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第三章 訪問者①
「てめェ、いい加減にしろよ」
毎日毎晩、寝る間も惜しんで行為に励んでいたら、とうとう歩に怒られた。
「オナニー覚えたてのガキか。猿でももう少しまともだぞ」
「教えたのはお前だろうが。あんなに気持ちいいの知っちまったら、もう元には戻れねぇよ」
「おれの身にもなれ。こんなに毎晩求められちゃあ、体が持たねぇ」
「んなこと言って、お前もいつもノリノリじゃん」
「黙れ。一晩に二回も三回も、しつけぇんだよ。休みの日なんざ、明け方まで離そうとしねぇ」
「だってぇ、お前がすげーエッチでかわいくてぇ、いっぱい甘えてくるからぁ」
「クソみてぇな責任転嫁してんじゃねぇぞ。この間だって、出先で盛りやがって。挙句トイレに連れ込むたァ、どういう神経してんだ。常識をドブに捨ててきたのか?」
「いや、あの時はその……アイスの食べ方がエッチだったから……」
「てめェ、中身は童貞のまんまか」
「るっせぇ! 自分が慣れてるからって、バカにしてきやがって! 俺ァどうせ半分童貞みたいなモンですよ。覚えたての猿ですよーだ。だから我慢できなくてもしょうがねぇの!」
「おい、開き直るな」
とりあえず押し倒してしまえば押し切れるだろうと思ったが、歩はなあなあで済ませるつもりはないらしい。抱きつこうとした俺を制し、至極冷静な声で告げた。
「今日から一週間、お触り禁止だ」
「……」
「守れなかったら延長だ。いいな」
「……えっ、なに、どゆこと? 衝撃過ぎてフリーズしちゃったんだけど。一週間エッチ禁止ってこと?」
「違ェ、バカ。一週間おれに触んなってことだ」
「えっ、うそ、なにそれ。絶対無理なんだけど」
「無理でも何でもやれ。これは命令だ」
「なんでお前に命令されなきゃなんねぇんだよ。そんな義理ねぇっつーの」
「てめェは少し我慢を覚えた方がいい。おれが躾け直してやる」
「なーにが躾だ。俺ァ犬か何かですかぁ? お手の一つでもしてやるよ」
俺は犬の前足を真似て軽く拳を握り、ぽんと歩の額を叩いた。歩は怒るわけでもなく、ただ少し邪魔そうな顔をして、俺の手を払った。
「とにかく一週間だ。我慢できたら、その時は褒美をくれてやる」
「ご褒美ィ? メイド服に猫耳つけて、朝から晩までにゃんにゃんしてくれんのかよ?」
「……てめェは根っからの童貞だな」
歩は呆れたように言い、布団を被った。
「えっ……しねぇの?」
「しねぇっつってんだろ。寝ろ」
「で、でもぉ、俺のアソコはやる気満々なんですけどぉ……」
「……メイド服でも猫耳でも着けてやるから」
「……約束だかんな」
「てめェが言い付けを守れたらの話だ」
「ふん。やってやらぁ。後で泣いても知らねぇからな」
簡単なことだ。触らなければいいだけ。求めなければいいだけ。一週間なんてあっという間だ。何しろ俺は、初恋を十何年も燻ぶらせた男だぞ。これくらい我慢できて当然だ。
*
「……あのぅ、チューはダメ? カウントされんの?」
一日目は余裕で我慢できた。二日目も、何だかんだで耐えられた。そして迎えた三日目の朝。
歩はいつも通り弁当を作って渡してくれる。いつもならここでいってらっしゃいのキスをするのだが、ここ二日間は割愛されていた。
「いや、俺からするのがアウトなのは分かるよ? けど、お前からするなら話は変わるじゃん? どうなのかなーって、ちょっと気になっただけ」
「チッ……面貸せ」
「やだ、怒ってる?」
そっと唇が重なった。三日ぶりの歩の唇だ。柔くて甘くて滑らかで、触れているだけで気持ちがいい。少し前ならばこの程度の戯れで満足できていた俺だが、残念ながら、今はこの先の快楽を知ってしまっている。
