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雪下出麦 1
雪下出麦
昭和二九年の暮れ、佐庭(さにわ)家へ門松を立てる職人が入るころ、野呂啓介(のろけいすけ)は自室から佐庭家の居間へ向かった。
「英策(えいさく)先生は今日お帰りになりますか」
「午後九時にお戻りの予定です」
執事の江間が答える。江間は年越しの準備で忙しく、奉公人に細々と指示を与えている。
「いつでもいいので、英策先生とお話がしたいと伝えてもらえるだろうか」
「お伝えしておきます」
江間は啓介へ一礼すると、若い書生とともに部屋を出ていった。
啓介は忙しく障子をはたきで叩く女中たちに気圧されて、居間を出た。自分は居候なのだから自分の部屋くらい掃除しようと思う。
啓介の居室には三方に巡らせた本棚に本や古文書が詰め込まれていた。南向きに置かれた文机の周囲にも、本と書類の地層がある。大学が冬休みに入り、今年のフィールドワークも終わったので、来年は蒐集してきた標本の整理に取りかからなければならない。
啓介は本の背をはたきで撫でて、その煙たさに口元を押さえた。普段は日本中を旅して古老の話を聞くのが仕事である。自分がいないあいだ、この部屋は掃除されていないのだろう。
啓介は大学で民俗学の講師をするかたわら、英策の私的な団体「アティック・ミュージアム」の主任研究員を務めていた。「アティック・ミュージアム」は英策が個人的に運営する博物館で、動植物から啓介の専門の民具まで、さまざまな標本を蒐集している。
佐庭家は明治時代に数々の会社を立ち上げた財閥の名家である。英策は佐庭家の三代目の当主であり、現在は銀行の頭取を務めている。今年で四十歳になった。若いころは植物学者を志していたが、祖父に土下座をされて学者の道を諦めた。ゆえに「アティック・ミュージアム」には莫大な費用が投じられ、英策が子飼いの学者の面倒を見ている。
啓介が佐庭家に食客として招かれて十年の月日が経っていた。三十六歳になっても結婚せず、女の影もなく、浮き草のように日本中をさまよいながら英策に飼われている。
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