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第72話 匠
紺野と出会ったのは、高校生の時だった。どこか冷めた目をした転校生は、祖父母の家に引き取られてきたという。自分は誰にも必要とされていないと信じていた、そんなことはないのに。
自分の生い立ちを呪うその姿に自分の姿を重ねた、いつの間にか傍にいるようになり、いつの間にか惹かれていた。
「もう誰かを失うのが怖い」と言う紺野に「大丈夫、どんな事をしても俺はお前を見限らない、離さない」そう告げた。
けれど、まるで俺の愛情を試すように、確かめるように他の男と寝ては、俺の元へと戻ってきた。責めないで、受け入れる、それでいつか紺野を変えられると思っていた。それが、勘違いだった。
違和感を感じたのは、ムスクと煙草の匂いのした朝だった。いつものように何処からともなく帰ってきた紺野は俺に強い口調で詰め寄ってきた。
「ねえ、どこで何をしていたのか聞かないの?なぜ、責めないの?本当に俺の事を愛しているの?義父さんは、離したくないと言ってくれたのに。どこにも行くなと……」
義理の父親が浮気の相手かと衝撃を受けた。確かにあいつは母親を亡くしてから暫く義父の側にいた。あの人は母も俺も同じように愛していたから。そばに誰か居てやらないと消えてしまうそう言っていた。
社会人になる時、あいつは義父の勧めでアズマ商事に入った、だんだんとあいつが囲われつつあるのを認めないわけにはいかなかった。
そして、ニューヨーク支店長として三年日本を離れる義父を選んだのだ。
「違うよ、匠は俺が振り回したと思っているでしょう、けれどいつも俺の片思いだった。最期までそう責任感や意地でそばに居られたら苦しいだけだよ。もう諦めようと思っても何度も夢に見てしまう。だから最後に会いに来たのに、嬉々として他の男を見ている匠をみて、どうしようもなくなったんだ」
「そこまでお前を苦しめているとは思っていなかった。でも愛していたよ。俺なりの形で。それは嘘じゃない。幸せになれよコウ、紺野さんこいつをよろしくお願いします。やはり俺の大切な友人なのには変わりがありませんから」
紺野の義父は、俺に一礼をすると紺野の手を握った。
「康介、退職願は私の預かりになっている。今お前は有給消化中だ、ニューヨークに戻るぞ」
荷物は明日ここに送ってくれとホテルの住所と送料として封筒を渡された。受け取れないと言い張ったが向こうも引かなかった。
仕方なく封筒を受け取り二人と別れた。あいつも幸せになって欲しい。部屋に戻るとまだあいつがいた形跡があちらこちらにある。洗面台や寝室に。
あいつのスーツケースに持ってきた着替えとパソコンだけ放り込む。それ以外の物はまとめてゴミ袋に放り込み窓を大きく開けて空気を入れ替えた。
ふと思い出して封筒を開けると一万円札と手紙が入っていた。「迷惑をかけてすまなかった。もう手放すつもりはない、今後一切心配ご無用」と書かれていた。
年寄り扱いして悪かった、まだまだあの人も雄の匂いをさせてたんだ。俺に頭を下げるのは相当悔しかったはず。
紺野も蛇に絡め取られたな。もうあいつの事は心配しなくていい。金曜日にきちんと俺の気持ちを上原に伝えよう。俺は図々しいんだ、たとえふられても同じ部署でやっていける。
高校の時の俺はそういうやつだった、いつの間に周りを気にするようになったのか。思い出させてくれた紺野に感謝すべきなのかもしれない。
いつもより早くベッドに入る、かすかに紺野の匂いがした。
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