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九 手折られた花

 百夜(ももや)は淡々とした調子を崩さず話を続けた。 「異変は、おれが松柏(しょうはく)キネマで女優デビューした二年前に起こった。当初は撮影所の裏方仕事をやるつもりで、役者になる気はなかったんだが」 「へえ? もったいねえな」  と、志千(しち)は思わず反応する。 「周囲の奴らもみなそういった。そのうえ残菊と似ているからと、娘だと匂わせて同じ名で出演するはめになった。というより、最初からそのつもりで連れていかれたようだ。仕事を斡旋してくれた、ある人物に騙し打ちされたらしい」 「あー……」  要するに、商売になると踏まれたのか。  もとより美形なうえ、伝説の女優にそっくりなのだから、話題性はある。  それに、こうも至近距離でじっと見つめられていると──男同士でさえ、なんだか妙な気分になってくる。  どうせなら役者にしたいと考えた奴の気持ちも理解できた。 「でもさ、おまえ、演技うまいじゃん。活動写真なんか口パク芸だとかいってたくせに。無声だからっていい加減にパクパクしてるだけの役者も実際いるけどよ」 「おれは残菊と同じように演じているだけだ」 「あー、いわれてみゃ舞台寄りかもな。観客を前にしているような臨場感がある。どんな感情を乗せているのかまっすぐ伝わってくるから、受け取りやすくて俺は好きだぜ」  正直に褒めたというのに百夜は気に入らなかったらしく、嘲笑するように言い捨てた。 「はっ。実際に聴こえないのだから無意味だろう。活動に求められる演技力なんか、所詮その程度だ。カメラの拡大に耐えうる見てくれがあればいい。貴様ら弁士を喜ばせたところで、自分の自由にできる素材として好んでいるだけだろうしな」 「俺らは自由にしてるんじゃなくて、引き出してるんだっての!」  活動写真の話になると、主張の相違ですぐ喧嘩になる。  本人の希望じゃなかったとしても、役者には向いているんじゃないかと伝えてやりたかっただけなのだ。  騙されて嫌々はじめただけあり、意固地だった。  言い争っていては本題が進まない。  どうやって場を収めるかと考えていたら、意外なことに百夜から折れた。 「……しまった。すまない」 「お? 謝ったな」 「他人に頼み事をするときはしおらしいふりをしろと、教えられていたのを忘れてた」 「それ口にしちゃダメじゃね?」 「あと、おれが顔を近づけて頼めば大抵は大丈夫だと、ある人物に教わった」 「近いと思ったら素直に実践してたのかよ! そいつたぶんロクな奴じゃねーから、鵜呑(うの)みにすんな」  なぜずっと衿ぐりを掴まれたままだったのか、ようやく謎が解けた。  まんまと引っかかって狼狽していた自分も自分だ。二代目のファンであることを差し引いても、百夜の顔面には相当弱いらしい。  火照(ほて)ってきた顔をごまかすように手であおぐ。 「あー、話戻すぞ。それから?」 「話題作りのため、会社はおれの正体をひた隠しにし、残菊の名でデビュー作の封切を迎えた。そのせいで問題が起きた」  当日の騒ぎは横浜まで届いていたので志千も知っている。  松柏キネマの狙いどおり、『伝説の大女優復活』のニュースが飛び交い、人々を驚かせた。  しかし、いくらふたたび姿を現したように見せかけても、あくまでも二十歳頃の大女優と似ていただけだ。  同じ年齢で撮った写真を見比べれば判別がむずかしいほど瓜二つだろうが、人間が若返るはずはない。  復活ではなく別人だと、すぐ囁かれるようになった。  映画会社がだんまりを貫いたことで、観客の論争や推測がかえって話題を呼び、新人では異例の興行収入を記録した。  以前から残菊には娘がいると噂が流れていた影響もあって、最終的にデビューしたのは娘なのだと結論づけられ、世間は納得した。  初代、二代目と呼び方を分け、別の女優として受け入れていったのである。  ここまでは、誰もが知る事実であった。 「初代に隠し子がいたって話は、とうの昔に本人が引退していたから醜聞にはならなかったよな」 「ああ。むしろ好意的に迎えられたと会社の者たちはいっていた。実際には娘じゃなくて息子だが」 「松柏キネマだって、一時的なお祭り騒ぎだと見越しておまえをデビューさせたんだろ。なにが問題だったんだ?」 「べつに、おれはどうでもよかったさ。だが、そうじゃなかった奴が存在したようだ」  百夜の初主演作である『月下の妖女』が公開されてすぐ、何者かによる嫌がらせがはじまった。  