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瑞悠編:運命(仮)の人
暗い夜道を瑞悠は一人、マンションに向かい歩いていた。いつもなら律が一緒だが、今日は室長の仕事で残っていた。
13課組対室が揃って出雲に行ってしまったので、梛木と二人で残務整理をしているらしい。押し付けられたに等しい他人の仕事も嫌な顔一つせずにこなす律は真面目な人だと思う。
ふと、最近見知った背中が前を歩いているのに気が付いた。
小走りに駆け寄って、背中を叩く。
「保輔だ、久し振り」
そういえば最近、陽人の部屋で一緒に暮らしながら直霊術の訓練をしていると聞いた。伊吹山の鬼で桜谷家特有の直霊術を受け継いだ人間、その上に理研の少子化対策の被験体なんて、設定にしても盛り過ぎだなと思う。
「なんや、瑞悠か」
ビクン、と大袈裟に肩を揺らして保輔が振り返った。
左頬が、どう見ても腫れている。
「その顔、どうしたの? 誰かと喧嘩でもしたの?」
「お前こそ、こないな時間に一人歩きはいかんやろ。どこで遊んどったん」
保輔が腫れた側の顔を隠すように前を向いた。
「仕事だよぉ。13課に寄ってたのぉ。ねぇ、その顔、どうしたの?」
「お疲れさん。学校に仕事に忙しなぁ。はよ帰って寝ぇや」
瑞悠に背を向けて、保輔が歩き出す。
「久し振りに会ったんだから、もっと話そうよぉ。誰に殴られたの?」
保輔に会うのは本当に久しぶりだ。瑞悠たちが日常に戻った後も、保輔は13課組対室で能力を調べたり開化したり、今は特訓したりと忙しくしている。
前に回ると、保輔がぴたりと足を止めた。
「話しとぅないから、はぐらかしてんねや。いい加減、気付け。普通、三回も聞くか?」
「話したくないから、はぐらかしてるんだろうなぁって思ったから、話すまで聞こうと思ったんだけど。霊気の残滓的に、円ちゃん?」
保輔が気まずい顔で瑞悠を眺めている。正解だなと思った。
瑞悠は保輔の胸倉を掴んで、引き寄せた。
「ちぃの幸せを壊すような真似するなら、保輔でも許さないから。円ちゃんに殴られるって、そういうことだよね? 何したか、話してくれない?」
いつもより低い声が出たなと、自分でも思った。
保輔が息を飲んで瑞悠を見詰めている。
「円といい瑞悠といい、智颯君に過保護過ぎひん? 俺は別に、智颯君を傷付けようとか考えてへんよ」
とはいえ、保輔の顔はどこか後悔が滲んで見える。
瑞悠は通りかかった公園を指さした。
「ねぇ、ちょっと寄り道しよ。ブランコ、乗ろうよ」
「はぁ? 俺、もう帰りたいのやけど」
「いいから。どうせ話すまで帰すつもりないし、付き合ってよ」
ニコリと笑むと、保輔が怯えた顔を見せた。
夜の九時を回った公園には人気がない。少し前までは学生も多かったが、ここ数日で急に寒くなったせいか、夜遊びする人の姿はなかった。
小さな街頭に照らされた公園で、ブランコの鎖が軋む音が響く。
「それで? 何して円ちゃんに殴られたの?」
ブランコをこぎながら問い掛ける。
保輔は前を向いたまま気まずそうにするだけで、何も言わない。
「円ちゃんて、むやみに殴ったりする人じゃないよね。殴るって、よっぽどでしょ」
「話したら、お前にも殴られるのやろな」
保輔が小さな声で呟いた。
ブランコをゆっくり止めて、瑞悠は保輔を見詰めた。
保輔が立ち上がり、瑞悠の前に立った。
ブランコの鎖に掴まる瑞悠の手を握る。唇が落ちてきて、瑞悠の頬を掠めた。
「お前にキスしたくて欲情して一人でシてるとこ、智颯君にみられてん。そのまま抜くの手伝ぅてもろた。それ話したら、円に殴られた。正直、殴られる程度じゃ済まん思とったけど」
保輔の顔が歪む。
羞恥とも後悔とも取れない表情は、明らかに辛さを滲ませていた。
「もう、ええやろ。俺は帰るで。お前もさっさと帰りや」
瑞悠に背を向けて帰ろうとする保輔の腕を掴まえた。
「みぃのせい? なんで我慢するの? なんで、みぃに相談しないの?」
飛び降りたブランコが揺れて、鎖が擦れる音が響く。
「キスしたら押し倒したなる。お前にそういう真似、したない」
