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第22話 ヴィーナス

 さらさらとなびく髪の毛が綺麗でずっと見ていたい。  ベッドの上でぼんやりと唇をなぞり、余韻にしばし呆然としていた。  匡次郎はベッドから立ち上がり、机に向かって座った。  何度もみた仕事に向かう背中。  しかし絵筆も鉛筆も握るでもなく、彼はまたこちらを振り返った。 「僕は来週にはここを立つ」  言われた言葉に少なからずショックを受けた。  いつかこうなるだろうとはなんとなく想像も出来ていたが悲しかった。 「次はイギリスに行く。実はある人の……弔いの旅行中なんだ」  重たい身体を起こしてベッドの上で座り直し、彼の話に耳を傾けた。 「前も少し話しただろ、僕を地獄から救い出してくれた人」 「うん」  火花散らし……、匡次郎へ向けられた言葉が俺にも小さな光を与えてくれた。 「僕と彼とで飼っていた猫が死んで、後を追うように彼も身を投げ出した。年々痛みに弱くなっていた彼には乗り越えられなかったみたいだ。だけど、無責任だよな……」  匡次郎は、懐かしむような、今にも泣きそうな……悲痛な表情で微笑んだ。 「僕をヴァンパイアにして、永遠の命を授けたくせに、自分は先に逝っちまうなんて……」  真剣に語る口調が、真実だと裏付けるように響く。  言葉を探すように目を伏せる彼の声をじっと待った。 「それで死に場所を探していたんだ。彼と暮らした場所を巡って、後を追える一歩が欲しかったんだ。だけど」  白く長い髪の毛を耳にかけ、彼はにっと微笑んだ。 「気付いたんだ。あいつより、猫や絵を描くことの方が好きだって。だから、いつか死にたくなるまでは、待つよ」  素直に嬉しかった。  彼が話してくれること。  ここにいてくれること。  微笑んでいてくれること。  溢れ出そうになる気持ちの中で溺れそうだった。 「映画」  いつもみたいにうまく話せなくても、彼は受け入れてくれる。 「映画出るんだ。俺の、好きな監督の作品」  それで、それだけで、前に進める気がしてくるんだ。 「予算少ないしどうなるかわかんないけど、全力でやるよ。それだけははっきりしてるんだ、演技が好きで、好きで、挑戦してみたいって思えることなんだ」  救ってくれなくても、全てを解決してくれなくていい。  ただ、側でこうして、うまくまとまらない話を聞いてくれるだけで、勝手に救われてるんだ。 「いつかハリウッドデビューでもしたらさ、描いてくれる?」  匡次郎は目を細めてにっこりと微笑む。 「守れない約束はしないぞ」 「うん」  力強く頷く。 「だから」  涙が溢れ出して、瞼の上で反射する光の中に白がぼんやりと浮かぶ。 「俺を生かして、希望をくれた責任とって、生きていて」  夜明け前に、二人でホテルの屋上に登った。  秋も深まったこの時期のこの時間に、屋上テラスに来るお客さんはいないようで二人きりでのんびりと歩いた。  高層ビルの向こう、東の空が薄く白み夜明けの訪れを感じさせる。  その光の反対側。西の空が桃色に染まり、地平線は淡い藍色の影を落としていた。  匡次郎の髪の毛が風になびいて、差し込んでくる朝日に照らされてきらきらと輝く。 「きれいだね」  そういう俺を振り返って、少し眩しそうに微笑む彼を目に焼き付けたくて、まっすぐと見つめていた――。 fin

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