74 / 74

閑話 お父さんはやっぱりド天然

いい事でも、悪いことでも、家族に何かあった時には夕飯でひとつの鍋を囲む。 温人(はると)から聞いた奏川(かながわ)の家の決まりに乗っ取り、本日の夕飯は「春野菜のしゃぶしゃぶ」らしい。 卓上用の小さなクッキングヒーターに乗せられた土鍋では、昆布の香りをまとった琥珀色の出汁がコトコトと音を立て、食欲を誘う湯気をゆっくりと立ちのぼらせている。 鍋の周りには大皿に盛られたアスパラに薄くスライスした筍、キャベツに菜の花。 そして別の大皿には、豚肉と鶏ひき肉で作ったつみれが、主に緋葉(ひよう)の食欲を満たすため、大量に盛られていた。 「それでは、いただきましょうか。」 温人の言葉に合わせ、皆でいただきますと手を合わせる。 「緋葉君、お野菜もちゃんと食べるんだよ?」 「わかってますって!」 元気に答えつつも緋葉の手にする箸は真っ直ぐに肉の盛られた皿へ。 小さな子供のようにはしゃぐ緋葉を横目に各々も箸を手に取り具材を鍋にくぐらせる。 「また四人でお夕飯食べられるの、嬉しいね。」 「うん、そうだね。」 穏やかに笑みを浮かべる親子を微笑ましく眺めながら、皆で箸を進め…… そうして何故か自分以外の三人が身を固くする。 目を見開き、箸を片手に動きを止めた三人だったが、その意味を問いかける前に弾かれたように三者三様の反応を見せた。 「やべぇっ!やっぱうめぇわ。」 叫びに近い感嘆の声を漏らしながら勢いよく肉をかき込んでいく緋葉を見る限り、味に問題があったわけではないようだ。実際、温人と翡翠(ひすい)君が用意してくれた鍋は、シンプルなようで奥深さを感じる味わいで、つまりは間違いなく美味いのだ。 それであるにも関わらず、温人は瞳を見開いたまま口元を押さえ、翡翠君は眉間に皺を寄せ何やら頭を抱えている。 「……竹の皮で包まれたお肉とか買ってきたから、怪しいとは思ってたんだ。いつものスーパーでいいって言ったのに妙に時間かけて帰ってきたし。」 ジロリ、翡翠君の鋭い眼光が真っ直ぐこちらに向けられる。 「あのー、緋丹(ひたん)さん?……このお肉、どちらでお買い求めに?」 同時に向けられる温人の質問も正面からは受け止めがたく、思わず視線を泳がせてしまった。 視線の先で、緋葉が小さく頷き無言の圧をかけてくる。 ――いいか、絶対にこう言いはれよ。 買い出しを仰せつかり向かった都内の百貨店地下の精肉店で、息子に言われた言葉が頭をよぎる。 「……駅前の、スーパーマーケットで。」 「いや、絶対嘘だよね!?」 黙っていれば大丈夫。そんな息子の目論見は外れたらしい。 一瞬で嘘を見抜いた翡翠君の糾弾に、それでも何も答えずにいれば、翡翠君はこちらに突きつけていた人差し指を、隣に座り一人肉を食べ続けていた緋葉へと移した。 「何のためにヒヨを見張りにつけたと思ってるの!」 「んぐっ、ごほっ、……いやー、えへへ?」 そうか。見張りだったのか。 むしろその見張り役に「どうせだから美味いもん食わせてやろうぜ」と提案されたのだが……それは黙っていた方がいいのだろう。 ペロリと舌を出し逃げるように視線を反らせる緋葉に、温人も翡翠君も今更どうにもならないと悟ったのか、顔を見合せ肩を落とす。 「ま、まぁ、もう買ってきてしまったものはどうしようもないし。せっかくの緋丹さんのご好意だし。……食べて、いいんだよね?」 「まぁ、お肉に罪はないし。買ってきた以上は……いただきます。」 不満そうな声も表情も最初だけで、美味しい、とろける、と次第に感嘆の声に変わり、しっかりと箸は進んでいるので、どうやら気に入ってもらえたようだ。 だとすると、自分の行動の何がまずかったのだろうか? 二人の反応の意味がよくわからず首を傾げれば、翡翠君からため息が漏れた。 「……価値観の擦り合わせって大事だと思う。高級品ばっかり食べてたら、家計は成り立たないよ。これから父さんと暮らしていくなら、ちゃんと世間一般の価値観を身につけて下さい。」 なるほど。 彼らが難色を示したのは、今日この食卓ではなく、この先。 寄り添い共に歩むと、それを認めると決めてくれたからこその反応か。 なんと優しい叱責だろうか。 「金銭面は全て支えるつもりでいたのだが…」 「駄目です。