「保輔は、みぃが好きなの?」
背を向けたままの保輔は、何も言わない。
瑞悠は保輔の前に回った。腕を伸ばして顔を掴まえると、唇を重ねた。
「おまっ、何してくれとんねや。俺の我慢と苦労、何やと思ぅとんねん」
「あの場所を出て落ち着いて、それでもしたいって思ったら、してくれるって言ったよね」
bugsの隠れ家でリバーシをしながら保輔にキスをせがんだ時、確かに聞いた。
「機会があったら、言うたやろ。お前は、俺とキスしたい思うくらい、俺のこと、好きなん?」
照れた顔が瑞悠を見詰める。
きっと保輔は瑞悠を本気で好いてくれている。それは惟神の神力と、今まで学んできた恋愛の知識で理解できた。
「わからない。みぃは恋愛、したことないし。そういう感情って、うまく理解できない」
漫画やドラマをどれだけ観ても、共感ができない。人を好きになる感覚が、わからない。保輔に対する気持ちも、智颯や円を想う気持ちの延長だ。
「でも、保輔っていう人間には興味ある。キスしてみたいって思ったのは、保輔が初めてだったから」
「それは、好きとは違うん?」
保輔の質問に対する適切な答えが浮かばなかった。
「他人を好きになるのって、どんな気持ち? ちぃや円ちゃんを大事に思う気持ちとは、違うの?」
自分の気持ちを言葉にするのが難しくて、顔が俯く。
「智颯君や円への気持ちと俺への気持ちの、瑞悠ん中の違いは、何なん?」
保輔の言葉に誘導されて、思考が動く。
「保輔とは、一緒に大切なモノを守りたい。一緒に、同じ方向を向いて生きてほしい。そんな風に思う」
智颯と円が違う方向を向いていても、幸せでいてくれたら、それでいい。けれど、保輔には同じ方を向いていて欲しい。
顔を上げたら、保輔の顔が間近にあった。
ふわりと重なった唇が、何度も瑞悠の唇を食む。息をしようと開いた口に舌が入り込んで、瑞悠の舌を優しく舐めた。
じんわりした甘さが体中に広がる。体が保輔に寄りかかる。股間が硬くなっているのに気が付いた。
保輔が即座に体を離した。
「俺の好きと瑞悠の好きは多分、違う。俺はすぐ、こうなってまう。キスしたら、それ以上したくなる。好いた相手やと自制がきかんき、お前には話したなかった。こんなん、格好悪いやろ」
保輔の顔には余裕がない。
瑞悠は視線を下げた。硬くなり膨らんだ股間に手を添えて、ぎゅっと掴む。
「馬鹿、お前! 何すんのや!」
「勃起すると、こんなに大きくなるんだね。熱いし硬い」
「冷静な反応すな。俺の方が恥ずいわ」
割と本気で保輔が怒っているが、照れてもいるようだ。
「保輔が格好良かったことなんて、会ってから一度もないよ。だから別に、格好つけなくていい。次は私が、抜いてあげる」
ちゃんと本気を伝えたかったから、話し方を素に戻した。
「高校生なのに妊娠させたくなとか、考えてるんでしょ? 妊娠しなくて済む方法で、私が相手してあげる」
あまり詳しいわけでもないが、実際にセックスする以外でそれらしいことをする方法は他にもある。
保輔が大きく息を吸って、吐いた。
「好きでもない男の相手して平気なん? お前はそれでええの?」
「好きじゃないなんて、一言も言ってない」
瑞悠は、何となく目を逸らした。
「アロマンティックって、知ってる? 当てはまるかは、わからない。けど、自分に一番近いのはそれだって、思う。保輔とエッチなことするのに、興味ないわけじゃないの」
自分のセクシャリティが知りたくて、色々と調べまくった。結果、一番近いのはアロマンティックだと思った。
保輔に出会って、恋愛感情が何か知れるかもしれないと思った。でもやはり、テンプレで恋愛的な「好き」という感情は瑞悠の胸には降りてこなかった。
「保輔のこと、他の人より特別だって思うし、一緒に生きたいって思う。それが恋愛感情だっていうなら、そうなのかもしれないけど。自分で納得できないのに好きとか言うのは、保輔に失礼な気がして、出来ない」
こんな話は、智颯にもしたことがない。
誰にも話したことがない自分だけの秘密を打ち明けたせいか、心臓が早い。ドキドキして、呼吸も浅い。
保輔の体が近付いて、瑞悠をふわりと抱き寄せた。
