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【番外編】九弥と黒柳㈣
どれだけ乱暴に組み敷いても、支配されているのは常にこちらのほうだ。
ならば、彼の身体にせめて自分の証を刻みたかった。
黒柳 は布団にうつぶせになっていた九弥 の腰を持ちあげ、上から覆い被さった。
自分の汗が彼の背にぽたぽたと落ちる。
彼の歓喜とともに動く背骨の曲線が、とても綺麗だと思った。
ときどき、後ろから顎を掴んで無理やりこちらを向かせ、唇を奪う。
そこから先は白昼夢のように、夏の記憶に溶けて朧 げにしか憶えていない。
視界に映る白い首筋。
黒柳の歯型で、赤く染まっていく。
彼が達したのを確認してから、自分の欲望をすべて奥にぶちまけた。
事が終わったあと──黒柳は煙草盆を引き寄せ、少し考えてから火をつけるのをやめた。
それを見て、隣で息を整えていた九弥が言った。
「吸っても構いませんよ」
「でも、においがつく」
「甘い香り。いつも君からしていたのはその煙草だったんですね。商品にはつけられませんが、今日は休日ですから」
好きです、その香り。誘 われているみたい。
そう呟いた彼の短い髪をとり、指に絡ませようとしたが、まっすぐなせいで隙間からするりと落ちた。
ひさしぶりの休日。もし九弥が、あの店先で抱かれる相手を探していたのだとすると──
黒柳ではない他の誰かが、先に声をかけていたとしたら、いったいどうなっていたのか。
「……誰でもよかった?」
「いいえ、まさか」
と、可笑しそうに笑う。
「君みたいに男らしくて、ハンサムな子が相手で幸運でしたよ」
そんな理由じゃ、誰でもいいのとたいして変わらない。
彼がどこまで本気で言っているのかまるでわからなかった。
だとしても、黒柳からすればその偶然がもたらした恩恵に与あずかれたのだ。
彼が望むままに、どこまでも解放してあげたかった。
いずれは店を継いで、妻を娶 り、子を生 さなければならない身。
跡取りとして完璧に振る舞っている彼にも、抑圧された欲望の発露が必要だったのかもしれない。
恵まれているように見えて、決められた将来というのは周囲が思う以上に窮屈なのだろう。
それから残りの数日間、黒柳と九弥は時間が許す限り、毎日のように会って、毎日のように求め合った。
ごく短い間だったが、自分たちはたしかに恋人同士だったのだ。
別れの日が近づいてくる。
「家、絶対に継がなきゃなんねぇのか。下に弟や妹がいるんだろ」
「弟には夢がありますし、妹たちとは一回り以上も離れています。祖父はもう歳ですからね。早く安心させてあげないと」
横濱を去らなければならない前日、黒柳は東京行きの汽車の切符を九弥に手渡した。
驚いた顔で、手元と黒柳を交互に見つめている。
「これ……無理したでしょう」
他の劇団員が女や酒に浪費していた分、とくに使い道もなく貯めていた有り金をはたいて買った。
「九弥さん……俺と一緒に、帝都にきてくれ」
なにも持っていない自分と、たくさんのものを抱えた彼。決して対等ではないとわかっている。
──それでも、あなたがぜんぶを捨ててくれるなら。
なにを犠牲にしてでも添い遂げようと、あのときは本気で思っていた。
***
そして、十年が経った。
撮影はすべて終わり、あとは封切を待つばかりだ。
新作の完成祝いにと、制作陣のみならず、活動写真館や新聞、雑誌の関係者なども呼んで盛大な宴がひらかれた。
そこには当然、会いたくない人物も来ている。
「あー、今日も俺の百夜 が可愛くて死にそう」
「阿呆な死因で置いていくなよ。酔っ払いめ」
「シッチーなぁ、ももがおらんとこでは、もうちょっとかっこええんじゃけどなぁ」
「つまり、おれは一生その姿を見れないのか?」
主演のため強制的に参加させられている花村百夜と、傍らをべったりと離れない寿 志千 。
おまけに、関わると面倒そうな小山内 桜蒔 までいる。
酌をしてくれる美しい芸者たちには見向きもしていない。
内輪で戯 れているだけなら早く帰ればいいのに、と黒柳は思わず舌打ちを漏らした。
本音を言えば──ああ、こいつらだけがのほほんと幸せになっていてクソ腹が立つ。
