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第62話 家族を愛せよ。
何があろうと変わろうと、朝は変わらずやってくる。一日として同じ日はないけれど、同じように繰り返していく。
「ヒヨ。いい加減にしないと置いて行くよ?」
「え?あ、ちょ、待てってば、」
一限が始まるよりもだいぶ早い時刻。講義前に研究室に寄りたくて、早い時間に出ると言ったのに。いつも通りに一緒に行くと言って聞かない緋葉 を待って、結果予定していた時間ギリギリになろうとしていた。
「もう。窓の鍵ちゃんと閉めた?」
「バッチリ!ガスの元栓は?」
「大丈夫。」
互いに確認しながら玄関を抜け、ほい、と手渡されたヘルメットを両手で抱える。
春休みが終わり、一年時と同様に電車通学するつもりだったのに、今のところその予定は緋葉のおかげで一度も実行されていなかった。
綺麗にクリーニングされたヘルメットは、今やすっかり僕専用になっている。
最近は後ろに乗るのも悪くないかも、なんて思っていることはまだ緋葉には内緒だ。
「ヒヨ、忘れ物ない?」
「おう、だいじょ…あ!そうだ。」
突然何かを思い出した緋葉は、ん、と僕に顔を突き出してくる。
「……なに?」
「いや、何ってそりゃあれだよ。行ってきますのちゅー。」
「…………。」
返事の代わりに冷めた視線を投げておく。
毎回恥ずかしいって断ってるのに、緋葉はめげずに毎日このやり取りを繰り返している。
よくも飽きずに言ってくるなと感心すらするけど……まぁ、それも仕方のないことなのかもしれない。
「んだよー、いいじゃん。俺達ももうちょっとイチャつこうぜぇ?」
キスをねだるため突き出されていた口元が、ぶー、と不満げに尖り、その視線が僕達の住む102号室から、隣の101号室へと移される。
ああ、時間的にそろそろか。
思い当たるより早く、101号室の玄関から、ガタッと物音が聞こえた。
物音はすぐに止み、ゆっくりと開かれたドアから顔を出したのは、顔を真っ赤にして口元を押さえる父さんと、わずかに口角を上げ笑みを浮かべる緋丹 さん。
……毎日毎日飽きないなあの人達も。
「あの、ひ、緋丹さん、これはその、挨拶と呼ぶにはその、刺激が強すぎると言いますか、」
「今日から暫し離れてしまうからな。……それに、慣れてもらわねばこれを上回るあの約束は難しいのではないか?」
「うう、……その、が、がんばります。」
「ふ、約束が果たされるのを楽しみにしておく。」
僕達に気づくことなく二人の世界に浸っているバカップ……父親達から、僕はため息とともに視線を反らせた。
胸焼けが。もうお腹いっぱい。
二人で勝手にやってくれ。
……と思ったのはどうやら僕だけだったらしい。
隣で同じくバカップルのやり取りを眺めていた緋葉はくそぉぉっ、と突然叫び声を上げ、その人差し指をビシッと二人に突きつけた。
「ふざっっけんな!よそでやれよ!俺らよりイチャつくなよ!!!羨ましいだろうがクソが!」
この生活を始めて数日、貯めに貯められた緋葉の不満がついに爆発したらしい。
本音を隠すことなくぶちまけられた絶叫に、父さんも緋丹さんもようやく我に返り僕らの存在に気づいたようだった。
「あ、ひ、ひ翡翠 !?緋葉君も!……ふ、二人も今から大学なんだね。えっと、今日は、早いんだね。あ、あはは。」
話を逸らそうと今更取り繕っても遅い。そもそも、隠すように口元に手を当てている時点で、何をしていたかなんて明白だ。
当然緋葉の怒りがおさまることはなかった。
「おいクソ親父!だいたい、何でここに住んでんだよ!温人 さん連れてクソでかいマンションに行きゃいいだろうが!!」
「別に、温人が隣にいるならどこに住もうと構わない。重要なのは温人の幸せだからな。」
動じることなく答える緋丹さんに、うんうん、とここは頷いて同意しておく。
