49 / 86

47. お父様の怒り

 塔の部屋の中に入ると、お父様は窓の外を眺めるだけで、なにも言おうとしなかった。  僕も口が固まってしまったかのように、動かすことができず、しばらく静寂が流れた。  その静寂を最初に破ったのは、お父様だった。 「お前の嫁ぎ先が決まった。一週間後に迎えに来るそうだ。支度をしておけ」  僕は言葉を発せないまま、目を大きく見開いた。  その続きの言葉を待ったけど、お父様は言いたいことだけを伝え、また黙ってしまった。 「……一週間後……」  フィルの婚約が白紙になったとわかった時点で、僕はある程度の予想はしていた。  そもそも、初めは僕が他の家に嫁ぐはずだったんだ。それをフィルがお父様に直談判し、その後フィルの婚約が成立した。  相手は伯爵家のうちよりも格上の、公爵家。三男とは言えアルファだ。お父様はこの縁談がうまくいきそうだと上機嫌だったらしい。  それが、何故か婚約が白紙になってしまった。  お母様も、フィル本人も、原因は知らない。とにかく『婚約は白紙になった』としか伝えられなかったらしい。  そのことを伝えてきたのはお父様だと言っていたから、おそらくハイネル家の中で理由を知っているのは、お父様だけなのだろう。  リヒター公爵家の面々が交流のために滞在したあと、忘れ物を届けると言って、お父様は慌ただしく出かけていった。  そしてその次の日から、家を開けることが多くなった。  ハイネル家当主とは言え、二人の息子のことなのにお母様に相談することなく、一人で決めてしまっていると言っていた。  今回のことも、お母様に知られないように、この塔の部屋に呼び出したのだろう。 「……このことを、お母様は知っているのですか……?」  静寂を破った僕の問いかけに、お父様の息を呑む音が聞こえた気がした。  実際にはこちらを見ていないからわからないけど、その背中はピクリとも動かず、その場だけ時が止まったかのようだった。    お父様は数秒間時を止めたあと、静かに動き出した。そして無言のまま、扉を開けるとそのまま部屋を出ようとした。 「……お母様に相談してから、お返事をいたします」  僕は一人じゃない。大丈夫。……そう心の中で奮い立たせると、意を決してお父様の背中に伝えた。  僕の言葉を聞くと、お父様は部屋を出ようとしていた足をピタリと止めた。そして、思い切りこちらを振り返り、ズカズカと僕のすぐそばまで近づいてきた。  何をするのだろうと僕が考える間もなく、すごい勢いで手を振りかざすと、バチーンと派手な音を立てて、僕の頬を思い切り叩いた。 「オメガのくせに、アルファに楯突く気か!! 黙って大人しく言うことを聞いていれば良いんだ! 由緒あるハイネル家に、オメガが生まれるなんて汚らわしい! さっさと家から出ていけ! 一週間後と言わず、今すぐ出ていけ! 資産家の爺さんがお前をもらってくれるんだ、最後にハイネル家に貢献できて、ありがたく思うんだな!!」  普段の紳士的なお父様の影はもうどこにもなかった。  怒りにまかせて一気にまくしたてると、バン!! と派手な音をたて扉を開けた。部屋を出ると、そのままダンダンダンダンと大きな足音をたて、苛立った様子で階段を降りていった。  一人残された僕は、無意識に痛む頬に手をあてた。あまりにも予想外の出来事で、放心状態のまま動くことができなかった。  好かれているとは思っていなかった。けれど、実の息子なのだから、わずかでも情けが残っていると期待していた。他の家に嫁いでも、ハイネル家に関わる機会はあると思っていた。  けれど、僕の期待は藻屑のように消え去っていった。  あまりの言われように、僕は何が起きたのか全く状況が理解できないまま、しばらくその場に立ち尽くしていた。

ともだちにシェアしよう!