78 / 78

番外編 3

「――ということが先日あったな。」 「あー……」 事のあらましを語り終えれば、緋葉はポカンと口を開け、未知のものにでも遭遇したような、なんとも言い表せぬ複雑な表情を浮かべていた。 もしかすると、あの時の自分も同じような表情を浮かべていたのかもしれない。 「ぬか……ねぇ。なんつーか、温人さんらしいな。そのタイミングで飯の話が出てくんの、やっぱあの二人親子だわ。」 梅の実のヘタ取りをしていたはずなのだが、もはや緋葉の手は完全に止まっていた。 腕を組み、うんうんと頷く息子を横目に、こちらは残りわずかとなっていたボウルの中身に手を伸ばす。 手にした梅の実に竹串を刺し、ヘタを取り除く。我ながら速度も精度も上がってきたようだ。 「おい緋葉、そろそろ終わらせてしまわないと二人が帰ってく…」 「で?」 作業の再開を促す言葉は最後まで紡がせてもらえなかった。 何故か緋葉が向かいのテーブルからずいっとこちらに身を乗り出してくる。 「……で、とは?」 「いや、だから、親父はどうやって誤魔化したわけ?」 「は?」 どうやら緋葉の中で先程の話は終わっていなかったらしい。 その蒼い瞳は興味という名の輝きに満ちていた。 「萎えたとか正直に言えねぇだろ?あの二人なら今後も似たようなことありそうだし、参考にさ、どうやって誤魔化したか教えてくれよ。」 はて、なんの事だろうか。 「……誤魔化す?」 言葉の意味がわからず首を傾げれば、緋葉はえ、と口を開け、興味にランランとしていた瞳を丸く見開いた。 「ま、まさか……いけたのか?」 「いけた、とは?」 「いやいやいや、ぬ、ぬか床かき混ぜて戻ってきた温人さんの手をとって、なんなら指絡めて押し倒し直して、最後までヤったのか!?」 なんとも低俗な単語に思わず眉をひそめたものの、緋葉の言葉には否定する箇所は見当たらなかった。 とは言えどこまで話したものかと思案するも、沈黙を肯定と受け取ったのだろう。緋葉はマジか、とその口元をわななかせる。 ……自分は何か、おかしな事をしてしまったのだろうか? 「す、すげぇぇぇぇ!」 リビングダイニングに轟く緋葉の大声と、ドアの向こうから「ただいまー」の声が聞こえてきたのはほぼ同時だった。 理解が追いつかぬまま、開かれた扉から姿を現した温人と翡翠君にとりあえずおかえり、と言葉をかける。 緋葉はそれすら忘れ一人興奮に鼻息を荒くしていた。 「すげぇ!マジ尊敬する!」 褒められている気がしないのは何故だろうか。緋葉から向けられる視線は確かに言葉通り尊敬の念が込められているように見えるが……何かが違う気がする。 「ん?なになに?緋葉君、何が凄いの?」 「どうしたの、大声出して。」 買い物袋を抱え帰宅したばかりの二人は事態が把握できずに首を傾げるが、ここまでの経緯を説明など出来るはずもなく。 返答に難儀しているこちらを他所に、キッチンに買い物袋を置いた翡翠君と温人はこちらへ歩み寄ってくる。 「ああ、いや、…」 「あ、凄い。全部終わってる。」 こちらが言い繕うより早く、テーブルを覗き込んだ翡翠君が口を開いた。 「ああ、本当だ。沢山あったのに二人とも凄い。」 凄いの意味をテーブルの上のヘタ取りされた梅の実達と誤解する二人に、返す言葉はみつからなかった。 「父さん、凄いのは二人じゃなくて緋丹さんだよ。緋葉の方のボウル、ほとんど入ってないもん。」 「いや、そう、すげぇんだよ。親父すげぇんだって!」 「緋丹さん、凄いです!頑張ってくれたんですね。」 「緋葉はどうせ途中で飽きたんでしょ。」 「いや、最後まで萎えずにやれるの凄すぎだって!」 三人の会話が微妙に噛み合っていないことに気づいているのはおそらく自分だけだっただろう。 称賛され、素直に喜んでいいものだろうか。 反応に、困る。 「緋葉はサボってたんでしょ。もう、来年はもっと頑張ってよ?」 「いやいやいや、来年どころか俺も今夜頑張らねぇと。」 「?」 その言葉の真意は、翡翠君には届かない方がいいのだろう。 ……ここは、何も言わぬが正解か。 「さぁさぁ、ヘタ取りは終わらせてもらったから、次はアク抜きだよー。」 作業の再開を促す温人の一言に、息子達ははーい、と答え、温人の指示の元テキパキと動き始める。 「緋葉君、水につけるから実を全部タライに入れてくれる?」 「ういっす。どんくらい漬けとくんすか?」 「三時間は水につけておかないといけないから……そうだね、その間にお昼ご飯にしよっか。」 「僕も手伝うよ。」 「ありがとう。あ、では緋丹さん、テーブルの片付けお願いしてもいいですか?」 「わかった。」 いつの間にか話題が逸れたことに内心胸を撫で下ろし、テーブルに散乱したままになっていたボウルやざるを片付ける為に手を伸ばす。 昼食後はいよいよ梅の実を漬け込むことになるのだろう。温人の母君から伝わるレシピ通りに、白ワインで優しいまろやかな味に。 「今日漬けて、いつ飲めるようになるんだっけ?」 「半年後だってば。まだまだ先の話だよ。」 「つーことは、……」 六、七、と指折り数えていた緋葉が、突然何かに気づいてはっと瞳を見開いた。 「半年後ってことは、翡翠の誕生日じゃねぇか!」 「……よく、覚えてたね。」 「ったりめぇだろ!お、じゃあ解禁日は決まりだな!」 「それいいね!翡翠の二十歳の誕生日にみんなで乾杯しなきゃ。ね、緋丹さん?」 「……ああ、そうだな。皆で鍋を囲みながら、だな。」 当たり前のように交わされた半年後の約束に、思わず口角が上がってしまった。 ここにいる誰もがその未来を疑いもしていない。それはなんとも心地よい風となって心臓をくすぐっていく。 「緋丹さーん、ボウルとお皿こっちに持ってきてもらえますか?」 「ああ、わかった。」 この心地良さを少しでも長く感じるため、とりあえずは仰せつかった片付けの仕事をこなすことにしよう。 その夜、自らの発言通りに頑張ったらしい緋葉が、起き上がれなくなるほどに疲弊した翡翠君から接触禁止を言い渡され、半年後の未来に暗雲が立ち込めることになるのだが……その時はまだ、知る由もなかった。 ┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ この人達はずっとこんな感じなんでしょうね。 緋葉も緋丹さんもなんだかんだで尻に敷かれてると思う😂

ともだちにシェアしよう!