「お前、見た目より真面目やんな。そゆとこ、智颯君とそっくりやん」
まだ硬くて熱い股間を隠さずに、保輔が瑞悠の体を抱き締めた。
「なんや、思ぅたより平静保てるわ。瑞悠にくっ付いてると、あったかくて落ち着く」
保輔の熱が、瑞悠に流れ込んでくる。
早かった鼓動が穏やかになっていく。
(こういう時、好きだったらドキドキしたりするのかな。落ち着いちゃう私は、やっぱり保輔を好きじゃないのかな。でも温かくて、気持ちいい)
視界の端で何かが光っている。
ポケットに入れていた勾玉が光っているのだとわかった。
ごそごそと取り出す。
白い勾玉の色が蠢いて、畝っていた。
「何のまじない道具?」
保輔の目があからさまに不審な色に染まっている。
「神在月の出雲に行った時にお土産にもらったんだ。何回も行ってるけど、初めてもらったの。二つあるから、一個は保輔にあげる」
「ふぅん、おおきに。神在月の出雲て、神様が集まるのやろ。惟神も神様扱いなんやなぁ」
保輔が感心しながら勾玉を受け取った。
瑞悠の神力と保輔の霊力が勾玉に流れ込む。力が交わって、色が変わり始めた。
「なんや、光って色が変わってるけど、大丈夫なん?」
「縁がある相手に渡すと色が変わるんだって。だからじゃない?」
「縁て、縁結びの勾玉か? 出雲だからか?」
「そうなんじゃない? 神様の勾玉だから、縁が結ばれると出雲の神力も増すって、因幡の白兎が話してたよ」
保輔の顔が青ざめた。
「これ渡すタイミングは今やないやろ! お前は俺と縁が結ばれてもええんか? 自分の気持ち、まだわからんのやろ? そういう説明は渡す前にせぇや!」
慌てふためく保輔に、瑞悠は首を捻った。
「問題ないよ。縁がない相手には渡しても色が変わらないって言ってたから」
そうこう話しているうちに、勾玉の色が定まった。
透き通った琥珀色に変わった勾玉が小さく揺れて、光を収めた。
「私と保輔の力が混ざると、こんな色になるんだね。神力は基本、金色だけど、鬼の保輔も霊力の色が近いのかな」
まじまじと勾玉を眺める。
飴細工のようで、とても気に入った。
「そういう問題ちゃうやろ。変わってもうたぞ、色。ええんか、本当に」
「いいよ。むしろ何で、そんなに聞くの? 私と縁が結ばれるの、嫌なの?」
「嫌なワケあるか。問題なんは瑞悠の気持ちや」
ごにょごにょと何かを言い続ける保輔の服を引っ張って、口付けた。
顔を離すと、困り顔の保輔が瑞悠を見詰めている。さっきまでの余裕のない表情ではない、落ち着いた呆れ顔だ。
「ちょっと落ち着いたよね?」
ちらりと保輔の股間を窺う。さっきよりは膨らんでいないように見える。
「まぁ、せやな。勾玉もらってから、瑞悠に抱き付いてから? ちょっと落ち着いたわ。けど好いた女、前にしたら普通に勃つけどな」
「じゃぁ次は、エッチなことしよっか」
「何言うとんの? 今度は智颯君に殺されるやん」
心底、困った顔の保輔を眺めて、瑞悠は考えた。
「そういうことするのに必要なら、恋人になろうよ。私の気持ちは恋人になってから、ちゃんと探すから」
保輔の顔が明らかに呆れていた。
「エッチするために建前で恋人になりました、なんて言えへんやろ」
「言わなくて良くない? 私は別にどっちでもいいけど。それより先に、保輔にはバディになってほしいし」
智颯が円とバディを組んでから、瑞悠はまだ自分のバディを見付けていない。瑞悠にとっては恋人よりもバディ探しの方が急務だった。
「バディって、13課でのか? 陽人さんには、瑞悠と組めって言われとぅよ。特訓後に戻ったら、俺は怪異対策室と13課組対室の兼任らしいで」
自分でも自分の顔が明るくなったのが分かった。
「本当に? やった! バディになってくれるなら、恋人はどっちでもいいや」
力いっぱい保輔に抱き付いた。
「なんで、そうなんねん。ワケわからん。ほんま、面倒な女、好いてしもぅたわ」
そうぼやきながら瑞悠を受け止めてくれる保輔の腕は、温かくて優しかった。
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