頼りっぱなしは、僕は嫌ですよ?」 権力や富に惹かれる者は数多く見てきたが、まさか断られる日がくるとは。 本当にこの二人は、生まれも地位も権力も関係なく、多家良緋丹(たからひたん)というただの人間を見てくれているのだろう。 緋葉以外にも、そのような人間がいるなど思ってもみなかった。 手作りらしい胡麻だれに、湯立つ出汁に潜らせた菜の花を浸し、口に運ぶ。 ああ。やはり美味い。 この味を、このひと時を、そしてそれを作り出す存在を、絶対に失いたくない。 家族を、もう誰も不幸にすることなく、泣かせることなく、守っていきたい。 「温人がそう望むのなら考えるとしよう。……もう一秒でも手放したくないからな。」 「あ、えっと…」 素直に告げれば、向かいに座る温人の顔が一瞬にして朱に染まった。 照れ笑いを浮かべる温人につられて、こちらの口角も上がる。 そんな我々とは対称的に翡翠君の口元はむっとへの字に曲がり、隣からは緋葉のうわー、という冷めた声が聞こえたが構うものか。 もう何も言わず、行動を起こさず、後悔するなど二度としたくはないのだから。 「……これ以上は引っ越してからやってよ。」 「そうそう。そういうのは早いとこ温人さん連れてって二人きりでやれっての。……その方が俺らも遠慮なくイチャつけるし。」 最後の方はただの緋葉の願望である気がするが、どうやら情愛を素直に口にするというのは、周りにとっては必ずしも好まれるものではないらしい。 「そうか、では早急に引っ越しの準備をして、二人きりにならなければな。」 不快にさせたいわけではないので善処すると、そういう意味で口にした言葉は、けれど息子達二人に深いため息をつかせてしまった。 ……なにか、おかしなことを言っただろうか。 「……父さん、早いとこ荷造りしよう。今度こそ、本の誘惑に負けずにね。」 「ううっ、がんばります。」 「あはは、そこは俺らも手伝うんで。今日みたいに車も出せるしな、親父?」 「む?……そう、だな。」 食事をしながらの和やかな会話に、ふと気になって箸が止まった。 「なぜ温人が荷造りをするんだ?」 そんな必要ないだろう、と首を傾げれば、なぜだか三人は揃って首を竦めた。 「えっとですね、自分で荷造りするのと業者さんに全部お願いするのでは、かかる費用が変わってきちゃうんですよ。」 「そうだぜ。だから俺らも手伝って…」 「そうか。ならば必要最低限の荷物だけ持って、残りはマンションに置いていけばいい。大した量にはならないはずだから、手伝いも不要だ。」 え、と今度は自分以外の皆の箸が止まった。 「緋丹さん、手伝い……って、引っ越しの、ですか?」 「ああ。」 なぜか恐る恐る尋ねてきた温人に、首を縦に振る。 ……なにか、おかしなことを言っただろうか。 「いや、あのバカみたいに広いマンション、持ち家……だよな?」 「?ああ。」 それがどうした、と問う前に、三人は顔を突き合わせ、なぜか声を潜めて話しだした。 「え、ちょっと、うそでしょ?隣にいる権利を譲ってほしいってあれだけ盛大に頭下げといて?」 「ありえねぇだろ、クソ狭いボロアパートだぞ?」 「でも、でもでもそういうことだよね?ね?そうだよね?」 なにが、どうしたというのだろうか。 意味がわからないと口を開くより早く、なぜだか瞳を輝かせた温人がテーブルの向こうからぐっ、と身を乗り出してくる。 「あ、あのっ、緋丹さんは僕と二人で、どこで生活するつもりなんですか?」 「は?」 ……意味がわからない。 温人の期待に輝く瞳も、息子達の未知の生き物を見るかのような視線も。 何故今、そんな答えのわかりきっていることを聞く? 家族を、もう誰も不幸にすることなく、泣かせることなく、守っていきたい。 温人と共に生きる場所など決まっているではないか。 「それはもちろん――」 当たり前の答えを口にすれば、なぜだか緋葉ははぁ!?と絶叫し、温人と翡翠君はわ、っと歓声を上げ抱き合い。 結果、どうやら自分の誓いとは裏腹に、家族を泣かせてしまっていた。 ┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ 次回、最終回の予定です。

ともだちにシェアしよう!