディエゴからの愛情を確認できた事で、長い悪夢から醒めたような気分になれたのだ。
「ディエゴと一緒に、食べて、愛し合って生きたい。歌と踊り、それに子供は……苦手だが、努力する。もう逃げ出したりしない」
話せるようになった口で宣言した。
群れを離れた一匹狼は、ついに番 を見つけたのだ。
いつも自信に溢れたディエゴが、珍しく戸惑った素振りを見せた。
「冗談を言った事がないのは知ってる。けど……自分が何を言ってるか、分かってるのか?」
いつものからかいではなく、心が揺れているのが伝わる。
アルフィオはゆっくりとうなずいた。
「分かっている。俺の命、俺の心、全部お前に預ける。そうして、これからの人生を切り開いて行きたいんだ、ディエゴ」
間の抜けた格好で返事を待つ。真剣な態度と、すべてをさらけ出した姿の対比は滑稽にすら見えるだろう。
次の瞬間、ディエゴは何かを諦めたようにベッドに飛び込んだ。
「クソッ、お前は本当にオオカミみたいな野郎だ!」
仰向けになった彼からこぼれたのは笑顔だ。
「執念深く追いかけて来やがって。さすがのウサギも逃げ切れねぇよ」
「ディエゴ、俺はオオカミでもなくて……」
何と答えたものか分からず、ベッドの脇ににじり寄っていくアルフィオ。ディエゴが手を伸ばし、飼い犬にそうするように、その顎を撫でた。
「お前の勝ちだ、アルフィオ。お前を、このオレの夫──世界で一番幸せな男にしてやる」
そしてすぐに、いつものあどけない顔立ちに変わる。
「フィレンツェに着いたら、出来たての ジェラートを食わせてやる。それからフィドの銅像に並んで、お前の写真を撮るんだ」
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