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第1話
父親であるヘーゼル国の国王陛下が倒れた。
倒れた場所は、父の恋人宅。
その日は風が柔らかくなり始め、心がウキウキと浮き立ち、多くの人が街に繰り出したり、恋人たちが夜のテラス席で愛を語り合うような日であった。
そんな日に倒れた王は、意識不明の重体、生命の危機に瀕し、現在集中治療室にいる。しかし、突然起きた不幸な事態に悲しんでいる時間は王室にはない。
国王が意識不明の重体であっても、国の政は待ってくれない。
いつの時も悩む民はいる。そして日常が追いかけてくる。みんな平等に朝が来て、昼になり、しっかりと夜は来る。国の政と地球と日常は常に回っているのだ。
だから倒れた国王陛下の代わりに、誰かが政務を執り行う必要がある。日常を!平和を!この国の幸せを願うには、誰かが政務を回さなくてはならない。
このような緊急事態の場合、政務を取りまとめる者は、王の血縁関係にある者。血縁者の中でも王に子がいれば、子に政務を任せるという国の決まりがあった。
更に、その子は『男性に限る』という条件付きである。
父は『恋多き国王』と国内外から呼ばれており、結婚離婚を何度も繰り返し、子供をあっちこっちに溢れるほど作っていた。
溢れるほど作っているわりには、国王実子の中で男は2人。王子は2人しかいない。
第一王子は『コウ』25才の成人男性。
第二王子は『ウルキ』
ウルキは、まだ赤ちゃんである。最近よく歩き、よく喋るようになったが、喋る言葉のベストワンは「マンマ!」だ。いつもニコニコと、ご機嫌なウルキであるが意思の疎通は…難しい。
つうことでっ!必然的に、コウが主導権を握り、国王不在という危機を脱しなくてはならなくなった。
「こら、コウ!コウっ!またこんな所で寝て…早く起きて!今日は朝イチで議会があるんでしょ?もう…心配」
心配と言いながらも、起きろ起きろと盛大に呼ぶアンジュから叩き起こされた。アンジュは第一王子であるコウに対しても容赦がない。名はもちろん呼び捨てであり、敬称は省略されている。
「わぁぁかってる!起きてるってば…」
ベッドまで辿り着けず、ソファで寝落ちをしていたコウは、ブチブチと文句を言いながらもアンジュに急かされ、渋々顔を洗いに行く。
小さい頃からコウのそばにいるのは、両親ではなくアンジュであった。アンジュはコウの乳母である。
この国に生まれた王子は、王族の方針で小さい頃から王宮で乳母と生活し、王族の常識やマナー、それに帝王学とやらを子供に教え込むという習慣があるらしい。
親との交流なんてもんは薄い。王宮に産まれた王子なんて実はこんなもんだ。
交流は薄いが、仲が悪いわけでも他人行儀な付き合いをするわけではない。
母はコウが小さい頃、既に亡くなっている。そのためなのかわからないが、父である王は人一倍濃い愛情表現を持っていた。
会えばギュウギュウと熱烈なハグはされるし、頬や顔中にキスの嵐を受ける。食事も一緒にすることはあるので、砕けた会話もするし、電話やメッセージで頻繁に連絡を取る仲ではある。
父と生活を送るという距離感は、一般国民とは違うよなぁと小さい頃から感じていたが、国の王であるし、それに王族の方針だから仕方がないと割り切っている。
恋多き父の恋愛事情も大した問題ではない。恋多き人であるのは事実だし、父の恋人たちも似たようなもんである。熱い恋愛を繰り返す者たちは、付き合ったり別れたりをも繰り返している。羨ましいと思う時もある。
父にはたまに会えるし、会ったら熱烈な愛情表現はあるし、さみしさなんて感じたことはなかった。それに成人した今では、親に頼ることもないし…って思っている。
だからコウにとっては、親よりもアンジュの方が身近な存在である。小さな頃からそばにいてくれる乳母とは、お互い容赦なく言い合える距離感がある。
「コウ、もうちょっと余裕をもって行動してくれない?毎日やることはたくさんあるんだろうし」
「わかってるけどさぁ…疲れてベッドまで辿り着けないんだよ」
「まぁね、大変なのはわかるけど。何とか頑張ってよ。まだ王の意識は戻らないみたいだし…コウがやるしかないじゃない」
「そうだけどさっ!でも、何で俺なの?別の誰かでもいいじゃん。大臣とか、おじちゃん達いっぱいいるよ?あの人達がやった方がさぁ、上手くいくのにさぁ…」
寝癖がひどい。
癖毛だから、尚更寝起きはピョンピョンと毛先が跳ね上がってしまう。童顔だから尚更子供のように見えるという自覚はある。
コウは鏡に映る自分の幼い姿にため息を吐きながら、アンジュ相手に愚痴が止まらないでいる。
「別に男じゃなくったっていいじゃん?そう思わない?王の代わりに政務を執り行う者は男で、王子じゃなきゃダメ!って、誰が決めたんだよ!時代にあってない〜。ふっるい〜。それに父さんもさ、あっちこっちに子供を作ってるのに、ほぼほぼ女の子を作るなんて…何やってんだよ、恋多き王よ!頼むぜ、全く」
ブラシを持つ手に力が入り、グシャグシャと何度もブラッシングをするが、寝癖は直らず。
「とか何とか言ってても、頑張ってやってるみたいじゃない?私は応援してるわよ、コウ。案外、王室の仕事は合ってるかもね。このまま王の下で働けば?」
「はぁ?アンジュ何言ってんの?俺の本来の仕事はキッチンポーターだよ?早く元の生活に戻りたいっつうの!」