たしかに色々と見たくないものを見てしまっている気はするけど、おかげさまで父さんとはこうして一緒にいられるんだから。
温人の隣にいる権利を譲って欲しい。
そう言って頭を下げた緋丹さんが当たり前のように選んだ父さんとの住処。
都内から離れた隣県の、築三十年越えのオンボロアパート「青葉荘 」。
――君達を引き離して誰が喜ぶと言うんだ。
そう言って選んでくれた、僕達の部屋の隣。
正直僕には不満どころか感謝しかないのだけれど。
「何が悲しくて新婚でいきなり二世帯同居しなきゃなんねぇんだよ!もっと俺達も二人っきりでイチャつきてぇのにぃ!」
ギュッと肩を抱きしめられたので、結構です、と押し離して辞退した。
緋葉の顔が今にも泣きそうに歪むが、そこは見て見ぬふりをした。
「新婚じゃないし。それに、同居じゃなくて、お隣さん、でしょ。」
「いやいやいや、こないだベランダの壁ぶち抜いたよな!ひと続きにしちゃったよな!」
「それは、多数決で決めたんじゃないか。」
「ずりぃ!納得いかねぇ!数の暴力反対!」
緋葉がどれだけ叫ぼうとも、誰も同意はしなかった。
ちなみに、もちろん以前誰かさんが多数決で決めたまま、変わらず四人で食卓を囲んでいる。
つまりはまぁ、僕たちの日常は以前とほぼ変わりないわけだ。
もちろん、そんな日常の中、わずかな変化もある。
「緋丹さんも、もう空港に発つんです?」
「ああ。君達を見送ったら私もそろそろ出ようかと思っている。交渉が決裂しなければ、戻るのは三日後だな。」
緋丹さんは多家良の家から離れ、一から事業を起こすことにしたらしい。
医療機器の会社を立ち上げるべく、今日から単身ドイツに渡るそうだ。
「無事なお帰りを、ご飯作ってお待ちしてますね。」
「ああ。なるべく早く帰るつもりだ。例の約束もある事だし……楽しみにしている。」
「は、はい……あの、その、待ってます…ね。」
父さんが顔を真っ赤にしてまで交わした約束が何なのかは聞かない方がいいんだろうな。
「くそーーっ!翡翠ぃ、俺らも今夜っ、いってぇ!」
馬鹿なことを叫ぶ前に緋葉の足を思いっきり踏みつけ、痛みにぴょんぴょん跳ねる緋葉の脇をすり抜ける。
「ほら、早くしないと遅刻なんですけど。」
「いっ、ちょ、ちょっと待てって、翡翠!翡翠さーん!」
早足で緋葉のバイクが停めてある駐車スペースへ足を進めながら、僕は後ろを振り返る。
慌てて僕を追いかけてくる緋葉……の後ろで僕達を微笑ましく見守っている父さん達二人に小さく手を振る。
「行ってきます。」
行ってらっしゃい、と返ってくる二人分の声を聞きながら、僕もお返しに行ってらっしゃいと二人に声をかけて。
そうしてやっと追いついてきた緋葉の手を、僕はそっと取った。
不機嫌そうにしていた蒼穹を映したような蒼い瞳が、嬉しそうに細められる。
握り返される手をしっかりと握りながら、僕も笑って緋葉の横を歩き出した。
これがまぁ、今の僕にできる精一杯のイチャイチャなので。
「ヒヨ、今日の夕飯何食べたい?」
「んー、翡翠と温人さんが作るものはなんでも美味いからなぁ。あ、買い物、今日も付き合うからな。」
「うん。じゃあ、メニューは一緒に考えようか。」
変わらないようで変わっていく日常。
それでも、変わらない優しさと愛しさの中で。
この先何があるかなんてわからないけど、僕達のちょっと変わったこの生活が物語なら、結末はこうに違いないんだ。
あたらしいかぞくは なかよく しあわせに くらしました。
――ってね。
おしまい
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長い話にお付き合いいただき、ありがとうございました。
気が向いたら番外編を、とは思っています。
私にとっては愛すべき子達なので😊
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