「っ――おい!」
「……わり」
自ずから舌が伸びていた。口内へ侵入する前に、歩に胸を強く押された。自然と唇は離れ、解放された歩の唇は赤く潤んでいた。
「……三日追加だ」
「はぁ!? てめ、マジで言ってる?」
「最初に言ったろ。ペナルティがなきゃ意味がねぇ」
「別に触ってねぇじゃん! ベロがポロリしちまっただけだろ!」
「普通に触るより質が悪りィんだよ」
「こンの、強情っ張り!」
「甲斐性なし」
「頑固ジジイ!」
「早漏野郎」
「く、クソチビ!」
「陰毛頭」
「くっ、くそぉ……覚えてやがれ!」
俺は捨て台詞と共に玄関を飛び出した。勢いよく扉が閉まるすんでのところで、歩が顔を覗かせる。
「准」
「んだよ」
「気ィ付けて行ってこいよ」
「っ……お前もなっ!」
俺がぶっきらぼうに答えると、歩は仄かに目元を染めて、「いってらっしゃい」と続けた。
こいつのこういうところがずるいと思うし、可愛いと思う。惚れた弱みというやつだろうか。俺はきっと一生歩に敵わない。
*
確かに、毎晩毎晩二回も三回も、休日に至っては朝から晩まで飯を食う間も惜しんで乳繰り合っていたのは、冷静に考えると異常なのかもしれない。何がって、俺の性欲がだ。少しは我慢を覚えろという歩の言い分も理解できなくはない。
というわけで、心機一転。この半強制的禁欲キャンペーンに、俺は真面目に取り組むことに決めた。
「……おい。これで何度目だ?」
「いやぁ、手が勝手に……」
「言い訳無用だ」
「痛ァ!?」
禁欲生活は三週目に突入しようとしていた。悪戯好きの右手は、俺の意志を無視して歩の小ぶりな尻に吸い付いている。ハエでも叩き落とすように、歩は俺の手を引っぱたいた。
どうやら、俺の決意は三日と持たないらしい。どれだけ気持ちを新たにしたところで、三日を過ぎると本能が理性を追い抜いてしまう。気付けば歩の尻を触っている。
いや、エロい尻を無防備にぷりぷりさせているこいつも悪くないか? 目の前に餌をチラつかせておきながらお預けだなんて、そんな拷問があるだろうか。俺は馬じゃないんだぞ。
「てめェ、この調子じゃ半年過ぎてもこのままだぞ」
「マジ? 絶対途中で暴発するわ」
「……お前に求められるのは、正直悪い気はしねぇ。そんなにおれがいいのか、って……」
エプロン姿にお玉を持って、歩は殊勝なことを言いやがる。そんな顔をされちゃ、禁欲もへったくれもない。「もういいんじゃない?」と俺の心の悪魔が囁く。
「なぁ、そろそろ――」
「だが、一度決めたことを曲げるのは――」
二人の声が重なり、さらにそれに被せるように着信音が鳴り響いた。
音の出所は俺のスマホだ。画面に映し出されたのは、昔からよく知る名前だった。
「……んだよ、こんな時に――」
『おおう、准! 久しぶりじゃのう! 元気しとったか!?』
鼓膜をつんざく大音量がスピーカーから響き渡った。
『オマエ、全ッ然連絡寄越さんけぇ、死んだか思うたわ!』
「んな叫ばなくても聞こえっから。で、何。用件は?」
『ああ、そうそう。今度そっち行く用事できたけん、泊めてくれん?』
「あぁ? まぁ、ちょっとの間なら……いつ?」
『そらもう、今からよ!』
「は?」
ドンドンドン、と玄関のドアがノックされる。その音が、スピーカーの向こうからも聞こえてくる。
歩は、俺の様子を訝りながらも、お玉を片手に玄関に近付き、鍵を開けた。と同時に、勢いよくドアが開く。
「じゅ~ん! 会いたかったでぇえええええ!??」
男は歩に飛び付いたが、飛び付いた相手が俺ではないことに気が付いて、今度は大きく後ろに飛び退いた。
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