そう。今までは王室キッチンの管理、清掃、所謂雑用全般が第一王子であるコウの仕事であった。
キッチンでみんなと一緒に働いているのが楽しい。皿洗いでも何でも体を動かし、忙しく働くのが楽しかった。
それなのに…父が倒れた後からは、王子として国王の代わりをやってるもんだから、
やたら難しい会議や会合に顔を出さなくてはならなくなっている。
「それにさ、国が新しいこと始めるわけじゃないし?今までと同じじゃん。それでいいじゃん!そう思わない?」
《おい!早くしろ!》
「ひっ!ひーっ…」
何とか寝癖を抑えつけ、スーツのボタンを留めていると、頭の中で声が急に響いた。
コウはビクッと驚き身体を硬直させ、自分でも笑っちゃう程の情けない声を上げてしまった。
突然、頭の中に声が響くんだ。
驚いて腰抜かさないだけ立派だと褒めて欲しい。
「どうした?コウ?あっ…マリカ?」
アンジュは情けない声のコウの顔を覗き込み、心配そうな顔をしている。そんなアンジュに返事をすることも忘れ、コウは猛ダッシュでダイニングに移動した。頭の中で響いた声の主は、ダイニングにいるのはわかっている。
コウの部屋からいくつか先のダイニングのドアを勢いよく開け「だから!急に話しかけんなって言ってるだろ!」と怒鳴った。
ついでに《舐めんなよ!コラ!》と、コウは言葉を発することなく、ドアを開けた先で涼し気にコーヒーを飲んでいる奴の脳内に声を響かせてやった。
「お前がうだうだ喋ってないで早く来れば急に話しかけなかったって。遅いんだよ」
《舐めんなよ!》と、精一杯強めの言葉を相手の脳内に投げかけても、涼し気な男は驚くこともなく、しら~っと、コウにそう言い返す。
キッと睨んでやっても、フンッって顔を背けても、こちらを見て薄っすら笑っているから、何だか小馬鹿にされているようでムカつく。
そんなコウをムカつかせる男、目の前にいる男の名はマリカ。
マリカとの出会いは偶然でもなく、周りから固められたものであった。
キッチンポーターの仕事なんかしている王子は、何もできない能無しだと決まっている。そんな能無し王子が王の代わりに国の政務を執り行うことになった。
さあ大変だ!どうしよう!と、王の側近たちは慌てた。
何とか皆で知恵を絞り出した結果、国王の側近兼護衛チームに所属しているマリカを、コウの世話役兼護衛へと任命した。
頭脳明晰、冷静沈着、高才疾足のマリカにコウを押し付け、世話をしてもらい、ついでに鍛えてもらおうという魂胆である。
マリカは国王の側近兼護衛チームの中でも最年少であり、歳の頃もコウと近いので、丁度いいではないかっ!そうだ!それがいい!と満場一致で決定したという。
世間知らずの能無し王子でも、一応は王子である。政務に関わることになるのなら、護衛はマストで必要とする。王の側近であり、護衛チームにも所属するマリカであれば、護衛も政も完璧にカバーしてもらえる。そして、ちょーっと根性も鍛えてもらえれば、少しは王子としてまともに見えてくるはずだという理由もあった。
それ以来、朝昼晩と、一日中マリカと行動を共にすることになる。
「だからって勝手にテレパシーを使うなって言ってるだろ!急に頭の中で話しかけられると、ビクッとするんだよ」
「まあまあ、そうビビるなって」
「ビッ!ビビってないしっ!!」
マリカとコウはテレパシーと呼ぶもので意思の疎通ができていた。
テレパシーと呼ぶそれは、言葉を直接交わすことなく、お互いの頭の中に言葉を響かせ、会話をすることが出来るものだ。
王族関係者にはこのテレパシーを持つものがいる。現国王にもその能力があるというが、ただそれは、ごくごく少数であり、その能力も現代では薄れてきていた。
コウにはその能力が受け継がれている。だけどまさか、マリカもテレパシーを持っている者だとは驚く。
しかも、コウがテレパシーを受ける相手はマリカだなんて!と、何ともいえないモヤモヤとした気持ちを抱えることになった。
テレパシーは至近距離でも、遠く離れていても送りあうことが出来る。送りたい時にグッと集中すれば、相手の脳内に言葉を響かせることができる。まあ、わかりやすく言えば、みんなが使ってる電話やSNSのメッセージのようなもんだ。
だけど電話やSNSと違うのは、特定の人だけにしか送れないということである。テレパシー能力の持ち主であれば、誰かれ構わず送ることができるなんて、そんな都合よく便利なもんではない。
テレパシーが送りあえる人は、生涯一人だけ。たった一人だけらしい...
だから能力を持つ者であっても、バチッとテレパシーの相性が合う人は、なかなか会えないというのが現実だ。テレパシー能力があっても、生涯送る相手が見つからない場合もあるという。
「今日の寝ぐせも盛大だな。お前、寝相悪いんだろ」
さっき頑張って整えたなのに、ダイニングまで猛ダッシュしたからなのか、ぴょこんと寝ぐせが戻ってしまっていたらしい。
マリカにピッと、寝ぐせを摘ままれ笑われてしまった。
「なっ、なな...」
くう~...ムカつく男だ。
朝食を食べながら、またマリカを睨みつけ《俺の寝相は悪くない!》
《知らないくせに勝手なこと言うな!》
とテレパシーで文句を送りつけてやった。
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