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第六章 痴話喧嘩③

「ん……」    意識を飛ばして眠っていたはずの歩が身動ぎする。あの後、互いに精根尽き果てるまで貪り合った。二人分の精液だの何だのをたっぷり吸い込んだ布団で眠るのはさすがに憚られ、俺はシーツを取り換えている最中だった。   「悪い、もう終わるから」 「……准……」    か細い声で切なげに呼ばれて、無視できるわけもない。   「なんだよ」 「准……」 「分かったから。ほら、おいで」    シーツを被せるのなんて、もう適当でいいや。あちこち皺が寄ったままだが、一応これで完成ということにする。俺は歩をお姫様抱っこで抱きかかえ、布団に寝かせた。歩は俺にぎゅっと抱きついて離れない。   「……このまま、寝てぇ」 「うん。いいよ」 「……なぁ、准」    歩は俺の胸に顔を埋める。   「……悪かった」 「……」 「意地張ってただけなんだ。てめェがくれたモンだから、一生大事にしようと思ったのに、全部台無しにしちまった。お前の言う通りだ。おれがあんな不安定な場所に置いておいたのが悪いんだ。なのに、お前に八つ当たりした。本当は、ただ、哀しかっただけなのに」 「……俺も、ごめん。お前がそんなにあれを気に入るなんて、思ってなかったんだ」 「てめェのくれたモンだからだ。何だって大事に決まってる」 「……なのに、代わりのもので我慢しろとか、さっさと捨てちまえばよかったなんて、我ながら酷ェこと言うよな。ごめん」 「それもおれが意地張ってたせいだし、それに……」    歩の手が、そっと俺の股間に伸びた。服の上からではあるが、二つぶら下がった丸い玉を的確に捉え、指先でくすぐる。   「ちょっ……」 「悪かったな、蹴飛ばしちまって。痛かったろ」 「そ、そりゃ、まぁ……あの、あんま揉まないで……」 「お前が不能になったら、おれは困るぜ。ジジイになるまで現役でいてくれねぇと」 「責任重大すぎんだろ。期待してくれていいけどよ」 「……准」    歩はのそりと体を起こし、俺の上へ跨った。隻眼が、何かを訴えるようにじっと見つめてくる。   「准……」    唇が近付く。このまま重なってしまうと思った。   「……キスしてくれ」 「……」    ちゅ、ちゅ、と軽く唇を触れ合わせると、歩は満足そうに笑った。   「なぁ、准」 「バカ、もうしねぇよ?」 「なんでだよ」 「いや、さすがにな……色々無理させちまったし」 「なんだ、自覚あったのか」 「そりゃあね」 「変な玩具で、散々苛めてくれたよなァ?」 「それは、その……」 「おれは嫌だっつったのに」 「ご、ゴメンネ? だからほら、もう寝よ。な?」 「お詫びに朝まで腕枕しろ」 「エ~、腕が痺れる……」 「てめェ、おれの手はぐるぐる巻きに縛ったくせに」 「へいへい、分かりましたよ。ほれ、俺の腕で快眠しろ」    歩は、上機嫌で俺の腕に枕し、目を瞑った。二人寄り添って眠ることになり、俺は、無理に紳士ぶってしまったことを朝まで後悔するのだった。    *   「おやおや~? 准ちゃん、早速仲直りしたんだ。よかったねぇ」    昼休憩中、目敏いおっさんに見つかった。今日の俺の弁当は、白飯に桜でんぶでハートのマークが描かれている。それだけじゃない。卵焼きもハート形、ウインナーもハート形、ハンバーグもハート形、ハンバーグに載せたチーズもハート形。とにかくハートマークで溢れ返っている。一目瞭然で愛妻弁当だ。   「お熱いねぇ、若いねぇ」 「あんま見ないでくれます? つか、揶揄いたいだけなら向こう行って」 「やだなぁ、オレと准ちゃんの仲じゃない。あ、ハンバーグ一個くれる?」 「冗談じゃねぇや。ミニトマトならあげてもいいけど」 「ハート形じゃないじゃない」 「ハートは全部俺が食うんで」    長谷川さんは拗ねた様子でコンビニ弁当を掻き込む。   「ところで、どうやって仲直りしたのさ」 「いや~、そりゃ長谷川さんにも言えねぇなぁ」 「どうせエッチなことなんでしょ~? このこの~」 「ちょっ、なんで分かんだよ」 「仲直りエッチは盛り上がるって、昔っから相場が決まってんのよ。雨降って何とやらってね」 「そりゃ、まぁ……盛り上がったケド……」 「やだも~、熱い熱い。