浅草の活動館では看板や(あおり)が破壊され、撮影所にも残飯が投げ込まれたり、火付けのボヤが起きた。  新聞の切り抜きでつくられた脅迫状が届くようになり、手紙には必ず手折られた菊の花が挟んであった。  黄色の菊は初代残菊がもっとも愛していた、彼女のシンボルである。 『アノ時()レタハズナノニ ドウシテ?』 『モウ決シテ咲カナイヤウニ 今度ハ()ノ手デ貴女を手折(タオ)ラウ』 「おれが初代とは別人だと世間に知られるようになると、どれもぴたりとやんだ。|贋物《にせもの》には興味がなかったんだろう」 「……なるほどな。話を聞いている限り、たいしたやつとは思えねえけどな。しみったれた嫌がらせしやがって」 「だが、手紙の文章は失踪の事情を知っているふうに読める。それに、少なくともこいつは……残菊が今でも生きていると思っているんだ」 「じゃなけりゃ、本物と間違えて反応するはずがないもんな」  と、志千は納得して相槌を打った。 「真実はわからない。ただの妄想野郎か、頭のおかしいやつが書いたのかもしれない。手がかりは脅迫状しかない。だが、残菊を完璧に再現できる貴様の声があれば、送り主はきっともう一度動きだす」  残菊の声をくれ。  ようやくその意味がわかった。 「もう一度そいつをおびきだして、問い詰めてやろうって(はら)だな」 「ああ。たったそれだけで、ずっと放っておいたくせにいまさら捜そうと思うなんざ、やはり変か?」 「なにが変? 親子なんだから当然だろ」 「そういうものか」  百夜は柳眉を八の字に下げて困惑していた。  今までに見たことのない表情だ。 「事情はわかったよ。俺はべつにいいぜ?」  今度は驚いた顔で、さらに接近してきた。 「協力してくれるのか? なぜ?」 「なぜって、おまえが頼んでるのになんで聞き返すんだよ」 「当たり前に断られると思っていた。貴様にはなんの得にもならないんだぞ」 「うーん、なんていったらいいんだろうな……。あ、顔面の効果ってわけじゃねえから、気軽にこういうのやるなよ?」  男とはいえ、この顔である。誘惑しているかのような誤解を与えかねない。  百夜の手首を掴んで、さりげなく体を離した。 「だって、その役目は俺にしかできねえじゃん」  そして、自信に満ちた口調で答える。  志千の父にも、初代残菊の声を再現するのはおそらく不可能だ。  自分にしかだせない声を求められている。  それだけで、協力するには十分な理由だった。 「そうか……。もし断られたら、昨日の夜、おれに跨られて気を放ったのを種に脅そうと思っていたんだが」 「気づいてたのかよ……! つうか脅そうとしてたのをさらっと白状するんじゃねえ。いっとくがおまえに対してじゃなくて、あのときは二代目だと思ってたからで……。とはいえ、俺はけっして二代目をそういう目では見てねえんだけど……」  わやわやと言い訳をしながら、また自己嫌悪に陥ってきて話を戻した。 「で、おびきだすための策はもうあるのか?」 「まだだ。残菊は舞台しかやらなかったし、活動写真にでているのは二代目だとすでに知れ渡っている。どんな手法を使おうかと、ずっと考えてはいるんだが……」  百夜はそこまで話したかと思うと──  突然、電気が切れたみたいに、志千のほうへ倒れてきた。 「おい、どうした!」 「疲れた……。台本以外で人とこんなに喋ったのは、人生で初めてだ」 「んな、大袈裟な」  しかし、普段の無口さを思いだすと有り得るような気もしてきた。 「撮影で朝は早かったし、昨晩は貴様のせいで寝不足だし……」 「昨日のはおまえが勝手に夜這いに来たんだろ。つまり眠いんだな?」  他人に聞かれたらあらぬ疑いをかけられそうな、意味深な会話になってしまった。  百夜の体を押し返してを椅子に座らせると、背もたれに沈みこんだ。  瞼を閉じた顔は、化粧をしている女優のときよりも少しあどけなく見える。  もっと捻くれた男なのかと思っていたが、今日初めてじっくり話してみて印象が少し変わった。  鋭いかと思えば、妙に素直で幼い面もある。 「おまえ、いくつ?」 「……数えで十九」 「まあまあガキだな。煙草吸うなよ」 「貴様も、さほど変わらないだろう」 「俺は大人なんだよ。自慢の声で子守唄でもうたってやろうか?」 「急に年上ぶるな、軽薄弁士……」  最後まで悪態をつきながら、百夜は眠りに落ちていった。

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