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第8話

 幼少期ぶりに訪れたゲームセンターの感想は色々忙しいところだな、だった。  薄暗い店内に目がチカチカするほどの光。何よりびっくりするほどにうるさい。どこを歩いても機械音に満ちていて声を張らなければ相手に届かない。遠くでジャラジャラとメダルが触れ合う音やゲーム説明をするやけに明るい声が交錯する。自然とスクールバッグの肩紐を強く掴んで身を縮めつつキョロキョロと視線を動かした。 「UFOキャッチャー、やったことある?」  桜井の前を歩いていた神崎が振り返る。  あまり聞き取れなくて身を乗り出すと、神崎は笑って桜井の耳元でもう一度同じ言葉を繰り返した。  騒がしさの中でぽつりと浮かび上がる神崎の声が直接耳に流れ込んできて何だか照れくさい。  神崎の問いかけに桜井はふるりと首を左右に振った。  透明のケースに囲われたぬいぐるみやお菓子の山を見つめ、桜井はふと幼い頃のことを思い出す。  離婚前、一度だけ父親にゲームセンターへ連れてきてもらったことがあった。  何かもわからずにUFOキャッチャーがやりたいと告げる桜井に、「唯月にはまだ難しいから」と笑って大きくなったらまた来ようと父は言った。その「また」はあれ以来一度も訪れなかった。  苦い記憶に脳が支配されかけたそのとき、肩を叩かれた。  はっとして顔を上げると神崎が機械を指して、桜井に微笑みかける。 「やってみる?」 「え……いや、僕やり方わかんないし、」 「俺が教えるから」  半ば強制的に腕を引かれゲームセンター内を歩く。  こんな些細なことで尻込みしてしまう桜井とは裏腹に、店内を見渡してぐんぐんと進んでいく神崎の背中が勇敢に見えた。神崎の見てきた世界は、自分よりもずっと広いのだろう。何となくそう思った。 「あ、これとか取れそう」  駄菓子が積み上がった機械の前で立ち止まった神崎に言われるがまま覗き込む。アームで押せばすぐに落ちそうな位置まで駄菓子が飛び出していた。見た感じでは簡単に取れそうな気もするが、何せ経験がないためどれほどイメージ通りに動くかはわからない。あらゆる角度からガラスケースの中を見つめていると神崎に背中をぽんぽんと緩く叩かれた。 「まあこういうのは取れなくても、取れなかったなーって話題にもなるし一応ゲームはできたしってことでいいんだよ」 「へえ……そういうものなんだ」  感心して思わず呟くと真面目か、と笑われた。けれどそこには嘲笑は含まれておらずどこまでも優しい。財布を取り出した神崎が百円玉を投入したためいよいよ後に引けない。 「これ、ボタン押してみ」 「ま、待って、神崎くんのお金だし僕がやるのは、」 「いいよ百円くらい。ほら」    ピカピカと明滅するボタンが押せと催促するように光っている。  矢印の方向にアームが動く、と横から神崎の説明が加わった。助けを求めるように視線だけを神崎に向ける。「大丈夫だから」と微笑みかけられ、ごくりと唾を嚥下してそっと指を添わせる。  おおよその距離を目視で確認しつつ意を決してボタンを押した。少し間抜けな音と共にアームが右へ動き、次は奥へと動かすように指示が出る。狙いを定めて降下していくアームが駄菓子に触れて、見事に取り出し口へと落下した。 「あっ!」  思わず大きな声が出て慌てて口を塞ぐ。柄にもなくはしゃいでしまい気恥ずかしい。  幸いしてゲームセンター内は騒がしいため自分の声などすぐにかき消された。  神崎は大きな身体を折りたたむようにして屈み、獲得した駄菓子数個をこちらに差し出した。 「すごいじゃん桜井! 結構取れてる」 「……あの、よかったらそれ、貰って」 「え?」 「元はと言えば神崎くんのお金だし……それに、連れてきてくれたお礼? いや、お礼になるかわかんないけど」  桜井が辿々しく答えると神崎は思案した様子を見せたあと、笑顔を浮かべた。 「桜井本当に真面目だな。おもしろ」 「面白い……? 初めて言われた」  我ながら面白さとは無縁だと思う。  真面目、という言葉は一見ポジティブに見えて使いようによっては皮肉にも聞こえる。桜井は「真面目」という称号をあまり好ましく思っていなかったが、神崎に言われると悪い気はしない。 「じゃあさ、これ半分こしよ」 「いいの」 「もちろん。ありがと、俺結構これ好きなんだよ」 「美味しいのこれ」 「えっ食べたことない?」 「うん。……何だか僕、知らないことだらけだね」 「いいじゃんこれから知っていけば」  神崎のおおらかな笑顔はこちらを安心させてくれる不思議な力がある。  背も高いし、顔が整っているため黙っていると威圧感があるけれど、喋れば途端に人懐っこい印象を受けて人の心をほぐしてくれた。  知らないことを一つずつ知っていくように、神崎のことを知りたいと思ってしまう。  何が好きで、神崎は何を知らないのか。自分が教えられることはあるのか。  そんな身の程知らずな思考をやめられない。  初めて手に取った駄菓子を見つめながら、桜井は静かに微笑んだ。

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