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第三章 訪問者②
遼二は、俺の高校時代の悪友だ。高一の終わりに転校してきて同じクラスになり、その後卒業まで何だかんだつるんでいた。親が転勤族で、幼少期から地方を転々としていたらしく、各地の方言が混ざった独特の訛りで喋る。
「や~、まさかルームシェアとは思わんやった。こげん狭か部屋で、ようやるわ。オレはてっきり、部屋を間違えた思うたで。抱きついた時の筋肉の感じが、准とは全然違うけぇ」
お茶を淹れていた歩が僅かに頬を引き攣らせる。華奢な体躯がコンプレックスなのだ。
「ところでお前、何しに来たわけ? アポなし凸とかしねぇだろ普通。常識置き引きされちゃった?」
「アポは取ったやん?」
「あれは取ったうちに入らねぇんだよ! なんで家の前まで来てから電話かけてくるんだよ。順番が逆だろ」
「まぁまぁ、ええやんええやん」
「何もよかねーわ! 晩飯まで食いやがってよォ、図々しいったらねェ」
「あ、ごはんどれもおいしかったです。ありがとうございます」
遼二はにこりと笑って歩に会釈をした。
「おい、急に標準語になるな。気持ち悪りィ」
「敬語は標準語しか分からんけん。電話でも言うたけど、しばらく厄介になるわ。よろしゅうおたのもうします」
「いや流されねぇからな!? ホテル泊まる金くらいあんだろ。出てけや」
「ちょお、久々に会う親友に冷とうない? 食費くらいならオレが出すで。ええじゃろ?」
「いやそういう問題じゃねーし。大体、こんな狭めェ部屋に野郎三人で住めっかよ。布団だって一組しかねぇんだぞ? 俺と歩の二人でぎゅうぎゅうなんだよ。おめェの寝る場所ねぇから」
「それなら心配いらん。寝袋持っとるし」
「用意周到すぎんだろ!? いやだから、寝袋がどうとかじゃなくて……」
俺はちらりと歩を見た。歩は遼二に俺達の関係を知られたくないらしいので、「二人の愛の巣を荒らすな!」と真っ当な理由を付けて追っ払うことはできない。しかし、ここで折れてしまえば禁欲生活が無期限に延長することになる。それだけは絶対に避けなければならない。
「だってほら、歩だって困るだろ? 急にこんな、訳分かんねぇ異物と共同生活なんて、金積まれてもごめんだよな? なっ?」
「確かに異物は困るのう」
「おめェのことだよ!」
俺は助け船を求めるつもりで畳み掛けたが、歩の返答は想定外のものだった。
「別にいいんじゃねぇのか」
「なっ……」
「おれは構わねぇよ。准の友達なら身内みてぇなモンだろ」
「おお、なんちゅう懐の広さ! お心遣い、痛み入ります」
「いやいやいや、歩く~ん?? 何言ってくれちゃってんのォ? 状況分かってる? 理解できてる? こいつのしばらくはアレよ、ホントにしばらくよ? たぶん一か月くらい居座るよ? そんでもいいの?」
「別にいい。いつかはいなくなるんだろ」
「ほんまに心の広い御方じゃあ。准、オマエも見習いや」
「知るかよ! おめェこそ、その面の皮の厚さどうにかしろ!」
歩は湯呑に口をつけ、したり顔で俺を見た。
なるほど。俺には歩の考えが読めた。遼二がいる間、俺はどうしたって歩に手を出せなくなる。これを好機と捉えて、お触り禁止キャンペーンを強引に乗り切ってしまおうという算段だろう。一度決めたことを途中で放り出すことを良しとしない、歩らしい考え方だ。
だからといって、俺は全く同意などしていない。正直な話、とっくに我慢の限界は越えている。今夜、騙し討ちでも何でもいいから、どうにかして行為に及ぼうと思っていたのに、その矢先にこれである。
というか、遼二がいてはいってらっしゃいのキスさえできなくなるのではないか? 口にすると舌を入れられると学んだ歩が、最近は頬にしかしてくれなくなったものの、俺にとっては魂が潤う癒しの時間だったというのに。遼二の死角に入ればギリギリ可能だろうか。
結局、遼二には部屋の隅で寝袋に包まって寝てもらい、俺の悪魔のような計画は不発に終わった。
*