若いってホントいいよねぇ」 「あっ、変な妄想すんの禁止! 絶対ダメだから!」 「ん~、そんなこと言われてもねぇ?」 「ダメダメ! この話終わり! 二度としねぇ!」 「やだなぁ、准ちゃん。心狭いよぉ」 「フツーのことだろ!」    *    家に帰ると、歩がエプロン姿で出迎えてくれる。棚の上には、鮮やかな青いリボンが結ばれた、キャンディの瓶が置いてある。  前の空き瓶を割ってしまった後、代わりのものがあればいいと思って買ってきた、あの瓶詰めキャンディである。「こんなモンで機嫌を取ったつもりか」と当初は怒っていた歩だが、喧嘩と仲直りを経た今、何だかんだ気に入ってくれたらしい。  青いリボンは、ホワイトデーのラッピング袋に結ばれていたものだ。こんなものまで、歩は大切に保管していた。キャンディはまだ食べかけだが、それも含めて綺麗な置物のようで、殺風景な部屋に彩りを与えている。歩は、瓶が空になったら花でも飾るつもりらしい。   「てめェの悪友から、また荷物が届いてたぜ」    歩は、部屋の隅に置いた段ボール箱を指した。どうせまたアダルトグッズだろう。正直ありがた迷惑なので、要らないとはっきり言ってやらなきゃいけないな。でもまぁ、使えそうな物なら玩具箱にこっそり突っ込んでおこう。そんなことを思いながら、俺は箱を開いた。   「……絵?」    大きめの画用紙に描かれた絵が、額縁ごと送られてきた。絵葉書が送られてくることは今までにも多々あったが、それとは違い、細部にまで見事な色彩が施された、完成された作品だった。あいつの得意分野である、ありふれた日常のワンシーンを切り取った、今にも動き出しそうなほど生き生きとした絵だ。   『出来上がったので送ります。お部屋に飾ってください。』    同封のメッセージカードにはそう書かれていた。   「……飾るっつってもなぁ……」 「いい絵じゃねぇか。飾ろうぜ」 「いい絵かなぁ」    俺と歩、二人の姿が描かれていた。ふざけた面を晒して歩にちょっかいをかける俺と、そんな俺を軽く往なして澄ました顔をする歩。確かに、いい絵なのかもしれない。こんなワンシーンは日常にいくらでも転がっている気がする。全く、遼二の観察眼には恐れ入る。   「……でも、俺ってこんなん? こんなアホ面してる? さすがに盛ってるよね? ね?」 「大体こんなモンだろ。よく特徴を捉えてる」 「でもなんかさ、ウザそうだししつこそうだし、メンドーな男っぽくね? こんななの? 俺ってこんな感じなの?」 「しょうがねぇだろ。実際そうなんだから」 「ひどっ」 「……おれは好きだけどな」 「……」    歩は、絵の中の俺を指先でなぞった。   「この辺、髪がキラキラしててすごく綺麗だ。本物みてェ」 「……なにお前、俺の髪好きだったの」 「綺麗なものは誰だって好きだろ。てめェの頭、普段は冴えない鼠色だし、陰毛みてェな縮れ毛だが、」 「ひでぇ言われよう」 「でも、光が当たるとキラキラ光って、綺麗なんだ。青とか、緑とか、紫とか、色んな色に光って見える」 「……」    俺も歩の髪は好きだ。俺とは真逆の、きらきら艶めく純黒の髪。それこそ、光の加減で青や紫や、黄金色に見えることだってある。遼二もその辺はしっかり観察していて、繊細な色遣いで細部を描いている。けれど。   「……俺は、本物のお前が好きだけどな」    俺がぼそっと呟くと、歩は瞬く間に頬を薔薇色に染めた。絵の中の歩も健康的な肌色をしているが、それよりももっとずっと赤い。   「……言ってろ」    照れ隠しにそう言って、歩はぷいとそっぽを向いた。黒髪に覗く耳までもが仄かに色付いていた。  ちなみに、届いた荷物は他にもある。絵画という真面目な贈り物の陰に隠れて、アダルトグッズもちゃっかり梱包されていた。といってもハードなものではない。所謂コスプレ衣装である。  白いブラウスに紺のカラー、赤いタイを結んだセーラー服だ。しかも、俺達の通っていた高校の女子制服と似たデザインのものを、遼二はあえて送り付けてきた。これを歩に着せて、青春気分でプレイに勤しめってか? 全く、とんだエロの伝道師だ。  なお、歩に提案したら当然のごとく尻を蹴り飛ばされ、コスプレ衣装はあえなくゴミ箱行きとなった。

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