胸のうちで毒づいて、一気に酒を煽る。
「そういや、今日うちの親父が電話かけてきてさぁ。わざわざ仕事場に」
急に家族の話になったため、黒柳は危機を感じて席を立とうとした。
だが、間の悪いことに映画会社の偉い人間が隣にやってきて、身動きができなくなった。
「いやぁ、今作はヒット間違いなしだよ。花村君も綺麗だけれど、黒柳君はやっぱり大人の男の色気がすごいねぇ」
「あー、はい」
うわの空で返事をしながら、とにかく酒を呑む。
それでも、聞きたくないのに勝手に耳に入ってきた。
「なにかと思ったら、姪っ子が初めて喋ったって報告なんだよ」
「姪っ子?」
「俺の姪っ子」
「ああ、寿八先生にとっちゃ初孫なんか」
「そー、両親がもうデレデレしちまって」
地雷装置を直球で投げてくる、嫌な話題だ。
しかし、まだ九弥の子とは限らない。
妹は一回り離れていると聞いていたが、商家の娘だから早々に見合いでもして子供がいる可能性は捨てきれない。
捨てきれないうちにここから去りたいのに、偉い人に離してもらえない。
「次はぜひ主演をやってもらいたい。どうだい、松柏 の専属俳優にならないか?」
「あー、はい……」
そのとき、寿志千の横に座っていた花村百夜と目が合った。
なんだその顔は。
なんとも言えない気まずそうな表情をしている。
というより、憐れみをかけられている気がする。
「百夜はこないだ実家に来たとき会っただろ? 兄貴の嫁さんが赤ん坊抱いてたじゃん。兄貴んとこは結婚して長年子供できなかったからさぁ、元気に育っててほんとよかったよな」
寿志千は、恋人に手をだされそうになった仕返しでもしているのかと思うくらい──的確に傷口へと塩を塗り込めてきた。
十年前の第一印象どおり、こいつとは一生わかり合えそうもない。
その隣で、花村百夜は無表情ながらに青くなったり白くなったりしている。
九弥と黒柳の関係をどこかで耳にでもしたのだろうか。
「そんで、次は百夜をいつ連れてくるのかって、みんなしてうるせえの。最終的には許してくれるだろうと思ってたけど、受け入れすぎだろ。寿家の養子にしたいとか言いだしかねない気に入りっぷりなんだぜ」
「は〜。シッチー、そういうとこよな。認めてもらえんかったら家族と縁切るとか息巻いとったくせに、結局は許してもらえるって甘えが根底にあるんよなー。ボンボンの愛され次男坊め!」
もっと言ってやってくれと、心の中で小山内桜蒔に声援を送る。
「百夜を見せたら家族全員が諦めたってのもあるな。すげえ面食いだと思われたみたいで、俺を女と結婚させたいなら、それこそ二代目残菊でも連れてこないと無理じゃないかって妹たちが話してた」
「連れてったところで同一人物じゃろがい。ま、跡取りの長男が立派みたいでよかったのう」
ずっと知りたくなくて、でもなんとなくわかっていた現実。
あの人は家と家族を、自分の守るべきものをちゃんと守っている。
その結果が、目の前にいる幸せそうな彼の弟たちなのだ。
「もーもや、さっきからどうかした? 酒は呑んでないよな。元気ねえじゃん」
「……なんでもない」
「お、なんか隠しごとしてんな。わかりやすい奴め」
うりうりと頬をつつかれている花村百夜は、真面目な顔をして謝罪した。
「すまない、言えない」
「べつにいいよ。恋人だからってなにもかも話さなきゃいけないわけじゃねえんだし、その感じなら、俺が嫌がるような話でもねえんだろ」
「ああ、他人の大事な秘密の話だから」
寿志千は嫌いだが、花村百夜は案外素直で可愛いやつかもしれない。
九弥には似ているようで似ていない。
あの人は、もっとずるかった。
あの人ならもっと……優美に笑って、平然と嘘をついただろう。あのときと同じように。
最後に交わした言葉。
俺のためならすべてを捨てられるかと聞いた。
彼は目の端に涙を溜め、
「発車時刻に必ず行きますから……今は手を離してください」
そう言って、微笑んだ。
答えなかった時点で、結果はわかっていたのだ。
汽車の停車場でいつまで待っても、彼がやってくることはなかった。
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