朝。味噌汁の香ばしい匂いに意識が浮上する。そろそろ歩が起こしに来てくれるだろう。俺は内心そわそわしながら待っていた。
「准。起きろよ」
ほら、来た来た。
「准く~ん♡ 早よ起きれ♡」
「いやおめェかよ!」
怒りに任せて、俺は目一杯の頭突きを喰らわせた。遼二は額を押さえて床の上を転げ回る。
「なにすんじゃあ、このドアホ! あんぽんたん!」
「あんぽんたんはおめェだろーが! 顔が近けェんだよ!」
「ええやんか、顔近いくらい! 歩サンが、そろそろ起こしちゃれ言うてオレに頼むけぇ、優しゅう起こしちゃっただけじゃろがい!」
「二人とも、喧嘩はよさねぇか。飯が冷める」
狭っ苦しい卓袱台を、男三人で囲んだ。いつも通りの温かな朝食が用意されていたが、珍しくデザートが追加されていた。
「ヨーグルト?」
「ああ。こいつが早起きして出かけてったもんだから、買い物を頼んだんだ」
歩が遼二を指して言った。遼二は、初めてのおつかいに行って褒められたガキみたいな面をした。
「准、こいつすごいぞ。絵がすごく上手いんだ」
「ああ。一応美大だしな」
「そうなのか」
「んだよおめェ、言ってなかったの?」
「あはは。わざわざ言うほどのことやないし」
「描いた絵、准にも見せてやれよ」
「えへへへ。ちぃとばかし照れるのう」
遼二の絵が上手いことは、今更見なくても知っている。所謂天才肌というやつだ。もちろん、陰で努力はしているのだろうが……
「っておい! 何描いてんだよ、おめェは!」
風景や街並みの描かれたスケッチブックをぺらぺら捲っていくと、突然歩の姿が現れた。エプロン姿で台所を行き来している。忙しい朝の風景だ。
「見りゃ分かるじゃろ。歩サンのこと描かせてもろうた」
「と、盗撮!?」
「なしてそうなる?!」
「おれがいいっつったんだ。それに、もっと面白い絵があるぞ」
歩がぺらりとページを捲ると、画面いっぱいに俺の寝顔が描かれていた。片目だけ半目になって、涎を垂らしている。写真も真っ青の描写力だ。
「傑作だろ」
「我ながらよう描けとる」
「いや悪意しかないよね!? 俺の寝顔、絶対こんなんじゃねぇだろ! ちゃんとかっこよく描けよ!」
「こんなんだぞ」
「そっくりじゃ」
「変なとこで意気投合すんのやめてくんない?」
久々に騒がしい朝になったが、あまりのんびりしてもいられない。お気楽な遼二と違い、俺は今日も一日仕事である。
「おい、准。忘れ物」
「おー、悪りーな」
「ったく、しっかりしろ」
弁当袋を置き忘れて家を出ようとすると、歩が玄関まで来てくれた。居間へと続く引き戸を確認すれば、隙間なくぴったりと閉じられている。今なら、遼二に気付かれる心配はなさそうだ。
「……ねぇ、チューしよ」
俺は歩の耳元で囁いた。歩の肩がピクリと跳ねる。
「バカ、何言ってんだ」
「いつもしてくれるじゃん。ほっぺでいいからさ。ね、お願い」
「けど、……」
「大丈夫だって。あいつニブいから」
「っ……」
歩は恐る恐る唇を寄せる。ドアの向こうに響く笑い声が気になるのだろう。あんまりにもまだるっこいので、日が暮れてしまいそうだった。
微かに触る歩の吐息がくすぐったかった。すり、と唇の縁が触れたのも束の間、反発する磁石のように距離が離れる。
が、そうは問屋が卸さない。俺は、歩の頬を両手で掴んで引き寄せて、思いっ切り口づけた。
柔い唇をこじ開けて、舌をねじ込む。一頻り歩の口内を舐め回し、逃げる舌を追いかけ回して、唾液を吸う。歩の拳が俺の胸を叩こうが、背中に爪を立てられようが、構いやしない。
生々しい水音を鳴らして唇が離れた。歩の頬も耳も首筋も、燃えるような赤に染まっていた。体に力が入らないらしく、歩はへなへなと膝を折り、どしんと尻餅をついた。濡れた唇を拭いながら、涙目になって恨めしそうに俺を睨む。
「てめっ……」
「かーわい。んじゃ、いってきまーす」
僅かながらも性欲を発散した俺は、浮かれ気分で玄関を飛び出した。突然の物音に驚いたのか、「歩サン!? どげんしたと!?」と、クラクション並の声量が轟いた。
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